年季の入った平屋の一軒家。生活の基盤を全て移した後なので、客の相手をする時にしか使われない家だ。
 その家で人を来客を受け入れる居間には、艶やかな足の低い卓が置かれている。
 祖父の代に、人形を購入した人がその出来の素晴らしさに感動して祖父に金銭的な援助を申し出た。けれど金銭に困窮していなかった祖父はそれを断った。
 ならば金銭ではなく、何か物で送られてきたのがこの卓だった。
 新しい物が欲しいと零した祖父の言葉をどこかで聞いていたらしい。
 かなり良い品だということだが、泉にはその価値が分からなかった。
 ただ長持ちしているな、という感想しかない。
 その卓の上に、先ほどここを訪ねてきた荻野目が何かを置いた。
 とても小さく、黒い何かだ。
 泉が見てもどういう道具なのかさっぱり分からない。
「これが人形の中から出てきました」
 泉が、緋旺が破壊し続けている人形を、荻野目の組織に引き取って貰っていたのだ。
 何か特別な作りなのかと調べて貰っている。
 その調査結果を今日持ってきたのだ。
「正確には目の中から出てきました」
 紅を模して作られているらしい、誰かが作った忌々しい人形。その瞳はいつも虚ろだった。
 朝日奈が作っている、魂を宿した人形たちはどれも生き生きとした眼差しをしている。それは人形たちが自ら意志を持ち、動いているからだ。
 精神の力が、瞳にも現れている。
 けれど誰かが作った模造品たちは、その生気がない。
 あれはただの人形だ。魂など全く入っていない。
 何者かが無理矢理動かして、破壊を続けている。
 本当の操り人形だった。
 だからこそ、余計に腹立たしい。
 もし人形が自ら意志を持って人を殺しているのならば、泉はその人形と対話したいと思っただろう。知りたいと思っただろう。
 その心を、意志を、言葉を知りたいと。
 人形を作り続けているこの命は、人間の形をしているけれど人形の気持ちに添いたいのだ。
 人形を思いやりたいのだ。
 そんな泉の心すら、あの人形を作りだしている物は侮辱している。
「これは、何ですか?」
「盗聴機です。いえ、正しくは盗撮というべきでしょうか」
「とうさつ」
 テレビなどで見たことがある。
 最近の盗聴器などはとても小型化されているのだと。
 なのであらゆる場所に潜みやすく、そして見付かりにくい。
 しかし、まさかこれほどまでに小さなものがあるとは。
「人形の目を通して何者かが、貴方と人形を見ていたということでしょう」
 あの虚ろな双眸は、ただ目の形を模造しているだけでなく、本当に誰かの目になっていたのだ。
 この小さな機械を通して。
「これは…一つだけですか?」
「いえ、朝日奈さんがお持ちになった物の全てに入っていました」
 ということは、あの人形は初めから泉と緋旺を見ていた。
 破壊された、蜜那をもきっと。
 体温が冷えていくのを感じた。
 だが腹の奥から灼熱が込み上げてくる。眩暈がするほどの怒りに、泉は拳を握った。
 今すぐ何かにこの怒りをぶつけたい。
 けれどぶつけたところで解消されることはないと知っている。
 この怒りは、この憎しみは、紅の模造を破壊し尽くすまで。制作者を止めるまで、消えることはない。
 ならばこの身体の内に留めておく。この灼熱が泉を動かす意志になるのだから。
 泉は表情を変えず、感情とは関わりのないことを口にした。
「小さいんですね」
「はい。モノクロでそれほど綺麗な画像は撮れていないと思います」
「でも僕を見ることくらいは出来る、そうでしょう?」
 泉の言葉に、荻野目は「その通りです」と返事をした。
 自分が作り出した、出来損ないの人形を通して制作者は何を見たがったのか。
 奪い取った紅を生み出した朝日奈の人間の末裔をか、その末裔が作る人形か。
「ただ人形で遊んでいるというわけでは、もはやありません」
 荻野目は凛とした声で告げた。
 紅を手に入れ、その模造を作り出して綺麗な造形を作り出せると勘違いした者が、さらにそれを動かして遊んでいる。
 そんな考えもあった。
 この世には、そんな馬鹿げたことを好む者もいるだろう。
 人にとってはとんでもない、非道きわまりないことだとしても。本人にとっては児戯のようなものかも知れない。
 けれど、この機械を目の前にしてそんな考えは甘いのだろうと思った。
「狙いはきっと、貴方ですよ」
 荻野目の声が響く。
 泉は視線を落とし、その言葉を頭の中で繰り返した。
 すでに、予感はあった。
「人を殺す回数は減り、出現する場所も、僕が行ける範囲」
「少しずつ、的確になっています」
 人を数多く殺したとしても、一人しか殺さなかったとしても、泉は出てくる。
 そして人を殺すだけでなく、その姿を荻野目がいる組織の人間に見付かっただけでも、間違いなく泉が人形を持ってやってくると分かったのだろう。
 模造は、人を殺すことすら止めた。
 けれどその姿を隠すことはない。
 そして泉の居場所を探るかのように、場所は狭まってきていた。
「貴方を呼んでいるのでしょう」
「……僕、ですか」
 予感は的中したのか。
 そう溜息をついた。
 けれど釈然としない。
 荻野目はまるで泉に危険が迫っているかのように言っているが、頷くことは出来なかった。
「でも襲ってくるわけではないと思いますよ」
 命の危機に関してはまだ、近くに来ていないと思っている。
「僕に直接何かしたいのなら、ここに襲撃をかけてくるはずです。ちょっと調べれば分かるようなものですから」
 人形師として、住所が知られているわけではない。
 一般人にそう簡単に住所を知られて、押し掛けられればたまったものではないからだ。
 けれど祖父の弟子がやっている人形教室、篠倉の家、他にも顧客を辿ればこの家の住所くらいはすぐに分かる。
 山奥に隠れてひっそり生きているわけではないのだから。
「だからこそ、相手が何をしたいのは分からないんですけどね」
 泉はそう言って苦笑する。
 どうしたいのか、それがはっきりすればこちらも対策が練れる。
 人を殺したいのならずっとそうし続けるだろう。泉など無視して。
 けれど向こうは泉を待っているかのような素振りを見せる。
 泉の人形と戦いたいのかとも思った。
 同じ、自力で動くことの出来る人形同士を競わせたいのか。
 けれどならば一度自分の人形が蜜那を破壊した際に満足するのではないか。
 あれは引き分けだったとでも言うのか。
 そう考え吐き気がした。
 なんだその気味が悪い、気持ち悪い考えは。
 争いたいのなら自分が出てくればいい。人形など使わずに。
「泉さんは、何か思い当たることはありませんか?」
 荻野目の問いに、肩をすくめる。
 何か思い当たることがあったのなら、とうに動いている。
「いえ。ただ、そんなに僕が見たいのかと思ったくらいです」
 相手に見られている。
 その気持ち悪さだけがあった。
 他に気が付いたことも、感じたこともない。
 嫌悪がつのるだけだ。
「特別に見えるのでしょう」
「……特別、ですか」
 泉は苦い思いでそう呟いた。
 その台詞はよく言われる。自分でもそう思う。
 特別な人形を作ることが出来る、特別な人形師、特別な才能、特別な存在。
 だから今更そんなことを言われても、だからどうしたとしか言いようがない。
 自他共に認められている、泉の一面だろう。
 だが特別などということは耳触りが良いだけで、実際はそれ以外のことに関して才能がない。能力が低いくらいだ。
 突出した何かを持っている者は、その他のことに関しては出来損ないも良いところだ。
 一体、この機械を目に入れた制作者は泉の何が見たいというのか。
 こうして苛立ちを抱いている泉の姿も、見たいと思っているのだろうか。
 何かの視線がまとわりついてくるような気がして、寒気を感じた。



 玄関が開かれる音が聞こえた。
 誰が入って来たのだろう。
 鍵を回す音がしたから、この家の合い鍵を持っている人間だ。
 思い当たるのは二人だけだった。
 一人はもう一軒の家に住んでいる小桃だ。祖父が作り出した人形で、泉が生まれた頃にはすでに自分で動き出しており、今は家事一切をやってくれている。
 もう一人は人形の補修を家業としている篠倉の嫡男だ。高校生で、篠倉の代を継いだ才能ある人物。もう一つ付け加えると、泉と付き合っている相手だった。
 恭一は休日の前になると泉の家に泊まりに来る。翌日に大学がある場合は泊まるのを禁止しているので、休日になると必ず荷物を持ってやってきた。
 同居したいと何度も繰り返した人だ。その人を説き伏せるための苦肉の策だったと言える。
 今日は、明日が祝日なので恭一が来るだろうなと思っていた。
 だから依頼を受けている人形の制作も、今日の昼間までには終わらせようと徹夜をしたのだ。
 おかげで怠くて仕方がない。
 ベッドに行くと夜まで起きそうもなかったので、ソファで仮眠を取っていた。
 リビングに入ってくる音がして、泉はうっすらと目を開けた。
「ただいま帰りました」
 視界に入ったのは恭一だ。
 渋い顔をしている。
 聞こえてきた言葉に、泉は意地だなぁと思った。
 ここが自分の帰る場所であるのだと、恭一は主張したいのだ。
 家だと思っているのだと。だからずっとここに住む覚悟もあるのだと言っているようだ。
「おかえり」
 同居は許可出来なかったけれど、その姿勢を否定する気はなかった。
 むしろ自分が住んでいる家をそこまで近しい場所だと思ってくれていることが嬉しかった。
「おかえり」
 新聞を読んで見聞を広めていた緋旺も、恭一に対してそう告げた。
 静かな声音だ。
 表情を出すことが少ない緋旺は、大抵このように淡々としている。
「目の下にクマが出来てますね」
 恭一は仰向けになって寝ている泉に手を伸ばした。
 目の端に触れられると、暖かさを感じてほっとする。
 人形を作り続け、意識も人形に近付き、自分が人間であるかどうかの境目を曖昧にさせていた泉にとって、その温度は鮮烈だ。
 とても心地がよい。
 目を閉じて、ほっと息を吐いた。
「徹夜したからね」
 どれだけ才能があったとしても、身体は生身だ。酷使すれば無理が出る。
 クマなどまだ可愛い方だ。
 酷いときはふらふらになって倒れる。食事も忘れるので、水分不足で頭が痛くなったり、指先などが震える場合もあるのだ。
 それでも一度集中した人形制作は途中で止められない。
「新作の出来はどうですか?」
 依頼されて新しい人形を作っている話は恭一にしている。
 前回泊まりに来たときも、制作に熱中しており恭一に構えなかった。
 そういう場合があるから仕事をしている期間は泊まりに来てもつまらないよと前々から忠告はしていた。
 けれど恭一は平気だったようだ。
 自分のことなんて放置しておいて下さい。と笑顔で言われてしまった。
「良い感じだよ。もうそろそろ終わる」
 微笑んで見せると、恭一の表情もほころんだ。
 泉の作る人形をこよなく好む人は、泉が人形を作っているのが嬉しいらしい。
「きりが良いところまでこぎつけたから、ちょっと仮眠してた」
 この体勢がだらしない理由を泉が教える。
「起こしてすみません」
「いいよ。もう二時間くらい寝たから」
 それだけ寝れば疲労もある程度減っている。
 それに恭一を待っているために、ここで寝ていたのだ。
 起こされることは分かっていた。
「膝枕で?」
 恭一は目を据わらせ、また渋い顔をした。
 その視線の理由は、泉が枕にしている存在と姿勢によるものだろう。
 泉はあはは、と軽く笑って見せる。
 それが更に恭一の眉を寄せさせた。
 人形制作に一段落つけて一階に上がると緋旺がソファに座っていたのだ。
 だからつい、弱音を零した。
 紅の模造の目から盗撮機械が出てきたこと。ずっと見られていたこと。それを話して、憤りと気味の悪さを話していた。そして、どうすればいいのかを。
 緋旺は静かな眼差しで、ずっと耳を傾けてくれた。
 返事は少なかった。けれど泉にとってそれで十分だった。
 だらだらと思い付くことをそのまま吐き出し、そして緋旺に寄り掛かった。
 きっと疲労がそうさせたのだろう。
 そしていつの間にか、眠っていた。
 心地よい眠りだった。
 だがしかし、恭一にとってそれはとても面白くないものだったらしい。
 盛大に不機嫌な目で泉を見下ろしていた。



 


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