自分を恨むように見つめてきた視線の主。
 小桃と根本はそれに思い当たる節があるのだろう。
 けれど一向に教えてはくれない。
 出来ればそっとしておいて欲しいと言うように黙り込んでいる。
 けれど泉は大人しく引き下がる気にはなれなかった。
 模造品と対峙した後に感じたことだからだ。
「根本さんは、心当たりがあるんですね」
 我慢出来ずに問うと、深い溜息が返された。
「弟子の中にはもうおりませんよ」
「今はいない、ということですね」
 根本の言い方では、かつてここの弟子であったように取れる。
 それが泉の記憶と添わせるのであれば自然なことだ。
「覚えてないと、思いたかったんだがなぁ…」
 我が事のように悔やむ根本に、泉は申し訳ない思いになる。
 心配をかけてしまうばかりだ。
「ちゃんとは覚えてませんよ。特に人のことはよく忘れます」
 人形のことであるならともかく、泉は人のことに関してはよく忘れている。興味が沸かないせいだろう。
 学生時代はそれで人間関係にたまに摩擦を起こしたものだが。学生でなくなれば何の問題もない。
 顧客は泉などよりよほど物覚えの良い小桃が管理してくれる。
「それでもあの視線は、刻み込まれてしまっているようで。今更になって絡み付く」
 ふっと湧き出るようにしてその視線は泉の意識に戻ってきてしまった。
「まさかここに来た、ということじゃ」
 根本がはっとしたように口にする。全身が強張っているところからして、それは相当警戒しなければならないものなのだろう。
「ないない」
 あまりにも不安を見せた根本に、泉は軽く笑って手を振った。
 年が年なので大事だと思って欲しくないのだ。身体を悪くされると困る。
「関わりになどなってはならんよ。あんなもん」
 吐き捨てるような言い方は、根本にしてみれば珍しい。
 明確な嫌悪はかなりのものだ。
「根本さんは嫌いみたいですね」
「嫌いどころか、もう二度と会いたくもない」
 怒りを収めない根本に、泉は苦笑する。しかし小桃は静かにそれを眺めていた。まるでそれは自分も同じなのだと言うような態度だ。
「あれは、義時さんの弟子になりたいとここに来た奴だ。それが叶わず師匠の弟子に入った」
 父である義時は弟子をとらなかった。どれだけ懇願されても全て突っぱねたのだ。
 気性の難しい人であったので、弟子をとったところで教えられるはずもないと自身が理解していたからだ。
 けれどそれでもすがりつく人間はいた。根本が言う人も、その一人だったのだろう。
「師匠は人が良かったから。あんな奴でも哀れに思ったんでしょう。そいつは弟子になって人形を作るのに夢中になった。作るもんも大した出来だったさ」
 あんな奴と言いながらも作り出した人形まで罵ることはない。それが根本の公平さというか、人柄なのだろう。
 良いものは良いと、ちゃんと言える人なのだ。
「だが性格はひん曲がってた。自分より腕のある者を妬んで、恨んでばっかりだった。儂らを馬鹿にして、師匠に嫉妬して」
 当時のことが鮮明に思い出せるのか、根本は腕を組みながら畳を睨み付けていた。
 説教をしているかのような姿勢だ。
「おまけに坊ちゃんに怪我までさせた!」
「そうなんだ。何されたの?」
 怪我をさせられた当人はそんなことは覚えていないので、根本に尋ねる。
 しかしそんな泉の手を小桃がそっと包んだ。
 見ると首を振られる。
 切なげな表情は、きっと小桃は怪我をした泉を見たからだろう。きっと知って欲しくないことなのだ。
(そんなに酷いことなのかな)
 あの視線は確かに殺意のようなものが込められていたけれど、幼かった自分は何をされたのだろう。身体の目立った傷跡がないので、探りようもない。
「覚えてないなら、それの方がいい。思い出したところでいいことなんか何一つありゃせん」
 根本も小桃と同意見のようだ。
 周囲の人がそう言うのであれば、泉に否やはない。所詮覚えていなかったことだ。
「小さい子まで妬むなんてとんでもないことをやりよった。当然師匠も激怒なさってあいつを追い出した」
 祖父は泉を可愛がってくれていた。
 血は繋がらないものの、人形を好んで教えを乞う小さな子は大層愛らしく見えたのだろう。
 皺の目立つ太い指で頭を撫でて貰った記憶が、いっぱい残っている。
「儂の間では、あいつはなかったことになっとる。追い出した後のことも、誰も知らんだろうしな」
 これで終わりだというように、根本はまた溜息をついた。
 刺激し過ぎたかも知れない。
「子どもにまで嫉妬したりするのかな」
 泉は自分が妬心を向けられたという話に首を傾げた。
 物心付いていないような子ならば、いくら人形を作ると言っても拙いものだっただろう。それに嫉妬する大人などいるものだろうか。
(ちっちゃい子と自分を比べること自体、なんか僕には不思議な感じだけど)
 大人同士ならともかく、本来なら比較にもならないような相手ではないのか。
 そう疑問を口にする泉に、根本は少し苦そうに笑んだ。
「才能でしょうよ」
 そう言われると泉には返す言葉がない。自分は才能があるのだと自他ともに認めているからだ。
 なければ人形師なんてやっていない。
「貴方の才能が、あいつは妬ましかった。あいつには分からなかっただろうさ。朝日奈と自分の違いが」
 朝日奈と、それ以外の人との違い。
 根本は当然のものとして語る。
 泉は幼い頃から自分は他人と異なるのだと教えられた。そしてそれは言われるまでもなく感じ取っていたことだった。
 それに関して優越を感じるだの、劣等感を覚えるだのということはない。
 種類が初めから違うのだから仕方がない。誰がどう生き物として優れているのかなんて、泉には感心のないことだった。
 自分は人形を作れる。それくらいしか脳がない。他の人は自分より上手く人形は作れない。だが他に様々なことが出来る。
 どちらがより良いことかなんて分かりはしなかった。
「まして僕は朝日奈の血が一滴も入ってなかったから。余計癇に障ったのかもね」
 朝日奈の技術能力が血筋によるものならば、まだ他人は納得したかも知れない。
 そういう遺伝子があるのだと理由が付く。
 けれど泉は朝日奈の名は持っているが、その血は受け継いでいない。拾われた子なのだ。
 だが歴代の朝日奈を辿れば、血など何度も代わっている。
 朝日奈の才能は血とは全く関係のない部分で継承されている。だがそれは人に知られることのない。
 秘められているからこそ、誰かは嫉妬にかられたのだ。
「妬ましい、ですか……」
 しみじみとそう呟いて、その言葉が自分を上滑りしていくのを自覚する。
 どういう感情であるのか知識はあるけれど、どうもぴんとこないものだ。
 それを感じ取ったのか、根本は目元を緩めた。
「考えても分からんだろう?」
 悩む子どもを諭すような声だ。祖父もよくそうして声を掛けてくれた。
 頷くと、根本もまた首を縦に振った。
「恵まれた者はそれが分からない。けれどそれでいいんだ」
 泉と自分は違う。
 いや、泉と自分たち朝日奈ではない人間たちは違うと言いたいのだろう。
 根本は明白な壁を、目の前にそっと置いた。
 それは突き放すと言うよりも互いに心地が良いと思われる線引きをしたようだった。
 嫌味でも、虚勢でもない。
 これが一番良い距離なのだと言っているようだ。
「才溢れる者はそれで良い」
 満足そうにすら見える根本に言われ、泉は苦笑した。
 他人からこうして遠ざかれることには実は慣れていた。
 だから傷付くということはない。
 それでも一抹の寂しさはある。
(僕も一応人間のつもりなんだけど。でも仕方のないことなんだろうな)
 他人に対して感じる寂しさはいつも割り切ってしまっていた。
 朝日奈なのだから、こうなることは避けられないのだと自分を説き伏せる。
 魂を持つ人形を作るためには、背負わざる得ないことなのだ。
(でもいつかは恭一君もこんな風に、僕と距離を置くのかな)
 泉の側にいたいと言ってくれるあの人は、もっと知りたい、泉が欲しいと言ってくれるあの人は。いつかこんな風に泉を諦めるのだろうか。
 その時、今みたいにあっさりと諦めることが出来るだろうか。
(他の人はいいけど恭一君だけには、なんて僕も虫が良すぎるんだろう)
 けれど願ってしまいたいのだ。
(会いたいな…)
 この問いかけをしたいわけではないけれど、恭一に泉さんと呼んで欲しい。距離を置かないあったかなあの声で。
 そう思い、今日も明日も平日であること。そして同居を頑なに拒んだのは自分であることに胸が締め付けられる。
 自分は我が儘だと、ずっと思ってきたけれど心底そんな生き方しか出来ないらしい。



 


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