それから泉は、ろくに連絡をしてこなかった。
 メールも少しやりとりをするくらいだ。
 家にも一度行っただけだった。
 それまでの頻度に比べれば、明らかに接触が少ない。
 寂しい、という感覚がなかったと言えば嘘になるが、それだけ泉が集中しているのだろうと思うと不満など抱けるはずがなかった。
 他のことに気を取られる余裕など、一切ないのだ。
 泉は人形の制作のことだけに捕らわれ、身を削り、魂を分け与えている。
 自らを全く省みようとしない姿勢に、会った際は食事と健康状態を勝手にチェックした。
 世話を焼くと苦笑されるが、そうでもしなければ地下でばったり倒れていそうなのだ。
 どんな人形が生まれるのか。泉はどんな気持ちで制作しているのか。
 気に掛かる日々が半月以上続いた頃、泉から電話がかかってきた。
 出来上がったよ。と囁かれ、恭一はすぐに車を出した。
「いらっしゃい」
 出迎えてくれた人の瞳に、目が釘付けになった。
 右目と変わりのない、茶色の瞳だ。
 ぱっと見は蜜那の時より色味が濃いので、普通の眼球と大差がない。
 しかし間近で覗き込むと、その瞳の奥に光のようなものがちらりと見える。
 金を秘めた炯眼に見とれていると、ゆっくりとそれは細められた。
「馴染んでるだろ?」
 嬉しそうな声音に、恭一は我に返った。
 それを入れたのが誰なのか、思い出すとまた腹の奥に苛立ちがぽつりと生まれる。
 むっとした顔をしたのだろう、泉が小さく吹き出した。
 子どもみたいだと思われているのだろう。
「髪、染めたんですね」
 瞳の次に気が付いたのは、その髪だった。
 金に近かった髪は、少し落ち着いた色になっている。金より茶に近いというだけでそれでも明るいことには違いがない。
 長さも短くなっていて、軽い印象が僅かに薄らいだ。
 その分柔和な顔立ちが際立つ。
「眼球に合わせてみた」
 微笑を浮かべる顔の血色は良く、どうやら作業は全て終了したらしい。
 睡眠もしっかり取ったようで、内心ほっとする。
 ふらふらで、げっそりと衰弱していたらどうしようかと心配していたのだ。
「うん。似合ってます」
 前髪の一房に触れる。さらりとした感触はぱさつきが抑えられていた。
 ケアをしたらしい。
「すげーむかつくけど」
 あの男が作った眼に合わせて、ここまでやるということに腹は立つ。
 だがこれも似合っている上に、眼球も綺麗だ。違和感がない。そのことを思うと仕方がないかと納得してしまう部分もあった。
「拗ねてるし」
 笑う泉は、ここ数ヶ月で一番元気そうに見えた。
 完成された人形がよほど嬉しいらしい。
 こうして少しずつでも、笑顔を取り戻してくれればと願うばかりだ。
「中に入って、彼女に会わせるよ」
「早いですね」
 日数の短さに、恭一内心動揺はしていた。
 泉なら出来るかも知れない。だがそれにしても早いだろう、と。
 生活の大半を費やして、寝る間を惜しんだとしか思えない。
「それだけしかしてなかったからね」
 地下に入り、泉だけしか認めないドアを開ける。
 懐かしい空間だった。
 恭一は滅多にここに入ることはない。
 邪魔になるからだ。
 神聖さすら抱いている作業場に通されると、そこに座っている人形にすぐさま目が止まった。
 正確には、目を奪われたのだ。
 ドアを開いた瞬間に、その存在を空気が教えてくれる。
 見ずにいることは出来なかった。
「…怖い人だ…貴方は」
 背後で泉がぱたりとドアを閉める。
 鍵村が呟いた言葉を、恭一は嫌と言うほど実感していた。
 アンティークの椅子に座っている一人の少女。肌は白く、唇には薄く色付いている。
 伏せられた瞳は泉と同じ、金が秘められた瞳がはまっている。その奥に、灼熱の閉じ込めたような緋色がちらりとよぎる。まるで、生きているようだ。
 息を飲むが、少女は恭一を見ることはない。
 じっと、ただ動かないままだ。
 制作したばかりの人形は、いくら泉と瞳を共有しているからとはいえ魂を宿すことはないらしい。動くことはないだろう。だが、今にも唇を震わせて、声を発しそうなほど存在感がある。
 艶やかな黒髪が胸まで下りていた。よく見ると、蜜那と似たように耳から上の髪が後頭部で一つに結ばれている。
 その房になった髪は、腰近くまで長さがあった。
 来ている衣装はチャイナ服に似ている。
 黒地に金と緋色で彼岸花が描かれている。袖は広がっており、華の形をした装飾ボタンは緋色で作られている。丈は膝上で、その下は黒のミニスカートだ。蜜那と違ってフリルなどは付けられていない。
 黒のロングブーツには服と同じ装飾ボタンが二つずつ、外側の上部に付けられている。
 細い蔦のようでもある幾何学な模様がうっすらとつま先から上へ向けて、二本絡まるようにして描かれている。
「…名前は…?」
 不思議な存在だった。
 人形である、少女である、中華風の服を着ている。
 そんなことを目で確認しているにも関わらず、この存在は何だ。という疑問に襲われる。
 これほどまでに圧倒的な美を誇るのは、一体何なのだと。
 せめてのも手かがりを求めるように、名を尋ねた。
「ひおうだよ」
 泉は作り手であるせいか、もしくは長時間接して慣れたのか、その人形を見ても平然としている。
「ひおう…。どんな字ですか?」
 響きから漢字が思いつかない。
 蜜那の時もそうだったが、すぐに理解出来る名前ではないだろう。
 すると泉は机の上にあった紙に、さらりと字を書いた。
 緋旺、と。
 ああ…と恭一は深く納得した声を上げた。
 緋色だ。
 その瞳は茶、その髪は黒、その服は黒に濃紺を滲ませたもの。
 それだというのに、所々に散りばめられた緋色が、とても印象的なのだ。
「紅に、似てますね」
 鍵村が繰り返し告げたその言葉を、恭一もまた口にする。
「うん。僕も思った」
 容貌だけではない。他を圧するその気配が、紅に似ている。
 彼女はとても穏やかで、剣呑な雰囲気など持ってはいなかったが、その存在感は大きかった。
「でも紅より、鋭利な感じだろ?」
「そうですね」
 緋旺と名付けられた人形は、まだぴくりとも動いていないというのにどこか危うげだった。
 張り詰めた緊張感をすでに抱いているようだ。
 その瞳がもし上を向き、恭一を見つめたのなら。
 ここに縛り付けるだけの強さを持った眼差しだろう。
「意図としたわけじゃないんだけど」
 いつの間にかこういう風に作ったしまったのだろう。
 と言うことは、人形自身がこうなることを望んでいたということだ。
「どうやらこの子は怒ってるみたいなんだ」
 泉は人形と一定の距離を置いて、語った。
 苦笑が滲んでいる。
「模造に?」
 蜜那は紅の模造に苛立っていた。
 その存在が許せないのだと、灼熱を帯びた目で言っていた。
 この人形も同じ思いなのだろうか。
 生まれたばかりだというのに。
「おそらく、現状全てに」
「どういうことですか?」
 今の事態の全てに怒っている。
 だからこれほど鋭利な雰囲気を漂わせているのだろうか。
「模造と、僕と…まだ動けないことに」
「魂は?」
「まだだよ。でも彼女はそういう意識がもうはっきりあるみたいなんだ」
 恭一は驚きを込めて、人形を見た。
 生まれたばかりだというのに、はっきりとした意識があるなど信じられない。
 魂はない。だから動けない。
 しかし、意識というものは泉が制作している段階から曖昧には持っているらしい。
 それで自分の身体を制作するために、泉に語りかけるというのだが。
 はっきりとした意識など、魂ととても近いものがあるだろう。
「蜜那も、こうだったんですか?」
「あの子も、とても早かったけど。でも生まれて数日でこんなにもはっきりしたものは持ってなかったよ」
 ということは、特別な人形なのだ。
 特殊な上に、特別な人形。
「…まるで、生まれてくることが定められていたみたいですね」
 前々からこの人形は知っていたのかも知れない。
 そんな思いが浮かんでくる。
 模造が生み出された時から、蜜那が壊れた瞬間から、自分がこうして生まれてくることを知っていた。
 だからこんなにも早く意識を持った。
 そして今すぐにでも動き出したいのだと訴えている。
 そのために、こうして存在しているのだと言うように。
 鋭い眼差しを伏せ、じっと座っているのがもどかしいというように。気配は剣呑だ。
 数ヶ月後にこの人形が魂を持ち、自ら動き出せば一体どうなるのか。
 想像も付かなかった。
 しかし、背筋を這う痺れのようなものはこの人形に焦がれている証だろう。
 金を散らし、紅を秘めた双眸と視線を合わせれば、きっと神経を焼かれる。
 その瞬間が楽しみだった。



 


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