夕方、日が傾き始めた頃にインターホンが鳴らされた。 泉とともに恭一が玄関へと向かった。 別に付いて行く必要などはなかったのだが、立っていたのでなんとなく後ろに付いてしまったのだ。 玄関の前に立っていたのはスーツ姿の男だった。 長身で鋭い顔立ちをしている。フレームのない眼鏡にすっと通った目尻が冷たい印象を受ける。 「いらっしゃい、鍵村先輩」 泉はにっこりと笑って男を中に招いた。 弟とよく似た顔をしているが、雰囲気からして尖っている。 見るからに「頭のきれる、冷静な男」という感じだ。 鍵村は泉の笑顔を見ると顔をしかめた。 「おまえはまたそんなチャラチャラした格好を」 呆れられ、泉が笑う。 今日は丸眼鏡はなく、ピアスはファスナーを真似たものがぶら下がっている。 首からはアラベスクが刻まれたプレートのチョーカー。 白のシャツにはグレイでトライバルのサソリが斜めに大きく描かれている。 恭一の目からしてみれば、今日の格好はそんなにチャラチャラしていない。 前に見た時は、大聖堂に飾ってある宗教画のようなものを背にうっすらと描いたシャツを着ていた。 おそろしいのは、それを着ていても「浮いている」と感じさせないことだ。 「もうアイデンティティの一部ですよ」 泉はさらりと笑った。 「おまえのアイデンティティは随分軽いな」 「見た目だけですよー。これでもこだわりが」 「あったんですか?」 和柄だったり、梵字だったり、ゴシック調であったり、一体何を基準として服装を選んでいるのかさっぱり分からなかった恭一が口を挟むと、鍵村がちらりと目を向けてきた。 「篠倉の御長男か」 一応顔は知られているらしい。恭一は会釈を返す。 「恭一です。今年跡目を継ぎました」 「知っている。その若さで先代をしのぐらしいな」 上から物を言う人のようだ。高圧的なものを感じないでもないが、それに見合うだけの威圧感というものを持っている。 ぴんと伸びた背筋と風格が、物言いに重みを足しているようだ。 「大袈裟です」 「こいつは腕のことに関してはシビアな目線を持っている。謙遜することじゃない」 泉を見て「こいつ」と鍵村が言う。 親しく、また軽い呼び方に引っかかりを覚えないでもないが、泉と共に正当な評価をされていることは純粋に嬉しいと感じられた。 「そこの辺は信頼されてますね」 良かったと言う泉が、リビングへと鍵村を通す。 「おまえは人形以外のことは能がないからな」 厳しい台詞に、恭一が眉を寄せる。 いくらなんでもそこまで言うか。 だが泉は小さく笑う。 「ありがとうございます」 どうしてことで礼なのか、恭一には分からない。 何かもやもやとしてものが生まれてくる。 「喜ぶところか?」 怪訝なのは鍵村も同じだったようだ。 苦笑している。 「能なしって言われるよりマシです」 「おまえにそんな台詞を吐いたことはないぞ」 「そうでしたっけ?よく聞いてたから」 「他の人間だろう。人形に関するおまえの才能は認めている。だからこうして出向いても来るんだ」 「お忙しいところすいません」 淡々としている声に、泉の機嫌の良い声が返される。 慕っている。というのがよく伝わってきた。 先輩後輩、という関係らしいが。ただの風紀委員と問題児がこれほど仲が良いというのはおかしくないか。 恭一の中でひっかかりが大きく育っていく。 「構わない」 そう言った鍵村は、泉の顔に手を伸ばした。 眼の下に右手の親指を当て、瞳を覗き込む。 まるで口付けするかのような距離にまだ顔を寄せる。 っ、と一瞬息を飲んで、鍵村につかみかかろうとしてしまった。だが鍵村がスーツの内ポケットから取り出したものに気が付き、かろうじて踏みとどまる。 取り出されたのはペンライトだ。 鍵村きメタリックで細いそのペンの頭を回し、光を付ける。 「瞳孔の動きがかなりまずいな」 泉の左目にライトを当てて、瞳孔の収縮を見ているらしい。 「前々から義眼は反応が鈍かったですけどね」 「壊れてからさらに反応が鈍くなっただろう。あれからまた反応が悪くなっている。早めに取り替えろ」 壊れたものをいつまでも持っていてどうする。 鍵村は冷静にそう告げた。 それはまるで、壊れた蜜那を引きずっていてどうするんだ。という言葉にも聞こえた。 「そうですね」 泉はほんの少しだけ、微笑した。切なげな表情に恭一が唇を噛む。 そんなことは言わなくても、泉が一番分かっているだろうことだ。それなのに鍵村が追い打ちをかけることはないだろう。 「コーヒーでいいですか?」 ソファに座った鍵村に、泉は切なさを吹っ切るようにして尋ねた。 儚い微笑も消えている。 「それより早く見せて貰いたい。蜜那と比較して、どうだ」 人形が見たい。 それは鍵村だけでなく、恭一も同じだった。 泉はその場に立ち止まり二人の視線を受けて厳しい瞳を見せた。 「しのぐかも知れません」 その一言に、空気が張り詰めた。 あれを上回る人形。 人間のようでもあり、だが人間では持ち得ない美しさと力を持った、魂を宿す人形。 完璧。という言葉が相応しい存在だった。 それより完全な人形になるというのだ。 鍵村の目が鋭くなった。 まるで刃物ように。 「見せて貰おうか。おまえの傑作を」 ノンフレームの眼鏡を押し上げて、鍵村の唇が少しだけ引き上がった。 静かに興奮している。 恭一の心臓も、いつもより早く脈を打ち始めた。 「コーヒーは俺が入れます」 一分一秒でも早く、その人形が見たい。 恭一はキッチンに入り、インスタントのコーヒーを棚から取り出す。 慣れたものだった。 「そう?それなら持ってきます」 勝手を知っている恭一にその場を任せ、泉はリビングを出ていった。 水をコンロにかけて、火を付ける。 どのカップを出すべきなのか、と視線を迷わせていると鍵村が口を開いた。 「泉とは仲が良いのか?」 それはこっちの台詞だ。と恭一は言いたくなった。 泉呼ばわりなんですね、などとまるで嫉妬のようなことを投げ付けたくなる。 いや、現に嫉妬なのだろう。 自分の知らない泉を知っている。しかも近い位置から見ている。というのが気にくわないのだ。その上高圧的なまでの雰囲気。 上から見下ろされている気分がして、不快感がまとわりついてくる。 「良くしてもらってます」 年上の職人には、出来るだけ丁寧に礼節を込めるのだが、鍵村に対してはあからさまなまだにぶっきらぼうな返事になった。 これでは、自分が良い気持ちを抱いていないというのは、すぐに分かってしまうだろう。 だが理性で押さえ付けようとは思えなかった。 泉のことになると、どうも冷静さを欠く。 自覚しながらも直そうとしていない自分に、呆れたいのか、笑いたいのが複雑だ。 「人形に関することなら、あれより優れた人間はいないからな。中身はともかく」 一体泉さんの中身をどれだけ知ってるっていうんだよ、あんたは。 喉元まで出かかる苛立ちを押し込め、近くにあったカップを取り出す。 一応来客用に思えた。 「鍵村さんも、泉さんと仲がいいんですね」 「高校時代の後輩だ」 「風紀委員だったそうで」 鍵村はおや、という顔をしてキッチンにいる恭一を見た。 カウンタキッチンなので、視線を感じる。 だが目を合わせる気はない。好戦的な態度を取っているという自覚があるからだ。 真っ向から喧嘩腰になるのは、さすがにまずいだろう。 「突っかかってこない上に、その場だけの反省でな。手を焼いた」 恭一の態度にはあまり関心がないらしい。 すぐに視線を外して、鍵村はリビングの窓へと顔を向けた。 柔らかいオレンジ色の光が差し込む大きな窓だ。 「素行自体は悪くないんだがな。服装を覗けば問題にはならなかった」 と言ったが、鍵村は何を思い出したのか溜息をついて腕を気怠そうに組んだ。 「…成績も悪かったか…そういえば」 あいつは、と苦い顔をしている。 出来の悪い弟を思うような顔だ。 「風紀委員と問題児ってわりには詳しいんですね」 兄弟を思わせるほど親しさがあることに、恭一は舌打ちをしたくなる。 こぽこぽと沸いたお湯を睨み付けて、叩きつけるようにインスタントの粉をカップに入れた。 子供じみた言動だ。全くらしくない、そう思わざるえなかった。 老人や大人ばかりに囲まれて育ち、子どもらしさなどとうに捨ててしまったはずだというのに。 「あの頃は一番眼を作っていたからな。あの時期に泉が作った人形にはめ込まれている眼球は、ほとんど俺が作ったものだ」 泉の高校時代、約十年近く前のものだ。 記憶を探り出し人形を思い浮かべ、ぎりと奥歯を噛んだ。 高校生だというのに、その当時の人形はやはり素晴らしいものがある。今より荒削りなのは仕方がないが、それを補うだけの勢いと生き生きとした顔立ちがそこにはあるのだ。 そしてその人形に全く遜色ない眼球。 目は口ほどに物を言う。 そんなことわざがあるように、瞳というのはとても重要なパーツなのだ。 出来の悪い眼球を入れたのなら、いくら泉の人形であっても美しさは損なわれる。 泉をおまえ呼ばわりし、才能を認めるだけの技量はあるということだ。 腹立たしいことにデカイのは態度だけではないようだ。 「今は弟が作っているがな」 「どうして、今は作ってないんですか」 高校生であれだけ出来の良い眼球が作れるのなら、現在職人になっていればどれほどのものを作っていただろう。 それを思うと非常に不本意で腹立たしいが、勿体ない。 「金にならんから生活が出来ない」 恭一は思わず口を閉ざしてしまった。 確かに…。と内心では深く納得してしまう。 どれほど良い眼球を作っても、需要がなければ仕事にならない。金にならない。 悲しいことに、腕だけでは生活出来ないのだ。 現に篠倉も経済状況がさほど良いわけではない。人形教室のようなものもやってはいるが、それだけで裕福にやっていけるわけではない。 実際の所、恭一の父が職人ではなく、全く別の仕事をして篠倉を支えている。 人形に関する才能がなかった分、金くらいは出していたいのだというのが父の要望だ。 才能はさしてないのだが、人形焦がれる気持ちは恭一と変わりがない。 「それに、生きた眼球をいじるのも面白いからな」 患者からしてみれば血の気が引くようなことを、鍵村は大して愉快そうでもなく言う。 「泉さんに入れるのは、本物の義眼なんですか?」 グラスアイやアクリルアイでも自分のものにしてしまう。という泉の眼窩に当てはめるのはどんな眼球なのか。 人間のものなのか、人形のものなのか。 恭一は気になった。 コーヒーを鍵村の前にある硝子のテーブルにことりと置いた。 「あいつはグラスアイでも構わないと言うんだが、どうせ生身にはめるのなら少しでも義眼に近い眼球がいいだろう。どんなものにするかは、人形を見ないことには分からないが」 あの左目は人形と泉を繋ぐ重要なものだ。 蜜那と繋がっている時も、人形の眼球と酷似した琥珀色のものがはめこまれていた。 あれも鍵村が作ったのだろう。 「だから、鍵村さんが」 「ああ。それに眼球の色彩に関するセンスは弟より俺のほうが僅かに上だ」 それなのに鍵村は医師になることを選んだ。 上手くいかない。才能だけで生きていけない現実が、立ちふさがっている。 「蜜那の眼も俺が作った」 予想通りだった。 あれだけ生気に満ちた、星のような眼球を作ったのがこの男かと思うと、苛立つのか関心したいのか、分からなくなる。 「琥珀のようだろう。金蜜に似合っていた」 鍵村は、感情のこもっていない声でぽつりと呟いた。 喪失を悼むような響きが微かに込められている気がした。 こんな人でもやはりあれだけ愛らしい、生きているような人形がいなくなると悲しいものなのか。 「泉は」 「はい」 「まだ蜜那のことを引きずり、後悔しているのか」 「……はい」 明らかだった。 新しい人形の制作に入ったからといって、その喪失感が消えることはなく。 今鍵村が座っているソファに座れば、いつも足下を見ては目を閉じるのだ。 笑顔がないこと気が付き、言葉を失ったように。 「馬鹿だな」 冷静な声だった。 あまりにも冷ややかな言葉に、頭の芯がかっと焼けたかのような錯覚に陥る。 罵声を浴びせることも出来ないレベルの怒りだ。 何故こんなことが言えるのか。 蜜那を見たことがあるのなら、泉がどれだけ大切にしていたのかも知っているはずだ。 どれだけ強く繋がっていたのかも。 それを見ていたというのに、あっさりと馬鹿などと言える神経が信じられない。 悼んでいると、一瞬でも思った自分の愚かさが嫌になる。 「あんたっ!」 一体何様だ、と怒鳴りつけようとした時、リビングのドアが開いた。 反射的に泉を見て、恭一は言葉を失った。 その手に抱えられている、まっさらな頭部。 髪も何も付けられていない。 化粧も何もしていないため、鼻や唇などの凹凸しかない。顔の造作など分かりようもないところだ。 だがどうしてか、視線がそこに縫い止められた。 泉の作品にしては珍しく、笑みがない。 無表情な顔。だが恭一はそこに、柳眉や薄紅の唇、長く艶やかな睫毛や、微かな血色の滲む肌を見た。 見る者を惹きつけて止まないものが、そこにはあった。 次 |