「鍵村敬護?」 恭一の声はバスルームによく響いた。 湯船に浸かりながら、シャワーを浴びている泉の横顔を眺める。 その首もとには紅い痕が散っている。 どうも自分は首や鎖骨に食いつくのが好きらしい。 今まで付き合ってきた女性たちにもよく付けていたが、泉に関しては彼女たちより多めに付いている。 征服欲が刺激されるためかも知れない。 男同士という、勝手が違う関係だというのに拒否反応も迷いもなく身体を重ねているのだから、驚きだ。 泉に会うまでは、男相手に勃つはずない。と信じていたというのに。 不規則な生活をしているためか、細身というより痩せすぎじゃないかと思われる身体は、恭一が想像するよりずっと気持ちのいい肌をしている。その上反応がいい。 女だったらと思ったことはあるのだが、今では男でも全く問題ない。 「鍵村って、眼球を作ってるとこですよね?敬護って、そこのお兄さんでしたっけ?」 「そう。その鍵村さんに左目を入れてもらうんだよ」 泉は生気のない左目を恭一に向けた。 蜜那と繋がっていた琥珀の眼球は、今はくすんでいる。 生き生きと、光を浴びた鉱石のように輝かしい瞳を知っているだけに、その様は痛々しい。 「いつですか?」 「明日」 泉はシャワーを止め、ボディソープをスポンジにかける。 「洗ってあげましょうか」 「いらない。洗うだけですみそうもないでしょ君」 散々啼いて、少々喉の調子が悪いらしい泉はあっさりと断ってくれた。 もう一度くらいあの肌を味わいたい、と思っているのが顔に書かれているのだろうか。 確かに行為の最中からしんどそうではあった。 だがそれは泉が引きこもりの生活を続けていて、体力がないからだろう。 子どもの頃から空手やらをやってきた恭一とは基礎体力からして違うようだ。手加減して抱かなければいけないので、少々物足りなさもある。 足りない。と言えば泉にものすごい勢いで抵抗されたあげくに「どんだけ溜まってんの!?」と怒られるのだ。 先に誘ってくるのは泉だというのに、先に満足するのも泉なのだ。 釈然としないものがある。 「なんで兄なんですか?職人は弟さんの方でしょう」 鍵村の職人は弟が引き継いでいる。 年は泉より幾分が下だったはずだ。 まだ一人前というわけではないらしいが、それはあくまでも若いからという理由で、作っているものの出来はなかなかだ。 「うん。でも才能も腕もお兄さんは負けてないし、あの人お医者さんだからただの眼球より人に合ったものを作ってくれるから」 「ああ、なるほど」 人形の眼球であるならまだしも、泉の眼窩にはめるものであるなら、確かに医者になっている人が作ったほうがより良いものが作られる気がした。 どんなものをはめ込んでも生身と同じものにしてしまうとは言うが、やはり人体に近いものがいいだろう。 「医者って、眼科ですか?」 「そう」 わしゃわしゃと泉は泡だったスポンジで身体を洗う。 噛み付きたい、と思いながらじーっと見つめた。 手を伸ばせば怒られるだろうか。 「どこまでも眼にこだわる家なんですね」 会話とは全く関係のないことを恭一が考えているなど思っていないだろう泉は、のんびりとした様子だ。 無防備過ぎはしないか。それとももう終わった、とでも思っているのだろうか。 オンオフのスイッチの切り替えが早いのが、泉の良いところでもあり悪いところだ。 「みたいだね。今回人形と同じものにしてもらうから、せめて頭部だけでもあらかた作っておかなきゃいけなくて、ちょっと頑張ったかもね」 ちょっとどころじゃないでしょ。そう言いかけて止めた。 きっと泉は、恭一に抱かれるまでどんな顔色だったかを知らなかっただろう。 疲れ切って倒れてしまいそうな様子だった。心も身体もぼろぼろで、壊れてしまいそうに見えたのだ。 ここ数日の泉は、そういう様子を見せることが多い。 それだけ人形の制作段階が進んでいるということだろうが、本当に身体を壊してしまわないだろうか心配にもなる。 しかし心配だと言ったところで泉は苦笑するだけだ。そしてこちらに気を使ってくる。 大丈夫だよ、と微笑んではまた疲労を隠してしまう。 それならば心配だと言うより、泉の欲しがるものを差し出すほうがいい。楽になれるように、安らいでもらえるようにするだけだ。 それにしても、これだけ泉を疲弊させるほど集中力を要する人形とはどんなものなのか。 蜜那を引き継ぐ人形というからには、普段作っている愛玩用の人形とは全く違う作りのものだろう。 そして、より完成されたものだ。 「どんな人形なんですか?」 金蜜の少女を思いだしてぎりと奥歯を噛みながらも、声は平静を装った。 込み上げてくるマグマのような怒りは、ここで現すものではない。 「会ってからのお楽しみだよ」 激怒を押し殺している恭一には気が付かず、泉は小さく笑って答えた。 「眼の色とかは?」 「鍵村さんと話し合ってから決める」 恭一は珍しいな、と泉の横顔をまじまじと眺めた。 人形を作る際は、制作に入る前に書くラフ画の時点で全てが決まっているらしいのだ。 ラフを描きながら、どんな人形なのかイメージが浮かんでは決定する。そう泉は話していた。 他の人間の意見は取り入れない。イメージが揺るぐことがないからだ。 恭一の意見を取り入れた人形は人間の生き写しだったために、泉が首を捻った。イメージは泉の頭の中より、写真やビデオの中だったからだ。 だから恭一が口を出せた。 そうでなく、全てが創作であったなら他人が口を挟む余地などかけらもない。 それだというのに、鍵村と相談すると言い出した。 人形のイメージが、今回は上手く纏まっていないのか。それとも意見を聞きたいと思うほど鍵村敬護という人の才能が優れているのか。 「俺もいていいですか?」 人形の頭部が見られる。その上鍵村という人物にも俄然興味がわいた。 「いいよ、きっとそう言うと思ってたし」 読まれていたらしい。 全身を洗い終わった泉はまたシャワーヘッドに手を掛ける。 「鍵村さんって、どんな人なんですか?弟さんはわりと気さくな人だけど」 人形の補修の際に、新しい眼球を頼むことがあった。 ごくたまに本人と話し合うことがあるのだが、はっきりした顔立ちに、すっと通った目尻。容貌は整っており人目を惹くのだが、少しぼさついた髪や服装に見た目をあまり気にしない人だと分かる。 話し方は少しゆっくりしており、穏和そうな人だ。 泉ほどにこにことはしていないが、恭一が見ている時はよく微笑を浮かべている。 「んー…しっかりした人だよ」 「大抵の人は泉さんよりしっかりしてますよ」 「そう言うか」 泉は半眼で睨むと、シャワーの先を恭一に向けた。 勢い良くお湯が降り注ぐが、バスタブに浸かっている上に、すでに濡れている身としては攻撃にもならない。 手で防いで終わりだ。 「だって何もないところでつまづいてるじゃないですか」 「足が長いからだよ!」 「ぼーっとしてるからでしょうが」 「うっさい!」 ぼんやりとしながら歩いている泉は、本当に鈍くさい。見ていて笑えるくらいだ。 そこがまた可愛いのだが。と恭一は末期になっている自分に苦笑する。 「高校時代は剣道部で主将。県大一位で全国も行ったと思う。どこまで勝ち進んだかは知らないけど。厳しい人でね、怒るとものすごい怖いよ。でもまぁ道理は通ってるし、その分自分にも厳しい人だから人望はあったらしいね」 シャワーを再び自分に向けながら泉が語る。 「慕われるが、すごく嫌われるか。どっちかだね」 「詳しいですね。もしかして同じ学校でした?」 恭一はぶるぶると頭を振って水気を飛ばす。 雫を垂らし目に掛かる前髪を掻き上げる。 「そう。高校が同じでね。僕の先輩でもあり、君の先輩でもある」 「へー、仲良かったんですか?」 「鍵村先輩が風紀委員で、僕がいつも注意されてた」 さん付けが、先輩になった。 高校時代のことを思い出しているのだろう。 泉の口元には笑みが浮かんでいる。 「昔からその髪だったんですか?」 シャワーを止め、湯船に腰掛ける泉の髪を一房摘んだ。 こちらに背を向ける人の頭は金に近い茶色たせ。高校でもこれならさぞかし問題児だっただろう。 軽い茶色ならともかく、金に近いとなれば間違いなく生活指導を受ける。ピアスもだ。 「違うよ、ちゃんと黒かったって。ただ制服のネクタイ忘れてたり、違うネクタイしたり」 「なんで違うネクタイ…」 「面白くないでしょ。指定鞄改造したり」 「そりゃ注意されますよ」 どうしてこの人は軽く見られる服装をしたがるのか。 制服なら改造せずそのまま着ていれば、きっと問題児にはならなかったはずだ。素行は大人しいのだから。 「鎖もじゃらじゃら付けてたしね。全身からチャラチャラしてたのか、入学して四月の時点から目を付けられて、それから一年は鍵村先輩との戦いだよ」 「一年ということは風紀委員長だったんですね、鍵村さんは」 「風紀委員以外に何になんの?ってくらい似合ってたよ」 どんな人だよ。それはそれで気になるところだ。 「戦いって、校門で怒鳴るとか?」 殴り合うだのという喧嘩はしなかっただろう。 泉には完璧に勝ち目がないことは、明らかだからだ。 「しないよ。適当に謝って、隙見て逃げるんだよ」 「戦ってないし」 何が戦いですか、と恭一が呆れると泉は「だって!」と子どもみたいな言い方をした。 振り返った顔は心外そうだ。 「剣道部主将だよ?しかも僕より背が高いし、もし喧嘩にでもなったらどうすんの。骨折られるよ」 「弱っ」 それが男の台詞か。と他の男なら言っていただろう。 だが泉が言うと、憎めない愛嬌があった。 顔立ちからして穏和そうだからだろうか。 「で、その人が明日来るんですね」 「そう。格好いいから楽しみにしときなよ」 格好いい。という単語に少しむっとする。 彼氏に向かって、他の男を格好いいと言うか。 だがそんな文句を言ったところで「どうしたの?」と首を傾げられそうだ。 少し天然が入っているというか、鈍いと言うか。 「男の姿なんかどーでもいい」 素っ気なく言うと、泉は恭一を見下ろしながら不安そうな顔を見せる。 「…まぢで?」 妙な服装をする人は、その一言がショックだったらしい。 どこに衝撃を受けているのだか。と恭一は笑ってしまうのだが、本当に笑えれば落ち込まれそうだ。 「他の男の話ですよ。泉さんは特別ですから」 甘すぎる台詞だ。 今までこんな陳腐な、歯が浮きそうな台詞を何度吐いたことがあっただろうか。 確実に片手で数えられるくらいしかない。自信がある。 それでもさらりと口にして、泉の背、肩胛骨あたりにキスをした。 骨に添うように舌で舐める。 「…高校生に甘やかされるなんて」 肩を落とす泉の細い腰を片腕で抱く。 「今更」 次 |