魂を宿したい。
 そんなことを考えながら人形を作ることはない。
 人形の設計をしている時も考えていない。
 依頼を受けた内容を反復しているくらいだ。
 誰の依頼も受けずに作っている時はただ、感じているだけだった。
 自分以外の何の意識を。
 それは設計している時から入ってくる。
 曖昧な構造をあてがった瞬間から、それは声を持ち、頭の中に話しかけてくる。
 身体を作り始めるとそれはさらにはっきりと近くなり、顔に入るとまるで隣にいるかのような自然さで喋ってきた。
 その声に、手が勝手に動いた。
 人形を作っている。そうは言っているが、本当はただ人形が言うように動いてるだけだ。
 上手に作れているかどうかは分からない、ただ忠実に、ただ素直に、まるで自分が「人形を作る人形」になったかのようにオートマチックに動き続ける。
 魂が宿る人形を作る、特別な家の嫡子だ。特別な存在だ。
 人はそう言う。
 だが二代前の跡継ぎ、祖父は微笑みながらこう零した。
「魂を与えてるんじゃなく、魂を分けているんだろうなぁ」
 優しげな表情の人形をよく作る人は、その通り穏やかな声音で言った。
 一体の人形を作るたび、その言葉を思い出しては深く納得していた。
 魂を分けている。だからこんなにも人形が近い、そして作りながら自分が無機質のものになっていく気がする。
 人形に魂という有機的なものを分けている分、空いた場所に無機的なものが入り込んでくるような。有機物と無機物の両方を内包して、境界に立っているかのような危うい感覚に襲われる。
 それで構わない。
 いつかそのまま無機質が身体の大半を占めてしまい、人形として動くことになったとしても構わない。
 制作出来ればそれでいい。人形を作れるのなら、人間であることにこだわることなんてない。
 むしろもう溶けてしまいたい。
 人形に溶けてしまって、分かち合いたい。
 そうすれば失ったものの痛みがもっと感じられるだろうか。
 こんな非道なことをしている自分を、もっと離れた位置から罵れるだろうか。保身に逃げることもなく、罪悪だけを味わえるだろうか。
 あの子の軌跡が、感じられるだろうか。
 不毛な思いにどっぷり使っていた泉を、無遠慮な電子音が呼ぶ。
「…あ…」
 それはタイマーだった。
 普段は焼成のためにかけているタイマーだが、今日は窯のためではない。
 携帯に、恭一からメールが入ったのだ。
 地下にいるときはインターホンが聞こえない。そのためあらかじめ一階に上がっていなければ来訪者に気付くことが出来ない。
 急に我に返って、泉は呆然と手元を見た。
 荒削りされた頭部。
 どうやってこの形にしたのか、さっぱり覚えがない。記憶を探れば、どういう手順でやったのかくらいは思い出すことが出来るだろうが、疲労がのし掛かってきてそんなことをする気分ではなかった。
 ヤスリを手から落として、指を開いたり閉じたりする。
 自分の意志で動かせる。
 だがこれは本当に生きた自分の指だろうか。
 感覚はおぼろげで、作り物の指がくっついているのではないかというおかしな考えが浮かんでくる。
 この身体は生きているだろうか。生身なのだろうか。
 心臓の音はする。だが幻聴ではないのか。
 有機物なのか、無機物なのか。人間なのか、人形なのか。
 こんなにも簡単なことが、泉にははっきりと感じられない。
 それなのに不安はなかった。
 生きてなくてもいい。そんな思いがあるからだろう。
 人形師であればいい。人間でなくても。
 淡々とした感情でそう呟く。
 だがふと、人の顔が思い浮かんだ。
 恭一だ。
 あの子は、きっと人間でなくなった泉を嘆くだろう。怒り狂って、悲しみに暮れて、最後には壊れてしまうかも知れない。
 それは嫌だ。
 あんなに素晴らしい職人が壊れるなんて、あってはいけない。
 そう思うとやはり人間でなくてはいけないのか、という気持ちになる。
 昔からそうだった。
 人形になっても構わないとのだが、周囲の人が良い顔をしないだろうと思うと「人間でいたほうがいい」と思い直すのだ。
 とりあえず人間でも人形が作れるのだから、周りが嘆くのなら人間でいよう。
 泉にとってはそんなレベルの問題だった。自分の身体自体には何の執着もない。
「…んー…」
 椅子から立ち上がり、のびをする。
 あちこちの関節がぼきっと音を立てた。長時間同じ姿勢でいたせいだ。
 肩も凝っている。眼精疲労からもきているだろう。
 時計を見ると、六時間ぶっ通しで作業をしていたようだ。
 長くはない。朝から昼にかけてやっていたのでこれくらいの時間ですんでいるが、夜から朝にかけて集中すると八時間、九時間になることもしばしばだ。
 没頭というより、それ以外のことを全て忘れてしまっている。
「疲れた」
 呟くと、ようやく作業から頭を切り離すことが出来た。
 部屋から出て、精密機械の入っているドアを開けて一階に上がる。
 寒さが一気に押し寄せてきて、ぶるりと身体を震わせた。
 地下は人形の保存の関係で空調が利いているのだ。
 真冬であることを思い出させる室温に、真っ先にリビングへ行きエアコンをつけた。
 ついでにコーヒーを入れようとコンロに水をかけた。
 しばらくすると、こぽりと気泡が水の中に生まれる。
 もうじき沸騰するという頃に、インターホンが鳴った。
 火を止め、玄関に向かう。昼間だが今日は曇っているのだろう、廊下が薄暗いので電気をつけた。
「いらっしゃい」
 ドアを開けると、そこには私服の恭一が立っていた。
 落ち着いた色合いの服装に、穏やかな微笑。実年齢より大人びて見える。
 一歩の距離が開いてるというのに、その体温が泉の頬を撫でた。
 暖かな身体。暖かな命、人がそこにいる。
 熱を持った肌が、鼓動を響かせる心臓が、触れられる場所にある。
 そう分かると、指が勝手に恭一を引き寄せていた。
「泉さん」
 腕に引き込み、その肩口に顔を埋める。
 恭一のにおいだ。
 服越しにあたたかなものが流れ込んでくる。
 それに共鳴するように、自分の心臓がとくりと穏やかな音を泉に聞かせた。
 生きている。この人と同じ人間だよ。そう教えてくれるかのように。
 まだちゃんと人間なんだ。そう息を付いた。不思議なことだ。人形でも構わないと思うのに、人間だと実感した瞬間だけは、安堵している。
「疲れてます?」
 恭一は後ろ手で玄関のドアを閉めた。
 懐いてくる人を気遣うような声。
「ううん」
 疲れてはいないはずだ。恭一が来なければまだ作業していたくらいなのだから。
「そうですか?顔色が悪いですけど」
 頬にそっと掌を当てられ、泉は顔を上げた。
 今は物静かな瞳が、ぼんやりとしている顔を映してくれている。
 優しげな眼差しに、吸い寄せられるかのように唇を重ねた。
 柔らかい感触。いっそう近く熱を感じて恭一の下唇を舐める。
 もっと欲しい。生きている熱が、感覚が、鼓動が。
 ねだられるがままに唇を開いてくれた恭一の口内に舌を差し入れる。
 手が感じる体温より、もっと生々しい熱を食うように舌を絡めた。
 恭一もそれにしっかり応じてくれる。
 執拗なまでに口の中を探り、身体の奥まで舐められているかのような錯覚に陥る。
「疲れてるんじゃなくて、飢えてるんだよ」
 濡れた唇は、素直に欲求を告げる。
「玄関ですよ?ここ」
 場所に気を取られることのない泉に、恭一が笑った。
「知ってるよ」
「ここがいいんですか?」
「床が冷たいよね」
 どちらが下になったとしても、冷たいものは冷たいし堅い。
「背中痛そうだから、泉さん上に乗ります?」
 まだとったことのない形を勧められ、泉は首を振った。
 欲しいが、そこまで自分を失いたくはない。
 年下のこの男にいいようにされることでさえ、まだ少し抵抗があるというのに。
 背中を撫でる手に、深く息を吐いた。
 少しだけ、飢えが収まる。
「…制作は順調だよ」
 失った蜜那に続くものを作る。
 それは恭一にも話してあることだ。
 今の泉にはどうしても必要だから、もう一度人形を失うかも知れないという覚悟をしながらでも、作る。
 自分が口にしている言葉に、自身が痛んでいくのを感じながら。それでも泉は制作を始めた。
 苦しむかも知れないというのに。悔やむかも知れないというのに。懲りずに繰り返す。
   人の愚かさを生み出している気分だった。
「それだけ没頭してるなら、言われなくても分かりますよ」
「…そんなに没頭してるかな」
 週に三度は訪れる恭一が、苦笑する。
「最近ずっと心ここにあらずですから。俺なんか身体あっためるだけの人になってますよ」
 泉は制作に没頭すればするほど、我に返った時に人の体温を求める。
 それを知っているだけに、どれだけ今の作業に意識を奪われているのか筒抜けなのだろう。
「床上手になれていいだろ?」
 申し訳ない。そう思いながらもからかった。
 ごめんなんて口にしようものなら恭一を心配させるだけだ。
 ただでさえ、セックス目当ての相手みたいな扱いをしてしまっているのだから。
 これ以上負担はかけたくない。
「泉さんがイイんでしょう?」
 からかいはちゃんと耳元で返された。
 卑猥な響きが籠もった台詞に、泉は小さく笑う。
「君は気持ち悦くないの」
「気持ち悦くないわけないでしょう」
 耳を噛まれ、ぞくりと背筋を痺れが走る。
 過敏になっている身体に内心呆れる。貪欲になっている。
 恭一がくれるものは甘くて、柔らかくて、果てがないから。
 欲しがって、求めて、溺れてしまいそうになる。
 歯止めが利かない。
 吐息を零すと、唇がまた重ねられた。
 撫でるようなキスに、目を閉じる。
 最低だ。
 心の中で自分に対して吐き捨てる。
 おまえなんか、最低だよ。
 人形師じゃない、人形を大切にしている人間じゃない。
 利己的な、魂を道具としてしか見ていない、救いようのない人間だ。
 罵声が生まれてくる中、人形がぽっかりと思い浮かんだ。
 深みのある茶色の瞳。光彩には時折星屑のように金がちらついた。
 そして瞳孔には、灼熱の光が滲んでいる。
 血よりも優しい、夕空より気高い、透き通った緋色。
 気高い双眸が泉を見つめていた。
 この世に生み出される瞬間を、待っていた。
 今か、今かと。
 この子もいつか壊してしまうのか。
 塞ぐことの出来ない傷口からまたとろりと鮮血が溢れた。
 だがその手は、身体は、命は、人形を作ることを止められない。
 最低でも、非道でも、もう人形に関わってはならない人間に成り果てていたとしても、人形を作らずにいることは出来なかった。



 


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