「先代はどんな方だったんですか?」 恭一は祖父について語っていた泉の唇が一端閉じると、そう尋ねてきた。 「先々代についての話は他の人からもよく聞きますけど、先代について詳しく知ってる人っていうのがあんまりいなくて」 噂程度の情報しか、きっと恭一は持っていないのだろう。 父は人と接するのがあまり好きではなく、また自分のことを語ろうとはしなかった。 なので人形たちの名が知られても、その人形がどんな姿をしているのかなどの情報が流れても、父本人に関しての話は出てこなかった。 出たとすれば、職人気質で気難しく、一つの人形に心捕らわれた変人だということだろう。 「親父かあ…」 泉は父に関して「どんな人だったか」と問われれば「職人でした」と答えるようにしている。 それを人は親としての情が薄く、人形を作ることだけに没頭していたように受け取っていた。 だが泉にとって肉親の情を与えられるより、職人としての姿を見せつけられることの方がずっと嬉しかった。親子関係より、師弟関係が根底にあるのだ。 実際、泉と父とには血の繋がりはない。 それでも自分が持ち得る全ての技術、感性を泉に教えてくれたのだ。 泉にとって、それが何よりも情だと感じられた。 そして父もそれが一番の情であることを知っていたように思える。 人形師としての生き方しか、お互い知らなかったから。 「隣の部屋に行こうか」 仏壇も何もない。 けれど父を語るには、最も相応しい場所だ。 洋室のドアノブを回し、一歩中に入るとまずは大きな窓から入り込んできている午後の光が目に入る。 祖父の部屋も光がよく入っているが、この部屋はバルコニーに繋がっているため窓が特別大きい。 部屋にはダブルベッドが置かれ、他には本棚と机と椅子くらいしか物がない。 まるでモデルルームか何かのように生活感がない。 「あの人は人形作ることくらいしか趣味がなくて」 泉の部屋にはオーディオが置かれ、人形を作っている時以外は音楽がよくかかっている。雑誌などもよく読み、たまに映画なども見ている。 けれど父はそういったことをほとんどしなかった。 せいぜい本を読む程度だった。 「趣味って、それは仕事じゃないですか」 「仕事であって趣味だったんだと思うよ。あの人は作業場に住んでるような人だったし」 多趣味であった祖父とは対照的な人だった。 「そのくせ突然一週間くらい旅行に出掛けたりね」 家にこもることの多い父が唐突に旅行などに出掛けると、失踪かと思ってしまう。 おそらく旅行に出ることで気分を切り替えていたのだろう。 しかし帰宅したからといってさっぱりした顔をして戻って来るかというとそうでもなく、むしろ不機嫌になって帰宅することが多かった。疲れただの人にうんざりしただのと言うのだ。 新しいものを吸収してくる代わりに疲労をもらっていたらしい。 「部屋に物が少ないのは、刻緒が処分したからだよ」 「ときお?」 恭一はその名前に首を傾げた。 この名前までも広められてはいなかったのか。と泉は今更のようにその存在が隠されていたことに気が付いた。 「親父の、最愛の人だよ」 恭一にそう告げると「あの人形」と呟いた。 そう「あの人形」という噂だけが出回っており、実物が人の目に晒されたのは過去に一度だけだった。 その頃恭一は生まれていたかどうかも分からない。 生まれていたとしても、物心もついていない頃だ。 「刻緒って言うんですね」 「そう。完成した時以外他人の目に晒されることがなく、名前も教えてなかったみたいだね」 家では普通に歩いており、家族同然に過ごしていたので人目から隠されていたことを失念していた。 恭一にとっては霞のような人形でも、泉にとっては身近な存在だったのだ。 「俺も写真でしか見たことがありません。でも…すごく印象的な人形でした」 恭一はその写真を思い出しているようだった。 父の作る人形はあまり表情が豊かではない。唇をほころばせている人形も数少なく、多くは真っ直ぐ前を見据えている。 性別、年齢関係なく、父の作品はなまめかしさを持っていた。 あどけなさの中に艶を秘めた少女の人形など、泉ですら唸るものがあった。妖艶さを醸し出すことに関しては、父にはまだまだ近づけない。 それと、瞳の意志の強さだ。 祖父の人形は微笑みで人の心を惹き付ける。だが父の人形はその眼差しで人の心を奪うのだ。 無視することを許さない。 特に刻緒は、その眼差しの強さを色濃く持っていた。 背中の中程まである、栗色をした美しい髪。透き通るような白い肌。そして朝焼けのような金ともオレンジともつかない柔らかな色の瞳を持っていた。 その瞳は光の加減により、鬱金や薄紅を生み出していた。感情のように、豊かなものだった。 「刻緒を作り出した時、親父はこの世に命があることを知ったんだって」 子どもの頃、父の口から聞かされた話を泉は思い出す。 「それまで人と人形の区別なんてはっきりとは付けられなくて、自分が人間として生きているのかどうかも曖昧だったらしい」 恭一にはぴんとこない話かも知れない。 けれどそれを語っている泉にはよく分かる感覚だった。 朝比奈の作る人形は、自分たちが生み出している形は、あまりにも人に近いのだ。 造形はもちろん、いずれ自らの意志で動き出し、喋り始める。それは限りなく人間を模した存在だ。 生命があるか、ないか。それだけの違い。それさえ目をつぶれば双方に違いなどほとんどない。 あまりにも人形に近く接していると、その違いがはっきりしなくなってくる。自分は人形との差異は何なのか。肌が冷たい、鼓動が聞こえない。たったそれだけの違いだ。 そんなものは他の動物たちと人間を比べた際の違いより、小さなものではないのかと。 本当ならば、それは最も大きな違いであるはずなのに、それが些末なものに感じられる。 「だけど刻緒を生み出してから、刻緒が初めて動き喋りだした時から、この世には命があって自分はそれを持っていることを知ったって」 同時に刻緒は命を持っていないのだと、人形は生きてはいないのだと。父は知った。 「それが辛くて仕方がなかった」 父は刻緒を傍らに座らせながら、そう話していた。 生きている父と、生きていない刻緒。けれど寄り添っている二人は、それが生まれた時から決まっていたかのように自然だった。 本来ならば、異様な光景だったはずなのに。 「親父は片目を捨て、僕と緋旺みたいに瞳を繋げた。そして刻緒を傍らに置いて恋人みたいに接していたよ」 恭一は泉の声に耳を傾けては、真剣な目で部屋を見つめていた。 きっとこの人には分からない感覚だろう。実際に目にしていなければ、きっとあの二人のことは理解出来ない。 そう、それは頭で理解することではなかった。 見て、知るものだったのだ。 理屈ではない、正論も、道徳も、何も到達出来ない場所で二人は当たり前のように繋がっていた。 「いや、恋人だった。あの二人は」 心臓で恋をしていたのではない。生身で恋をしていたのではない。魂や、心で恋をしていたのだ。 今の自分と、かつての父のどこが違うのだと思うと。何一つ変わりがないとしか言いようがない。 相手が無機物か有機物かだけの問題だ。 二人がお互いを欲しがって、思い合って、支え合っているという点では。何の違いもない。 「刻緒が欲しい、見たいという声にも、親父は一切頷かなかった。他にも人形を作っていたけど、刻緒だけは別だった。彼女にだけは執着した」 他の人形も大切にはしていた。 魂が宿れば家族同然に扱った。とは言っても気が向いた時に少し声をかける、身体に不具合が見えれば黙ってなおしてくれるなど、祖父に比べれば小さなものだった。 けれど人形たちにとって、作り手に意識して貰えることはとても嬉しいことだった。その人形たちの気持ちを、父はしっかり理解していた。 ただ、刻緒に関してはそれよりもずっと深く意識していた。 「どうして刻緒にだけあれほど執着したのかは謎だけど。人と人の繋がりだって謎だから、不自然なことじゃない」 「人と人の繋がりって謎ですか?」 恭一は泉の言葉に疑問を口にした。 「俺たちの繋がりも?」 泉と出逢ったのは特別だと言って欲しいのだろうか。恭一の真面目な顔に、口元が緩んだ。 「だって謎じゃない?僕は、君が好きだよ。優しいし、頭はいいし、人形の職人としても最高だし、時々小生意気だしね」 「小生意気って」 好きだと言い、口説く泉に恭一はまんざらでもない顔をしていた。目が合わないのは照れているからだろう。 「でも、君みたいな人がもう一人いたとして。その人も好きになるかっていうとたぶんそうじゃない。似たような人がいくらいても、僕は君が好きだと言う。その理由は、君が君だから」 顔をほんのりと染める恭一に、泉は笑みを深くした。年下の恋人はこういう時、とても可愛い。 だからついつい饒舌になってしまうのだ。 元々人を褒めたり、甘い言葉を言うのに抵抗が薄いせいもあるだろう。 「それはもう、説明出来ないよ」 どんな言葉を付け足しても、どうして恭一を選んだのかなんて表しきれない。 この人だと思ったから。結局はそんな一言に辿り着いてしまう。 だから、謎だと言ったのだ。 「そう、ですね」 恭一は一度頷いてから、参った、と零した。 まさか父と刻緒の話をしていて、自分の恋人を口説くことになるとは思っていなかった。 だがここで幸せそうに微笑んでいた刻緒を思い出すと、この場所はそういうところなのかも知れない。 次 |