泉は人形の背中を厳しい眼差しで眺める。
「妙な歩き方だ。無理矢理に魂を入れたせいで身体がまだちゃんと動けないんだろう」
 蜜那とは比べものにならない。
 制作時期は半年ほどの差、そして魂が宿っている人形だというのにこれほどまでに異なるものなのか。
 ましてこの人形の中に入っているのは、人間の魂だというのに。
 こちらのほうが人形そのものに見える。
 その人形が街灯の近付くと、泉が声を掛けた。
「高木君だね」
 びくりと大袈裟なくらい肩が揺れた。
 そしてゆっくりと人形は振り返った。
 ああ…と恭一は声を零した。そうだ、泉が制作していたあの頭部だ。
 唇の端は微かに下がり気味になっている。
 指摘したことが生かされているようだった。
 眉が微かに寄せられているのだが他には大した変化がない。
 無表情に近かった。
 彼が何も驚いていないのか、それとも表情を出すことが出来ないのか。
「…お兄さん、誰…」
 変声期を終えていない、男子としてはまだ高い声が震えていた。
 不安の色が濃い響きを聞くと、表情は出さないのではないだろうと思われた。
 歩き方と同じで、まだ上手く喜怒哀楽を出せないのだろう。
「僕が分からない?」
 泉は立ち止まり鋭い眼差しを和らげた。
 小さな子どもに接するように、ゆっくりと優しげな声で尋ねている。
 高木と呼ばれた人形は首を振った。
 頭を動かすと、首と頭部繋ぐ関節が露わになる。
「…作り手を忘れる人形なんていないんだけどね…」
 少年から目を伏せ、泉はぽつりと呟いた。
 随分沈んだ声だった。落胆というより痛ましいものを見たような表情をしている。
「警察の人…?」
 少年は警戒心を向けながら、泉にそう尋ねた。
 しかし恭一も泉もその一言には苦笑してしまう。
 恭一は若すぎるし、泉はどう見ても警察なんてものに属していそうもない。
「こんなちゃらんぽらんな警官はいないよ」
 自慢することではないのだが、泉がはっきり答える。
「ちゃらんぽらんに見えるのは泉さんだけです」
「…こんなに着道楽で格好いい警官はいないよ!」
 しばらく考えたかと思うと、真顔で泉は主張した。
 こんな着道楽な警官は確かにいないだろう。だがしかし。
「言ってて悲しくなりませんか」
 冷静に恭一が尋ねると泉は「ならないよ!」と心外そうに声を上げた。
 だがやたらと力が入っているところからして、無理があると分かってはいるのだろう。
 この人は…と呆れてしまうが、恭一より呆れているのは少年だろう。
 寄せられた眉が下がり気味になり、唇はうっすらと空いている。
 戸惑っているのか、唖然としているのか。
 どちらにせよ、立ち尽くしている。
 泉もそのことに気が付いたのか、一つ溜息をついて微笑を浮かべた。
 苦みが混ざっているのは、気のせいではないだろう。
「君の身体を作った人だよ」
「俺、の…この身体…?」
「そう。人形を作っているんだ」
 すると少年の目が見開かれた。そしてぎゅっと拳を握る。
 力を込めすぎているのだろう、ぶるぶると震えていた。
 強張った表情のまま、うっすらと開いた唇から呻くような呟きが零れてきた。
「なんで…」
 押し殺したような響きに、少年が激情に襲われているのが感じ取れた。
 恭一にはそれの感情がどんなものなのか、共感出来た。
 あまりにも理不尽なことに対して抱く、大きすぎる憤怒だ。
「なんでこんな身体なんか作ったんだよ!」
「頼まれたからだよ。まさか魂を宿すなんて思わなかった」
 怒りも露わな少年に、冷静な声が返される。
「あんたがこんなの作ったから、俺、こんな身体にされただろ!?」
「嫌?」
「そんなの嫌に決まってるだろ!?」
 あんた何考えてんだよ!と少年の声が非難する。
 だが泉の表情は変わらない。
 苦笑したままだ。少年が怒ることなど予測済みであるかのようだ。
「俺は人なのに!わけわかんないよ!起きたら身体がおかしいし、なのにお父さんもお母さんも喜んで!これの何が嬉しいんだよ!」
 少年にとっては、恐怖ですらあっただろう。
 人間の身体ではなく、人形になってしまっている。しかも両親はそのことに喜んでいる。
 悲しんでくれるなら、まだ共感も出来たはずだ。
 怒ってくれたなら、泣いてくれれば、まだ良かったかも知れない。
 だが彼らは喜んだ。
 それは息子が戻ってきたことに喜んでいたのだが、少年にとってはそんなことはどうでもいいことなのかも知れない。
 喪失の痛みを知らないのだから。
「自分が亡くなったのは、知っている?」
「……知ってるよ。お母さんが教えてくれた…」
 でも、と少年は不服そうな声を震わせる。
 そして力任せに、握った拳を近くにあったガードレールにぶつける。
 ボコッと鈍い音がして、ガードレールは少年の拳の形に凹みが出来た。
 小柄な少年が持ち得るはずのない力だ。人形に入ったために得たものだろうが、これではコントロールが出来ないというのも無理はないだろう。
 興奮している様子に恭一は泉より一歩前に出た。
 さすがに真っ正面から拳を受けると骨がいかれるだろう。だがぎりぎりでかわして、少年を地面に押しつけることぐらいは出来るはずだ。
 頭の中でシミュレートしていると泉はスーツケースに手を掛けた。
「おはよう。ごめんね、閉じ込めて」
 開かれたケースの中には膝を抱えて丸くなっている少女がいた。
 顔を上げると大きな瞳が二人を見上げた。琥珀の瞳がみずみずしい生気を宿して微笑む。
「いいよ。寝てるから何処にいるかとか分からないし。平気だっていつも言ってるじゃない」
 ゆったりと起きあがってはアスファルトの上に足を付ける。
 和服なのか洋服なのか分からない、あの姿だ。
 少年はスーツケースの中から現れた蜜那に目を見開いた。
 だが目以外の表情はやはり変化が乏しかった。
「…人形?…俺と、同じ?」
 薄暗い中でも蜜那の関節に線が入っているのが見えるのだろう。
 人間にはない、その節々の淡い線。それは少年も持っているものだ。
「違う。あたしは元から人形だよ。貴方みたいに人間だったわけじゃない」
 蜜那はそれが自慢であるかのように、微笑を浮かべたまま少年に告げた。
 小さな身体は、少年は同じくらいの体格だった。
 しかし完全に蜜那の方が威圧していた。怯える瞳を真っ向から見据えている。
 少年が暴れるのであれば即座に反撃するつもりだろう。
「最初から…人形…」
 信じられないのだろう、少年はまじまじと蜜那を眺める。
 無理もない。恭一は生まれた時から見ていたことなので驚きはなかったが。
 少年は自分が人形などというものに入れられなければ、すぐには信用出来ない事実だっただろう。
「そう。この子は初めから人形だった。魂が気紛れに宿った人形なんだよ。だから力のコントロールもちゃんと出来る」
 君と違って。
 泉は憂鬱そうに言った。
「…お兄さん……俺の何を知ってるの…」
 言われた言葉に含みがあることと気が付いたらしい。
 少年は強張った声で尋ねた。
「そうだな。君が人形に入ってからしてしまったこと、かな。数日前にやってしまったことで、僕は会いに来たんだ」
「…俺をどうするの?」
 数日前のこと。
 両親を殺してしまったことを匂わせると、少年の目がぎらりと鈍い光を宿した。
 好戦的な視線に、蜜那が肩にかかっていた髪の毛さっと手で後ろへと払った。
 大きな琥珀の瞳が刺すような眼差しで少年を見返した。
 張り詰めた緊張が漂う。
「みんなして俺をどうするの?俺、死んだんだよね?苦しい思いして死んだのに、こんな身体で戻されて、どうしろって言うんだよ!これ以上何に苦しめって言うんだよ!!」
 少年が全身から叫び声を上げた。
 肩を怒り上げ、大きく開かない口を賢明に動かしている。
 おそらく人間であったなら、血が上って顔が赤くなっているだろう。
「上手く身体だって動かないし!見た目がこんなのだから外にも行けない!学校にも通えなくて、友達にも会えない!一日中家にいてさ、苛々してどうしようもなかったんだよ!」
 家から出るな。人目に触れるな。両親は少年にそう言い聞かせたのだろう。
 当然のことだ。周囲は少年が亡くなったことを知っているだろう。それなのに少年が、しかも似ているとはいえやはり人形に違いはないのだ、歩いているなど恐怖だろう。
 幽霊と勘違いしようにも、人形というものは存在感があり過ぎる。
 両親の言い分はもっともなのだが、望んで帰ってきたわけではない少年にとっては窮屈で理不尽なものだっただろう。
「夜中なら人もいないだろうと思って、少しでもいいから外に出たかったんだ。それなのに止めるから!」
「振り払ったの?」
 泉の冷静な声に、少年は「仕方なかった!」と悲痛な声を上げた。
 誰かにそう主張したかったように。
 きっと逃げ回る間中ずっと考えていたのだろう。あれは仕方のないことだったのだと。
「腕掴まれたから、抵抗しただけなのに!それなのにお父さんの手が」
「飛んだんだね。力が、人間の時とは比べものにならないから」
「わざとじゃない!」
「だろうね」
 怒りもしない。同情もしない。
 泉の声は平淡だった。
 それがいっそう責めているように感じるのか、少年は俯いた。
「どうすれば良かったんだよ…俺はただ外に出たかっただけなのに」
 そんな願いは、生前ならあっさりと叶えられていた。
 だが今では、到底叶わないものになっていたのだ。
 それだけではない、きっと人間の時には当たり前のように持っていた、出来ていたことを失っていたのだろう。
 その違いに、少年は適応出来なかった。受け入れられなかった。もしくは、認めたくなかったのだろう。
 自分がこんな姿になったこと自体。
「お父さんの腕が取れて、驚いて突き飛ばしたの?」
「腕がなくなったのに気が付かなくて、お父さんが俺にのし掛かってきたんだ、それが怖くて…突き飛ばして…逃げようとしたらお母さんが邪魔したから、横に押した」
 すると簡単に死体が生まれてしまった。
「わけ分かんなくなったんだよ!あんただって俺と同じになったらそうするよ!!」
 誰にもこの苦しみは分からない。そう言い放つ少年に、恭一は複雑な思いを抱いた。
 実際に自分がそうなれば、同じことをしないとは断言出来ない。
 一生家に閉じ込められるなど、考えただけで地獄だ。
 どれほど愛されたとしても、身体は人間ではなくなり、親しい人とも生きているというのに会うことが出来ず。
 たった一人隔離されるなど、拷問に近い。
 しかし泉は苦笑しながら小首を傾げて見せた。
「どうかな」
 さらりとした答えは少年の逆鱗に触れたらしい、ガードレールをもう一度殴り、完全に変型させては泉に向かって足を踏み出した。
「なるさ!あんただったなるに決まってる!大体あんたがこんなもん作らなきゃ俺はこんな思いしなかったのに!!」
 つかみかかろうとする少年の前に立ちはだかり、泉を庇うような形で蜜那が少年の手首を掴んだ。
 少年がもう一方の手で蜜那を振り払おうとしたが、それも易々と掴まれる。
 厳しい眼差しで少年を睨んでいた蜜那はふと、目尻を和らげた。
 大人びた表情が見せたのは、苦笑だった。
 全く相手にならないレベルだというように、ちらりと泉を振り返る。
 すると頷きが返された。
 知っているというように。
「こんなものじゃなかったら!!」
「それは同感だよ」
 泉は、少年の叫びに答えた。
「こんな…」
 少年は力無く下を向いた。
 ふりほどこうとしていた蜜那にすがるようにして、崩れるように膝を折る。
 姫袖の端をぎゅと握り、まるで祈るようにして嗚咽を零し始めた。
 しかし涙が落ちる様子はない。
 アスファルトは乾いたまま、ただ悲愴な声を響かせていた。
 人は涙の中に悲しみを混ぜてしまう。
 そして涙と一緒に悲しいこと、苦しいことを流してしまうのだ。
 だから泣いた後、少しだけすっきりとする。
 祖父が言っていたことだ。
 だが目の前にいる少年は、人形の身体から涙を流せずにいる。
 この小さな作り物の身体の中から苦痛が消えることはないのだろうか。
「俺を…どうするの…」
 沈黙の中、少年の泣き声だけが響いていたがそれも消え。
 しばらくした後、抜け殻になったように弱々しい声で少年が尋ねた。
 蜜那にしがみついて、座り込んだままだ。
「どうしたい?」
 泉は少年の前に立った。
 審判を下そうとしているかのように。
「分かんないよ…。どうすればいい?警察に捕まるの?」
「捕まらないよ、もう」
 人間じゃないからとは、泉は言わなかった。
 だが言わずにいてもそれくらい少年にだって分かるだろう。
「じゃあ、どうなるの…」
「君はどうしたい?このままがいい?」
「嫌だよ…もう嫌なんだよ。何をしても痛くないし、喉も渇かない、おなかもすかない。眠くもないんだ…」
 人形にはそれらがないのだろう。
 命というものがない以上痛覚は存在する意味がなく。
 食事を摂取する必要がないので、空腹もない。睡眠もいらないそうだ。
 泉の元にいる人形たちが眠っているのは、必要だからではなく、ずっと起きていても退屈だから眠っているだけの話らしい。
「どこに行ったらいいのかも分かんない…俺の家は…もうないから」
 両親の死体が発見された以上、警察が現場を保存している。
 そんな中、人形になってしまった少年が帰宅出来るはずもない。
 仮に帰ったとしても迎えてくれる人はいないのだ。
「そうだね。人の身体じゃないから、空腹も痛覚も疲労もない。行き場もない」
 少年と同じように、途方に暮れたような寂しげな表情で泉が口にする。
「…俺どうなるの?…教えてよ…こんなの夢だよね」
 夢か。と恭一が呟いた。
 そうとでも思わなければ、正気を保っていられなくなるだろう。
 現実離れしたことばかり、しかもそれは少年に激痛ばかり与えてくる。
 大切なものを奪う、しかも人形にいれられた自分の手で喪失を味合わされるのだ。
 夢だと言ってもらいたいと思うのは、自然な思いだ。
  「夢か…それがいいね」
 何を思ったのか泉が頷き少年の頭にぽんと手を置いた。
 そして腰を折り、背を屈める。
「夢だよ。悪い夢だ。君は人間のままで人形になんかなっていなくて、お父さんもお母さんも生きてる。明日になればいつも通りの生活だ」
 何を言い出すのか。
 恭一はもちろん少年もそう思ったのだろう。
 恐る恐る顔を上げて泉を見た。
「お兄さん…?」
 喉が震えている。
 嗚咽を耐えているからだろう。
 鈍いながらも、泣き顔に近くなった表情を見つめ泉はそっと微笑んだ。
「今までのは全部夢。だから夢から覚めないと」
「…覚めるの?」
「うん」
 その場に膝を付き、少年と大差ない目線になった泉が少年の髪を撫でた。
 手つきは、蜜那や人形たちに対するものと似ているように恭一には見えた。
 蜜那は少年の身体をそっと離し、泉に託すかのようにその場を一歩下がる。
「俺…人間のままだよね」
「うん」
「人形なんかじゃないよね」
「そうだよ」
「お父さんもお母さんも家にいるよね」
「いるよ」
「明日学校に行けるよね」
「行けるよ」
「友達に漫画借りっぱなしなんだ」
「ちゃんと返しなよ」
 小さく泉が笑うと、少年が唇を戦慄かせた。
「明日、明日はさ…」
 必死になって明日を探しているようだった。
 やりたいこと、やらなきゃいけなかったこと。それらを思い出して、並べて、そしてその時期に戻ろうとしているようだった。
 だが上手くいかないのか、明日、という単語だけが何度も少年の口から零れる。
 そしてぽろりと、大粒の水が少年の瞳から流れた。
 無機質であるはずの眼球から溢れる、説明のつかない液体。
 だが泉は驚きもせずそれを指で拭っていた。
「…お父さんとお母さんは、本当に死んだの?俺が殺しちゃったの…?」
 嘘だと言って。あれは夢だと。幻だったんだと。
 そう訴えるように少年は泉にすがりついた。
 シャツを握り、懇願していた。
 だが泉はそれを否定することはなかった。
「…目を閉じて、これは夢だから」
 少年のまぶたにそっとと左手を置く。目を塞ぐともう片手を蜜那へと差し出した。
 すると蜜那は右手を左の姫袖の中へと差し入れた。
   何やら探っているかのように動きをしている。
「俺、もう起きないの…?」
「夢から覚めるんだよ」
 明確な答えを、泉は返さない。
 返せば、嘘になるのだというように。
  「お兄さん、俺、人間だよね…」
「人間だよ」
 どんな身体であっても、中に入っているのは人間なのだ。
 人形のまま魂を宿した者とは違う。
 まして泉は人形のまま魂を宿した者に囲まれて生きてきた。
 その違いはかなり大きいのかも知れない。
「人間のままでいたかったよ」
「…うん…」
 少年の本心に、泉はぎゅと目を閉じた。
 痛ましさに耐えるのが、辛いように。
「死にたくないよ」
「うん…」
「でも、こんな身体で生きていたくもないんだ」
 泉がそっとまぶたを塞いだ指の下から、雫がすぅと流れては頬を濡らした。
「俺…俺…」
 泣きじゃくる少年。
 写真に写っていた笑顔を思い出しては、恭一の胸がきしむ。
 あの溌剌とした顔は、一度も目にすることが出来なかった。
 怒りか悲しみを上手く表せずに、ぎこちない表情ばかり浮かべていた。
 これが、両親が望んだことなのだろうか。
 亡くなった人を呼び戻して、こんな思いをさせるために、人形を依頼したのだろうか。
 そうじゃないだろうに。
   だが現実は、彼らにこんな結果して与えなかった。
 微かに何かが外れるような音ともに蜜那は左の姫袖に入れた手をそっと抜く。
 その手には、刃の薄いナイフが握られていた。
 一番初めに恭一が蜜那を人形を破壊する瞬間を目撃した時、どこからともなく出してきたナイフだ。
 そして泉が差し出したままだった右掌に柄を乗せる。
「次に目を開けた時、夢は終わってるよ」
 泉は少年に囁いた。
 優しげな、慈しむような声音だ。
 だが右手にはナイフが握られており、泉は少年を抱き締めるように背中へと手を回した。
 そしてうなじへと鋭い刃を向ける。
 夢を終わらせる。
 君は目覚めるんだよ。
 そう言いながら、泉は「おやすみ」と告げた。
 目を閉じ、祈るように。
 ナイフは少年のうなじに深々と差し込まれた。
 少年の唇がうっすらと開かれるが声はなく、抵抗する気配もまたなかった。
 静寂がその場を支配する。
 だが何かが収縮するような音がしては、少年の頭部がごとりとアスファルトに転げ落ちた。
   表情はない。ただ瞳が濡れていた。
   泉の腕の中で、身体が関節ごとに分かれていく。肩から二の腕、前腕、手首、指、腰、太股、足、ばらばらのパーツになっては壊れていく。
 小さな衝撃を幾つも受け続けているかのように、硝子のように砕けては破片になって落ちていく。
 それまで動き、喋っていたのが嘘のように。
 呆気なく少年の身体が崩壊して、原型を失っていく。
 泉は目を開けなかった。
 ただもう触れることの出来ない身体を求めるかのように、両手を少年がいた場所で止めたまま。
 唇を噛んでいた。




 


TOP