スーツケースを引きずりながら、泉は家の門を開けた。
 とは言っても和屋敷の方ではない。ぱっと見たところ二階建ての、現代建築の方なので玄関までは三歩ほどしかなかった。
   だがふと横に目をやると和屋敷の庭に着物の女が立っているのが見えた。
 庭は繋がっているのだ。
 腰まである豊かな黒髪は、隣接している和の家にある座敷の光を浴びて艶を帯びている。
 月色の着物をしっかりと纏い、背筋は凛と伸びている。
 小柄なのだが、その存在感は見ているものを惹きつけて離そうとしない。
 その雰囲気に促されるように、泉は庭伝いにその女へと近寄った。
 女はしゃがみ込み、何やら薪を組んでいるようだった。
 たき火をするには大きすぎる。そして本格的過ぎた。
 かさばるものを燃やしたいようだった。
「姫、供養?」
 泉はスーツケースを引いたまま、そう女に声を掛ける。
 すぐ後ろには蜜那も付いてきていた。
「そうです」
 薪を組みながら、姫は顔を上げて泉に微笑みかけた。
 漆黒の双眸は穏和そうな色を見せている。だがその深さは測ることが出来ない、まるで深淵のようだ。
 唇は薄紅で声は鈴の音より透き通っている。
 輪郭は細く、しかし柔らかな形をしていた。
 美しいという感想しか出すことを許さないほどの造形を、姫は当然のように持ち合わせていた。
 容貌から、その身体、姿勢に至るまで、それは完成されていた。
 人はどこかしら欠けているものだが、姫はそれを容易く越えてしまう。
 人ではないからだ。
「じゃあ、この子も」
 泉はスーツケースを開けて、中に入れていたばらばらの破片を姫に見せた。
「紅には似ていませんね」
 白くほっそりとした指は入っていた欠片のうち、もっとも大きな固まりである頭部を手に取った。
 そっと救うように両手で包むと、僅かに目を伏せる。
 悼むように。
「親によって呼び戻された子だよ」
 細かく砕かれた破片を泉はそっと包みながら、薪の中へと置いていく。
 それは納骨に似ていた。
 白く小さな破片。ばらばらになったそれを、一カ所に纏めていく。
 しかし、実際は納骨の前の段階なのだ。
「魂返しですか。そんなことが出来るお人がまだいらっしゃるとは。才は受け継がれているのですね」
 姫は頭部を自分の目線より僅かに上に持ち上げ、頭を下げた。
 尊んでいるのだ。
 魂を宿し、失ってしまった器の最後を。
 そして表情を失い目を閉じた頭部を、破片と同じく薪の中へと入れる。
「みたいだね。それにしても…可哀想だ」
「親御様が?これとも、このお子が?」
「両方かな…。子どもを失ってすごく悲しかった気持ちも分かるし、でもこんな身体に戻されて戸惑って苦しかった気持ちも分かる。そのせいで悲劇が起こったのも。みんな…悲しいんだよね」
「でも、勝手に魂を入れられた人形だって苦しかったと思うわ」
 蜜那は薪をじっと見ながら、口を出した。
 もう二度とまぶたを上げることのない人形の顔が、涙の痕を残している。
 泣いたのは、中に入っていた少年だ。
 だが器にされた人形もまた、苦しかったのかも知れない。居場所を奪われ、他人の意志で破壊され、こうして消されていく。
 一度も人形そのものを見てもらうことなく。
「人の為に作られ、人のために破壊される。それなのに、一度も自分を見てもらうことがない…」
 我が身のことであるように、人間である泉がぽつりと語る。
 作り手にとって、その子たちは皆身内のようなものなのだ。
 それがこんな扱いを受ければ怒りも沸くが、何より寂しかった。
「全ては人の為です。人形は道具なのですから」
 姫は微笑を浮かべたまま、言い聞かせるように告げた。
 薪を組み立て終わると、その隣に置いていた麻の袋を手にした。
 赤ん坊ほどの大きさがある二つの袋を、破片になったしまった人形と同じように薪の中にそっと置いた。
 その中身は、やはり人形だった。
 蜜那が破壊した、紅の模造の残骸だ。
「…僕は、そう割り切れないんだよね。なんだか」
 道具だと理解はしてきた。
 人形は人の身代わりとして作られたのが、始まりなのだ。
 本来は愛情を注ぐ対象ではない。
 だが現在となっては、かたしろの役割というより愛玩の役目のほうが大きい。
 我が身と同じくらい大切にする者も少ないないというのに。
「道具としてしか扱わないのなら、人の形をしてなくてもいいだろうに。まして人を殺すなら、もっと他の形があるはずだ」
 紅の模造を思い出し、泉は重苦しい吐息で言った。
 まるっきり人間と同じ形にする必要がどこにあるのだろう。
   人を殺すことだけが目的ならば、動物の姿などでもいいはずだ。
 人間は頭部が重いため、バランスを取るのが難しい形をしている。生きていくために知性を必要し、脳、頭部が大きいのは生物としてはやも得ないことなのだが、人を殺すための道具にそんなものは必要がないだろう。
 まして、意志を人形に定着させているのなら。頭などあってもなくても大差ない。
 それなのに何故人の形をさせるのか。
「この模造を作った人は、人も人形も侮蔑しているのかも知れませんね。まるで遊んでいるようではありませんか」
 姫はマッチに火を付け、麻の布にそっと火を移す。
 すぐに燃え上がり、中入れていた白い破片が赤い光の中で見え隠れする。
 小枝がぱきりと音を立てて割れる。薪が燃えるには時間がかかる。色味の薄い朱色が庭を照らしていた。
 侮蔑。
 その言葉に炎のような憤りが込み上げてくるが、すぐに泉はふっと肩の力を抜いた。
 喉の奥で針のようなものが引っかかっては、細い痛みを生み出す。
「僕も、紅を模造したやつとあまり大差ないけどね。蜜那を使って同形の者を壊している」
 蜜那を戦わせている時、常に心の奥で気になっていることだった。
 人を殺す人形を止めたい。紅の模造だなんてものは許せない。
 だが蜜那にとって、それらのことは許せないことなのだろうか。
   自分と同じ人形というものを破壊したくなるほどの怒りが込み上げることなのだろうか。
 むしろ人間などどうでも良いことで、自分と似ているものと戦うことのほうがよほど辛いのではないだろうか。
 そんな思いがよぎっては「もういい」と制止しそうになる。
 もう止めよう。蜜那が苦しいのなら、悲しいのなら、ここでもう止めようと。
 だが、目の前でちらつく紅の面影に脳髄が焼かれる。蜜那を気遣う気持ちは激情に焦がされて、小さくなっていく。
 身勝手だ。
 蜜那を道具としか捕らえていない。紅の模造を作った者と変わりがない。
 自分のために人形がどうなっても構わないという姿勢だ。
「大差あるじゃない。私は嫌じゃないもの」
 自嘲する泉の傍らで、大きな瞳は凛然とした眼差しで見上げてきていた。
 何の迷いもない、真っ直ぐな意志がそこにはある。
「…でも君と同じ人形だ」
 泉の視線の先で火の勢いは増すばかりだった。
 破壊したものを灰にして、土に返そうとする炎。
 その熱の中で、人形たちは泣いているだろうか。
「人を殺して辛いのは、人形だって同じだと思わない?勝手に動かされて、自分と似た姿の生き物を殺して、悲しいと思わない?私だったら嫌よ。泉はそれを解放しているの。私を使ってね。だから私は何も辛くない」
 魂を宿し、あどけない顔立ちをした少女は静かに嘆く主にそう語る。
 百五十もない小さな身体は、その意志の硬さゆえか泉には大きく見える。
 自分の手で作った人形だ。左の瞳と繋がっている意識を持っている魂だ。
 それだというのにこんなにも強く、はっきりとした気持ちを伝えてくれる。
 背中を押すように、言葉を投げてくれる。
「君が壊れる可能性だってある」
 情けないな。そう心の中で呟いても、沸き上がってくる喪失の恐怖と、甘えているという自覚は消えない。
 一度こう決めたのだから、割り切って、迷いなど捨ててしまえばいい。
 分かりながら、それでも。
 この小さな少女が可愛かった。
 戦いに向いているように細工されている人形だが、愛玩のためだけにしてしまいたいほどに。
「壊れることは怖くない。こんなの平気。泉と離れるのはすっごく嫌だけど、ほんとに嫌だけど、でも泉が泣いてるの見てるよりマシだもん」
 ただ大切に可愛がりたい。もう危ないことはさせたくない。そんな弱気がちらついた泉の心境を読んだように、蜜那ははっきりと断言した。
 強固な態度に、泉は苦笑する。
「泣いてないよ」
「嘘。泣いてるわ。涙を流さずにじっと。紅を思って、人形たちを思って」
「なんでそんなことが分かるの?」
 表に出しているはずはない。
 出してはいけないと決めたことなら、じっと我慢が出来る。
 押し込めて、閉じ込めて、目を塞げる。
「繋がっているからでしょう?」
 泉の疑問に答えたのは蜜那ではなくも、二人のやりとりを聞いていた姫だった。
 すると蜜那は正解だというようににっこりと笑った。
「紅の真似はあたしもむかつく。だからあたしがこうしたいし、泉の願いなら他のことだって叶えたい。あたしを作って大切にしてくれる貴方の願いならどんなことだってする」
 絶対的信頼を持って、眼差しは泉を射抜いた。
 揺れる炎の光に琥珀の瞳はいっそう優しげな色を見せる。
 その深さに、切なさで息が詰まるような気がした。
 可愛がっている。妹のように、恋人のように。だが実際は、自分のほうが大切にしてもらっていたのだ。そして、こんなに思ってもらっている。
 与えたぬくもり以上のものを蜜那は泉に与えてくれようとしていた。
「…ありがとう」
 感情がぶわっと溢れては上手く微笑むことが出来なかった。
 だが蜜那は笑顔で頷く。
「笑ってくれるなら、出来ないことなんてないよ?あたしは泉の願いを叶えられる人形でほんとに幸せなんだから」
 蜜那は自分より少し高い位置にある泉の手を握った。
 ひんやりとした固い人形の指。
 体温はないのに、泉はいつだってその指をあったかいと思う。柔らかいと思う。
 ぎゅっと握り返しては小さな感触を確かめる。
「その上あたしと泉は繋がってる。大切にしてくれる、大好きな人と繋がれるなんて人間同士でも無理でしょ?でもあたしは人形なのに魂があるからそれが出来る。この世で泉と繋がってるのはあたしだけ」
 嬉しそうに、誇らしげに蜜那は話す。
「それだけで何も怖くないの」
 迷いがない蜜那の気持ちに泉は不甲斐なさをまた噛み締めた。
「大切にしてるかな…」
 ぽつりと零れた弱音に、蜜那は「もう!」と不満そうな声を上げて繋いだ手を乱暴に振り回した。
「あたしがそう言うんだから信じればいいの!」
 見た目と同じくらいの言動に、泉が苦笑する。
 はいはいと宥めたくなったが、その前にぐいっと粗っぽく手を引かれた。
 姿勢を崩して、蜜那と視線を合わせると強い力を宿した瞳が間近に迫ってきた。
 薪を燃やしている炎よりよほど高熱の、そして宝石より硬い意志を持った双眸。
「泉の手足であたしは幸せよ。それだけでね」
 持っている不安も、痛みも、全て払拭させるような言葉だった。
 振り返るな。迷うな。突き進め。
 そう叱咤されているようだった。
「ありがとう」
 嬉しいのか、切ないのか、はっきりとは分からないくせにやけに大きな感情が生まれてくる。
 そして胸を締め付ける。
 人間、人形、生きている、生きていない。
 そんなことを越えてしまった絆が、二人を繋いでいた。







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