中学校の裏門で待ち合わせだった。
 人気など当たり前だがあるはずがない。
 大きめの道路を挟んで向こうはテニスコートだ。
 五分以上ここに立っているが、目の前の道路に車は一台も通っていない。
 マンションなども近くにあるのだが、日付が変わろうとしている時間では辺り一帯は静まり返っている。
 携帯電話片手に所在なくしていると、カラカラと軽い音が遠くから聞こえてきた。
 待ち人がやってきたのだ。
 音がする方向を見ると小さな影は次第に大きくなり、一人の男が歩いてくるのが見える。
 金髪に近い髪、カーキ色のシャツに黒と銀でトライバルの模様が描かれている。細身のジーンズには鎖がぶら下がっていた。
 大きなスーツケースを引きながら、泉は片手を上げた。
 近寄ってくると、苦笑しているのが分かった。丸眼鏡はかけていない。
 もう恭一に左目を隠す必要がないからだろう。
 電話口で外出を察知した恭一に呆れているようだ。だが怒ってはいないようで安心する。
 機嫌を損ねるだろうという覚悟は出来るが、実際怒られると堪えるだろう。
 そうなっても仕方がないと想像するのと、目の前で見るのとでは衝撃が違いすぎる。そんなことぐらい容易に予測できる。
 だから人形を破壊することに同行する際、かなりの度胸が必要だった。
 どこまで強引にいけばいいのか、かなり気を使っているのだ。
 今日も携帯電話を握る手に汗をかいていた。
 出逢う前から、恭一にとって泉は特別な人だった。憧れなのだ。
 その気持ちは大きく、そして熱を高めるばかりだ。
 意外な面を見ても惹かれていくばかりで、我ながらおかしいんじゃないかと思ってしまう。
「こんばんは」
「ばんち、じゃないんですね」
 電話口で言われた挨拶を思い出してからかうと、泉は「気が抜けるから今は向いてない」と言った。
 すでに緊張の糸を張り始めているようだった。
「車は?」
「別の所に駐車してきました」
 さすがに小学校周辺に、無造作に車を止める気にはならなかったのだ。
 近くに丁度空いたスペースがあったのでそこに止めてきていた。
「駐禁取られるよ?」
 そういう泉も車で来ているはずだった。
 すでに終電は終わっている。
「泉さん、車は?」
「別の所に駐車してきました」
 真顔で恭一と全く同じを台詞を返す。
 どちらにせよ無断でそこいらに止めるしかなかったわけだ。
「駐禁取られますよ」
 全く同じやり取りをすると、笑いが込み上げてくる。
「ちょっとだけだから大丈夫だって」
 泉も真顔を止めて、笑みを浮かべる。そうして笑っている表情が恭一の知る限り泉の常態だった。
 穏和な人なのだろう。
 だが先ほどの電話で知ったのだが、平然とした声で嘘を付く。
 スーツケースの音を聞かなければ、恭一は今日ここにいなかった。そしてこの件に関わることもなかっただろう。泉は、恭一が人形を破壊することに関与するのを嫌がっているからだ。
 きちんと食ってかからなければ、これからは泉にはぐらかされて、言いようにあしらわれるかも知れない。
 疑ってかかるのは不本意なのだが、人形を破壊するということから手を引く気はない以上必要なことだ。
「それにしても、なんで中学校なんですか?」
 通ったこともなく、名前も知らなかった中学を見上げ尋ねた。
 暗い学校は威圧感がある。肝試しが出来そうな雰囲気だ。
「生前通っていた所、記憶に焼き付いているところに行く可能性が高いらしいんだ」
 泉も同じく中学校を見上げた。
 地元から離れているので、泉が通っていたということもないだろう。
「霊体専門の人に話を聞いたんだけど。人形という媒体に入っている以上昼間でも動けるが、見た目が異様だろう?だから昼はどっかに潜んでいて夜に動き出すんじゃないかって。そして一人で思い出巡り」
 幽霊を夜見るのと同じなのだろうか。
 恭一は泉の話を聞きながら、動き回る人形を想像した。だがあいにく蜜那や小桃、それに今まで修理に来ていた朝日奈の人形たちを見ているおかげでさっぱりホラーにならない。
 夜中に歩き回る。だからどうした。という感覚だ。
 この人形たちの精巧さと完成度、そして美しさを考えれば動き出してもおかしくない、という気持ちになる。
 特別思い入れがあるからこそ、そう思えるのも知れないが。
 他の人々にはなかなかの恐怖かも知れない。
「確かに中学なら記憶に強く残ってるでしょうね。学生にとって学校は切っても切れないし」
 現在高校生の恭一はやや複雑な心境で言った。
 面白いこと、楽しいことがある反面、煩わしさや嫌なことが多いのも事実だ。それでも学生をやっている以上学校というのはとても身近である。
 生活の中心になっているのだから。
「でもまだ四ヶ月しか通ってないんだよねぇ」
「小学校のほうが思い入れが強いでしょうか」
「かもしれない。まぁゆっくり回ろうか」
 スーツケースを再び鳴らしながら泉が歩き出す。
 恭一もそれに続いた。隣に並ぶとほぼ視点が変わらないことに気が付く。
 身長に差がないのだろう。
 出会ったばかりの頃は僅かに泉のほうが高かった気がする。
 まだ恭一の背が伸び続けている証拠だ。
「それにしても、人形が人を殺しますか。今更な疑問ですけど」
 予想だが、両親は子どもにそっくりの人形を人殺しの道具として制作依頼をしたわけではないだろう。
 愛玩用だというのに、人形が人を殺してしまうことがあるのだろうか。
 ましてその中に宿っているのは子どもの魂だ。
 親を殺す子ども。ニュースなどでたまに流れる話だが、人形という形にしてまで子どもを求めた自分の親をどうして殺害したのか。
 恭一は察しが付かず、困惑を口にした。
「力が強すぎるんだよ。魂が入ってそんなに時間が経ってないからちゃんと定着もしてなくて、動きにくい。そして感覚が曖昧な上に力がコントール出来ない。まして子どもだからね、怒りにまかせてついってことがあると思うよ」
 大体目覚めたら人形になってました、じゃ混乱もしてるだろうしね。と泉は冷静に分析していた。
「じゃあ…かっとなってつい殺したってことですか?」
「聞いたところによると両親の直接の死因は頭部、もしくは全身を強く打ったせいらしいんだ。たぶん突き飛ばしたか何かなんだと思う。でも半端のない力だから、死んでしまった」
 子どもが自分の怒りを我慢出来ずに誰かに当たることはよくあることだ。
 大人でさえ、周囲に八つ当たりをするのだから。
 それが多少人をこづく、突き飛ばすなどということになるのは、決して異様なこととは思えなかった。
 だがその突き飛ばした手は、人間とは異なる力を持ってしまっていた。
 親子喧嘩ですまくなったのだ。
 その結果として、両親は死亡してしまった。
  「…悲劇ですね」
 子どもに突き飛ばされて死を迎えた親。そして親を殺してしまった中学一年の少年を思うと、やるせなさが込み上げる。
「悲劇だよ。息子さんが亡くなったことが両親の悲劇なら、人形として戻って来て親を殺してしまったのが息子の悲劇だ」
 悲しみが連なった。
 一つの痛みを忘れるためにさらに大きな痛みを抱き、広め、そして誰もが沈んでしまった。
 亡くなった者を戻そうなど考えるからだ。
 そう言ってしまえば簡単なことなのだろう。
 だが祖父を無惨な形で失った恭一は、その気持ちが理解出来た。
 痛みを憎しみというものに変えて、今動いているのだ。
 祖父は帰って来てくれないだろうか。そう思うことも、やはり未だある。
「…一周しちゃったね」
 中学の周りを回り、ある程度周囲も見ていたのだが少年らしき姿は見つけられなかった。
 そう易々と発見は出来ないだろうという予測はしていたので、二人とも落胆の色は浮かべない。
「次はどこに行こうか。小学校かな」
「そうですね」
 頷きながら、恭一は鼻孔に入ってくる慣れないにおいを感じ取った。
 山に近い土地に住んでいるので、馴染みはないが知っている。
「ここって海が近くないですか?」
「みたいだね。なんか海のにおいがする」
 泉もそれは感じ取っていたらしい。潮をほのかに含んでいる風が吹いてくる方向に顔を向けた。
「子どもの頃、海って行きませんでした?」
「うちが山の中なのは知ってるでしょうが」
 泉は苦笑する。確かに泉の家は山の中に建っている。朝方はあちらこちらから鳥の鳴き声がし、風で揺れる木々の音がよく聞こえる場所だ。空気もいい。
 駅は歩いて行ける距離にあるのだが、本数がかなり少なく恭一は待ち時間が勿体ないといつも車で通っていた。
「うちも山の中ですよ。泉さんとこほどじゃないですけど。でもあの子の自宅からは近いでしょう?思い出があるかも知れません」
 夏なら花火などもしただろう。
 海の近くに住んでいないのでどんな思い出がそこにあるのかは、花火か泳ぐことくらい想像はつかないのだが。
「そうだね。じゃあ行ってみようか。海なんか久しぶりだな」
 泉は少し嬉しそうな顔をした。
 見る機会があまりないのだろう。それにして子どものような反応だ。
「泳ぐの得意ですか?」
「水の中は陸と違って得意だよ。背泳とかね」
 地上では運動神経が良くないことをもう隠さないようだった。
 だが恭一は泉が背泳をしている姿を想像してふと、思う。
 ぷかぷかと暢気に浮いているだけで、進まないんじゃないかと。
「浮かんでるだけじゃないですよね」
「ちゃんと進んでるよ。溺れてんのかってよく聞かれたけど」
「それじゃあ、浮かんでるかどうかもあやしいじゃないですか」
 海へと続く道は、坂になっていた。
 堤防があるからだろう。
 緩やかな坂道の入り口で、二人は潮の香りを強く感じながら学生時代の水泳の授業はどうだったかを話していた。
 緊張感が欠落しているかのようだ。
 だが恭一は隣で歩いている泉の瞳が、ずっと笑っていないことに気が付いていた。
 その眼差しだけはぴんと張り詰めた意志を見せていた。
 探しているのだ。自分の作った人形を。
「魂なんか宿らないと思ったのにな」
 ぽつりと呟いた言葉は、朝日奈の人間らしくないような気がして恭一は苦笑する。
「ただの人形でも魂が宿る子がいますよ」
 髪の毛が伸びる、夜中になるとかたかた音を立てて微かに動く。その原因の一つが魂をもったことによる目覚めだ。
 恭一が知っている神社などに、そういう人形が持ち込まれている。
 供養すれば大人しくなると表向きは言っているらしい。
 確固たる意識を持ってしまった人形は神社がきちんと保管しているそうだ。
 それ以外で魂を持つ人形というのは、朝日奈の人形くらいしか見たことがない。
 もっとも、朝日奈の人形と向き合った後で他の魂を宿したらしい人形を見ても、そうとは気が付かないかも知れない。
 朝日奈の人形があまりにも生き生きしているから。その印象が強くで微かな魂を見逃している可能性はある。
「魂が入る子もいるけど。でも本人が入るなんて奇跡的な確立だよ。本当に困るんだけどなぁ。あのイタコにはもうこういうことは止めて欲しい」
「あのイタコって、誰の仕業か知っているんですか?」
「調査員が調べたよ。霊体を人形に定着出来るなら、意志も定着出来るんじゃないかって思って調べて貰ってたんだ。紅の模造を作っている人間に繋がるかも知れないって。でも結果 は駄目だった」
 霊体に関してはプロだけど、生きている人間は出来ないんだって。
 泉は力無くそう言った。
 微かな望みをかけていたのだろう。
 そのイタコからなんとか紅の模造を作りだしている人物に辿り着けないだろうか、と。
 泉は一刻も早く、紅の模造を止めたいのだ。
 きっと、出来るなら二度と見たくないだろう。だが模造は姿を現す。
 人を殺し、死体を無惨な姿にしては、人間の仕業ではないと知らしめる。
 泉を嘲笑うかのように。
 祖父の無念を、失った怒りをはらしたい。恭一はそう強く願っていた。
 だがここにきて、違う気持ちも込み上げてきていた。
 この人を苦しめる原因を消したい。というものだ。
 脳天気に微笑みながら人形を作っていて欲しい。
 泉の作る人形が好きだから。そしてこの人は辛い表情が似合わないのだ。
 明るい色の髪や瞳に、軽快な服装。それなのに悲愴な顔をされると見ているこちらが痛くなる。
 泉の悲哀に満ちた表情が見たくないわけは、そういう理由なのだろう。恭一は理性的に考えて結論を出した。
 笑っていて欲しいなど、そんな理由でもなければ男に対して思うひとではないだろうから。
「せっかく、紅を奪ったやつに繋がる糸が見つかったと思ったんだけど」
「繋がってませんでしたね…」
 そしてまた泉は糸を探し始める。
 それこそ霞の中、手探りで探しているようなものだった。
 二人の口から重い吐息が零れた時、それがふらりと立ち上がった。
 坂道の両脇に植わっている街路樹の根本にいたらしい、おそらくしゃがんでいたのだろう。
 ゆらりと不自然な揺れ方をしながら小柄な影が歩き出す。二人から逃げるように。
 街灯から離れているため、はっきりと顔などは見えない。
 影は背中を向け、坂の分かれ道を右へと登っていく。
 一歩前に足出すたびに膝がぎこちなく上下した。吊された操り人形、もしくはロボットのように。
 ぎしり、と軋む音が聞こえてくるのではないかと思われる動きに、泉の顔から表情が消えた。
「でも、こっちの糸は辿り着いた」
 恭一にはまだおぼろげな背中しか見えない。だが丸眼鏡をしていない泉の双眸にはその姿がはっきりと映っているかのように、真っ直ぐ影を見つめていた。




 


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