黒のパンツスーツ姿、アタッシュケースという出で立ちで荻野目がやってきた。
 代わり映えがない服装だなぁと泉などは思うのだが、仕事をする時はこれだと決めているのかも知れない。
 和屋敷の客室に通すと、さっそく仕事の話が始められた。
 荻野目から持ってこられる仕事の話は人形の制作ではない。
 人形を破壊するほうの仕事だ。
 そのせいだろう。荻野目とこうして対面で座っていると、気持ちが沈んでいく。
 また紅の模造が出たのだろう。
 人形が出ました。今日もそう言うのだろう。そう思っていたのだが荻野目の口から出てきたのはいつもと異なる切り出しだった。
「類似していると言ったほうが正しいのかも知れません」
 平淡な口調で荻野目が語り始める。
「夫婦二人の遺体が自宅で見つかりました」
「家の中って言うのは、初めてですね」
 人形は外でばかり人を襲っていた。家に押し入る必要はない、誰でもいい。そんな傾向が感じられた矢先だった。
「そこも今回問題になります。夫は右腕が切断、やはり刃物なのではなく強い力によって引きちぎられたものと思います。頭を強打して死亡。妻もやはり全身を強く打ち死亡です」
「…ちょっと今までと違いますね」
 首をねじる、四肢を砕くなど死体の破損が今まではあったのだが、今回は比較的ましと言えた。
 腕が取られているのは異様だが、全身を強く打ち付けただけの死体というのは初めてだ。
 大人しい、という印象を受ける。最も人間に照らし合わせると全く異なる見解になるのだが。
「人間の仕業ではないという立証は出来てますか?」
   腕の件を覗けば、人間がやったと言ってもおかしくのでは?と言う泉に、荻野目はアタッシュケースから写真を二枚撮りだした。
 一枚は家族写真と思われた。中年の男女と、小学生くらいの男の子が映っている。もう一枚は学生服を着ている少年の写真だ。
 細い指によって座卓に置かれたそれらは、泉にとって見覚えのある顔だった。
 どくんと心臓が驚いた。
「当時、亡くなった子どもの叫び声がしたそうです。そして家の中から荒々しい音で誰かが出て行った音がしたと、近所の者と言ってました」
 淡々と説明する荻野目の声を聞きながら、泉は一枚の写真を手に取る。
 何度も眺めた、懐かしさすら漂ってくる顔だ。
 その鼻梁がどんな形であるのか、感触すら思い出せる。もっとも、生身のものではないが。
「同一のものだと思われますか?こちらでは可能性は低いと思っているのですが」
 泉は溜息をつきながら、写真を元のように置いた。
 完成した人形を渡した時の、二人の笑顔が思い出された。
「同じではありませんよ。このご夫婦には以前人形を依頼されて作りました。お子さんそっくりの」
「では」
「その子がやったんでしょうね」
 泉は憂鬱そうな表情を滲ませる。
 口調も重い。
 荻野目が微かに目を見開く。だが元々感情を表に出さないたちなのだろう、よく見ていなければその変化は気が付かないほどだった。
「それにしても…よく魂なんか宿ったなぁ。亡くなった子の声がしたということは、そのお子さん本人が人形に宿ったということでしょうから」
 不可能だと断言したのだが。やはりあの夫婦は試したらしい。
 息子の魂が戻って来るかどうか。
 そして、奇跡的な確立を手にした。
「おそらくは腕の良い人間が魂を呼んだのでしょう」
 そこでふと、魂を呼ぶということと類似したことを思い出した。
「そんな人間なら、人間の意志を人形に定着させるということも出来るんじゃ?」
 紅の模造に誰かの意志を定着させている者と、今回の件に関わっているイタコらしき人間とは同一ではないだろうか。
 魂と意志という違いはあれども、人形に定着させるという行為は同じだ。
 荻野目は泉が思いついた可能性にこくりと頷く。
「調べておきましょう」
 写真を手に取り、荻野目はやや肩を落とした。
 これからやるべくことを考えて、疲労を感じているのだろう。
 この件をどこにどう持っていこうか、誰と交渉しようかと思案しているのかも知れない。
 泉は紅の模造に関すること以外は一切手を出さないと決めていた。
 元々人形師であり、蜜那も人形を破壊するためだけのからくり人形だ。
 他のことに関わっているほどの時間はないし、興味もない。
「祓い師でしょうね」
 ぽつりと荻野目が零す。
「すんなりいきそうですか?」
 自分が作った人形の行く末というものがやはり気になった。
 魂が何であれ、泉が生み出した人形であることに変わりはない。
「まず無理でしょう。祟るものであるならすんなりいくでしょうが、こうして動いて殺人を行っているものになると熟練でも命を落とします。彼らは霊体を相手にするのが主であり、物理的な攻撃には向いていません」
「それは、そうでしょうね」
 霊体などというものを扱っている人間がいざ人を殺す人形と対決しても、上手く動けるとは素人の泉でも思えなかった。
 自らは動くことなく、見えないものを使用する相手に対して有効なのだから、運動関係に期待するほうが間違っている。
「いっそ鬼関係の人に回して物理的に破壊したほうが得策でしょう」
 破壊する。その言葉にうち砕かれる人形の姿を思い浮かんだ。
 幼い顔が棒のようなもので叩きつぶされるというのは、考えただけで痛ましい。
 この手で生み出した人形というのは、兄妹や気の置けない友人のような存在なのだ。それが無惨に壊されるというのは気が滅入る。
「人形が壊されると霊体は消えますか?」
「寄りどころがなくなりますので、大半は消えてしまいます」
「じゃあ…僕が引き受けましょうか。いつものことと大差ないようですし」
 人の手でばらばらにされるよりかは、とい思いがよぎり泉はそう提案した。
「よろしいのですか?朝日奈さんがお作りになった人形でしょう?」
「だからというのもあります」
 人形を破壊する方法というのを泉は知っている。
 たたき壊す必要など本当はないのだ。
 一瞬で、それこそ呆気なく終わらせることが出来る。
「これ以上人なんて殺して欲しくないし、速く解放されたいでしょうから」
「子どもが?」
 解放されたがっている。そう尋ねたのだろう。だが泉は緩く首を振った。
「双方ですよ。人形だってこんなことは嫌でしょう」
「人形もですか?」
 荻野目は意外そうな声で言った。
「ええ。きっと今頃悪夢ですよ」
 一つの身体で、二つの魂が悪夢を見ているのだ。
 あまりに哀れな存在。
 泉は今も何処かで彷徨っている人形に、思いをはせた。
 小さな身体にどれほど大きな苦痛がのし掛かっているだろう。
 泣き声が聞こえてこないのが不思議なほど、脳裏に浮かぶのは泣きじゃくる子どもの姿だった。



 玄関で靴を履いている時、携帯が震えた。
 フローリングにそのまま置いているため、けたたましい振動音だ。
 スーツケースを抱きかかえるようにして顎を乗せている蜜那が携帯をひょいと手に取った。
 そして画面を見てにやと笑う。
 愛らしい少女が見せていい笑い方ではないが、悪戯を仕掛けているような表情で無邪気さすらある。
「恭一」
 名前を口にされ泉は溜息をついた。
「監視カメラなんか付いてないよなぁ」
 家を建てたばかりの頃に盗聴のテストはしているので可能性は限りなく低いのだが、このタイミングではそう考えてしまう。
 通話ボタンを押して、深く息を吸う。高校生一人をあしらえるだけの技量はあるはずだ。
 困った客に対しても腹芸を通用させているのだから。
「ばんはー」
 泉は明るい声で電話に出た。とても大人の言う挨拶ではない。
 隣で蜜那が呆れた顔をして見せた。きっと恭一もそんな顔をしているだろう。
『こがありませんよ』
 冷静にそう言うが、声が苦笑してる。
 若いんだから、同じように返してくれてもいいのに。と泉などは思うのだが意志の疎通は難しいだろう。
『今家ですか?』
「うん」
 玄関にいて今から出ていこうとしているが、家にいることは間違いなかった。
『作業中ですか?』
「違うよ」
 作業をしている時は携帯に出ない。意識が散るからだ。
 蜜那は会話が気になるのか、泉のすぐ横にあるスーツケースをがらがらと避けて、ぴったりと引っ付いてくる。
 携帯に耳を寄せては内容を聞くつもりらしい。
『お出かけですか?どちらへ?』
 どうして出掛けることになるんだろう。泉は思わずきょろきょろと家の天井や靴箱を見てしまう。やはり盗聴か、盗撮をされているのではないか。
「君は僕のお目付役?」
『蜜那と出掛けるんですか?』
 お目付役というのに否定はないらしい。
「デートかな」
 さらりと冗談を返すと、恭一が小さく笑う気配がした。
『付いていきますよ』
「邪魔するなんて野暮だなぁ」
 蜜那が楽しそうに口元を緩めている。大きな目が細められているのを見て、泉が頭をくしゃと撫でた。
 耳より上の髪の毛後頭部で一つにくくっているのだが、それが乱れ蜜那はむっとした顔を見せる。だが手を払い退けたりはしなかった。
『心配なんです』
「なんで?」
『人形を壊しに行くんでしょう?』
 恭一の声に、笑いがなくなった。代わりにぴりぴりとした緊張と真剣さが伝わってくる。
 それは泉に苦いものを覚えさせた。
 どうやって説得すれば、恭一は納得するのだろう。諦めてくれるのだろう。
 言葉が足りないのだろうか。それとももっと冷たい態度で接すればいいんだろうか。
 だが仕事はこれからずっとやっていくのに、気まずいままというのもやりづらいし、何よりせっかくいい腕をしている職人に素っ気なくするのは堪える。
   恭一本人も面白い人だというのに。
「違うよ」
 断言しても、恭一は『そうですか』とは言わない。
『人家に出没したそうですね。人形はそこに戻るでしょうか』
 ニュースか何かで、あの事件を知ったのだろう。
 人形が人を殺した現場に通い続けるという執念を見せた恭一は、あの両親の家に通うつもりだろうか。
 それはそれで気が重い。
 確実に無駄足だからだ。
「あれはいつものとは違う。紅の模造じゃないんだ。調査員から話があった」
『模造ではないと?』
「以前僕が作った人形に無理矢理魂を入れた結果が、あれなんだよ」
 そういえばあの子を作る時には恭一がいた。
 何か小さな違和感を覚えて、その理由を恭一に尋ねたのだ。唇の端にある些細な角度。そんな微々たることをすぐに気が付いた恭一に感心したものだ。
 この子はやはり天才なんだろう。そう驚いたことを思い出す。
 こうして作り上げた人形が人を、しかも両親を殺すというのはあまりに悲惨だ。
『…もしかして、あの子ですか?』
 恭一は、あの人形を思い出したらしい。魂を無理に入れたということに反応したのかも知れない。
「そのまさかみたいだね。だから僕は出ないよ。霊体なら専門は他にいるしね」
 さらりと嘘を言う。蜜那は「いいの?」と唇だけで告げた。
 それに頷いて見せる。こうするのがきっと一番なのだ。恭一の安全が確保出来る。
 第一殺人などに関わっていて、いいことなど一つもないのだから。
『じゃあ、今からそっちにお邪魔していいですか?』
「なんで?」
 すでに靴を履き終わっているので、電話が終わればすぐに出ていくつもりなのだ。
 恭一を出迎える気は全くない。
『話が気になるんです。今までもそんな感じの人形はいましたけど、人を殺すとは到底思えなかったから』
 それはそうだろう。人の思いが宿る魂というのは朝日奈の人形でなくてもあることだ。
 それが怨念のような思いであっても。
 人を殺すことを得手とした紅の模造でもないというのに、人形がどういう方法で何故人を殺すのか気になるのだろう。
 その意識は泉にも分かる。
 疑問に思ったのなら聞きたい。人形に関する興味深いことなら、朝、夜中も関係なくすぐに知りたい。
 気持ちは分かるのだが、泉は今それどころではなかった。他の時であるなら「いいよ、おいで」と気軽に言えるのだが。
「今からって、もう遅いよ?」
『ご迷惑ですか?それとももう出掛けるから?』
「なんで出掛けるのが前提なの」
 何故ここまで出掛けることを確信しているのだろう。
 声だけでここまで察知するのは異様だとしか思えなかった。
 訝しげな泉に、恭一はくつ、と笑ったようだった。
『スーツケースの音がした』
 泉はじとーっと蜜那を見た。スーツケースを横に移動させた音を恭一は耳ざとく聞いていたのだろう。
 蜜那を連れて行くのは、人形を破壊する時だけと恭一は知っている。その際スーツケースを使用するということも。
 泉がそう教えたのだ。
 会話の流れでぽろりと零したことが、こんな事態を招くとは。
 野次馬根性を見せた蜜那が話の内容を聞こうとしなければ、こんなことにはならなかったのに。
 恨めしそうな泉に、蜜那は「えへ」とばかりにわざとらしく笑った。
 だがごまかしはきかない。
 深く、重い息を吐き泉は腹をくくった。
 どちらによ恭一は来るつもりなのだろう。
 今すぐここか、もしくは事件の現場か。
 そこで泉が見つけられなかった場合、玄関先で一晩中待ち伏せされそうだ。
「…これから見ることは、君の経験になるかも知れないね。家じゃなく別のところで話そう」
『何処ですか?』
 恭一の声が軽くなる。喜びが滲むのが分かり、泉は複雑な心境だった。
 これから見せるものは、決して気分の良いものではないだろう。
「そうだな、中学校とか」
『中学校?』
「そう。思い出巡りに行くんだ」




 


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