蜜那は地下に入るとすぐに奥の部屋へと消えていった。 泉が仕事をする際には眠ってしまうらしい。 作業室に入ると三つ並んだ机の一つに、人形の頭部が置かれていた。 その周囲には写真が散らばっている。 見ると、そこには子どもが映っていた。 中学生らしい。まだ学生服を着て校門の前に立っている。その近くには中学校の名前が書かれている立て看板があった。 他には小学校の卒業式で、卒業証書をもらっている写真。 体操服で走っている写真。海を背にしてはしゃいでる写真。大きな犬とじゃれている写真。友達と肩を組んでいる写真。バットを振って野球をしている写真。 どれも同じ少年が映っていた。 焼けた肌が健康的な印象を受ける。笑うと小型犬のようにくしゃっとした顔になるのがいっそう幼さを感じさせた。 「亡くなった子どもさんにそっくりな人形が欲しいって言われて、作ってるんだけど」 机の上に乗っている頭部を見ると、確かに写真にある少年そっくりだった。 顔の造作を削る段階ではあるが、眉や目尻を描けば生き写しのようになるだろう。 「なんかちょっと違和感がない?もうちょっとでその原因が分かりそうなんだけど…」 泉がリビングでぼぅとしていた理由はそれらしい。 人形の違和感を考えていたため、恭一にもなかなか気が付かなかったようだ。 それほど人形のことになると没頭するらしい。 「本当、ちょっとのことだと思うんだよねぇ」 泉は金に近い髪を掻き乱した。相当悩んでいるようだ。 人間はどうもこういう「ちょっと違う気がする。でもそれが何か分からない」という曖昧な状況になると落ち着かなくなる。 次第に苛立ちに変わるのだが、冷静でなければ大概原因にはたどり着けないのだ。 「これだけ資料があるから制作は楽なんだけど。でもなんだかなぁ」 泉は机の片隅に置かれたビデオカメラを手にした。 小型化が進むその電化製品は人の手にすっぽり収まった。 何やら笑い声が小さく聞こえてくる。 まだ変声期を終えていない、高い声だ。 「なんか違うんですか?」 写真と人形の頭部を見比べても、恭一には違いが分からなかった。 言われてみれば、確かに何かが違う気がする。 だが何かは分からない。 せっかく泉に声をかけてもらったのに、という苛立ちと焦燥感が込み上げる。 「んー、なんかね」 泉はビデオカメラを恭一に渡し、人形の額を指でそっとなぞる。 その中で少年はスキーをしていた。雪山を背景に、ぎこちない様子で滑っていく。 むしろ滑っているというより転んでいるという方が正しいだろう。 最初は楽しげに笑っていたのだが、次第にさっぱり滑ることが出来ないことに腹が立ってきたのだろう。 むっとした表情が多くなってきた。 そしてふと真顔になって、遠くを見つめた。一息入れたのだろうか。 視線の先に何があるのかは分からない。だが恭一は何かが引っかかり、その場面でカメラを止めた。 こういった家電製品は取扱説明書を読まなくても基本操作が分かるのがありがたい。 泉が触っている人形の頭部と、カメラの中にいる少年の表情見比べて、あることに気が付いた。 「少し下がり気味じゃないですか?」 「え?」 「唇の端です。この場面見ると、ほんの少し人形より下がり気味に見えませんか?」 恭一は持っているカメラを泉に見せる。 すると真剣な眼差しで数秒凝視してから「…あぁ…」と溜息のように泉が納得した声を出した。 「そうだね。写真は笑っているものばかりだから…あー、そうか」 うんうん、と頷きながら泉は人形とカメラとを何度も見比べた。 素人には決して分からない差だ。そして恭一も指摘されなければ気が付かなかった。 それほどの差異だというのに、泉はどうしても気になるのだろう。 些細なことに勘付くか、どうか。それが職人と、そうでない者を分ける。 「さすがだね!すごいよ!良かった恭一君に聞いて」 どれほどの違いなのか分かったらしい。泉はすっきりとした顔に満面の笑みを浮かべて恭一を誉める。 手放しで喜ばれ、小さな子どもであるならともかく十代になってからこれほど人に開けっぴろげに誉められることがない恭一は、くすぐったさに苦笑してしまった。 「泉さんも、たぶんじきに気が付いたと思いますよ」 「そうかな。でもこんな短時間に発見出来るなんて、僕が彼女だったら絶対結婚申し込むよ!」 結婚という単語に、恭一は持っていたカメラを落としそうになった。 「彼女が羨ましい」 泉はにこにこと彼女がいること前提に話している。 いる、などと一度も言ったことがないのに、どうして存在していることになっていのだろう。 結婚という衝撃がまだ残っている恭一は眉を寄せながら、口元を歪めた。 「いませんよ彼女なんか。いてもこんな特技喜んでもらえません」 人形を作る者でなければ、こんな特技嬉しくないだろう。そして人形を作っている若い女性に、恭一はあまり縁がない。 「そうかな。大喜びだと思うけど」 「大喜びするのは泉さんくらいですよ」 現に泉は満面の笑みを崩すことなく、人形の唇を指でなぞった。 節のある男の手だというのに、その触れ方が優しいせいか、誘っているように見えた。 錯覚だという自覚はあるのだが、動揺した心がどくりと脈打つ。 「確かに人形に興味のない子なら嬉しくないかもね。恭一君が女の子なら絶対付き合うのに」 冗談でぼろりと出た言葉だったのだろう。だが恭一はそれをとっさに掴んだ。 「女じゃなきゃ駄目ですか?」 何を聞いている。 反射的に出た問い掛けに、恭一は頭の中がさっと冷えるのを感じた。 とんでもないことを言い出しているんじゃないか。 そんな不安がちらりとよぎるが、頭とは裏腹に身体の奥は熱を持ち始めた。 「駄目って言うか」 冗談で言ったことを真面目に返され、泉は少し面食らっているようだった。 無理もないだろう。 だが不信感や、怪訝そうな表情を見せることもなく「でもなぁ」と続けた。 「僕かなりの年上だよ」 「十歳も離れてないでしょう」 「そうだけどね。恭一君年上がいいの?」 「全く。でも今までの彼女は年上が多かったです」 中学、高校と今まで付き合ってきたのは同い年か年上だ。比率的には年上が多かった。 同い年は付き合っていると、年下といる気持ちになるのだ。 恭一が多少老成しているところがあるせいだろう。 「年上好きなんだ。でも僕も年上が多かったかな」 「じゃあ年下駄目ですか?」 「全然」 妙な会話だった。 まるで告白をしているような、そして素っ気なくされるのを怖がり、すがりついているような流れだ。 だが恭一は泉に告白などしていないし、そういう対象で見ているつもりはなかった。 優しげな容貌で細身ではあるが、泉はちゃんとした男だ。女に見間違うことはない。 そして恭一に、その手の趣味は今までなかった。 一つでも多く泉に近付きたい、好かれたいという気持ちが膨らんでいるだけだ。 憧れからくるものだろう。 しかし泉がこの会話の不自然さに苦笑しているのを見ると、じくりと心臓が疼く。 熱が込み上げてきては喉元まで迫り上がる。吐き出してしまいたい、だが出てくるものが何なのか分からず、唇をきつく結んだ。 何がしたいのか自分でも分からない。 目をそらして手元のカメラを覗き込んだ。 落ち着きを失い、今一歩でも前に進むと何をするのか予測が出来ない。 どうしてこんなにも困惑しているのだろう。何かに飢えているみたいに、気持ちがぐらぐらと動いている。 少し平静さを取り戻すべきだ。 知らない少年がスキーをしている姿を再生しながら、気を散らせた。 よろよろと滑り出し、ようやく慣れたかと思った頃にまたこける。 父親と思われる人が画面の端から現れては大笑いをしながら少年を起こしていた。 「…随分、若い内に亡くなったんですね」 じゃれあいのような親子の喧嘩がカメラに流れている。この時がもう戻らないのが、もの悲しい。 関係がないというのに。 「事故らしいよ」 ある日突然奪われた命ということだろう。 泉は声のトーンを落とした。 「きっと可愛くて仕方なかったんでしょうね」 子どもそっくりの人形を頼むほど、子どもが可愛くて、愛おしくて、その喪失が大きいのだろう。 「そうだろうけど…」 泉は複雑そうな表情で息を吐いた。 物憂げに見えた。 「亡くなった人の人形を作って欲しいって人はたまにいる。でも側に置いていて辛くないのかな」 失った人の面影だけが、ずっと近くにいる。 どれほど似ていてもそれは人ではなく人形でしかない。似ていても、同じではない。 そんなことは、持ち主とて理解しているだろう。 「切ないでしょうね。でも面影だけでも求めることはあるんじゃないでしょうか。俺だったら神経が切れるんじゃないかってくらいむかつきますけど」 失った人、そう聞いて恭一が思い出すのは祖父だった。 無惨な姿にされ、犯人もまだ捕まっていない。捕まるとも思っていない。 相手は人ではないからだ。 だからと言って人形がやりました。などと警察に訴えて、取り合ってくれるとも思っていない。人形がどうやって人の首をねじるのだと聞かれるだろう。そうすれば、信じられないような話を一からしなければならない。 そしておそらくそれは、信じてもらえない。 思い出すだけで臓腑が煮える思いだった。 それだというのに、殺された祖父が近くにいれば、恭一は始終その憎悪に焼かれることになるだろう。 神経は焼き切れ、いずれ狂う。 「怒りを向ける先がある人はそうだろうね。そういう人は人形を求めない」 泉は人形の顔から手を離し、写真を一枚摘んだ。 「この子の両親は、この子を取り戻したいらしいんだ。うちで人形を作ったら、魂が宿らないかって。人形には魂なんて宿りませんよってお決まりの台詞で断っても納得してくれないみたいで。まぁここまではみんなそうなんだけど」 どの客であっても「魂」の話を出せば、泉は「そんなものは宿らない」と否定するらしい。 魂など気が遠くなるような年月と手間をかけなければ宿らないのだから、そう答えるのも無理はないだろう。 恭一でも真顔でそう答えるだろう。 「奇跡でも起こって、っていう前提で話を進めたんだけど。もし人形に魂が宿ったとしてもお子さんのものではありません。何十年も大切に可愛がって、奇跡的に宿るのは全く新しい魂でお子さんじゃない。人形は人間になることは出来ません」 泉は説明している時の記憶を蘇らせているのだろう。 両親に話すように、写真に語りかけている。 「そう言ったんだけどねぇ…」 表情を曇らせ、泉は写真を机に置いた。 「魂を呼べないかって聞かれて、正直困ったよ」 「…魂を呼ぶって」 人形はそういった「魂の入れ物」にされる場合もある。 儀式などにも使用するが、一時のものでありすぐに消される。 入れ物にされる人形も特別な材質で作られる上に、呼ばれる魂も常人とは違う場合が多い。 まして一人の少年の魂を呼んで人形に定着させ、暮らしていこうというのは無理がある。 「うちはそういうことはしてないし。亡くなった人を呼ぶなんて無理だって言ったんだけど」 「諦めなかったんですか?」 「…そうですかって言ったけどあれはどう見ても納得してなかっただろうなぁ」 泉は気が重いようだった。 「そっくりな人形を見れば、益々そう願うかも知れませんね」 不可能だというのに、叶わない願いをさらに強く抱くかも知れない。 無邪気に笑う少年の写真に、恭一も胸が塞がる思いだった。 「良くないんだけどね、そんな思いは。魂が宿ったとしても、人形はどれだけ努力しても人間にはなれない」 そして、人間になれないことに両親は悲しむだろう。 「双方辛いだけだよ」 人形師は手がけている人形の今後、そして持ち主になる予定の人間を思って溜息をついた。 仕事で作っているのならば、そんなことは気にするべきことではないだろうが。 簡単に割り切れないのだろう。 「でも、本当に魂は呼べないんですかね。イタコとかいるじゃないですか」 素朴な疑問を口にする恭一に泉は唸る。 「奇跡的なことだと思うけど…よっぽど実力のあるイタコと、かなりの偶然が重なればあるかも知れないけど。でも…呼べたとしてもなぁ…」 泉は金の髪をくしゃと乱し、物憂げな表情で写真を見下ろした。 次 |