連なるようにして走行していた車は、一軒の家の駐車スペースで止まった。 砂利が敷かれているその場所は丁度二台ほどの空間しかなかった。 「駐車もすんなりやるなんて、ホントは無免で乗り回してたんじゃない?」 泉は車から下りて、駐車スペースの端に置かれている照明に照らされた恭一の顔に笑いかけた。 「乗ってませんよ。四月に免許取ってから毎日のように乗ってるだけです」 「車好きなの?」 「面白いから、好きですよ」 「高校生の口から車が面白いって…うーん、やっぱり微妙だなぁ」 泉はスーツケースを後部座席から出す。 助手席からは蜜那が降りてきた。自分でドアを開けて、人間と変わりないなめらかな動きで砂利を踏む。 「泉さんは無免で乗ってたんでしょう?楽しかったからじゃないんですか?」 「うん、楽しかったね。でも自分が年取ってから君みたいな若い子にそう言われると複雑だよ〜」 「若い子って…。泉さんも若いでしょうが」 黒が基調になっている服装の恭一より、泉のほうが見た目に関しての若さはあるだろう。 「身体はぼろぼろだよ」 あはは、と乾いた笑いを零しながら、泉はスーツケースを蜜那に渡す。そして腰にぶら下がっていた鎖を手に取り、そこに付けていた鍵を取って渡した。 「先帰っといて。それは後で始末するから」 指示されると蜜那は頷き、駐車スペースから歩いていく。 「さすが、ですね。人の命令までちゃんと理解する」 「魂があったらあれくらい簡単だよ。さてと、僕らが行く家はこっち」 泉は蜜那が歩いた方向とは逆に向かった。 駐車スペースのすぐ隣、和屋敷のような趣のある家の門を開け、庭を横目に玄関へと足を踏み入れた。 夜なのでよく見えないが、庭はかなりの大きさがありそうだった。 水の流れる音が聞こえてくる。池などがあるのだろう。 「こっちが応接用の家。昔はおっきかったんだけどね、セキュリティの問題があるだろ?もう人も雇ってないし、弟子も取ってない。じーちゃんの代のお弟子さんが近くでやってるから、それに何やかんや援助してるくらいなんだよ」 泉は玄関を開けながら、説明をした。恭一から出てくるだろう質問を先に答えているようだった。 「次の跡継ぎはどうするんですか?」 「どっかから拾ってくるよ」 は?と恭一が耳を疑っている間に、泉は引き戸の玄関をがらがらと開けた。 すると家の電気がぱっと付く。泉が玄関に入る前に、だ。 「おかえりなさいませ」 そこには一人の女が立っていた。 朝顔が書かれた藍色の浴衣、一つにくくり団子に結った髪。にっこりと愛らしく微笑む様は少女そのものだが、やはり手首や指、関節には線が見えた。 彼女もまた、人形なのだ。 「ただいま〜。今からちょっとお話するんだよ」 泉は上着をしっかり肩にかけ直し、ポケットに入れていた丸眼鏡を取りだした。 薄いオレンジ色をしたレンズのそれをかけてから恭一を振り返る。 「どうぞ」 何故家に帰って眼鏡なんだろう。暗がりのほうが視界が悪いだろうに。そんな疑問を抱きながらも恭一は頭を下げて玄関に上がった。 「あの、小桃さんですよね」 恭一がそう尋ねると、小桃と呼ばれた人形はゆっくりと首を傾げた。 そして「あ」と声を上げる。表情は少ししか変わらないが、驚いたらしい。 「篠倉さんのお孫さんですか?」 「なんだー、小桃も知ってるんだ」 泉が意外そうに二人を交互に見た。 「はい。去年お世話になった時にお顔を拝見致しました。他の方の補修をされていて、とってもお上手なんですよ」 両手を胸の前で合わせて、小桃は微笑んだ。古風な仕草がとてもよく似合う。 泉は「あー、なるほど」と頷いては廊下を歩き始めた。 「こっちだよ」 玄関から入ってすぐ右にある障子を開け、泉は手招いた。年代を感じさせる和の家に、鎖はじゃらじゃ付ける、ジーンズは中華風の柄がついている、上着は黒地にうっすらと幾何学模様が所々に入っているという泉の格好はかなり浮いていた。 小桃と並んでいると異様なくらいだ。 「失礼します」 恭一が座敷に入ると、そこには木目の美しい座卓が一つ置かれていた。 泉がゆっくりと庭に面した障子を開けると涼しげな風が入ってきた。 「クーラー欲しい?これくらいなら冷房なしでも大丈夫かと思ったんだけど」 「このままで」 「じゃ、どうぞ」 勧められ座卓の前に座ると、ちりんと深みのある風鈴の音が聞こえた。部屋からもれる光に照らされた庭は手入れが行き届き、芙蓉の花が咲いている。他にも様々な花や、庭木が植わっている。 花や木が好きな人、もしくは人形がいるのだろう、そう思わせるような空間だった。 「失礼致します」 開け放ったままの襖の前に座り、小桃が声をかけた。茶を運んできたのだ。 「冷たい緑茶でよろしかったですか?」 お盆を持ち、座卓に奥前に恭一に尋ねる。 「ありがとうございます」 恭一が会釈すると小桃は淡く浮かべていた笑みをさらに深いものにした。 穏やかな微笑に、感心してしまう。 「人のようですね」 小桃が立ち去ってから、恭一はそう零した。 身のこなしも、喋り方も、表情も、人と変わりがない。 実際に何度か見ているが、こうも近くで観察するとやはり驚きが込み上げた。 「曾祖父の代からいる子だからね。魂が宿ってから随分長いから人間みたいだろ?」 泉は緑茶を飲みながら、のほほんと語った。 「長いと人間らしくなるみたいですね。紅は人そのものに見えました」 祖父が補修をしている傍らで見ていることしか出来なかった美しい人形。 触れてみたいと思いながら、あまりにもその顔、姿が完成されていて触れてはいけない気がしていた。神聖さすら漂うほどの優麗さを紅は持っていた。 「あれは特別。何度も身体の部位の取り替えや補修を繰り返して二百年はいるからね」 「それだけ意志も強い」 「そう」 泉は丸眼鏡をかけ直した。 穏和そうな顔立ちにその丸いレンズは愛嬌を付け加えていた。だが表情はけして柔らかいだけではなかった。 しっかりとした確固たるものを感じさせる眼差しが、そこには宿っている。 「人を殺す人形と聞いていましたが、随分優しい顔をしていましたね。俺には話かけてくれませんでしたが、祖父とはたまに一言二言喋っていたそうです」 「うちの人形は人見知りするんだよ。お祖父さんとは付き合いが長いから喋ったんだろうね」 人見知りをする人形。朝日奈が作る人形は魂を宿す器だけあって、動けない、喋ることも出来ない人形であっても、持つ人間によってどことなく表情が違う。 まして魂を宿した人形であるなら、人見知りくらいはするだろう。 人がするように。 恭一はグラスを握り、深呼吸をした。 遠回しの会話をしても泉は語らないだろう。 直接ぶつけなければらちが空かない。 紅の名前を出してしまうと、もう疑惑についての抑えが効かなくなった。 「…紅は何処に?」 ぶつけられた問い掛けに、泉は目を伏せた。 すっと表情を消し、口を閉ざす。 冷たさすら感じられる表情を見つめ、恭一は掌に汗が滲むのを感じた。 彼の答えが、自分の考えを大きく左右するのだ。 ちりん…風鈴がまた一つ、響く。 「さぁ…でももう戻って来ないだろうね」 はぐらかすような曖昧な答えに、恭一はグラスを握る力を強めた。 「どうして」 「…君もお祖父さんを失って、これに深く関わりがあるから話すけど、彼女は殺されたよ。内を開かれ、その構造を見られた」 はぁ…と重々しい溜息をつきながら泉は呟いた。そして唇の端を噛むのが見て取れた。 「中を開くと魂を失うっていうのは、本当だったんですね」 朝日奈からやってくる人形はけして中を開いてはいけない。 それは鉄則だった。けしてやってはいけない、もしそんなことをすれば二度と家にはいられない。それどころか処罰を受けることになっていた。処罰の内容は、人道を欠くような内容だった。 そこまで頑なに守らなければならない理由は「魂を失うからだ」とは聞いていた。 だが中にはすでに解体されてやってくる人形もいたのだ。関節ごとにわけられた人形の魂が失われず、何故勝手に胴体や頭部を開けただけで魂が失われるのか、恭一には分からなかった。 「本当だよ。人だって素人に身体を開かれたら大抵死ぬだろ?まして無断で身体を切り開かれれば、その瞬間に正気を保っていられるはずがない。人形の魂は人よりも繊細なんだ」 泉は眉を微かに寄せ、忌々しそうに説明した。 それなのに、誰かが紅の身体を開いた。 その事実が彼を苛立たせている。 「どうしてそんなことを…。紅は価値がありますが解体する必要性が分からない。内部構造を知りたいという欲求はあるでしょうが」 紅が壊れれば意味が…と続けて恭一はあることを思い出した。 出来の悪い模造だよ。そう冷淡に泉が投げた言葉だ。 「もしかして、さっきの…」 暗がりで、髪が横顔にかかっていたせいもあり、はっきりとした顔立ちは見ていない。 だが体格は似ていたかも知れない。 そして、模造ということは。 「らしいね。もっとも、解体した時点で紅は崩壊する。正確な構造を確認することは出来ない。そのあたりは向こうの人間も想像なんかでおぎなったみたいだけど」 泉はまた緑茶を一口飲むと、今度はいささか乱暴に座卓に置いた。 怒りが抑えられないらしい。 無理もないだろう。僅かな時間、しかも眺めることしか出来なかった恭一でさえも紅の喪失を痛んでいるというのに、持ち主である泉が痛み、憤らないはずがない。 目が据わり始める。 「何のために」 紅を壊してまだ模造をするくらいならば、朝日奈に頼んで作ってもらえばすむだろう。 値段はかなり高額だが、紅の模造を作ったとしてもかなりの金は必要になる。 質の良い、そして魂が欲しいと思うのなら朝日奈に頼んだほうがずっと良い。 「人を殺しているそうだよ。その人形たちは」 恭一はグラスを手放し、拳を握った。座卓を叩きそうになったが泉の手前自分を抑えた。 繋がった。 疑惑はさらりと灰のように消え、残ったのは憎悪のような激怒。 視界が一気にクリアになった感覚に、頭の芯がかっと熱くなった。 「…失礼ですが、俺は紅が人を襲っているんじゃないかと思ってました。人では出来ないことを紅ならやれると思って…」 怒りで語尾が微かに震える声で、恭一は疑惑を話した。 それに泉は目を伏せ、苦笑した。 「そう思っていると、思った。だから連れてきたんだよ」 「違ったんですね」 「紅は人を殺さない。持ち主の命令なしでは。そして今彼女に命令出来るのは僕だけだ」 僕は人を殺す必要がない。 泉は陰鬱な表情で零した。 「…ですが、いくら模造したとしてもあれだけ自ら動くでしょうか。何か霊的なものでは入っているのでしょうか」 人形に霊的なものが宿り動くというのはよく聞くことであり、また見たこともある。 だがどれもぎこちなく、僅かに動くだけだった。人を襲うなんて高度な動きが出来るとは到底思えない。 しかし恭一にはそれ以外思いつくことがなかった。 「入ってないよ」 泉はその疑問にあっさりと答え、上着のポケットから何やら破片を取り出した。 掌半分ほどの大きさをした卵色のそれには、何やら文字のようなものが書かれていた。 こつ、と硬質な音を立てて座卓に置かれる。 「あの人形の破片だよ」 「…古文みたいですけど…」 流れるような文字が途切れることなく連なっている。漢字なのか、仮名なのか、それすら分からない。いつの時代なのか、それ以前に日本語なのかすらあやしいところだった。 「この手に詳しい人に調べてもらったら、霊的なものじゃなく、意志の一部を人形に定着させるためのものらしい」 「意志の一部?」 「生きている人間の意志をここに定着させているんだよ。つまりあの人形は自ら動いているわけではなく、誰かの意志を埋め込まれて、それに従い動いている。操り人形ってわけだね」 糸ではなく、意志という無形のものを使って操られている人形。 「…可能、なんですか?」 人形にそんなものを定着させられるということ自体、恭一には初耳だった。だがもしも、意志というものを入れて動かそうと思えば、朝日奈の人形を真っ先に狙うだろう。 元々、魂を持って動くだろうということを前提にされている人形だ。 操るには最適だろう。 見たところ他の作り手による人形と性能自体は大差がないとしても、動かすならば朝日奈を。と思うのが自然だ。 「ただの人間には無理らしい。よほど特殊な人間がやっているんだろうね」 吐き気がする。泉はそう呟いた。 出逢った時に聞いていた、明るく穏やかな声音からは想像も出来ない、苦渋と忌々しさに満ちた声だった。 「勝手に紅を破壊し、殺人人形を作って人を殺したがっている人がいる。ということだね」 ちりん、と心を静めるかのような心地良い風鈴の音色に混ざって、泉の声は氷のようで、同時に灼熱のようだった。 次 |