座敷で烏龍茶の入ったグラス片手に、恭一は挑むような目で泉を見ていた。
「気が済みません」
 強い口調に、泉は肩をすくめる。
 薄緑の丸いレンズの奥にある目は視線を逸らして庭を眺めていた。
 所々跳ねさせている金に近い茶色の髪は、日に当たると更に薄い色に見えた。
 耳のピアスがキラリと輝く。左耳に三つあるピアスの一つはクロスだ。他は小さくてどんな石なのか分からない。
 右も同じクロスがぶら下がっている。
 首にかけられている鎖もクロスなので、今日は十字架を身につける気分らしい。
 いつもと同じで、指と手首には何もつけていない。
 作業するのに邪魔なのだろう。
「と言われてもね」
 風鈴を取り外した縁側に何があるというのか、泉はずっと外を見ている。
 きっとこの会話をしたくないという意思表示なのだろう。
 返事にやる気が感じられなかった。
「前日にも出ましたね。あれも人形でしょう?」
 恭一はグラスを置き、詰問するように尋ねた。
 いびつな殺され方をした死体が見つかった。
 それは一ヶ月ほど前、泉が壊した人形が人を殺したやり方と酷似しているように思われた。
 一般には何の情報も流れていない。また異常殺人者がやっているのだろう。という見解だ。
 だが一度人を襲う人形というのを目の前にした恭一には、そんな情報は何の価値もなかった。
 あれは、人がやったものではない。
 まるで雑巾でも絞るかのように人間の首をねじる。力任せに腕を引っ張りちぎる。そんなことが人間に出来るはずがないのだ。
「さぁ…どうかな」
 泉は烏龍茶を一口飲み、どうでもいいことのように答える。
 だが恭一はまだ食いついた。
 嫌がられることは承知の内だ。
「前のものと手口が似ています。泉さん、出るんでしょう?」
 異様なまでの感心を示す恭一に、泉は溜息をついた。
 そして渋々というように視線を恭一に戻す。
「恭一君ねぇ、そういう危ないことに手を出しちゃ駄目だよ」
 子どもに言い聞かせるような口調だが、見たところ恭一と泉にはそれほど年の差があるように見えなかった。
 落ち着いた物腰の恭一が十八という実年齢より上に見えるのもあるが、一見軽そうな見た目をしている泉が二十を二つか三つ出たくらいにしか思えないという理由もあった。
 年上の威厳というものを出せずにいる泉に、恭一は小さく苦笑した。
 大人びた表情がさらに年を誤魔化す。
「動かずにいられないもので」
「気持ちは分かるけどね、危ないから」
「危ないのは泉さんもでしょう」
 グラス置きながら泉は微笑む。一見軽薄そうに見える格好をしているのがその顔立ちは柔和で、微笑を浮かべると優しげな雰囲気になる。
「僕は蜜那がやってくれるから。でも君を連れていってもし万が一何かあったらどうするの。跡継ぎでしょうが」
 篠倉という人形に携わっている家の跡継ぎは、現在高校生の恭一だった。
 あまりにも若いという周囲の意見があったのだが、先代は何者かに殺されるという予測もできない事態になり、突然空白になってしまったということ。そして恭一の父には才能がなく現在人形とは関係のない仕事をしているということ。
 そして何より、現在篠倉で最も技量があるのが恭一だということが、跡継ぎを決めた。
 お披露目という身内と関係者の一部だけで開かれる飲み会のようなものには泉も出席し、恭一に祝いの言葉を述べては大袈裟なほど喜んでいた。
 出席者の中では明らかに若い部類に入る泉だが、他の者に追随を許さない人形師であるため一目を置かれている。
 元々、朝日奈の人間は特別視されているのだが。
「泉さんのほうが万が一なんてことがあったらどうするんですか。跡継ぎがいないのに、弟子もいないんでしょう?」
 朝日奈は先代から弟子を取らなくなった。
 泉の父が、人にものを教えることなど出来ない。と言って弟子を持つことを拒否したらしい。
 泉もまた弟子を取る様子はないようだった。
「だって弟子だよ?人形をどう作るか教えなきゃいけないんだよ?僕人形の作り方なんか知らないよ。人形に聞いてやってるだけなんだから」と天才肌丸出しの答えを恭一は聞いていた。
 それが本音なのだから、どうしようもない。
「教室の方が引き継ぐんですか?腕が違いすぎますよ?」
 泉の祖父、二代前の当主は弟子を取っていた。その内の一人が現在この近くで人形教室をやっているというのだ。
「教室の人じゃ朝日奈の人形を作れないよ。大丈夫、僕がいなくなったら拾って来てくれるから」
 泉はさらりと言った。
 まるで犬か猫のように言われ、恭一は苦笑する。
「誰が拾ってくるんですか。泉さんがいないっていうのに」
 後継者を選ぶとしても、選ぶべき人間がいなくているというのに次も何もない。
「人形が拾って来てくれるよ」
 誰、という指定もなく泉はそう言った。
「人形って」
 どういうことだろう。恭一は内心首を傾げる。
 泉と話していると時折理解出来ないことがある。会話に齟齬があるような、または恭一の知らないことが隠されているような。
 冗談のような雰囲気で言われているので尋ねても泉は大概曖昧な答えで、明確なことを教えてくれない。
 本当に冗談のようなものなのか、それとも深い意味があるのか、それすら恭一には計りかねた。
「紅、じゃないですよね」
 だが毎回本気に取って、自分なりに考える。
 気になればとことん追っていく性質のせいだろう。
 後継者を決められるほど重要な役割を担っている人形。長い年月を過ごした、朝日奈の宝と呼べる人形は去年奪われて破壊された。
 それならば、と恭一は思考をぐるぐる回転させる。
「じゃあ……姫?」
 記憶の片隅に引っかかっていた名前を出すと、泉の笑みが消えた。
 真顔になり、恭一の顔を凝視する。
 何かしらの表情をいつも浮かべているので、そうして無表情になられると異様なオーラが漂ってくる。
 「まずいことを言ったんだろうか」と恭一は気まずさを覚えたが泉は眼鏡を押し上げて「うーん」と表情を崩して唸った。
 何か考えているような素振りだ。
 表情が戻ると、ほっとしてしまう。
「姫を知ってるの?」
「じーさんが…そういう人形がいるって」
 紅が何者かに奪われた際、殺された祖父はずっと朝日奈と交流を持ってきた。長年築き上げてきた家同士の繋がりを保ち続けていたのだ。
 その祖父が恭一の幼い頃にぽろりと何気なく言っていたのだ。
 姫、という名前を持った人形のことを。
「そういうって?」
 泉は恭一が持っている情報を知りたがっているようだった。
 口元にはいつもの笑みが浮かんでいるが、眼差しは真剣だ。
「古くて、特別な人形がいると聞きました。それ以上詳しいことは何も」
 恭一が素直に答えると、泉はまた「うーん」と唸った。
「あの人は見たのかな。どうだろう」
 見たらまずいものなんですか?と恭一は尋ねようとしたが、答えは分かり切っている。
 まずいのだ。
 泉は見られたくないと思っているだろう。だからこんなにも慎重に恭一の言葉を聞いては唸っている。
 自分から詳しいことは何も提供せず、恭一の知っている情報のみを把握しようとしている。
「紅と並ぶほどの人形だということは聞いてますけど」
 泉の態度に、恭一は姫という人形に対して強く興味を惹かれた。
 一目で魅入られたあの紅と並ぶほどの人形。そして、泉がこんなにも大切にしている特別な存在。
 それはどんな人形なのだろう。
「まぁ、その人形が次の朝日奈を拾ってくるから大丈夫」
 恭一の関心をさらりと無視し、泉は会話を戻した。
 答えたくないことには答えない。それは泉の一貫した姿勢だった。
 子どもは知らなくていい。という態度であるなら反感を覚えるのだが、それは誰に対しても答える気はない、というものだった。
 以前祖父に同じ態度を取っていたのを見たことがある。
 見た目とノリに反して、口は軽くないのだ。
 この人形に関しては、また別の機会に切り出そう。恭一は落胆を覚えながらも一端諦める。
「…泉さん、俺は泉さんの作る人形が好きなんです。他の朝日奈の作品も素晴らしいと思いますけど、でもやっぱり泉さんの人形が一番好きなんです」
 お世辞ではなく本心だった。
 優しげな顔立ちの中に、強い意志と凛然とした眼差しを持つ泉の人形は、恭一を惹きつけて止まなかった。
 先代の人形も息を飲むほどの美しさだ。その前の当主の人形も見ているだけで笑みが零れるほど柔らかな表情をしている。どの朝日奈の人形も、極上であることに変わりはない。
 だが人に好みがあるように、恭一の心を最も奪ったのは泉の人形だったのだ。
 そして人形の魅力は、泉本人にもある魅力ではないだろうかと最近気が付いた。
 優しげな顔をしているが、時折強い眼差しをすることがある。まるで研磨した鉱石のような強さだ。
 それはおおむね人形に関する時に見られた。
 人形とともに生きている、そんな職人の姿勢もまた恭一が親しみ尊敬を抱く理由だった。
「嬉しいこと言ってくれるね」
 冗談でもお世辞でもないということを感じ取ったのか、泉がくすぐったそうに笑う。
「だから」
「でも君を同行させる理由はないよ」
 恭一を遮るようにして、泉は言う。きっぱりとした口調だ。
「空手とかやってるんで強いですよ」
 人形に携わっている家の人間には必要ないだろうと思われるような武術を、恭一は好んでやっていた。
 小さな頃には日々鍛錬で青あざが身体のあちこちに作られていた。
 精神鍛錬にも良いだろう。という理由で祖父に勧められたのがきっかけだった。
「人形相手に人間がかなうものじゃないよ。諦めなさい」
 なかなか引き下がらない恭一に、泉はそう斬り捨てた。
 だらだらと続けていたけど、もうこれ以上話しても無駄だ。そう言うように厳しさを混ぜた声だった。
 とりつく島を完全に撤去した泉は、息を吐いて目を伏せた。
「君まで失うことになれば、篠倉に顔向けが出来ないよ」
 祖父の葬式に見た痛ましさが蘇ってくるようだった。
 肩を落とし悲愴な面もちで寒空に立ち尽くした、あの時と同じだ。
 その痛みを恭一もまた味わった。そして今も生々しく蘇ってくる。
 だが同時に込み上げてくるのはマグマのようにどろどろとした高熱の憤りだ。
 祖父を殺した者に対する、抑えきれない怒り。
 それ故に、恭一はあの人形を追うことを止められなかった。
 泉の表情にじくりと後ろめたさのようなものを抱きながら、恭一はグラスに唇を付けた。



 


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