真夜中に、スーツケースを転がしながら人気のない場所を歩いていた。
 泉は結局今回の依頼を受けることにしたらしい。
 あれだけ不安がっていたのに、と恭一は意外に感じたが、緋旺の能力は自分たちが考えている以上のものかも知れないという一言に、黙った。
 きっと泉だけが感じることの出来る何かが、不安を押し退けたのだろう。
 取り壊しが決定になっている大型の建物を横手に、道路を歩く。
 道路と言っても、すでに二十分歩いているが一台も車が通っていない。
 人形はいつも、人のいないところばかりに出没する。その姿を秘めるかのようだ。
 そのくせ、人を殺している。
 目的が何なのか、未だに掴めずにいた。
「壊しづらいですね」
 恭一が喋ると、静けさの中に響いた。
 外灯が点在している中、足音が規則正しく並ぶ。
「前は壊した瞬間に、あんな仕掛けが出てきたし」
 不意を付かれ、蜜那は破壊された。
 今回もどんな仕掛けを内に隠して、人形がやってくることか。
「前は、胸部に肋骨のようなもので仕掛けがしてあったから。出来るだけ胴体を破壊するのは止めようと思う」
 まるで食虫植物の一種を彷彿とさせるように、模造人形の胸は肋骨のような鋭いもので蜜那の身体を捕らえた。
 グロテスクなあの光景は、恭一の脳裏に焼き付いている。
「どこをどう壊すか、だけど。確実なのは頭部だろうね」
「頭部ですか」
 これまでも模造を破壊する際、頭を踏み壊していた。
 顔の造作が似ていることが許せないのだと思っていたが、また別に理由があるようだ。
「人形は人の形という名の通り、人体を真似た構造をしている。そのせいで作り手である人間の意識が強く反映しているはずだ。人が頭を砕かれれば確実に死ぬように、人形にも崩壊という概念が多少なりとも植え付けられていると思うよ」
 泉は柔和な顔立ちを堅くして、淡々と語った。
 見た目はいつも通り軽い感じの服装をしているというのに、口から出てくるのは真面目な言葉ばかりなのだ。
「それに、個人を特定する時でもみんなまずは顔を見るだろ?腕や手を見て誰かを判断することも出来るけど、一番早くて簡単なのは顔だ。みんな違っている上に、少しのことで違いがはっきり出てくる」
 眉の形、目の形がほんの少し異なるだけで、人の印象はがらりと変わる。
 女性が整形を望む理由も、その辺りにあるのだろう。
 恭一は自分の顔自体にはあまり興味はないが、人形の顔と向かい合っている時はそれを強く思う。
 ほんの少し、たとえば紅の色を変えただけでも人形は持つ雰囲気を変えてしまうのだ。
「人形が最も矜持を持つのも顔。それを破壊すると、人形は自身を保っていられなくなる」
 個人というものを失ってしまうんだよ。と泉は冷静に説明してくれる。
 それだけ人形の心境に詳しいのは、彼が蜜那と繋がっていたからか、それとも魂ある人形たちに囲まれて育ったせいだろうか。
 どちらにせよ、羨ましい。
 恭一はそこまで人形に近付くことは出来ない。
「その中でも特に大切なのは、目だろうね」
 泉は丸眼鏡をつけていない。夜に色が入った眼鏡をするのは危ないということもあるが、右と左で僅かに異なる色を持つ瞳を、人目から隠す必要がないからだろう。
 今は間近で見てもあまり差異のない瞳だが、蜜那の時はやはりまじまじと見ていると色が違うということが分かった。
 だから丸眼鏡が必須なのだ。
「泉が緋旺と繋がっているみたいに。他の人形にとっても目は大切なんですか?」
「大切だよ。外界と一番強く繋がっているのが視覚だからね。人形には味覚も痛覚もない。触覚と嗅覚もとても曖昧なんだ。その中で人間と同等に感じられるのが聴覚と視覚」
 触覚は、物を握る際に力の加減が出来る程度の感覚しかいなようだ。
 表面がざらざらしている、しっとりしている、などの細かなところまでは把握出来ないにしい。嗅覚にいたっては焦げている匂いくらいしか分からない。そう蜜那が言っていた。
 人間と同じ姿をしていても、感じている世界は大きく異なるようだ。
「聴覚と視覚だったら、恭一君はどっちを優先してる?」
 泉は傍らにいる恭一を見て、ようやく表情を和らげた。
 前を見ている時は厳しかったそれが柔らかくなったことに、恭一は自然と微笑み返していた。
 だが二人の空気はぴんっと糸が張ったような緊張があった。
「視覚ですね。人間は視覚に頼る生き物らしいです」
「だね。だから顔の中でも目を破壊するようにしている」
 自分と人形が意識を分け合うために、架け橋となっている瞳を。
 泉は模造破壊において重視している。
 それは怒りの現れのようにも見えた。
「頭部だけを破壊した場合でも、何か仕掛けみたいなのはあるんでしょうか」
 前回は胴体だったが、今回はどうなるか。
 もし頭部を破壊した際に動き仕掛けがあるとすれば、どんなものなのか。
「それは分からない。でも黙ってじっとしてるわけにはいかないから」
 泉は苦笑する。
 その手が引いている大きな黒いスーツケースの中に眠る人形が、怯えていることを許さない。
 以前もこうして二人で歩いていた。あの時は蜜那だったが、状況はあまり変わらない。
 そのことに、恭一は前々から疑問を抱いていた。
「それにしても、出現地っていつもこれくらいの距離ですよね」
「うちから車で約一時間以内、だね」
 移動に何時間もかかるような場所に、模造が現れたことはなかった。
 必ず約一時間以内の場所に出現するのだ。
 まるでこちらのことを考えているかのようだった。
「しかも我が家が中心になってる」
 泉に言われ、恭一は今まで模造が現れた場所を脳内の地図にマークする。すると言われた通り、泉の自宅が中心と言われてもおかしくないような形になった。
 近すぎず、離れすぎず、ある一定のに距離を保って現れている。
「目的は…泉さんですか?」
 考えたことがないわけではない。
 朝日奈の傑作である紅を奪い去った者だ。唯一残っている朝日奈である泉に興味を示すこともあるだろうと思っていた。
 だが実際にその考えが現実味を帯びてくると、恐ろしくなる。
 模造の能力は人間では太刀打ちできないものだ。緋旺が守ってくれるだろうが、それにしても隙が出来ないという確証はない。
 もし本当にこの人が狙われているとすれば。
(冗談じゃない…)
 祖父を殺し、紅を奪ったというのに、この上泉まで奪おうというのか。
 ぎりと奥歯を噛んだ。そうでなければ何かに八つ当たりをしてしまいそうだった。
「その割りに接触がないと思わない?」
 怒気を隠しもしない恭一に、泉は大丈夫だというように笑みを零す。
 元々優しげな顔立ちが、笑むとさらに穏やかに見えた。
「目的は、僕というより人形との接触じゃないかな」
「人形?」
「僕の作る、人形だよ。特に蜜那や緋旺のような人形」
 戦うことの出来る人形と、戦うことの出来る模造。その二つを接触させているかのようだと泉は言った。
「戦わせたいみたいだ」
 紅は、初めは人を殺すために作られたからくり人形だった。主のために、確実に人を殺すための術を持ち作られた。
 それを奪っていった者だ。きっと人を殺したいのだと恭一は考えていた。
 現に人を殺していると、荻野目から話がきている。
 だが目的は人殺しではなく、泉の作る人形と戦うことだとするのなら。
「何のために?」
「…より完成された人形のために」
 恭一に問いに、泉は小さく呟いた。
 その声には激情が籠もっているようだった。時折見せる泉の怒気だ。
 模造に対して見せる、決して収まることのない怒りだ。普段は怒りらしいものを露わにしないだけに、激しく響いてくる。
「あの模造をより完成度の高いものにするために、こんなことをしているのかもね。そして僕らは実験材料なのかも知れない」
 もしそうだとすれば。
 呆れ返るほど、馬鹿馬鹿しい。
 泉が作り出す人形よりも完成されたもの、尊いものを作りたいなど恭一には信じられないことだ。
 魂の宿る人形など、他の人間には出来ない。どこをどう真似ても無理だ。
 泉に会う前なら、朝日奈に並ぶ人形をと望む人を暖かい目で見守ったことだろう。けれど今は複雑な心境になる。
 努力してどうにかなる者ではない。以前泉に聞いた、朝日奈の後継者は人形が決めるという話を耳にしてから、才能だけでも届かない人々なのだと気が付いた。
 それはもう、宿命に近い。
 人形に選ばれた者だけが、作り出せる特別なものなのだ。
 天才も、秀才も、まして凡人などが到達出来るものではない。
「まさか」
 恭一は呆れながら肩をすくめた。
 それが事実なら哀れみに近い感情が生まれてくることだろう。
「まぁ、本当にそんなことを考えるかどうかはともかく、僕の人形と戦いたいのは変わらないみたいだ」
 泉は遠くを凝視した。
 外灯に照らされた、曖昧な人影。
 こつりこりつと硬質な足音。こんなところを歩く一般人というのもいないだろう。
 紅を模造した、人形だ。
「毎回、こうして向こうからやって来る。まるで探してたみたいだ」
 泉はスーツケースに手をかける。開閉のスイッチを押すと、ゆったりとした動きで緋旺が起きあがった。
 漆黒の髪は夜にとけていくようだった。耳から上の髪は後頭部で一つにくくっている。その部分だけ肩胛骨に届くほど長い。他は肩より少し伸びている程度だった。
 いつ見ても独特の髪型だ。
 服装は作業場にいる時と変わらず、金と緋で刺繍されて彼岸花が映えている。
 アスファルトに立つと、緋旺は人形らしき影を睨み付けた。
 泉と恭一の間では、とても小柄な体格が強調されているはずだ。けれど圧倒するほどの存在感と、恭一の肺を圧迫するような怒気がびりびりと伝わってくる。
 泉よりも強く、そして激しく、緋旺は憤っていた。
「緋旺」
 触れることすら躊躇うほどの怒りを滲ませている少女とは反対に、泉は不安を見せた。
 揺れる声を聞き、緋旺は作り手を見上げる。
「私があんなものに倒されると思う?」
 聞きようによって傲慢に聞こえるような口調だ。
 けれど他を圧する空気を持った緋旺が口にすると、ごく当たり前のように聞こえる。
「思わない」
 表情を曇らせたまま、泉は断言した。それは愛情からか、それとも冷静な判断によるものか。どちらでもあるような気がした。
「なら、貴方はここで見ていて。自分が何を生み出したのか、不安を抱く必要があるのか」
 瞳を繋げている緋旺は静かに告げ、歩き始めた。
 間接のぎこちなさはまだ残っている。
 だが三日前に恭一が見た時よりも滑らかになっていた。
「…怖いな、あの子は」
 たった三日間で明らかな変化を遂げてしまうなんて。
 人形は誇りを命としている。だからといって、その誇りが身体にまで影響するなんて。
「怖いよ。でも、美しい」
 泉は小さな背中を見つめ、そう口にした。
 その存在の在り方は、人よりも美しい。



 


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