『路上2 検編』



「やあ、十分ぶり〜」
 早瀬は告白をしたにも関わらず、やはり気怠い感じを漂わせつつやってくる。
 煙草吸ってくる。と言って車から下りた早瀬とは違い、俺はずっと車に寄りかかっていた。
 随分寒い空の下で「教官に、しかも男に告られるってどうよ」と思い続けた。
 だがどれだけ考えてもたった十分で何かが分かるはずもなく「気持ち悪い」と吐き捨てればいいところを、そんなタイミングも、気持ちも逃してしまっていた。
 第一、初路上でいっぱいいっぱいになっているやつに何を言ったところで「は!?ちょ、そんなのどうでもいいからちゃんと運転監視してくれよ!」というところだ。
「どうも。十分ぶりです」
 態度を変えるというのもおかしい気がして、前と、それこそ十分前と変わりなく接する。
 今から動揺してたら、この後路上に出る時苦労しそうだ。
 なんせ、二人きりなんだから。
「んじゃ車移動させよっか」
「路上じゃなくて?」
 このまま運転席に乗って路上に行くものだとばかり思っていたのに、早瀬が運転席に乗ってしまった。
「うん。悪いんだけどさ、この時間まだ車の点検やるんだよね」
「点検って、一時間でどっかおかしくなってたら、俺のせいじゃないですか!」
「うん。間違いなく香坂君のせいだね。やー、困った困った。責任逃れ出来ないね」
「早瀬さんのせいにしますから!教習生のやったことは教官の責任でしょう?」
「えー、やだなぁ。俺そういう責任は負いたくない」
 へらへらと早瀬は言う。責任感とかあんのか!?と言いたくなるくらいだ。
「他に何の責任があるって言うんですか!」
 教官はこういう責任を取るもんでしょうが!と無茶なことを言う俺に「傷物にして責任とか」と早瀬は言った。
 さらりと、それはもう世間話として。
 キズモノ。一瞬カタカナで浮かんだ単語。理解するには三秒ほどかかってしまった。
「は?」
「リアクション遅いなぁ」
あははー、と早瀬は笑いながら車を止めた。
「はい、点検しよっか。いくらなんでも覚えてるでしょう。潮はないよー」
「潮はもう忘れて下さい!!」


 一時間前に走ったところと全く同じ道を走る。
 信号の場所、一時停止の場所も覚えているので、少しだけ緊張が薄れていた。
 だがそれでもやはりスピードに関しては「早っ!やばっ!つか怖っ!」と感じる。
 みんな〜もっとゆっくり走ろうよぅ、という弱音が喉まで出かかっている。
 だが急いでいる人もいるわけで、車はやはりスピードを出して走っていた。
「次の信号右ね〜」
 早瀬は所内にいる時よりも、のんびりとした様子で指示を出す。
 リラックスさせたいのかも知れないが、教官の口調がどんなものなのかなど、信号で止まっている時くらいしか分からない。
 あまりにも運転に緊張しすぎて。
「…あの」
 赤信号で止まって、少しだけほっとしている間に思いついたことを口にしてみた。
「早瀬さんって、教習生を口説くのが趣味なんですか?」
 いくら趣味でも男にまで声かけることないだろ。と冷静には思うのだが、まぁ、そういう人がいてもいいんじゃないか…いいのか…?よくはないだろうな…うーん、というところだ。
「全然。教習生口説いたことなんかないよ。今さっきまで。だってもめるでしょ。バレたらクビだし」
「んじゃ…なんで」
「香坂君さ、車下りたら俺のことなんか眼中にないでしょ」
「へ?」
「男だし。年も離れてるし。接点ないから」
「そりゃ……仕方ないんじゃ…」
 だって男のことなんかそんなに意識しない。
 教習の時は「教官」としてちゃんと気を付けるけど、それが終われば関係はなくなる。
 街で会っても、目が合えば頭くらい下げるだろうが声はかけない。
 その程度の付き合いだと、思うんだけど。
 違うんだろうか。
「だったらさ、ここで縁切れそうじゃない。それが嫌だったから」
「嫌って…」
「逃したくないことって、俺は絶対手に入れるから」
 真面目な顔で、真剣な目で、早瀬は言った。
 初めて見る様子だった。
 神経を張り詰めているのが、空気を伝って感じられた。
「はい、そろそろ信号変わるよ。一端考えるのは止めて」
「え、はいっ」
 言われた瞬間に信号が変わった。
 どきり、と緊張する心臓を抱えながら、アクセルを踏む。
「本当は教習中に告白するのは反則なんだけどねぇ」
「そうですよ!」
「でもほら、どきどきするでしょ」
「そんな効果狙わないで下さい!」
 びくびくしながらトラックの後ろにつく。
 ああ、デカイ車体が怖い。
 しかも友達に言わせると「トラックは容赦ない」という話らしいから、出来るだけ近寄りたくないんだけど。
「はい。車線変更の練習ね。右に指示器」
「ぅ、はい」
「ほい、確認して」
「あわ…」
 慌ててミラー、サイド、を見たところで早瀬にハンドルを掴まれた。
「車ふらついてる。基本は前」
「ぐ」
「確認に集中しすぎ。ふらついたら危ないから」
「すいません…」
「つか、隣に乗ってて俺までどきどきするんだけど」
 小さく笑う早瀬に、だから男に告白しようなんて思ったんじゃないのか、という疑惑がわく。
 だが早瀬が告ったのはまだ路上が始まってすぐ。
 そしてやつは、告白するのを待っていたっぽいことを言っていた。
 なんで俺なんだ?
 全然理解出来ない。
 今まで男に告白されたないんだけど。男好きされるタイプなのか?んな馬鹿な。
「元の車線戻るよ、はい左に指示器」
「はい」
 そしてやはりルーム、サイド、黙視としたところで「香坂くーん」と呆れたような早瀬の声がした。
「この車すげー不安定よ。俺が悪いのかもしんないけど、たぶん俺のせいなんだろうけど」
 事故の責任まで押しつけられても、俺泣いちゃうよ?と早瀬はハンドルを横から支えて苦笑していた。
「…スイマセン、いや、ホント…」
 早瀬の気持ちよりも、ふらつかない車線変更の仕方のほうが分からなかった。




『路上 リスザルって飼育可能? 編』



「おはよー」
「おはようございます」
 強い寒さの中、震えながら早瀬を待っているとやはり毎度のことながら、どこかやる気のない足取りでやってくる。
 原簿を渡すと「今日も路上ねー」と言われた。
 路上というのは八時間続くのだ。だからしばらくずっと外を走り続ける。
 怯えながら走り続けることになる。
(告られた教官と、この先も二人きりで教習だよ…)
 ああ、有り得ない。
しかもそれが本気だからさらに有り得ない。
 バイト先の人に「男に告られたらどうします?」と聞いてしまった。ほぼ相談だ。男の人だったのだが、即「気持ち悪い」と顰めっ面が返ってきた。
 心底嫌そうな表情に、ああこれが普通なのか、と妙に冷静に考えた。
 そう、まぁ、そんな反応するんだろうなぁという曖昧なものはあったのだが。
 でも俺はそんな反応してない。
 今も、目の前にその相手がいるが、別に気持ち悪いとも、近付くなとも、海に沈めてやろうかという気もない。
 事故起こさないように見ててくれよ!?という気持ちはあるのだが。というかそれくらいしかない。
「んじゃま、出ようか。今日はこの前と違う道だから」
「はあ」
「人轢かないように」
「お願いします」
「え、俺にお願いしてどーすんの。運転するの香坂君でしょ」
「ブレーキを」
「検定だったら、ブレーキ踏まれた時点で中止になるよ?」
 早瀬の言ったことに、俺は不安を抱いた。
「検定ってすごく遠い…」
 こんなにふらふらした運転するやつが検定だなんて、いつの話だろう。
「すぐだって、きっと」
 あっと言う間。
 そう言った早瀬は少しだけ真面目な目をしていた。
 そうか、教習所卒業したら早瀬とは何の関係もなくなるのか。そんな当たり前のことが頭によぎった。
 早瀬は、そのことが嫌だと言った。
 俺は、別に何も思ってない。
 だって教官だから、教習終わったら関係なくなるのが当然だし。
「すぐ、かな」
 まだ「いつ検定」という予定は立ててないのだが。そんなに早いのだろうか。


 路上に出る時は、やはりどきどきする。
 所内とは比較にんならないほどだ。
 なんせ、事故ったら即免停。つか人身だった場合は命に関わるわけだ。
 想像しただけで血の気が引く。
 アクセルを踏む感覚も、恐ろしいくらいなのに。
 早瀬は隣で随分リラックスした様子を見せてくれる。
「あ」
「え!?」
 突如妙な声を上げられたので、動揺していると早瀬は「あれあれ」と横を見ているようだった。
 だが俺に横を見る余裕などない。前でかつかつなのだ。
「リスザル」
「はあ!?」
「今リスザル肩に乗せてる人がいた」
「え!?ぐあ」
 振り返りたい!と思った瞬間にブレーキを踏まれた。がくりと無理矢理停止した車が大きく揺れる。
「ここ一時停止」
 早瀬の指が頭上を指した。
 また随分高いところに停止表示が掲げられている。
 見えねぇよ!と心の中でツッコミを入れていたら、早瀬は一時停止を見逃したことよりも「リスザルって法律に引っかからないのかな」ということを口にしていた。
「見たいなぁ…リスザル」
 町中でリスザルなんて見たことない。
 ぱっと言われてもどんな生き物だったか思い出せないくらいだ。珍しいので見てみたいんだけど。
「見に行く?」
「いいんですか?」
「いいわけないって」
 言い出したくせに、早瀬はけらけら笑う。
「さー、前行こうか。リスザルは吹っ切って」
「一回生で見てみたいんですけど」
「猿好きなの?」
「いえ、全然。でもリスザルって可愛いイメージがあるので」
「可愛かったよ。残念!」
 俺見たからいいや。とばかりに早瀬はまた「可愛かった」と言う。嫌がらせだこの野郎。
「リスザルってペットとしてはやってんのかな」
「さあ?どうでしょう」
 ペット事情はよく知らないので、肩に力をがちがちに入れながら運転してると「んー」と早瀬は微妙な声を出した。
 これはろくでもないことを言い始める予兆だ。
 そろそろ俺も学習してきた。
「香坂君、ペットになりたいと思ったことは?」
「有りません!!」
 案の定かなりおかしな質問をされた。
 身構えていたので、すぐに力一杯否定してやる。
「力一杯きたなぁ。ペットになる少年って流行ってなかった?」
「それドラマじゃないですか?見てないですけど」
「そうだっけ?」
 ペットなぁ…と早瀬は何やら考えているようだった。
 そんなことはいいから、この運転をちゃんと見てくれ。人轢かないか注意してくれ。余所見したら死ぬぞ!?
 俺だけでなく、あんたも巻き添えなんだぞ!? 「次左折、二つ目の信号右ね」という指示は出るのだが、周囲に気を配っているとは思えない様子で、俺はもう泣きたかった。
 真面目になってくれ…!
 心からそう願う。
「でもペットじゃ、なんかねぇ。切なげだよね」
 あんたまだペットにこだわってたのかよ。
信号待ちで車を止めている時だったので、思わず隣を半眼で見ると「あはは」と視線に気が付いた早瀬が意味なく笑った。


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