『見極め(?) 編』



 所内をくるくるするのも飽きてきた、というか慣れてきた頃。
 見極めとなる。
 修了検定を受けて合格すれば路上に出られるのだが、その路上に出るだけの技量があるかどうかをまず見極める時限だ。
 そのせいか、今日の早瀬は口数が少ない。
 見極めというのは、あれこれあまり言えないらしいのだ。
 車に乗る前に言われている「今日はアドバイスあんまり出来ないから」と。
 今日は真面目で、静かな教習になるんだろう。そう思っていたのだが。
 アドバイス出来ない代わりと言っては何だが、世間話が多い。
「免許取ったらどこ行きたい?」
「えーっと…ちょっと遠いトコ?」
 S字に入る直前に、暢気な声で姿勢を崩しながら早瀬が聞いてくる。
 完全にリラックスしているように見えるのだが、見極めをやる気はあるんだろうか。
「たとえばどこ?」
「…や、山とか?」
 ふと裏○甲なんて思い浮かんだけど、そんなことを言おうものなら「今すぐ免許取るのやめろ」と言われてそうだ。
「山好きなの?」
「どっちかっていうと…海の方が」
 あー、まずい。切るの早すぎたか?と思いながらS字を進行しているのに、早瀬の言葉などろくに聞いているはずがない。
 適当に答えているのに、早瀬はそれでもいちいち尋ねてくる。
「んじゃなんで山。ハンドル操作間違うと落ちるよ?」
 崖に真っ逆様。と嫌なことを言ってくる。
「そうですけど…」
「北海道とかどうよ」
「遠っ!」
「いいじゃん遠くて。いっそそれくらい遠くまで行こうよ」
「遠すぎますよ」
「なんだよー、夢は大きいほうがいいぞ」
 夢なのかよ。
 免許取って北海道は俺の夢なのかよ!
 そんなに免許を取ることにリアリティがないんだろうか。
 とりあえずどこにもぶつからずにS字を曲がり、次のクランクに入る。
 ちらりと隣の早瀬を見たが、そこからはどんな感想も見えない。
 ぎりぎりなのか、今日は余裕があるのか。どっちだろう。
「北海道より近いところがいい?」
「行くなら…淡路島とか」
「お、いいねぇ。誰と行く?」
「…一人、かなぁ」
「寂しいだろ!んじゃ俺と一緒に行こうよ」
「それ、教習じゃないですか」
「安心出来るでしょ」
「指示とか出されてそう…。安心だけど、微妙…」
「何が微妙なんだよ」
「何と聞かれても…。あの、クランクも終わったんですけど」
 S字もクランクも無事終了して外周に出る。
 世間話にばかり気を取られてたんじゃないのか、この人。
 大概「次はどこ曲がって」という指示が来るのだが、早瀬はそれを出してくれなかった。
 仕方なくぐるぐる外周を廻っていると、ふと真面目に「ぎりぎりだよね」と指摘された。
「S字もクランクも、すごくやばいライン通ってる。いつも言ってるけどね。ちょっと戻すタイミングがずれると、あれは当たるよ」
「そう、ですか」
 一体どんなラインを取って走っているのか。さっぱり分からない。
 上から見てみたいものだけど、見られるはずもなく。
 要領を得ないままだ。
「うん。もっと余裕を持って通れるから。外周に出るときも、あのラインだと、ちょっと出にくいなぁと思うだろ?」
「確かに…」
「というわけで」
 早瀬はにっこりと笑った。
 爽やか過ぎる笑顔に、嫌な雰囲気が漂う。
「来週もS字ね」
「え…」
「補習」
「…マジですか…?」
「うん。検定って緊張してるから、ちょっとくらいのミスはすると思うんだけど、それでS字失敗する可能性が高いからね」
 まぁ、堅実に。と早瀬はあっさり言ってくれた。
 補習。
 なんてめんどくさい、なんて重々しい言葉なんだろう。
 今まで降りかかってきたことのない単語だ。
「俺、補習なんて初めてなんですけど…」
「あ、そうなの?じゃあ初体験だ」
 あははー、と笑う早瀬の脇腹に鉄拳を入れたくなった。
 よりにもよってこの年で、人生初の補習。
 ああ補習…。学生の時にはあれほど縁のなかったものが、これほど衝撃だとは…。
 今更己を恨みたくなった。




『見極め 編』


 どきどきしながらS字とクランクを攻略した。
 相変わらずタイヤがどのラインを通っているのは分からない。何時間乗っても分からない気がする。
 心臓が落ち着かないのは、緊張しているわけじゃない。
 もうそろそろ教習時間が終わるからだ。
 つまり「見極めがもらえるか、どうか」がものすごく気になっているわけだ。
 なんせ人生初の補習をやっている最中なのだから。補習2時間目突入☆なんてシャレにならない。いやホント。
「んー…次ね。修了検定だから」
 早瀬はクランクが終わって、駐車する場所を指示しながらそう言った。
 いつもと変わりのない言い方をされたが、その言葉を聞き逃しはしなかった。
「ホントですか!?」
 嬉しくて思わず声が大きくなった。だが早瀬はなんだか曖昧な笑い方をする。
「切り返しのやり方覚えといたほうがいいよ?」
 切り返しとは、前輪や後輪が路肩などに当たった場合にバックしてやり直すという方法なのだが。
「俺、路肩とかに乗り上げたことないんですけど…」
「そうなんだよね。ぎりぎりのライン通ってるのに、乗り上げないんだよね。ま、それはともかく検定って緊張するから、もしかすると当たるかも知れないし」
 覚えて置いてソンはないから。という早瀬に言葉に「はあ」と頷いた。
(やり方って、一応知ってるけど…)
一度もやったことのない切り返しを思い出すより、検定に行けるということで頭の中はいっぱいだった。


 で、検定なのだが。まずは教室に集められて説明をされる。どんなことをすると検定中止だ、とか減点対象になる行為などだ。
 内容を聞いていると、いつもの教習をやっていると不合格をもらうことはなさそうだ。
 四人一組となって、検定が行われる。
 一組に一人の検定員がつく。
 一番目がやっている間、二番目と三番目は後部座席で検定を見ている。公平さを出すためらしい。二番目の場合は三番目と四番目。四番目の場合は一番目の人が乗るらしい。
 それを聞いた後に、検定をしてくれる教官の紹介となるのだが。
 検定員の顔を見た瞬間、俺は「終わった」と呟いた。
 前に俺をぼろぼろにした、あの女だ。ここ数年、俺を鼻で嗤ったのはこの女だけだった。
 思い出しただけで、机を星○鉄のごとくひっくり返したくなる。
 ぜってぇ嗤わせねぇ。
 無駄に意欲が増していく。
「今日は検定よりもてめぇとの戦いだ!」
 心の中で拳を握った。
 早瀬が聞いたら「自分見失ってるぞー」と言われそうだった、その時の俺を注意してくれる人は誰ねいなかった。
 一見大人しく話聞いてるだけだから、当たり前だけど。
 しかし、現実は色々と複雑だ。
 俺の順番は四番目で、ぶっちゃけ待ち時間が長かった。一人十分から十五分ほどだとしても、四十分くらいはぼーっとしているだけだった。
 待合室で待たされ、その後は検定車の後部座席に座ってぼーっと前の人が運転しているのを眺めている。
 緊張感も怒りも、やる気もすでにどっかに飛んでいってしまった。
 その前に運転していた人が、なかなか言い辛いほど車が安定してなかったせいだとも言える。
 いざ自分が運転席に座ってみると、いつものように隣から早瀬が「んじゃいってみよー」というギャグなんだが、マジなんだか分からないかけ声が聞こえるんじゃないかってくらい、リラックスしていた。
 いたのは真顔の女なのだが。それにしても、顔立ちからして「毒吐きます」って感じだ。思いこみかも知れないけど。
 ちらりと助手席を見ただけで、イラっときた。
 相当嫌いになってしまったようだ。
 最初は外周を回って、それからすぐにS字クランクだった。
 ぎりぎりのラインを通ってる。と何度も指摘されていたので、いいラインを探しながら走行していた。当たらないように、切りすぎないように、と注意して慎重にしていた、はずだったというのに。
 こつ。
 無情にもそれは、左の前輪から伝わってきた。
 堅いものにぶつかってしまった感触。車の動きがいびつに感じる。
(あ…当たった……?)
 待て、こんなことがあっていいのか?俺今まで一度もまともに当てたことないぞ?それなのに、だってのに。
(検定で当てるか!?)
 頭の中は真っ白になった。教習でもやってない切り返しを、ここでやらなければいけないのだ。しかも、隣はあの女教官。
 ぐーあーぐーあーあああ!!!
 叫びたいのを必死で我慢して、とりあえずどっちにハンドルを切るのか考える。左の前輪が当たったから、この場合は左にハンドルを戻しながら、そんでもって。
 後ろを振り返るのだ。
 試験の説明の時に「切り返しは後ろをちゃんと振り返って」と言われていたから、そうしているが、言われてなかったら確実にミラーだけでバックをしただろう。
 だって教習中に早瀬はミラーしか見てなかったからだ。
 一応「切り返しのやり方は」という説明ともにやらされたのだが、その時ミラーだけでやっていた。
 そして実際振り返ってみると、その理由がよく分かる。
(意味ねぇ!!)
 見えるのは向こう側の道路。S字の道など全く見えない。もちろん普段バックを気にしていない俺が、感覚など分かるはずもなく。
 後部座席に座っている人の気まずそうな顔を眺めるくらいしか出来ない。
(後ろ見る必要がない!つか全然分からねぇ!)
 だが分からなくてもバックしなければいけない。恐る恐るギアをバックにいれて、後ろにずり下がる。ちなみに、どれだけ下がっていいのかも分からない。
(カンだ!運を天に任せるしかない!)
 実力勝負で挑まなければいけないはずの実習で、まさか運試しになるとは思ってなかった。
 適当なところで止め、ドライブに入れてハンドルを微妙に回した。また当たるかも知れないが、もうどうにでもなれ、という気持ちだ。
 そして、意外にも、車はすんなり通った。
(なんで…?)
 さっきとどう違うのか全く分からない。
 だが混乱した頭は冷め、というかもう緊張する気力も使い果たし、ある意味肩の力を抜いて検定をやることが出来た。
 検定を終えると車から下りて、検定員から走行についての注意などを聞くのだが、きっとぼろくそに言われるだろうと思って覚悟していると「わりと安定して走ってましたね」と笑顔まで見せてくれた。
(誰この人…)
 こんな穏やかな人知らない。俺に毒舌を吐いて、ぼろぼろにしたあの女はどこに?
 彼女に何があったのかは知らないが、その日の気分で態度を変えるのは勘弁して欲しい。
 釈然としない思いを抱えつつ、切り返しには何も言われなかった。(一度の切り返しは減点対象にならないからだと思う)
 最後まで毒を吐かず、笑顔だった人に、俺は小首を傾げて結果を待った。
 四十分ほどして、出てきた結果は「合格」だった。
 嬉しい、嬉しいことには間違いないが。
(なんでよりにもよって検定で初バック…)
 情けなさはしっかり残った。
 

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