アカイイト  4




 籠城をして宮内を家に入れるのを拒否しようかと思ったのだが。
 そんなことをすれば泣かれそうだと思ったので止めた。
 そもそも俺がこんなにも抵抗感を持っていることを相手は知らないのだ。
 いきなり態度が急変すれば戸惑うだろう。
 きっと傷付ける。
 ならば少しずつ離れていくか、もしくはこの距離を保つように努力するべきだろう。
 そう思ったのだが、まるで我が家のようにくつろぐ宮内は俺の気持ちなんてお構いなしで、寄り掛かるようにして隣りで画面を眺めている。
 ぽりぽりとポテチを食べながら、真面目にエヴァを見ているようだ。
 飲み物はアクエリでええよなと言ったのに、持ってきたのは炭酸だった。
「シンギってポテチには炭酸って言ってたような気がしたから」という一言付きだ。
 そういえばそんなことを言った様な気がするのだが。細かいところまでよく覚えていられるものだ。
 第一話から流れているエヴァは現在は六話まで来ている。軽く三時間は経っていることになるのだが。まだ飽きないらしい。
 そう思っている俺もまだ飽きることなく見ているので、人のことは言えない。
 しかし時折画像が荒くなるのはビデオだからか、それとも当時のアニメはこういうものなのか。映像の技術は日々進歩しているなと、内容とは関係のないことを思ってしまう。
「なぁ、シンギってレイとアスカ。どっち派?」
 CMに入って早送りをしている宮内が唐突にそんなことを言った。
 レイとアスカというのは、アニメに出てくる女の子の名前だ。どちらもヒロインポジションにいる。
 無口が大人しい女の子がレイ。よく喋り勝ち気なのかアスカだ。
 対極的な性格と見た目なので、きっと比較対照されるキャラなのだろう。
 けれど俺にとってはどちらもアニメに出てくるキャラであって。自分の好みに当てはめるような対象ではない。
「どっちって言われてもな…」
 二次元だろ。アニメの中のキャラだろ。
 現実の俺には無関係であり、性格だってどっちがどうってわけでもない。
 つかどっちも難ありだと思うんだが。宮内はどっちかがお気に入りなんだろうか。
「好きでも嫌いでもないな。どっちって訳でもないし」
「なんやねんそれー」
「おまえはどっちだよ」
 はっきりしないと不服そうな宮内に質問を返す「俺はな」と笑顔になった。
 さすがにヲタクというか。アニメやら漫画やらのことに関して尋ねると嬉々として答えてくれる。
「断然レイ派。でも劇場版には新しいヒロインが出てくんねん。俺はその子も好きやな。しかも声優がええねん!」
 アニメのキャラに関して、声優まで気にしているのか。
 はっきり言ってアニメを見ていて声優のことまで気にしたことないぞ。ヲタクっていうのはそこまで神経向けているのか。
「この前CD貸したやろ?あの人が声やってんねん」
 きらきらとした瞳でそう話され、そういえばこいつが前うちに来た時にCDを置いて行ったのを思い出す。
 ここに来た時にかけ始めて、別に不快な音じゃなかったので好きにさせていたらそれをどう思ったのか「貸したる」と言い残して行ったのだ。
 実のところあれから何度か聞いて、音をパソコンにも落としている。
「声優だったのか」
 アーティストなのだと漠然と思っていた。宮内が貸してくれたのでアニメソングとかをよく歌っているのだろうなとは思っていたが。
「そうやで!歌もええけど声優でも結構ええねんで。エヴァのヒロインも可愛い感じになっとったし」
 宮内はリモコン片手に語り続けている。すでにエヴァは次の話に入るところで制止されていた。
 話しながら見ることは好きじゃないようで、喋り終わったら再開するのだろう。
「劇場版も今度DVD持ってくるから」
 それが切り上げの台詞だったようで、宮内はリモコンのボタンを押した。
 しかし俺はつい、口を開いてしまう。
「なんで俺?」
「ん?」
「おまえなら他にも一緒にビデオ見て、盛り上がるような相手いるだろ?なんで俺と見たがるんだ?」
 特別このアニメが見たいと言ったわけでもなく、さして興味もない。ヲタクでもないのに見たところで感想なんてそんなにないし。面白いことも言わない。
 なのにどうして俺を選んだのだろう。
 そう尋ねながら、宮内の指を見てしまった。
 俺には何も見えない。
「見たかったから。シンギがええねん」
 宮内は迷わない。
 俺と違って、どうしてかなんて疑問は一つもないようだった。
 堂々としている様子が、更に俺を落ち着かなくさせる。
 もしかしたら本当に、その指には。なんてことを思わせるからだ。
「なぁシンギ。シンちゃんって呼んでもええ?」
 黙ってしまった俺に、宮内はにやりと笑ってそんな提案をする。
 アニメの主人公と同じ呼び方に、眉が寄る。
「嫌だ」
 優柔不断に見える中学生と同じ名前にされるというのも複雑だ。
 俺はあんなに自分に自信がないわけでも、後ろ向きでもない。
 そして変なロボットに乗らなければいけない使命もないのだ。
 あるのはただ、目の前のヲタクに言い寄られているかも知れないという、非常に世知辛く小さな、だが厳しい現実だった。



 画面から流れてきている、どう聞いても喘ぎ声の一部にしか思えない音声に俺は硬直した。
 今まで見ていたのは子ども向けのアニメではないのか。
 子どもに向けるにしてはかなりグロい部分やヘヴィな精神の葛藤場面があったのだが。それにしてもこんなあからさまな音声は駄目だろう。
 画面は何やら意味深なものが映っているだけなのだが。キャラが見えない分、無駄に妄想が働かされるような気がする。
 しかしどうなっているかなんて思い描きたくはなくて、視線を逸らした。
「これ夕方のお茶の間に流れたんやで。びっくりするやろ」
 内容を知っている宮内は、現在しっかりと響いている第弐拾話にも平然としている。
「俺なんかねーちゃんと一緒に見てたんやけど。子どもながらにあかんやろと思ったわー」
 暢気な口調だが。それは今の俺の気持ちと同じだ。
 駄目だろこれは!と声を大にして言いたい。
 どうして宮内と二人きりの空間でこんなものを見なければならないのか。すでに散々意識しまっているのに、これ以上俺にどうしろというのか。
 近くのコンビニまで買い物に出るべきか。しかしこの場面もすぐに終わるだろうし、ここで変に出掛けると、こんなことで興奮したのかと馬鹿にされかねない。
 しかしこれを夕方の地上波で流すなんて、90年代のアニメはなんて挑戦的なのだろう。抗議の電話が殺到したりしなかったのだろうか。
 冷や汗をかいていると「なぁ」と宮内が俺を見上げてくる。
 小柄なこいつは俺を見る場合はちょっと上目遣いになるのだ。
 それを今までは何とも想わなかったのだが、状況が状況なだけにどきりとした。
「興奮せぇへん?」
「は!?」
 宮内は驚いた俺と目が合うと、小さく笑った。なんだか戸惑っているように見えるのだが、そんな風になるくらいなら黙っていればいいだろうに。
「だってAV見てるみたいやん」
「おまえ、地上波で流れていた六時のアニメをAV呼ばわりか」
「だってそんな感じやん!」
 宮内の発言を非難してはみたものの、俺だって似たようなことを思っていた。
 しかし俺は興奮するというより困惑の方がずっと強く「おまえな」と呆れたように言うしかなかった。
「…俺はすごく興奮する。シンギとこうしてんの」
「え」
 なぁとかけられた声は甘ったるい。
 男がそんな声出しても気持ち悪いだけだ。そう突っぱねたいのは山々だったのだが、俺は見上げてくる宮内の視線に縫いつけられたみたいに動けなくなっていた。
 それをどう思ったのか、宮内の手が俺の太股に触れた。
 人間の掌の感触。
 体温をジーンズ越しに感じてヤバイと思った。どうヤバイのかまでは分からない。とにかく駄目だと思ったのだ。
「み、宮内」
 おまえ何考えてんだ。そう言おうとした。俺にそんなつもりはないのだと訴えたかった。
「お願い。拒絶せんとって」
 すがるように、懇願するように告げられたその声があまりにも切羽詰まっていて。俺の言葉を止める。
 そしてのし掛かろうとするように俺に体重をかけてくる。
 それはすごくヤバイアングルだった。なんだかもうどれがどう危険であるのか自分でも理解出来ないのだが、すがるようなその姿勢は何かを刺激してくる。
「シンギ。一つになりたいねん」
 それはどこかで聞いた台詞だ。
 いや、ついさっき画面の中から聞こえてこなかったか。
 だが声優が告げた音よりも、間近にいる宮内から聞こえてきた音の方がよほどエロいような気がして、そんな自分にどん引きした。
 ちょっと待て、自分とおまえ。
 そう口にしたはずなのに、宮内は俺の唇を塞いできた。
 くぐもった声が口内から聞こえ、精神が凍り付いた。
 宮内の手はいつの間にか俺の膝から肩へと移動しており、その身体は俺の上で膝立ちをしている。
 この体勢は紛れもなく、そういうものであり。宮内に口を塞がれているこの光景はキス以外の何物でもなく。
 俺は今まさに襲われていた。



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