アカイイト  3




 教室に入ってきた宮内は俺と目が合うと、途端に笑顔を見せる。
 何がそんなに楽しいのか、その笑顔を見るたびに尋ねてしまいたくなる。実際尋ねたこともあるけれど俺が納得出来る答えは未だに貰ったことがない。
 その笑顔で言う台詞は大抵決まっており、まずは「シンギ」と俺を呼ぶことだろう。
 だが今日は宮内が喋るより先に、教室のドア付近にいた宮内の友達が何か話しかけていた。
 宮内は開きかけていた唇を閉じて、友達を見る。
 もしその友達がいなければ、今宮内はきっと俺の横に立っているはずだ。
 別に迷惑じゃないけれど。そんなに俺にばかり絡んでこなくてもいいだろうに。
 そう思いながら椅子に腰掛けると、すでに座っていた成田が「複雑そうだな」と言ってきた。
「複雑って言うか…なんで俺なんだろうと思っただけ」
 何故俺を選んで、声を掛けてくるのかさっぱり分からないのだ。
 軽く首を振って成田の横に座ると、じっと視線を向けられた。
 それは俺の顔でなく、教科書を取り出して机の上にぽんと置いた俺の指に注がれている。
 まただ。
 最近成田はそうして俺の指を見る。
 何かあるのか、繋がっているのか。
 そう訊くのを躊躇い続けてきた。自分の運命の相手がどこかにいることを知るのが怖いのだ。
 誰であるのか、俺はまだ曖昧にしておきたいという思いが強い。
 けれど毎日のように指を見られていれば気になって気になって仕方がない。
 知りたくない。だが知りたいような気がしないでもない。そんな不安定な状態に長くいるのがいい加減嫌になってきた。
「見えるのか。糸」
 とうとう我慢の限界がきてしまい。俺は成田に訊いてしまった。
 すると俺の葛藤が察せられるかのように、成田は同情的な目をした。
「見える」
 ああ、やっぱり。
 落胆して良いのか。それとも期待すれば良いのか。
 心は判断をしかねていた。だが鼓動だけは無駄に高鳴っていく。
 どうなったとしても自分のことだ。未来を知ってしまうことにもなりかねない成田の言葉には、やはり身構えてしまう。
 だがどんな覚悟をして良いのか分からず、ただ俺はじっと耳を澄ますことしか出来なかった。
「……繋がってるよ。大学に入ってからだ。シンギの糸が見えたのは」
「相手は分かるか?」
 どくりどくりと心が鳴っている中、つい突っ込んだところまで質問してしまい、成田の表情が苦渋に変わった。
「分からないんならいいんだが」
 この大学は広い。関係者も含めれば一体どれだけの人数になるのか、眩むほどの数になるだろう。
 そんな中から俺の相手を捜せというのも無理な話であり。また繋がっている先が分かったとしても知らない相手かも知れない。
 成田にそこまで求めるのは酷かと思った。
 それに俺はまだ鮮明な答えまで欲しくなかった。もう少し曖昧なまま、ぼんやりと運命の相手を考えておきたかった。
 明白にされると変に意識して不審者になるかも知れないし。
 そう俺が自分の中で区切りを付けようとしていると、成田が溜息をついた。
「宮内」
「え?」
「おまえと糸が繋がってる相手ってのは、宮内だ」
 ぼそぼそと小声で告げられた言葉は俺の脳裏から何もかもを奪っていった。
 真っ白になった頭の中は数秒後、ただ宮内という名前だけをぐるぐると回し始める。
 宮内というのは先ほど俺を見て嬉しそうに微笑んだ奴か。この大学に入ってから何故か俺によく声を掛けてきては漫画を置いていくあのあいつか。
「お…男だろうが!?」
 成田の声とは正反対に俺は叫ぶようにして言った。
 運命の糸の相手は異性であるのが当然ではないのか。どうして同性なのか。
 しかも宮内だなんて。出会うたびによく分からない内容を一方的に喋っていくあいつだなんて。悪い冗談過ぎる。
 だが成田が言うならそうなのだろうと、感情から切り離れている部分が呟いており、血の気が引く。
 運命の糸って言うのは切れることがないんだと思う。本人たちにどうしようもないものだから、生まれた時に作られたんだろう。
 そんなことを成田が言っていたことをこんな時に思い出しては、眩暈を感じた。
 成田が見ている糸が本当に運命であるならば、俺の力ではどうしようもないことだろう。
 いや、自分の運命は自分で変えられるとは言うけれど。運命に立ち向かっていくだけの根性は俺にはないような気がする。
 だからといって宮内を運命の相手として認められるかと訊かれると、到底無理だと言わざる得ない。
「だって俺、女と付き合ったことだってちゃんとあるぜ?なのになんで!」
 高校生の時はちゃんと女子と付き合っていた。大学に入る前、受験の時に別れたけれど。俺の性癖がノーマルであることは違いないだろう。
 そもそも男とどうにかなるなんてこと考えたこともない。
 これまで言い寄らせれたことがないから、想像する必要もなかった。
「おまえがノーマルなのは知ってるけど。俺に言われてもどうしようもないだろ。俺が糸を繋げたわけじゃない」
「そんな能力あったら今すぐ切れって脅迫してる」
 どんな手を使ってでもだ。
 胸ぐらを掴みたい気持ちをぐっと抑えられるのは、成田が申し訳なさそうな顔をしているせいだろう。面白がられていたのなら、今頃殴っている。
「なんで、なんでだ。だからあいつは俺に絡んでくるのか」
 どうして宮内が俺の近くによく寄ってくるのか。それがようやく判明した。
 だが全く嬉しくない、予測もしていなかった理由だ。
 とんでもなさ過ぎて一体誰の嫌がらせかと思う。
「だろうな」
 成田は肯定をくれるけれど。出来れば否定が欲しかった。
「あいつは俺が好きなのか?」
 ぼそりと、成田以外には決して聞こえないように疑問を口にした。
 俺を好きだから、あいつはあんなにも嬉しそうに笑うのか。
 しかしあいつは自分の感情をどうやって受け止めたのか。元々男の方が好きな人間だったのか。
 俺にはさっぱり分からない。
「たぶんそうなんじゃないか?」
 成田に訊いても仕方のないことだが、律儀にも考えてくれているらしい。
 俺と同じく腑に落ちないというような様のまま喋っていた。
「なんでなんだ?そもそも何なんだ運命って」
「俺に訊くなよ。俺だって分からないよ」
 赤い糸が見えるという成田は、きっと俺なんかよりずっと昔から運命って何だと悩んでいたことだろう。もし俺が糸が見えたとすればそうだからだ。
 しかしいざ自分の運命を突き付けられると、無性に逃げたくなる。
 何故こんなものを与えるのか。神なんてものは本当にいるのだろうか。
 いるならどうか殴らせて欲しい。
「シンギに言おうかどうしようか…迷ったんだけどな」
 ちらちらと成田が俺の指を見始めたのは宮内と会った後だ。だから半年はとうに過ぎ去っただろう。春から我慢していたというのは、結構な忍耐力だ。
 俺が気が付いたのはここ一ヶ月くらいだから、俺も随分鈍い。
「……訊かなければ良かったと心の底から思っている俺は間違ってるんだろうか」
 指を組んでこの上ない苦渋を感じながら、俺は吐き出した。
 いやいやこんな苦しい、というかどうしようもない無力感というか、もやは絶望に近いものをくらうくらいなら何も知らずにいたかった。
 しかし運命の相手であるのならばいずれは宮内に告白されたり、襲いかかられたりして、現実に直面したのだろうか。
 それはそれでものすごく空しい。
 だがこんな早くから衝撃を受けるというのも、辛いのだが。
「ご愁傷様です」
 唸り出した俺の横で、成田はそっと手を合わせてくれた。
 しかしまだまだ成仏出来そうもない。
 


 講義が始まるまで友達に離して貰えなかったらしい宮内は、教授が教室から出ると同時に俺の元まで寄ってきた。
 その姿を確認した時には肩にぽんと手を置かれ、見上げると成田がすでに席を立って歩き始めていた。
 置き去りにしやがった。
 舌打ちをすると、宮内が「どうしたん?」と無邪気な声で訊いてくる。
 何の思惑もないように見えるいつもの表情が、今は意味ありげに思えて仕方がない。
「何でもない」
 てきぱきと机に広げていたものを鞄の中にしまい込む。すると俺の目の前にどーんとコンビニの袋が置かれた。うっすらと透けて見える中身は漫画だ。
「エヴァの続き。持ってきたで」
 一巻から五巻までをすでに借りていたのだ。その続きもあると言われた時に持ってきてくれと頼んだのは自分だ。
 読みたいことは読みたいのだが、どうも今宮内から何かを受け取るのが怖い。
 布石ではないかと思ってしまうのだ。
「ついでにアニメ見ようや。俺地上波は全話録画してんねん」
「え」
「シンギもアニメの方はちょろっとしか見たことないんやろ?」
 宮内にエヴァと言われた時、ちらっとアニメを見たことがあると言ったのを覚えていたのだろう。
「やー、アニメの方はすごいで。色んな意味で。めっさお薦め。社会現象にまでなったくらいやもん!」
「いやいや。俺今日は」
「バイト休みやろ?」
 講義の後はバイトだからと言おうとしたのに、宮内は先手を打ってきた。しかもそれが事実だった。
「なんで俺のバイトが休みだって知ってんだよ!」
 もしかしてストーキングされているのだろうかと本気で恐怖が走った。
 バイト先で宮内を見かけたことはないのだが、影から覗き込まれていたなんてことになってぃたら。かなり怖い。
「この前言ってたやん。覚えてないん?今週は火曜と土曜が休みやって」
 宮内は過剰反応をした俺に怪訝そうな目をした。どうしてそんなに驚くのか分からないという態度に、冷静さが少しばかり戻ってくる。
 意識しているのは俺だけであって、宮内はもしかするとただ単に俺を気に入っているくらいの感覚なのかも知れない。
 だって赤い糸なんて普通の人間には見えないのだ。
 だから宮内だって俺を好きだと思っているかどうかも分からない。無自覚でこうしているだけであって、そしてその無自覚のまま俺たちは付き合うこともなく、なんとなくただ交流しているだけで過ぎていくのではないだろうか。
 男同士なんだから、それが自然だろう。
 下手に意識してると俺の方が宮内を好きなんじゃないかって、変な考え方をされると困る。
 そうだ。平常心だ。変な気持ちを持たず、持たせずにいれば良いのだ。
 運命は地味な努力からでも切り開けるだろう。
「というわけで俺講義が終わったら一端家帰って。それからシンギんチに行くから。今日泊まりな」
「ちょっと待て!泊まりってなんだよ!」
「せやって全話一気に見るんやったら時間かかるやん。徹夜せんでもええから夜遅くまで流さへんかったら見られへん」
「一気に見る意味ねぇだろ!毎日ちょっとずつ」
「ほなまた後で!あ、お菓子はポテチとアクエリでえーやんな!」
 高らかにそう言いながら宮内は勝手に教室を出ていこうとする。俺はそれを止めようと席を立って手を伸ばしたが、机の上にある漫画一式を思い出して慌てて持ち直した。
 するとすでに宮内はダッシュで廊下まで逃げ去っていたのだ。
「泊まりってなんだよマジで……」
 勘弁してくれよ。
 そう力無く呟いても誰も慰めてくれない。
 こんな時に泊まりで宮内が来るなんて。しかも俺一人暮らしだし。
 何も気にせず、意識もせずにいるなんて。困難すぎてほとんど無理だろ。せめてもう少し時間が欲しい。
 宮内と赤い糸で繋がっているなんて。成田の精一杯のギャグなのだと、俺の中で無理矢理結論付けるまでは。
「助けて、せめて嘘だと言ってくれ…」
 祈るように願うのだが、殴りたいと思ったばかりの神にすがるのはいくらなんでも都合が良すぎるのだろう。



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