アカイイト  2




 宮内の手にコンビニの袋がぶら下がっており、その中から雑誌が見えた。
 そして目が合った瞬間、次に宮内が言う台詞は予想済みだった。
「今週のじゃんぷー。見るやろ?」
 にかりと笑う様は相変わらず陽気で、こいつは自分の中に太陽でも抱え込んでいるんじゃないかと思う。
 俺の頭にクリームパンが降ってきた日から一ヶ月が過ぎたのだが。季節が初夏になり桜が散り去っても宮内は俺の周囲でちょろちょろしていた。
 友達がちゃんといるのに、俺を見付けるとよく寄ってくるのだ。
 俺の近くにいて何が良いのか分からない。そして上機嫌で微笑んでいる理由もまた分からない。
 とにかく変な奴だ。
 そして宮内はどうやらヲタクらしい。
 話しかけてくる内容は日常生活から大学のこと、そして漫画のことが主だった。その漫画の部分になるとやたら詳しい。ゲームなんかもよく食い付いてくる。
 そして宮内が友達と話している内容がたまに聞こえてくるのだが、アニメのことだろうなと思う単語がよく飛び交っていた。
 俺はヲタクではないのでアニメなんかさっぱり見ない。だから俺なんかに構ってもそんなに楽しくないと思うのだが。宮内にそう言ってもあいつは不思議そうな顔をしただけだった。
「おまえが毎週持ってくるから。立ち読みする手間がはぶける」
「やろー?」
 俺はジャンプは毎週コンビニで立ち読みしていた。正直買うほどのものではないと思っていたから、暇潰しに立ち読みで済ましていたのだ。
 だがそれを言うと宮内は、俺は毎週買ってるから読ましたるわ、と言って月曜日に二人がかぶっている講義にジャンプを持ってくる。
 そして宮内はジャンプだけでなくマガジンも定期購読しているらしい。おかげで俺も最近マガジンを読むようになった。
 手軽にただで読めるならこだわりなく読むからだ。
「おまえさ」
 ジャンプを受け取りながら、俺の隣りに腰掛けた宮内に問いかけを投げようとする。
 この距離にいる宮内の姿はもう何度も繰り返し見ているので慣れきってしまっている。そして俺に話しかけられるとすぐに混じる視線も、揺るぎないその瞳も慣れた。
 始めの頃はどうしてそんなに、射抜くように人を見るのかと少し戸惑ったけど。そういう奴なんだと思うと緊張もなくなる。
「ヲタクなんだろ?」
「せやで。ヲタク」
 ヲタクという単語を二人で口にするけれど。俺はそれを宮内に当てはめると微かな違和感を感じるのだ。
 俺の中でヲタクと言うと、体格が太めで見た目はあまりきちっとしている感じではなく、家に引きこもって画面の前にずっといる、あんまり喋らない人間というイメージだった。
 それは目の前にいる人物にさっぱり当てはまらないのだ。
 宮内はよく喋るし、細身で脱色した髪も本人の見た目によく似合っている。どちらかというと軽そうなタイプに見える容姿だ。
 表情もくるくるとよく変わるし、人懐っこいみたいだし。
 俺が今まで思ってきたヲタクの印象ではない。
「あんま見えないな」
 素直にそう言うと宮内はまたも笑みを見せる。
「頑張ってんもん」
 それはヲタクに見えないように努力しているということだろうか。
 頑張る前は俺が思っていたような、ヲタクのイメージ通りの格好でもしていたのかも知れない。だが想像は付かなかった。
「それにヲタクも色々あるし。なんかシンギの中ではアニヲタがヲタクって言うカテゴリになってるみたいやけど。鉄ちゃんやってヲタクなわけやん。歴史マニアやってヲタクの一部やと思うで」
 てっちゃん、という響きを俺はすぐに変換は出来なくて。一体何のことかと思った。
 そういえば以前鉄道マニアを鉄ちゃんと、宮内が言っていたような気がする。
「色んなヲタクがおるんやし。シンギのイメージとちゃうのも、ごろごろ転がっとるやろ」
「ならおまえは何ヲタクなんだ?」
 ヲタクにも細分化された部類があるというならば宮内はどこに入るのか。
 漫画とゲームには間違いなく入るだろうが。やっぱりアニメとか、下手すると特撮とかも入るのか。
「んー……俺ライトやからなー。浅く広くって感じやし」
「ライト!?」
 その単語が示している表現は軽いと言う物だが、宮内のどこが軽いのか。
「おまえ十分ディープだろ」
「全然やって!家からちゃんと出られるし。ネトゲ廃人でもないし。何かのコレクターでもないし。放送中のアニメ全部撮ってるわけでもないし。俺のパソとかPSPもイタ改造とかしてへんで?」
「おまえが今述べたものは全て常軌を逸しているのだと気が付け」
 それがないからと言って「軽い」と表現するのはいかがなものかと思う。むしろそんな比較が出来る時点で終わっている。
「持ち物やって、別におかしいないやろ?黙っとったらヲタクやなんて分からんやろ?」
「携帯出せよ」
 俺が掌を差し出すと宮内が固まった。
「…ケータイは、あかんやん」
「ヲタクなんて分からないんだろ?なんなら鳴らしてやってもいいぜ」
「あかん!少佐が宣言するやろ!」
 こいつの携帯電話にはストラップがじゃらと着いている。ぱっと見たところはよく着いているなというくらいの認識しかないが。この前説明されたところ、ボーカロイド系で纏めてみてん、と楽しげに喋っていた。
 フィギュアや、キャラクターの顔などが分かるものはないのだが。何故かメガホンがストラップだっり、ネギが着いていたりしていた。
 そして着信音は悲しい音になっているようだった。
 講義中などはバイブになっているので滅多に鳴ることはなかったが。一度近くで聞いた時は、男の声が剣呑な台詞を吐いていた。
 どんな着ボイスだよ、と訊くのも躊躇われたくらいだ。
「それでどこがライトなんだよ」
「ほんまやって。信じたって」
 宮内はねだるように言う。男がそんな言い方をしても気味が悪いだけだと言いたいのだが。どうも宮内はそういう口調が似合うのだ。
 時々年下かと思うほどだ。
 こうして人にねだったり、頼み事をしたりというのが上手な奴なんだろう。俺はそういうのが一切苦手だから感心してしまう。
「つかおまえ俺に絡んでて面白いのか?俺全然ヲタクじゃねぇだろ」
 どうして俺なんかに目を付けて構っているのか分からない。
 漫画やら何やらを貸してくれるのは、こちらとしてはありがたいのだが。俺から得られるものなんてこいつにあるんだろうか。
 話だってそんなに合うわけじゃないだろう。
「……あかん?」
 ゆっくり首を傾げて、宮内は静かに問いかけてくる。
 いつも騒がしいくらいなのに、そうして大人しくなられると責めているみたいでどきりとする。
「いや、駄目なことないけど。面白いのかと思って」
 不快だと言っているわけじゃない。宮内を邪険に思っていたのは出会ったばかりの頃だけで、今はすっかり馴染んでしまったし。こいつは変人だけど悪い奴じゃないのは分かっているから。こうしているのも嫌なわけじゃないのだ。
 ただ純粋な疑問だった。
「おもろいよ」
 宮内はほっとしたような表情を見せた後に、どうしてか噛み締めるみたいに言った。
 改まった言葉に聞こえて、俺は何か特別なことを尋ねてしまったのだろうかと自分の言ったことを思い返すけど。でも何が宮内にとってのネックだったかなんて見当も付かない。
 変な感じだけが残る。本当にわけがわからない。
 今日もそんなことを思う俺の手に、携帯電話ではなくジャンプが差し出された。



 俺の周りにはもう一人変人がいる。
 成田だ。
 こいつと会ったのは中学生の時だ。一年の時に同じクラスになって、仲良くなった。部活が同じだったのでよく行動を共にした。
 普通に接している分には目立っておかしいという部分はそんなにない。
 だから出会って一年くらいは、俺は成田に対して変人だと言ったことはなかった。だが言わざる得ないことがあったのだ。
 ある日あいつは「赤い糸が見えるんだ」と俺に告白してきたのだ。
 冗談だと思った。そんなものがこの世に存在しているなんて思ったことはないし、夢見がちな女子でもあるまいし話題にしたこともなかった。
 運命というものすら俺は信じていなかったのだ。
 それなのに運命の相手と繋がっている糸、なんて言われて誰が受け容れるというのか。
 しかしそれを言った時の成田はあまりにも真剣で、緊張のあまり泣き出しそうな顔にすら見えた。今まで見たことのない成田の緊迫した表情に、俺は馬鹿かと嗤うことも出来ずに黙り込んだのを覚えている。
 本気であることだけは痛いほど伝わってきた。
 しかし、俺はそんなの信じてない。ということだけはしっかり伝えた。だって俺には見えない。生まれて一度もだ。それを見たという人間も成田が初めてだった。
「俺だって自分が見えてなきゃおまえと同じこと言ったよ」
 そう悔しそうに呟いた成田の顔は、俺をたぶん一生忘れないと思う。
 たかが中学生だって言うのに、あんまりにも切羽詰まった言い方をされて、俺は更に言葉を失った。
 成田は物心着いた時からそれが見えたらしい。両親にそれを話すと、どうやら母親の家柄ではまれにあることらしく、ごく自然に認められたようだ。
 けれど世間ではそうもいかず、成田は人に気軽に話すことではないと親に教えられ、そして自分でもそれを実感する羽目になった経験を幾つか味わったようだった。
 赤い糸なんてものに慎重になっているはずの成田がどうして俺にそれを告白してきたのかというと、気の迷いであると答えられた。
 そして「おまえなら馬鹿にしないような気がしたから」と付け加えるように告げられて、正直その瞬間に成田が俺の中で特別な友達になったのを覚えている。
 たぶんその信頼に叶うだけの人間でいようと感じたのだ。
 成田は周りにいる人間や、テレビの中にいる人たちの指を見て「あいつらは付き合う」「あいつら結婚してもすぐ別れる」とまるで予言のように俺に言った。
 そしてそれらは一つも外れることなく、今に至っているのだ。
 芸能人が結婚会見をする度に俺は成田に「どうよ」と訊き「あれは無理」「あれはいける」なんてやりとりをしては未来予想をしていた。
 繰り返すたびに俺は成田が言ったことを信じざる得なくなったし。そんなに強く疑わなければいけない理由もなかったから、いつの間にか俺たちの間では当たり前のことになっていた。
 そして俺は一度だけ、成田に自分のことに関して尋ねたことがある。
 俺の指に赤い糸は着いているのかと。
 その時成田は「ない」と答えた。
「シンギはまだ出会ってないんだよ。だから糸がまだ着いてない。出会っていたなら、糸っていうのは着いてるんだよ。どんな距離でも」
 まるで求めるかのように糸というのは指に絡み付いているらしい。運命の相手が離れてる場合は、それは宙で溶けて消えてしまっているけれど。近くにくると途端に色濃く現れて相手の糸と繋がる。
 しかしまだ出会っていない場合は指に糸は着いていないらしい。
 その時の俺は、これから運命の人に出会うのだという期待と、同時にそんな相手がこの世にいるのかどうかという不安を感じた。
 だがまだ中学生の時の話だ。
 人生この先長いんだと、幼い精神では捉えきれないことを口走っては糸のことなど気にせずに日々を過ごしていた。
 そんな成田の視線が、最近俺の指に向けられることが増えてきた。
 その訳を、俺はまだ怖くて訊けずにいた。



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