運命の人 3




(しくったなー…)
 集合時間は夕暮れで、そこから浜辺に移動してしばらくすると辺りは暗くなった。
 お互いの顔が認識しづらくなった頃に花火は開始され。始まると高校の違いも曖昧になり、入り乱れてはしゃいでいた。
 友人は目当ての女の子に声を掛けてなんとか良い感じになろうと努力していたのだが、やや上滑りしている感がぬぐえなかった。
 勝敗は微妙だな、というのが冷静な判断だろう。
 俺はと言うと、後輩が巫山戯て持ち上げた打ち上げ花火に触れてしまい。指に軽いやけどを負っていた。
 一瞬場の空気が静まり、気まずさが漂い始めたのですぐに何でもないと笑って、後輩に無理矢理絡んでなんとか元の空気に戻したけれど。
 やけどはじんじんと痛んだ。
 冷やした方がいいだろうと思いつつも、姿を消すタイミングが分からなかった。
 周りが俺を気にして、目を向けてくれるのだ。ありがたいけれど、空気が崩れるのは嫌だった。
 せっかく楽しい場なのに、ぎくしゃくしたら勿体ないだろう。
「大丈夫か?」
 しかし不意に声を掛けられ、俺はびっくりした。気が付くと間近に山崎男前の顔があったのだ。下の名前を男前と勝手に付けてしまったのだが本人に言うことは決してないのでバレない。
 近くで見ても均整が崩れない。肌が綺麗じゃないとか、変なところにニキビがあるとか、そういう残念さからも無縁のようだ。
「大丈夫。平気やから」
 いきなりこんな距離で見ることになるとは思わなかった。だが薄暗いのできっと相手は俺の顔なんて分からないだろう。
 俺が見えたのはこいつの顔をしっかりと見るという義務感があるからだ。
 すぐに距離を取って手を振った。
「こんなん何ともないし」
 大したことないと言うのに、山崎は「でも」と言った。名前も知らない他校の部員を心配するなんて。優しい人間なのだろう。
「冷やして来たら?水ぶくれとかになるよ」
 同じ高校の女子がそう勧めてくる。山崎が声を掛けてこなかったなら「ええって」と笑って流すのだが。今は「じゃあ」ときびすを返して近くにあるトイレに向かった。
 あのまま山崎の近くにいて、もっと喋りかけられると困るからだ。
 どうして困るのかは分からない。だがきっと冷静ではいられないだろう。
(…男前やなんて思ったから。姉貴にも話したからや)
 だから無駄に意識してしまうのだろう。そうでなければおかしい。
 大人しく浜に隣接している公園のトイレで指を冷やす。
 夜の公園は無性に寂しい。夏で開放的な気分になっているとはいえ、心許ない蛍光灯の下では気も滅入るというものだ。
「……やっぱ痛いな」
 赤く染まっている指を蛇口から流れる水に晒し続ける。生ぬるい水ではちゃんと冷えているとは思えないけれど、放置しているよりかは多少ましなのだろう。
(……俺痛い顔なんてしとらんかったはずやのに)
 どうして山崎は心配してくれたのだろう。たまたま俺が花火に当たったところを見ていたのだろうか。
 山崎の声を思い出しては落ち着かない気持ちになる。姉の良くない影響だろうか。
 きっとそうだ。姉の部屋には男同士が仲良くしている本が大量に置かれている。表紙を見るだけで「エロ本ですね」と言いたくなるような物も平然と平積みだ。
 家族公認ヲタクとは言え、一人暮らしではないのだから隠すくらいの気配りは見せて欲しい。
 おかげで弟は挙動不審になりかけているのだ。
「ま、気の迷いや」
 どうせすぐに消えてしまうような、ただの気分だ。
 水の感触にも飽きてきた頃、俺は蛇口を締めてトイレから出た。
 花火が終わる前には戻りたい。最後に残っている線香花火をちゃんと満喫してから今日を終わらせないと、納得出来ない。
 しかしそんなことを思いながら戻る俺の耳に嫌な台詞が届いてきた。
「先輩、私と」
 ああ、あかんその続きは。と言いたくなった。
 カーブになっている道の先、左右に添わせるように植えられている木々の隙間から人間が二人ちらりと見えた。
 一人は小柄な女の子。大会で山崎に嬉しそうな顔で寄って行った女の子だ。ここからでは顔はよく見えない。けれど口調からして真剣であることは間違いないだろう。
 案の定というか、相手は山崎だった。
 曲がることのない綺麗な背筋。服装も先ほど俺に真横にいた男以外には有り得ない。
(ベタな展開。青春真っ直中て感じやん。つか付き合ってなかったんか)
 大会で二人を見た時は恋人同士なのだろうと思ったのに。まだだったらしい。では今からだろうか。
(こんな場面に出会してもなぁ。姉貴にもよう言わんし)
 男前は女の子に告白されてましたなんて。腐っている女性には美味しくも何ともない展開だろう。
 しかしみんなの所に戻りたいのだがこの道を外れて出て行くことは出来ないし。あっさりと姿を現して、二人の横を通ってちょっとごめんなさいねーなんて。出来るはずもない。
(タイミング悪っ)
 聞きたくもない告白を聞く羽目になるなど。同年代同性がモテているところを見ても楽しくも何ともない。
 密かに溜息をついていると、女の子が続きを口にしている。
「付き合って下さい!お願いします」
 頭をがっつり下げて願い出ているのだが、山崎は無反応だ。
「ずっと先輩のこと好きでした。一緒に部活出来るんが嬉しくて。でも、先輩引退してしまうから。それ思ったら、どうしても」
 告白せずにはいられなかった、のだろう。
 当たり前のように会えていた日々がなくなってしまうから。だから特別な関係が欲しくなった。分かり易い気持ちだった。
「駄目、ですか?」
 黙ったままの山崎に、後輩は恐る恐る答えを求めている。
 きっと受け入れてくれるのならばすでに了承の言葉が聞こえているはずだと思ったのだろう。
 それは俺も同じ考えだった。
「ごめん」
 短い断り。ありきたりな返事だ。
 それに後輩が息を呑むのが気配として漂ってくる。
「どうして、ですか?他に好きな人がいるからですか?」
 そこからはまるで決壊した津波のように人の名前が聞こえてきた。同じ部活の女子の名前なのだろうか、それとも山崎のクラスメイトか。
 よく分からないが自分以外の人間を探しているその人が少しばかり哀れだ。
「違うよ。そういうのじゃなくて。受験で今誰かと付き合うとか。そんな余裕ないし」
「勉強の邪魔にならないようにします!我が儘も言いません!」
 だからと言うのに山崎は「いい」とは言わない。
「俺…そういう目で見られないから。いい後輩だと思ってるし、いい子だと思うけど。でも、付き合うとかは考えられない」
 真面目な喋り方だ。だが言っていることは非道だと思った。
(あかんなー。他の好きな人がいるならともかく。誰もおらんのにおまえは駄目やって言ったら。えらいきついやん)
 どう足掻いても自分はその人の好意に入ることは出来ない。
 そんな結論が突き付けられるのだ。
 山崎本人はどう思ってそれを口にしたのかは知らないけれど。振り方が綺麗ではない。
「……そう、ですか」
 後輩は押し殺すようにそう言った。すでにその声は泣いている。
 傍観している俺の視界から、後輩は逃げるように去っていく。山崎の前にいるのが耐えられないと言うようだった。
(青春やね−。甘酸っぱいわ)
 他人事としてそれを眺め、俺は腕を組んで山崎を見ていた。
 この男も、付き合ってみればいいだろうに。見たところ可愛い感じの子だったのだからちょっとくらい遊んでも損はないはずだが。
 性格などが合わなかったのだろうか。
「……はぁ」
 山崎は大きく溜息をついては前髪を掻き上げた。苦悩が滲んでそうな息だ。
 一気に疲れたような雰囲気になっている。
「……だって、そんなの分からねぇんだよ」
 呟きに俺は耳を澄ました。
「好きとか、付き合いたいとか。んなもん分からないのに付き合ったら……可哀想だろ」
 誰が聞いているはずもないその独り言に、俺は時間が停止したような錯覚を覚えた。
 呼吸を止めて、山崎に見入ってしまう。
(……分からへんって)
 好きだという感情が分からない。
 人が聞けば馬鹿にしたくなるような言葉かも知れない。けれど俺には痛感させられる悩みだった。
 そんなの分からない。
 どうなれば、自分がどんな風に変化すれば誰かが好きだと言えるのか。好きだと認識されるのか。
 誰かのことが頭から離れないだなんてことは俺にはなかった。独占したいと思うことも。抱きたいと思うことだってなかった。
 オープンヲタクとして平然と生きている俺だけれど。今まで女の子と付き合ったことはある。同じヲタクだった場合が多いけれど。
 共通の趣味で盛り上がるのは楽しい。一緒にいて面白いとも思った。
 だが独り占めなんてしたくなかった。同時に独占されることは我慢出来なかった。
 時間を束縛されたくない。思考をすり寄せられたくもない。
 自分は自分であり。妥協もしたくないし、染められたくもなかった。やりたいことがあればそれを優先する。自分の望むようにしたかった。
 だから煩わしいと思った時にはすぐ別れた。もしくは先に振られていた。
『私のこと本当は好きじゃないんでしょ』
 そう言ってきた子もいた。その時俺は、そうかもな。と答えていた。それが事実。
 そんな感情分からない。でもきっかけがあったら付き合ってみる。面白そうだから。暇潰しくらいにはなるから。
 相手の気持ちはあまり考えなかった。好きな俺と一時だけでも一緒にいられればそれでいいだろうと思っていた。
 山崎のようにそれが可哀想だと思ったことはなかった。
(…馬鹿な男)
 付き合ってみればいいのに。そんな真面目に深く捕らえなくても恋愛にはそんな重さはない。
 気軽に付き合って、嫌になったら別れれば良いではないか。
 しかしそう簡単に割り切らない、恋愛を大切に扱っている山崎が酷く特別な存在に見えた。
(恋に恋するお年頃って感じやな。実際付き合ってみたら呆気ないもんやと気付いたりして)
 そう心の中で笑いながらも、後ろめたそうな溜息を繰り返す男から目が離せなかった。
(……こいつは相手を大切にするんやろうな。もし付き合ったら俺みたいに身勝手に振り回したりせずに。守ってくれるんやろうな)
 それはとても幸せなことではないだろうか。
 紳士な、真摯な態度で向き合ってくれるだろう。
 もしあの口から好きだと言われたのならば、生きてきたこと自体が喜びになるのではないか。
(この男と恋が出来たなら)
 世界が色を変えるのだろう。
 羨ましいと思った。もしそれが出来るのならば。
 そこまで考えて、口元を歪めた。
(有り得へん)
 なんて馬鹿馬鹿しい妄想だろう。そもそも俺は同性を範疇に入れていない。
 だからこれはただ単純に思い描いただけのこと。
 これ以上どうにかなることはない。山崎とはこの花火が終われば離れて二度と顔も見ないことだろう。
 言葉もろくに交わしたことのない相手なのだ。
 ここで俺の妄想も途切れる。
(恋になるはずもない)
 ただ少しだけおかしな考えを巡らせただけ。
 この心が動いてしまったのはきっとただの勘違い。
 自分を嘲るとすぐに冷静さが戻ってきた。何気なく見上げた空には微かに星が見えていた。街灯に塗りつぶされそうな淡い光だ。
 しかしその時勘違いだと思った気持ちは、その星のように淡く俺の中に生きていた。そして確かに根を張り、息づいたのだ。



NEXT 



TOP