運命の人 4




 もう会うこともないだろうと思った男を再び見たのは大学の入学式だった。
 しかも同じ学部。
 錯覚だと思っていた感情が、その姿を見た途端に鼓動を刻み始めた。
 運命だ。
 その瞬間俺は思った。
 頭のおかしい発想だ。しかしその時は運命というものを信じたのだ。あえて言うのなら今でも信じている。
 この男にまた出会って、同じ場所に通い続けることになるなんて。それを運命だと思えるなんて。
 果たしてこの世に生きている人間の中で、運命を感じたことのある人はどれだけいるだろう。全身で運命を受け入れる覚悟を、その快楽を味わったことがある人間なんて。ほんの一握りだろう。
 俺はそれを与えられた。
 運命を知ることが出来るというのはきっと奇跡みたいなものなのだ。
 そう思うと俺の覚悟は隕石のごとき堅さと強さを持って落下していった。
 どれほどの速さだったかというと、入学式から帰ってたその足で姉の部屋に突入したくらいだ。
 本棚にこれでもかと言うほど詰め込まれている本の中から、びーえると呼ばれる男同士が絡んでいる内容の本を選んで貪るように読んだ。
 はっきり言って現実味の薄い話ばかりだった。もはやギャグじゃないのかという本ばかりだったのだが、それは読み続けることによって耐性がついた。
 男を好きになることくらい何だ。別に大したことではない。という異常さを身につけられるくらい、洗脳もされた。
 姉があの系統の話を好む理由も微かに分かるような気がした。
 何というか、独特の世界を形成している。ハマればハマるのだろう。
 姉は「BLはフィクションだ」と俺に念押しするように言っていたが。フィクションもノンフィクションも関係なく。これに似たような状況に突進する計画をしているのだ。
 勢い付けるためには、これで基礎を付けるのも有りだと思った。
 山崎を見付けてから一ヶ月ほど。俺は男同士の知識を仕入れて、それを自分に言い聞かせていた。
 知識を求めて貪欲にのめり込んでいくのはヲタクのサガかも知れない。
 まずは自分をという存在を山崎に認識して貰おう。それから少しずつ距離を縮めよう。
 好きになって貰えるなんて思ってない。男同士ということはきっとネックになってくる。けれど友人くらいにはなれるだろう。そこから侵略していけばいい。
 友人と恋人の壁は薄く、軽く乗り越えられるものだと思わせてしまえば良いのだ。
 何だったら肉体関係を持ってしまってから意識を塗り替えてやっても良い。同性で抜き合いするくらいなら、はっきり言って雰囲気に流せば余裕で出来ることだろう。
 そこから切り崩して、山崎の中に入ってやる。
 運命だと一方的に決めつけた俺はどうしても山崎が欲しかったのだ。
 そして頭の中で幾つもシミュレーションした接近計画の一つ。5.1B計画を実行したのだ。
 なんてことはない。5月1日の二限目に行動に入ったのでこの計画名だ。
 初めは警戒心剥き出しだったシンギが、少しずつ俺に慣れてくるのを感じるのは楽しかった。
 そして今は。
(…ごめんなぁ後輩ちゃん)
 シンギのベッドで横になり、こちら背を向けて座る人を見つめる。
 身体には抱かれた後の気怠さがしっかりと纏わり付いていた。
 気持ち良くなった後、眠気に誘われて俺はそのまままぶたを閉じて寝てしまったのだ。
 枕もとの時計を見ると一時間くらい経っている。
 クーラーの効いた部屋でつい、夜空の下でその背中を眺めたことを思い出していた。
 約一年前にシンギに告白していた女の子の背格好まで蘇る。
 彼女の気持ちが今はよく分かった。
 好きで好きで、離れがたくて。告白せずにはいられない。自分のものにしたくてしょうがない独占欲が。
 だからこそあの時あっさりと振ってしまったシンギが酷い人だと、あの時より深く感じる。きっと人の情がどれほど強く、脆いものか知らないのだ。
 だがそれもまたシンギの魅力だと思う。
 あの後輩を振ったことでずっと罪悪感などを持っていられたら、自分が浸食する部分が減ってしまうかも知れないではないか。この人の心は何であっても自分に向けて欲しいのだ。
 他人に向けられるものは少なければ少ないほど望ましい。
(この男はもう俺のものだから)
 あの日貴方が好きだと言った男は、今俺を抱いて欲情を吐き出すようになったのだ。
 教えてやるつもりはないけれど、優越感は押さえようもなかった。
(自分がこんなに性根の悪い人間やとは思わんかったわ)
 こんな浅ましさがあったのだ。独占することもされることも勘弁だと思っていたくせに。去年の自分がこの現状を見れば嘘やろと呆けるだろう。
 しかしそれもまた愉快。
(人生は何が起こるか分からんな)
 微かに笑いながら俺は起き上がり、シンギの背にべったりとくっついた。何をしているのかと思ったらパソコンでレポートか何かを書いているようだった。真面目なことだ。
「何のレポートなん?」
「起きたか」
 声を掛けるとシンギがちらりと振り返る。
 俺は後ろから覗き込むようにパソコン画面を見るのだが眼鏡をかけていないのでよく分からない。目を細めて見ても文字がぼやけて中身を解読することは不可能だった。
「んー?眼鏡ないから読めん」
 シンギの肩に腕を回して、一層顔を前に突き出した。それでも文字は見えない。だがシンギに密着出来るのは嬉しいので体勢を変えることない。
「読めないなら眼鏡かけろよ」
 そう言ってシンギは俺の腕を外した。べたべたするのはあまりお好きではないらしい。
 残念に思いつつ俺はベッドに戻って眼鏡を探す。確か抱かれる時にシンギに外されて、この辺に置かれたような。
「…おまえって眼鏡ないとやっぱしっくりこないな」
 眼鏡を探している俺を見て、シンギはそんなことを言い出した。
「そう?」
 気にしていないような返事をしながら、内心この眼鏡はシンギの為に買ったものなのだと呟いた。
 山崎という男に何とか自分を印象づけるため。短期間で顔を覚えて貰うために特徴が欲しかった。だからちょっと派手な眼鏡を買ったのだ。
 高校の時はノーフレームでつるが銀という、ストイックな眼鏡だったが正反対の方向に走った。
 おかげでシンギは俺の顔をすぐに記憶してくれたようだった。もっとも出逢い方からしてインパクトを狙ったので、眼鏡の特徴が役に立ったかどうかは謎だったのだが。
 こういう台詞が出てくるということは、少なくとも俺のイメージの中に赤眼鏡は入っているのだろう。
「眼鏡あった方がええ?似合ってる?」
 枕元の眼鏡を探し出していつも通りの位置にかける。
 視界がクリアになって、こちらを見ているシンギの視線を理解した。この人に見られているというだけで体温が微かに上昇する。
「似合ってはいるな」
「シンギって眼鏡属性?眼鏡っ子好きなん?」
 この世には眼鏡をかけている人間が好きだ。むしろ眼鏡がメインだという人種がある。あいにく俺にはまだ身につけられていない属性だ。
 しかしシンギがもしそうだとすれば、これは良い好みだろう。だって俺起きてる時はほとんど眼鏡かけてる。
「いや別に。眼鏡が好きってわけじゃない。おまえに眼鏡があるのは自然だってだけの話」
「なんやねんそれ」
 眼鏡があることに萌えはしないけれど。俺には眼鏡がある方がおかしくないだろうなんて。言われてもそんなに嬉しくないし。もっとコメントの仕様があるだろうに。
(眼鏡属性ないんやったらコンタクトにしたろかな)
 コンタクトの方が便利なのだ。だから眼鏡を止めようと思ったことは何度もある。
 だがかけ続けたのはひとえにシンギのためだというのに。この有様だ。
 恋心はなかなか報われない。
「ああ、でも」
 シンギは何かを思い出したように口を開く。
 次の瞬間俺は耳を疑った。
「眼鏡にぶっかけるのは興奮するけどな」
 ちょっと待て一般人。
(こいつ、今何て言った!?)
 ヲタクが二次元に対してそんな戯れ言をほざいているのならば、笑って流したことだ。人には誰しも変わった趣向がある。
 自分にだってあるのだから人にだって様々だろう。まして二次元なら妄想だけで終わるのだから平和なものだ。
 しかしこの男は今三次元の俺に向かってとんでもないことを言わなかったか。
 そういえば以前眼鏡にかけられて難儀したものだ。知っているかあれはタンパク質だぞ。汚れ取るの面倒だったんだぞ。
 しかしあの時はシンギが欲情していることの方が嬉しくて、ついつい調子に乗って盛り上がったものだが。
「人のこと変態って言うけど。シンギも大概変態やん……」
 しかも真顔で平然と言うからたちが悪い。変態なら変態らしくテンション上げるなり、はぁはぁするなり分かり易い態度を取ってくれ。
 ふて腐れたような顔をしてはみたものの、急激に恥ずかしくなって頭を抱えた。
「変態ってほどじゃないだろ」
「十分やから。十二分過ぎるから」
 怪訝そうな声に俺は呆れてしまう。俺もシンギの前で色々とフェチだのコアだのという話をしているのだが。これは毒されすぎだろう。
(あかんなぁもう。この先が怖い)
 この人がもっと変態になったらどうしよう。
 不安と小さな期待が掻き混ぜられて俺は高鳴る鼓動が落ち着くのを必死に待っていた。







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