三千世界   六ノ九




 煙草盆の傍らにある小さな行灯が、ちりっと囁くようにして身を焦がしている。ほんのりとした灯りに照らされた玻月は、躊躇いもなく綜間を見詰めてきた。
 その視線に後ろめたさを覚えたのはいつ頃からだろうか。
 玻月の瞳に月の源の気配でも感じ取って、瞳術の持ち主だと警戒していたか。
 修羅場もそれなりにくぐってきた。己にもそれくらいの勘はあるだろう。
(……思い上がりだ)
 ただ玻月の向けられる情から逃げていた。
「おまえは、俺に見せたかったんじゃないか?望まない相手をあてがわれた狼がどうなるのか。死ぬほど苦しむんだってことを」
 玻月にそれを勧めるのがどれほど非道であることか。狼にとっての屈辱を、あの雌の姿を見せることで綜真に思い知らせたかったのではないか。
「……否定は出来ない」
 定食屋で犬の雄の話を黙って聞いていた玻月が、そんな考えたに至ったことを。綜真が責められるわけがない。罪悪感があるのか玻月は声を落としたけれど、本来そうしなければならないのは綜真の方だ。
「しょげるんじゃねえよ。お互い様だ。俺だってもし今発情期の狼の雌と会えば、おまえが多少は関心を持つんじゃねえかと思った。卑怯なのは俺だ」
 双方あの雌を利用していた。
「……どうしても俺は嫌か。綜真にとって俺がつがいに相応しくないのは分かっているはいる」
「そうじゃねえ。そういうこっちゃねえんだよ。おまえは預かりもんだ。里に戻らないと言っても家族は待ってる。おまえが真っ当な狼の道を進むことをあいつらは願ってる」
 玻月がいなくなった頃から綜真は炯月たちを見てきた。死に物狂いで玻月を探し、帰ってきて欲しいと切望したまま亡くなった母親とも旧知の仲だ。
 そして玻月が戻ってきた家族たちの喜びようも知っている。だからこそ、玻月は狼の里で狼らしく生きるのが良いだろうと思っていた。
(それが正しい)
 そこまで考え、己に対しての苛立ちが込み上げてくる。
 そうじゃない、そんなものじゃない。そんな綺麗事じゃないと、叫び出したい衝動が胸の内にある。
 もとより綺麗事とは無縁の人間であるくせにと、誰かがせせら笑っている。
「家族がどう思っていても、俺に里心はない。狼の里は、俺の居場所じゃない」
「そうは言ってやるな。おまえはあそこで長居をしていないからだ」
「どれほど長居をして、里が良いところであっても、家族が望んでいても。つがいほど欲しくない」
 欲しいのはたった一つだと、玻月はいつだって突き付けてくる。
 先に目をそらすのはいつも綜真だった。
「この瞳は、綜真にとって良いものだろう」
 玻月は逃げようとする綜真ににじり寄ってくる。そしてあぐらをかいた太腿に手を突いた。
「この目が欲しいだろう。俺はおまえの道具でも構わない。そばにいたい。俺を好きに使えばいい」
「俺がおまえをそんな風に使うと思ってんのか」
「他の雌とつがいにされるくらいなら、俺は道具にされたほうがいい」
「それじゃあ紅猿どもとやってることが同じじゃねえか。俺は下郎じゃねえ」
「下郎に使われるより、捨てられる方が辛い」
 切々と語る玻月を横目で見やると蒼灰色の瞳が涙をたたえていた。泣きわめくだのということはしない、落ち着いているというより感情がどこか抜け落ちているような子だというのに。綜真を求めてくる時はいつだってそうして必死なのだ。
 我が身を捧げるような、なげうつような有様に、いつも言葉を留められる。
 腹の奥から生まれてくる衝動に奥歯を噛み締め、髪を掻き乱す。緩く編んでいる髪はぼさぼさに乱れていくけれど、構っていられない。
 己の感情に理性と憐憫で目隠しをしても、玻月がそれを払いのけてしまう。気付きたくなかったものまで、突き付けてくる。
(俺は、てめえのことをもっと聡明で冷酷で、分別がある生き物だと思ってたんだぜ)
 己一つで完成させられる。万物を手に入れるとまではさすがに厳しいが、独りでも過不足なく生きていける。欠けたものがあっても力業で埋められる自信があった。
 だから他者などいらないのだ。邪魔なだけだ。
 足枷になりそうなものは必要ない。だから何を言われても、想いを寄せられても、それは重たいだけのものだった。
   誰も欲しくない。それが賢い生き方だ。
(おまえが俺を馬鹿にするのか)
 こんなちっぽけな一匹の狼が、愚直なばかりの雄が。これまで綜真が積み重ねてきた賢明さを無駄にするのか。
 月の源が欲しいかと見せびらかされても、生身の狼が付いてくるくらいなら、邪魔になるからいらないと切り捨てるのが正しい判断なのに。覆すのか。
「おまえの瞳術は俺がどれだけ源を組み上げて防ごうと思ってもすり抜けて入ってくる。いざとなれば俺を発情させて、身体から懐柔することだって出来るんだぜ」
 実際の交尾がどうであれ、玻月と交わることは最上の快楽だと瞳術で思い込ませてしまえば、綜真は玻月に屈するだろう。発情期の狼にとって、発情期のない人間を己に合わせるにはもってこいの手段だ。
 だが玻月は目を据わらせた。
「俺にあんな真似をしろと?発情は、無理矢理させるものじゃない」
 まだ一度しか発情期を乗り越えていない狼が大きな口を叩く。そう笑ってやるのは容易いけれど、こうして膝に懐いてきている子に上目遣いで睨まれて、ぞくりとした己の性癖が嫌になる。
「だからおまえはたちが悪いんだ」
 どんな誘い文句より、しなだれかかる豊満な身体より、そうして真摯に思いをぶつけてくる様に欲情を煽られる。
(おまえは無意識だろうが、逃げ場をどんどん塞いでくるな)
 尻込みする綜真をせせら笑うか。それとも手を引いているのか。どちらにせよ、たちの悪さは天下一品だ。
「里に戻って子をなして、幸せな狼になる道だってあるのによ」
「欲しいつがいを己のものにする以上に、幸せなものなど狼にはない」
「一丁前に狼を語るようになったな」
 そして立派な、美しい狼に育った。



 膝立ちの玻月が身をくねらせる。
 一糸纏わぬ裸体が行灯の光に照らされては艶めかしさを増していた。旅をしている雄の狼だ、決して手間のかけられている肌ではないのに、さらりとした手触りは綜真の掌に馴染む。
「んっ、あ」
 片手で茎を弄ってやりながら、尻を鷲掴みにした。女より肉の薄い、筋肉を感じさせる尻だ。けれどひくりと反応する腹部を見ていると、無性に下肢が疼いた。
(どうかしてんなぁ、俺も)
 雄の身体を弄って、どうして煽られるのか。気持ちが悪いと思うはずだったのに、いつの間に性癖が変わってしまったのか。
 全て玻月のせいだと思えば、この狼はとんでもない男たらしだ。
「は、っう、ん」
 固くなった茎はこのまま扱いてやれば、すぐに白濁を吐き出すだろう。上気した頬を見れば、絶頂が近いことも分かる。
 おそらく獣同士だったのならば、発情の甘やかな匂いも嗅げただろうが、生憎人間である綜真には分からない。それが惜しいといえば惜しい。
「こっちにも欲しいか?」
 尻のすぼみに指を這わせると、玻月はこくこくと頷いた。
 雄なのに尻に入れて欲しがるのは妙であるけれど。それを好む雄や男がいるのも知っている。まして今年の発情期では、茎だけでなく後孔も弄ってやっていた。玻月はそこに綜真のものを受け入れようとして、その練習のために指をねだっていたのだろう。
(そう察しながらも、こっちに手を出してる時点で俺だってとっくに腹をくくってるようなもんじゃねえか)
 数日前の己の愚行を思い返しては自嘲が込み上げる。
 発情した狼が可哀想だから、発情を抑えるのを手伝ってやるのだ。そんな言い訳を通すのならば、せいぜい茎を弄る程度にしておくべきだった。
 後孔にまで愛撫を施した時点で、ここを使う行き先がちらついていたはずだ。
 ぐだぐだ物を言いながら、結局抱く気持ちが腹の中で固まっていたくせに。
「あ、あっ、う」
 玻月は喘ぎ声を隠さなくなった。それに綜真が息を浅くすると学んだからだろう。
 共鳴を欲しがって、玻月は身体を寄せようとする。けれど綜真はそれを許さなかった。
「身体を俺に付けるんじゃねえよ。まらを扱きにくいだろうが。尻を突き出せ。指を入れてやる」
 ざっくばらんとした指示に、玻月は言われたとおりに尻を突き出すような体勢を取る。自然と顔は綜真に近付くので、唇を重ねてやった。
「んー……んっ」
 舌を出せと囁くと、玻月は言われたままそれに従う。口を開けて無防備に舌を差し出されて、噛み付くようにして絡め取る。
 刀の手入れに使う丁子油を手探りで探し当てては、後孔に差し入れる指に纏わり付かせた。こんなものを手元に用意している己が滑稽だ。
「んっ、あ……」
 後孔に指を入れると、すぐにそこは締まった。きゅうと指に懐いてくる内側を宥めるようにして、拡げていく。幾度か味わった感覚に玻月は更に息を乱した。
 もう片方の手で愛撫されている茎が膨らんでいく。
「ぅん、あ……っ!」
 指を少し進めると内側にしこりのようなものがある。それを指の腹で弄ると、茎がびくびくと反応しては透明な雫を溢れさせた。先走りを練り込むように茎を擦ってやると玻月の腰が揺れ始めた。
 体内から与えられる刺激で快楽を得る術を、この狼は従順に学んでいく。指を咥え込み、忙しなく締め付けながら綜真の手の中に茎を押し付けていく。あられもない痴態に自然と舌なめずりをしてしまう。
「気持ち悦いか?」
 問いかけに玻月は「はぅ、う」と返事にならない声を上げている。それすら淫らな誘いに感じられた。
「随分よがってんな。こんだけ張り詰めてんだから、そろそろ出そうか?我慢せずに、出していいぜ。全部、絞ってやる」
 ほら、と囁きながら茎を扱く手を早めてやる。すると玻月は背中をしならせては、きゅうきゅうと指を咥えたまま体内を収縮させた。
「あっ、あっ、ん……!」
 開けっぱなしの口から掠れた嬌声を上げて、玻月は茎から白濁を吐き出す。綜真はそれを綺麗に搾り取ってやった。ぐちぐちと白濁で汚れた手から酷い水音が聞こえる。ついでとばかりに後孔も掻き混ぜてやると、玻月が頭を振っては「やあ」と愛らしい声で啼いた。
 舌っ足らずなそんな声で啼けば、止めるどころか益々いじめてやりたくなると、そんな男心はこの子には分からないのだろう。
「は、やっ、めぇ、そうま」
 玻月の手が後孔を弄る綜真の指まで伸ばされ、抜いてと懇願される。
 抜きたくないと意地の悪いことを言いたくなって迷った。だが迷っている間に玻月に手首を掴まれた。大人しく指を抜いてやると、脱力した玻月がぐったりと身体を預けてくる。
 熱い身体を抱き留めてやると、荒い吐息が首筋にかかる。背筋を這い上がる欲望に天井を仰いだ。まるでこちらまで追い詰められている心境だった。