三千世界   四ノ七




 翌日は日が沈む前から櫓の周囲は騒がしくなり、夕暮れ時には太鼓や笛の音が響き渡り、歌声があちこちから聞こえてきた。
 提灯には沈んでいく日の代わりに火が灯され、ずらりと並んだ屋台からは活気の良いかけ声が飛んでくる。
 日常とは異なる、祭りの空気だ。
 綜真は祭りにはさしたる興味はないのだが、それでも浮かれた人々の雰囲気は嫌いではない。気持ちが踊り出すのはやはり喜色があちこちから湧き出てくるからだろうか。
 早護はやぐらに登っては太鼓を叩いていた。
 腹にさらしを巻き、肩から着物を落として諸肌を晒している。
 聞いていた通り、その胸元から腹にかけては銀色の刺繍のような模様が刻まれている。
 どうやら背中から胸元、腹にかけて包むように模様が張っているようだ。
 鳥の羽ではなく虫、蝉のような羽だと噂されていたが。早護の話を聞いたせいだろうか、蜉蝣のようにも思える。
 美しく、儚い銀糸だ。
 その羽を背負いながらも、早護は楽しそうに太鼓を叩いている。祭り騒ぎに夢中であるようだ。
(見たい見たいと思っていたもんで、確かに見るだけの価値はあるんだが)
 どうにも思いが絡み付いて見えてやや寂しさを帯びた羽だ。
(あれだけ綺麗な羽が残せりゃ本望だろうさ)
 子はなくとも、それで親姉弟が泣こうが喚こうとも。早護を好いたという者は願いが叶ったも同然ではないだろうか。
 その者に似ていると言われた玻月は屋台の飴を与えると、意外にも機嫌良さそうに食べている。
 普段あまり見ることのない無邪気な様に、物を知らない生娘かと言いたくなった。
 まだ辛うじて生娘なのは己がよく知っているのだが、そもそも娘ではなかった。
 村にも祭りはあったらしいが、ここほど大きなものではなく、もっと静かなものだったらしい。様々な声が混じり合い、もはや誰が何を言っているのか。どんな状況なのかすら把握し切れない、見渡す限り神格や人だらけという光景はなかったらしい。
 おかげで耳が忙しなくて、見ていると疲れないのかと疑問に思うほどだった。
 玻月に付き合って屋台を見て回り、飴だけでなく川魚の塩焼きだの、瓜の漬け物だのを買い与え、まるで孫を持つ祖父になったかのような錯覚に陥る頃には夜が深まっていた。
 一刻も経つとさすがに早護も太鼓を叩き続けるのが辛くなったのか、別の誰かにばちを譲って櫓から下りてきた。
 途端に雌だの雄だのに囲まれてあれこれ話しかけられる。首からかけていた手ぬぐいで顔を拭いながら早護は笑顔でそれに応えている。
 だが綜真に気付くと、話を切り上げてこちらに歩み寄って来た。
「よう。やっぱり来てたか」
「ああ。思ったよりずっと綺麗なもんだな」
 雄の身体に宿っているのだから、どうしても雌にあるより見た目としては劣ると思っていた。雌、女の柔肌に刻まれるほうが銀模様も映えるだろうに、とすら思っていたのだが。
 細いながらもしっかり筋肉がついた身体に、脈打つような銀が描かれているのも悪くない。力強さに優美を加えて、鳥らしい様であると思える。
「そうか。客寄せにもなってるらしいぜ。見世物じゃねえっての」
 肩をすくめる早護に雄が一匹寄ってきては酒の瓶を渡していく。
 太鼓を叩き続けた早護を労っているのか、酒と共に再び気合いも入れろということなのか。早護はそれを嬉しそうに受け取っていた。
 そして瓶に直接口を付けて煽る。
 豪快な飲み方だ。
「雌も寄って来てんじゃねえか」
 ちらちらとこちらを見る視線、そもそも櫓から下りてきて真っ先に捕まった相手は雌だ。
 色の込められた眼差しに気付かぬわけでもないだろうに。よく寄って来ないなどと言えるものだ。
「見えねえよ」
「そうか」
「ああ。見えねえのよ、他には何も」
 二、三度酒をあおった早護はそう言って笑う。
 昨日までは、先ほどまでは飄々としたところのある雄だと思っていた。己をしっかと保っている、その羽のことも深く思い悩むこともないような雄だと。だが乾いたその笑いを見ると、ひたすら己を隠していた、抑えていただけなのだと分かる。
 露呈させることの出来ないものを、早護は秘めている。
「この羽、まるで俺を抱き込んでるみたいだろ?」
「そうだな」
「でもな、抱きつきたいのは俺の方なんだよ」
 背後からそっと包み込むように、労るようにその羽はある。
 呪いだなんて言うくせに、文句を言うくせに、厭う感情を見せてこなかった者の本音がこれなのだ。
 疎ましげにしろと、周囲が告げるままに早護は己を偽った。偽った顔を表に出した。
 けれど抱いていたものは結局、未だに恋しそうに告げる情なのだ。
「もしあいつが雌だったら、今頃子どもだけでも俺の隣にいたかも知れない。あいつじゃなくて俺が雌だったら、仕方ねぇから抱かれてやったさ。子どもの一羽や二羽くらい生んでやっただろうさ」
 もし異なる性であったのならば、早護はたった一羽でここにいることはなかったかも知れない。
 小さな手を握って、祭りにはしゃぐ声を聞いていたかも知れない。
「だが違ったんだ。違っても俺がいいって言いやがったんだ」
 早護はその言葉に打ち抜かれたのだろう。だからこそ泣きそうな顔でそう告げている。
 身に摘まされる話だ。
 綜真も聞いたことのある台詞だった。そしてその言葉が、その思いがどれほど強く揺るがないかも感じている。
「何にもならねぇのにな」
 雄同士がつがっても何も成すことは出来ないのだと、綜真も繰り返し玻月に言った。
 説得もした。それでも玻月は首を振らない。
 家族ではない、周囲ではない。
 己の気持ちに従う。いや、そうするしか出来ないのだ。
「だからおまえは雌にも、雄にも振り向かずにたった一羽でいるのか」
「……何にもならねぇのにな」
 自嘲する早護は、己もまたその羽だけがあれば良いのだと言っているに等しい。
 何にもならない、他者からは責められるだけ。それでも己の心があれば充分なのだ。
 愛おしいと思う気持ちが己の目を満たすのだ。
 いや、目を奪い続けると言った方が正しいのかも知れない。
 そして早護はそれで良いのだ。それが良いのだ。
「坊主、この男と離れたくないなら長生きして、しがみつけよ」
 玻月を見ながら早護は柔らな表情でそう諭している。
「そんでもっと喋って、自身のことをもっと話せ。黙ってても伝わらねぇぞ。いちいち訊いて来るような気の利く男が相手ならいいんだが」
 どうだろうな、と語尾は言いたげだった。
 綜真は源に関することならば鬱陶しいほどによく尋ねるのだが、他のことになるとてんで興味がない。玻月のことはそれでも色々気を回しているつもりだが、足りているかと言われると首を傾げた。
 そもそも知って欲しいというのならば己から話せと思っている。なので黙り込む玻月とはあまり良い関係ではないのかも知れない。
 指摘されて少しばかり居心地が悪くなるけれど、玻月は何を思っているのか早護をただ眺めているだけだ。
 表情の乏しいその様に、大抵の者は聞いているのかといぶかしむところだが早護は微笑んでいるだけだ。
 むしろ懐かしいと目を細めている節まである。
 そんなに玻月に似ているのだろうか。
「俺ももっと、聞いてやりゃ良かったよ」
 さらりとした響きの割に酷く悔いを感じさせる。
(何が執念深くて参るだ。重くてたまったもんじゃない、だ)
 それは己ではないか。
 恋しくて、悔いて悔いて仕方が無くて。己の抱えている気持ちが重くてたまらないのだろう。
 どれだけ知らぬ顔をしていても、つがいになぞなれるわけがないだろうと苦笑していたとしても。この雄の思いは決められているのだ。
 もう全て過ぎ去っていたとしても。
「全然喋らないわ、黙り込んで俺を見詰めてくるわ。頑固で一度決めたらてこでも動かねぇし。病持ちのくせに」
 それが好きだったのだ。
 途方もなく好きだったのだと告白しているようだった。
 だからだろうか、玻月はやや戸惑ったような表情で綜真を見上げる。
 己ではない者に対する情を、己に差し出されているように感じるのだろう。
 だが綜真は玻月ではない別の者を、唯一の者を早護が見詰めていることを理解している。だからこそ玻月に苦笑を見せた。
 そうでなければ逃げろとでも言ったところだが、どうせ早護はもう誰も見えていない。
「綺麗な鳥だった。他の誰よりも、どこにもいないくらいに」
 やはりそう告げるのだ。
 逝ってしまった以上、この世に早護を奪う者はもういない。
 どうしようもない力強さで心を惹き付ける者はいないのだ。
 たとえ玻月がどれだけその鳥に似ていようが、他の誰が酷似していようが。どれだけ熱烈な愛情を語ろうが。早護には届かない。
(結局のところ、誰より愛おしいんだろう)
 羽を外すどころか抱きかかえ、宿し続ける。
 もしかするとその羽が三年経っても生き残っている理由は執念だけでなく。雄が名残だけでもいいからその鳥の命を感じていたいからではないだろうか。
 二羽で生きていた時間が完全に終わることがないように、片鱗だけでも生かしたいのではないか。
「早護!」
「ああ、行くよ」
 呼ばれ、早護は片手を上げた。
 それを綜真はもう止めない。知りたいことは全て、知りすぎるくらいに分かったからだ。
 早護にも通じたのだろう「じゃあな」と言い残して背中を向けて駆けていく。
(抱き締めている)
 前から見ただけでは把握出来なかったが、背中から見るとまさに抱き締めていると言えるような形で羽が表れている。
 仲睦まじい、などと思ってはいけないのだろうか。
(どこが呪いだ)
 風の源を用いて己の腕に羽を出現させる彼ら、鳥の眷属がその技と思いを源と共に愛おしい人に託した。ただそれだけと言えるような事柄だ。
 虫の羽を生み出せる鳥だったために、特別なことに見えたが。実際のところはそう複雑怪奇なことではない。
 けれどそれだけの思いを渡せる思いは、受け入れて生かし続ける思いは、そうないことだろう。
 珍しいと言えるのはその点だ。
 けれどその分酷であることもまた確かだった。