三千世界 四ノ八 祭りの後は空しい。 散々騒ぎ、盛り上がった後の静寂は耳ではなく心境に静寂をもたらすものだ。 玻月が祭りを気に入ったようなので、かなり夜までいたのだが。いつまでもここに留まるつもりはなかった。 知りたいことは知った。 同じ場所に立ち続ける必要はなく、時間を無為に過ごすつもりはない。 月が高く昇り、黎明を迎えるまでそうかからないだろうという時刻に村を離れた。 暗がりの中だが、夜に強い狼が傍らにいる。月も出ており、何より真昼の暑さより暗さの方が可愛げがあった。 水のせせらぎに涼を求めたつもりはないのだが、自然と足は川沿いを歩いていた。 螢がちらちらと舞い踊っており、夏の光景を照らし出している。 緑色を纏ったその光の中、玻月は気を取られる様子もなく歩いていた。 いつも通りの淡々とした態度だ。 あの雄の言う通り、この子は喋らない。 (……この螢がどうして光っているか、玻月は知ってるだろうか) 何故この虫はこれほどまでに輝いているのか。 夜の中で、殊更その存在を輝かせて舞っているのか。 雌を求めているのだ。 繁殖のため、子を成すためにこれほどまでに輝き、飛び交っている。 己の子を成すというのは虫にここまでさせるほど大切なことなのだ。虫だけでなく獣たちも発情期には必死になってつがいを求める。 それが生き物にとっての正しい姿なのだ。 だが玻月はそれに倣っていない。 雄であり、まして同族でもない綜真を選ぶ。 誰一人納得しない相手を求めている。 (こいつはどう思ってんだ) それ以前にこのことに関して悩むことがあるのだろうか。端から見ていると「そう決めたのだから突き進むしかない」という短絡的かつ強固な考えであるような気がする。 「綜真の親は、どこにいる?」 螢に目を取られていた綜真は、急に尋ねられて玻月を振り返った。 ふわりと玻月の目の前を螢が過ぎるが、興味はないらしい。 「さあな」 どこにいるのか、綜真が以前会った時の居場所にまだ住んでいるかどうかも謎だ。 もしかするとこの辺りにいる、と言われても不思議ではない。 両親は己とよく似た性格をしているので、奇妙な源があると聞けば飛んでいくような人間だ。 「兄弟はいるのか?」 続けられる質問に、どうやら玻月なりに綜真の繁殖のことでも考えたのかも知れない。 もしくは家族が玻月のことを許さないかも知れないという恐れがあるのか。 きっと早護たちに己を重ねる部分があったのだろう。いくら淡々としていても完全に無関心というわけではなかったようだ。 「俺が最後に会った時にはいなかったな。そうは言っても十数年経っている」 兄弟が出来ていてもおかしくはないのだが。今度はどんな子を作るつもりなのか、己を踏まえると気が遠くなるようなことだ。出来ればもう大人しくして欲しい。 「おまえは、子がいるのか?」 それは存在しているのかと訊いているのか、それとも必要なのかと訊いているのか。 どちらにしても言うべきことは同じなのだが、言葉の少ない玻月は時々目的が曖昧になる質問の仕方をする。 「今のところ持つつもりはねぇな。てめぇ自身のことで手一杯だ」 己の欲望にだけ忠実に生きているのだ。子どもがどうこうと考えるような隙間はない。 むしろ子など持ってしまえば身動きが取りづらくなので、要らない。と現状では判断するだろう。 しかし玻月から子どもについて尋ねられると、どうも痛ましい気持ちになる。それは己の気持ちを問われているように錯覚してしまうからだろうか。 「おまえは特別な源を持ってるんだろう?それはおまえの親がわざわざおまえに継がせたって」 岳丹の長い無駄話をよく聞いていたらしい。 あれを聞けば綜真は親から大切に生み出された、とても重大な子に思えるかも知れない。だが親が綜真をこんな形で生み出したのは、彼らの好奇心である。 それにはとても感謝している。源が多いことは綜真にとってとても有利であり魅力的なことだからだ。 けれどだからといって親がそうしたように、己もまたこの身体と源を次に引き継がせなければならないかと訊かれると首を傾げる。 まだそんな段階ではない。そして綜真は子を成すことに急がなければならないような年でも状態でもない。 (これが全部この世から消えるのは惜しいと言えば惜しいが。俺が死んだ後のことなんぞ知ったことじゃねぇしな) 己の源が無二のものであることは誇りである。己が持っているものが己の存命中に消えるならばどんな手を使っても止める。けれど己の命と共に源が尽きるのならばそれはそれで良いかと思うのだ。 欲しければ他の者がどうにかして保つなり、奪取するなりすれば良い。 「心配するならおまえ自身のことを心配しろ」 血統だの、子孫だのを気にするのならば狼である玻月の方だろう。 狼は数が多くない。そのため子を成すことは大切なことだとして望まれる。まして狼は子を多く産むことは出来ないらしく、三匹生んだ玻月の母など多産であると大層喜ばれたらしい。 そんな狼の子の親姉弟は、きっと玻月が子を持つことを願っているはずだ。綜真をつがいにしたいと言った時のあの衝撃がその願いの強さを物語っている。 きっと炯月はまだ玻月の子を諦めていないはずだ。 「俺には姉弟がいる」 「いてもおまえの親父は見たいと思ってる。だからあんなに怒ったんだ」 姉弟がいて、そちらが子を成すだろうから良いだろうと言われるのは分かっていた。狼の中で育った時間が短いせいだ。 犬だと思われていたのならば、子を成すことなんてそう難しいことでなく、むしろ多すぎて困る家族もいるくらいなのだ。 育ちの違いだなと軽く頭の痛い思いだが、それでも玻月が狼の子であることは覆せないのだ。 「炯月は今だって俺のことを殺したいと思ってる」 玻月をたぶらかしたと、何の事情も知らない他者が感じる感想そのままを信じていることだろう。それでもまだ殺していないのは玻月がそれを望んでいないからだ。 何もかもが玻月の願いに支配されている。 だがそれが炯月の優しさであり愛情なのだろう。 「俺はいらない」 迷いなく断言する子の中に、間違いなく己がいる。 おまえがいるからと言葉にはせずとも伝わってきた。 「だがおまえは、いると思う時がやってくるのか?」 特別な源があるから、子を成すのが望まれるから。いつか、これからずっと先に子が欲しいと思うのだろうか。 考えたこともないという綜真に、玻月は問いかける。 今しか見ていない男の浅慮を注意するようだ。まさかこんな幼い子に己の行き先を思案させられるとは思わなかった。 (ガキか……) その思案に応じるわけではないが、ふと真面目に考えると己の術師としての才が子に綺麗に受け継がれるとは思わない。だがもし手間と時間をかけて、親のように特別な子を作ろうとしたならば、どんな子が生まれてくるだろうか。 考えて見ると愉快ではあるような気がした。 だが誰の腹にそれを宿すというのか。 親がそうだったように源に富んだ女が良いに決まっている。だが綜真と釣り合うほどの源がどこにある。あったとしてそれが綜真とつがいになりたいと思うだろうか。 考え始めるときりがない。 それに子を成すなんて手間も時間も神経も使うだろうことをするより、己一人で様々なことが成せるのだから。まだまだ独り身で良い。 「思う時が来ないと言い切れない。だがそれはおまえだって同じだ」 「俺は思わない」 「決めつけるな。おまえはまだまだこれから生きる。どんなことを思い付いても、考え直しても構わねぇんだからよ。がちがちにてめぇの思いを決め込むと動けなくなるぞ」 まだ成獣かどうかも分かりづらいような年頃だ。 己はこうである、と全て決めてかかってはこれからやることなすこと息苦しくなるだろう。 玻月はそれでも腑に落ちないような眼差しで見上げてくる。 無垢で従順で、綜真の言うことならば何であっても飲み込んでしまいそうだ。だからこそ喜びも後ろめたさも恐ろしさもあった。 「今日はよく喋るな」 「喋った方がいいと言われた」 早護の言うことにまで従ってしまうらしい。 あれが背負っていた羽に、玻月が己の気持ちを重ねてしまっただろうことは、綜真の思い違いではないはずだ。 「そうかもな。おまえは、静か過ぎるから」 表情も薄いのに言葉も少ない、では綜真とて思っていることは分からない。 だから口に出してくれるのは良いことだ。 けれど同時にこれ以上その口から熱烈な愛情が零れ落ちてきたら、と思うと逃げ出したくなる。 誰かの思いを疎ましいと思ったことはあっても、逃げ出したいだなんて思ったことはこれまでない。己に向けられていようが己には関係がない。心は動いたりしないという自信があったからだ。 だがこの生き物に対してはそう断言出来ない部分がある。決して、認めるわけにはいかないが。 (厄介だ。本当に厄介だよおまえは) 言えば傷付けるだけだから言えない。そんな気遣いからして、己らしくないことだった。 |