三千世界   四ノ六




 呪いだと言った男はそれが恐ろしいものだという感覚はないのか、微笑んでいる。
 その反応が、綜真の好奇心を更に掻き立てた。
「誰の呪いだ。どうやってかけられた」
「呪いだってのに、なんでそんなに楽しそうなのさ。人格歪んでるって言われるだろあんた」
「聞き飽きた」
 素っ気ない綜真の返事に、早護は実に嫌そうな顔をした。己が綜真の餌食になると感じたのかも知れない。
 しかし話し始めたことは途中で切り上げられない。綜真がそれを許さないという雰囲気を察したのか口を開く。
「鳥の中には、羽の一部が蝉に似た羽になるやつがいる。透き通った、氷みたいな羽だ。俺たちのもんより薄くて繊細でな、綺麗な模様が入ってる」
 見て触れたことがあるのだろう。早護は懐かしそうな目をしている。
「普段はみんな人の形をしてるからな。実際見ることは滅多にないんだが、羽を出すとそりゃ美しくて、見惚れるくらいだった」
 鳥の羽自体、綜真の目からすれば美しいものだが。そんな彼らが見惚れるほどだ、さぞかし優美なのだろう。
(益々見なきゃいけねぇな)
 記憶に焼き付けなければならない使命感が沸き上がる。
「だがそれは儚くてな。どうも飛べないらしい」
 鳥のくせにな、と早護は皮肉なのか、それとも哀れみなのか判断しかねる声音で告げる。
 羽であるにもかかわらず飛べない。鳥としての矜持のない綜真にはぴんとこないが、鳥たちには思うものがあるのだろう。
「だがさっきも言ったが美しい。そしてその儚さは目を惹く。その羽が出るのはとある一族に限られていて、それもなかなか出てこないって話らしい。だから、出てきたとすれば大切に育てられる」
 ありがちな話だ。これまで様々なところを巡り、一族の中の変わり種は忌まわしいとされるか、吉兆だと崇められるかどちらかだった。ここでは後者であるらしい。
「なんでもその羽が出てくると一族が栄えるようになるってな。だから一族はその羽をもっと頻繁に出させようと、血を濃くしたがるらしい」
「近親婚の一族か」
「そうだろうな。俺みたいな平民には関係のない世界だよ。だが今回生まれたやつは身体が病弱でさ、長生き出来ないってちっちゃい頃から言われてたらしい」
 たまたま身体が弱いのか。それも特殊な羽のせいで身体が弱いのか。
 どちらも有り得そうなことだ。
 しかし早護はそこまでは知らないのだろう。
「一族もそれを重く見て、なんとかその羽を消さないようにって子を成させようとしていた」
 特殊な羽の直系であるなら、可能性が高いと思ったのだろう。
 己たちの繁栄に関わることだ、なんとか次の羽をと願ったはずだ。
 しかし早護はそこで口角を上げた。愉快そうなものではない、それは明らかな薄暗い微笑みだった。
「だがな、そいつが好きになったのは、つがいになりたいと思ったのはてめぇと同じ性だったんだ」
 つまるところ、答えは目の前にあった。
「おまえだったのか」
 早護の視線は手元に落ちた。
「俺はあいつの事情を知ってるからつがえねぇと言ったんだ。元々男色の趣味はないしな」
 子孫を残すことを願われている雄と、同じ性を好まない雄と。引き合ったところで何も成せない関係だ。
 だからこそ早護の笑みは少し歪んでいる。
「だがあいつは諦めなくてな。いつまでも」
「愛し憎しで、それが出たか」
 呪いだというのならば、一向に己の気持ちに振り向かない相手に恋情ではなく憎悪が勝ったのか。
 しかしそれならばもっと早護は怯えるなり、疎ましそうにするだろうに。何故そんなにも受け入れているような態度でいられるのだろう。
「さあな。生きてりゃどっちか分かっただろうけどな」
「死んだか」
「三年前だ。とは言っても、俺と会って一年も持たない内に逝っちまったんだがな」
 出逢ってから、共に過ごした時間は短い。
 きっと相手側にとってはあっという間の記憶だろう。それでも強く思いは残った。
「おまえは、それとつがったのか」
「つがっちゃねえよ。そんな誰も許しやしないこと」
 誰がするものか、と早護は冗談言うなとばかりに軽く流した。
 だが綜真にはその態度すらも、その重みを隠しているようにしか見えなかった。
「交わっただろう。だからおまえの中に、おまえ以外の源が宿っている」
 早護の中にはずっと、別の何かがあった。
 風の源を持っている鳥。その風の源の中でも、変わった色合い、気配のものが混ざっている。綜真ですら一つの源で異なる気配のものを複数持つことは出来ない。
 風ならば風一つ、水ならば水一つ。同種の源を異彩で抱くことなどどう足掻いても無理だ。そして必要もない。
 そこから生み出す術は一つなのだから。
 けれど早護の中には明らかに違うものが宿っていた。
 しかも呪いというくせに、それは早護の身体を蝕んで体力を奪っている様子もなかった。ただ共存している。
 柔らかなそれは、情交によって分け合うのがもっとも簡単なやり方だろう。まさか死んで三年経っても残っているとは思えなかったが。
(あんなの数日で消えるんだがな)
 その辺りは向こう側の執念というところなのだろうか。
「見えるのか」
 早護はそれまで見せていた表情を捨て去り、目を見開いた。
「見える。それに痛みはないだろ?」
「……ない。ただ夏になると肌に浮き上がるんだ。ちょうど盆の頃だ」
 ならばとても良い頃合いに、早護に会えたことになる。
 今がまさに盆の頃であり、祭りの時期だ。
「帰って来てんのか」
「命日ってのもあるんだろうさ」
 夏に逝ってしまったらしい。
 身体の弱い者は夏に逝くことが多い。息も絶え絶えになる季節は、身体の弱っている者にとっては厳しいのだろう。
 寒さと違って暑さを防ぐのは並大抵のことではない。
「薄く、銀色に刻まれんだ。あいつの羽が。これのおかげで呪いだの病だのって色々言われて、人目は寄ってきても、雌も女も退くばっかりだ」
 整った顔立ちの雄は、何事もなければ雌に苦労しないだろう。
 早護の言い方からもこれまでは不自由していなかった様子が香っている。
「今は哀しいやもめさ」
 哀しいと言うくせに、そこには嫌だと感じている響きが欠片もなかった。
「相手のもくろみ通りか」
「そういうことだ。執念深いだろ」
 しかしその深さは恋情の深さ、恋しさの強さでもある。
 そして早護はきっとそれに気付いている。だから苦そうな顔で、淡い笑みを見せるのだ。
 喜びではない、だが悲しみでも、まして恨みなどでもないのだろう。
「生きてる頃はそりゃ大人しくて静かなやつだったんだ。なのにこれだ。参るよ」
 苛烈な性格かと思ったのだが、情熱的な割に生前は静かな者だったらしい。
 意外だと思うが、普段大人しい者こそ、いざという時はとんでもないことをやるものだとも思う。特に斜め後ろに座っている狼など良い例だ。
「外してやろうか」
「あぁ?」
「その源を潰すか、他に映せば羽も消える」
 早護は耳を疑うようにして、綜真を凝視した。己を謀っているのではと、用心しているようだ。
「…出来るのか?」
「やって出来んことじゃない。潰すより移す方が簡単だ。移す先が問題だが、犬でも鳥でも神格じゃなくてもいい、生きてりゃ何でも構わねぇ」
 潰すとなれば早護の源も消してしまうかも知れない。だが移すとなればもっと安全で簡単なことだった。
「無論交わることもない。ちょっと肌に傷付けて血を貰うが、ほんのちょっとで済むしな」
 早護に源を宿した相手は交わったのだろうが。綜真はそんなことをせずとも、媒体となるものがあれば難しくない作業だった。
 興味深いのでやって見ても良い。早護ではなく他の生き物に宿っても、その源は羽を浮き出すのだろうか。それとも早護でなければしないのか。
 気になっていると早護は憂鬱そうな顔で黙り込んだ。
 迷惑なだけであるなら、快諾すれば良いだけの話であるというのに。
「女が寄って来なくて迷惑してんだろ?」
「来ねえな。こんだけ執着丸出しだったら怖いだろ」
 もし早護と交わって、羽の呪いでも受ければどうなることか。
「雄なんか趣味じゃなかったんだよ。まして向こうは子どもを残せって言われてんだぜ。結局あいつの親にまで恨まれて。俺のせいじゃねえのに、知るかって」
 心ばかりは自由に変えることが出来なかったのだろう。
 早護は当時溜まっていただろう不満を次々に喋り続ける。
「本人は言っても聞かねぇし、どうせもう死ぬから少しだけでもって、気持ちが重いんだよ」
 出逢って一年も過ごせなかった相手。どうしても死期は感じていたのだろう。
 だからこそ、己の思いを曲げなかったのかも知れない。
 子を残さなければならないと言われても、後悔だらけの死に際など迎えたくなかったのだろう。
「極めつけがこれだぜ?たまったもんじゃねえよな」
 ひたすらに迷惑であると、面倒事であったと告げる早護は、それでも綜真が言ったことの答えをまだ返していなかった。
 しかしどんな答えであるのかは察せられる。
「取ってやろうか」
「……いや、いいさ。下手に取ろうとして失敗し、下手にこじれて夏だけでなく年がら年中浮かび上がるようになっても面倒だ」
 失敗などするか、それは簡単なことだ。
 そう言っても良かった。
 だがそれでも早護は取ろうとはしないだろう。
 取りたいのであれば、愚痴など言わずに綜真が出来ると言った瞬間食い付けば良かったのだ。どうしても取ってくれと泣きつけば良いのだ。
 だが早護はそれに抗いを見せた。
 今も散々言ったにもかかわらず目を背けては言い訳のようにそう口にするのだ。
「いいのか」
「慣れたからな。構わねぇよ」
 今更ではないかと、薄っぺらい愚痴をそれでも続ける。
 だが逸らしたその目が次に見たのが玻月であることに、多少の引っかかりはあった。
「似ているか」
「あん?」
「おまえに恋着した雄に。玻月は似てるか?」
 初めから早護は玻月を気にしていた。目にした時から視線を向けずにいられないというような様子だった。
「あー、そうさな。似てるよ。顔立ちは鳥だからあいつのほうが細い感じだが。喋らないところとか、あんまり思ってることが顔に出ないところとか」
 玻月を見ながら早護はそう語る。
 きっと玻月の奥に別の者を見ているのだろう。
(情が強いところも実は似てるがな)
 己が好きだと決めた者はどうしても好きであり、他者が何を言ったところで聞き入れないというところまで通じている。
 もっともそんなことを誰かに教えるつもりはないが。
 だが早護は玻月を見て遠い眼差しをした後、再び玻月に焦点を合わせることはなく苦笑した。
 もうどこにもないことを何度も確認した者の仕草だった。