三千世界 四ノ五 人目に肌を晒す。 しかも背中から腹、胸などにあると言われて、それほど肌を見せるのならば遊女ではないかと思っていた。 彼女たちならば己の肌にそれがあったところで、売りの一つにするだろうと。 だが実際それを肌に宿しているのは、男だった。 美しい、綺麗だと岳丹もあの遊郭の雌たちも言っていたので。女、雌だとばかり思っていたのだが。鳥の雄だと聞いた時には落胆したものだ。 思い込みというのは人の目を曇らせる。 遊郭のある村から二つほど先に、その雄はいるらしい。 向かってみるとその村は祭りの準備真っ最中だった。 地面に柱を立てて紐を通し、提灯をぶら下げる。 色とりどりのそれは絵柄が描かれてあった。目を見張るほど上手いものから、子どもが描いたのだろうと思われる拙いものまで。きっとこの村の住人が描いたものなのだろう。 わいわいと櫓を建てている雄たち。頭には鉢巻きを巻き、着物は肩から落としていた。諸肌を晒しては汗を流しながら作業している。 祭りが近いのだろう。誰の顔も明るく、楽しみにしていることが見て取れる。 浮かれている雰囲気の中、玻月の耳は落ち着かなさそうにあちこち動いていた。人が多いので気を張るらしい。 それでも顔は平然としているのだから、表情の薄さは大したものだ。 (暗褐色の長い髪。いつも緑の着物を着ている、背の高い雄) 鳥の眷属だと教えられたので、そう体格は良くないはずだが。鳥の多い村ではそんな見方は無意味なのだろう。どいつも犬などに比べてほっそりとしている。 しかしそれらしい男が見付かり、顔立ちを見ると鳥の割に雄らしい容姿をしていた。 性差の少ない鳥にしては、雄とはっきり分かる。 「なあ、ちょっといいか」 はしごの上で提灯をぶら下げようとしていた雄に声を掛ける。濃い褐色の髪を一つに括り、緑色の着物の袖は肩までまくり上げている。 綜真を見ると怪訝そうな顔をした。 「あんたが早護か?」 さご、と呼ぶと「そうだが」と言いながらはしごを下りてきた。 「あんたは?」 「綜真。術師だ。あんたの肌を見に来た」 己の名前が通用するかしないかは、所によって違う。この辺りでは知られているかどうか分からないと思ったのだが。早護はやはり名前には反応しなかった。 ただ肌と言われて片眉を上げる。 「艶事の誘いか?悪いが男には抱かれないよ?」 「誰が抱くか」 きょとんとした顔で言われ、揶揄されているのかどうかも分からない。 少なくともそんな誘いに来たわけではない。暑さと相まってつい眉を寄せてしまった。 こんなくそ暑い中、筋肉もそれなりについている雄をどうして抱こうと思うのか。苛立つだけだ。 「じゃあ抱かれる側か?」 「くそ暑いんだ、笑えない冗談はそこまでにしてくれ」 棘が付いてしまう声に、早護は喉で笑った。 「あんたさんにはそこの犬っころがいるか」 玻月を見ては興味深そうな目をしている。何かを感じ取っているのか、純粋に気になっているのか。どちらかは分からないけれど、綜真よりも玻月の方に関心があるようだった。 「見せてくれないか」 玻月のことを訊かれても答えやすいことは一つもない。深入りされる前に己の要求を突き付ける。 「見たけりゃ祭りの時にでも脱いでるよ。あの上にも登るしな」 そう言って早護は顎で櫓を指した。 (なるほど、だからか) 何故肌に刻まれた羽が噂になるのか。どこで人目に晒されるのか。 何のことはない、祭りという人の流れが多い日にあんな目立つところにいるのだから、噂の一つや二つは容易に生まれる。 「祭りは明日、明後日のことだろう?今脱いだところで変わりないだろ」 見せるだけなら着物をはだけさせれば済むだけのことだ。雌でもあるまいし、腹や胸を見られたところで羞恥もないだろう。 それとも人目に晒したくないとでも言うのか。祭りの日には堂々と衆目に出しているというのに。 「どうして知りたい?」 こだわる綜真に早護は分からないという表情を見せる。他人の肌など、さしてこだわることではないはずだと言いたげだ。 「源が関わっていると聞いた。俺は源に関わることなら何だって知りたいんだ」 「はあ、人間は貪欲だな」 呆れているのか感心してるのか、そんなこと言いながらも早護はやはり綜真ではなく玻月を見ている。 「で、犬はどうしてあんたと一緒なの?」 どうして綜真のことではなく玻月のことを訊くのか。 やや神経に障る。玻月と綜真では、明らかに綜真の方が怪しい風体の男だからだ。あえて影の薄い、目立たない玻月にばかり注目する理由が分からない。 「訳ありだ」 「俺だって訳ありだよ。俺のことは訊きたいけど、手前のことは話したくないってのはおかしいだろ」 自身は沈黙し、人のことばかり根掘り葉掘り訊こうとする。決して行儀の良いことではない。もっとも行儀など気にして生きてはいないのだが、己のことだけはひた隠しする、という姿勢はどうも早護には気に入らないことらしい。 腕を組み、綜真が口を割るのかどうか確かめるように待っている。 「うちに来る?耳目を集めたいことじゃないしな」 「……ああ」 早護の家はこぢんまりとしていた。 しっかりとした造りで朽ちている印象はない。どこかの薬屋とは大きな違いだ。 きっと大きな家など要らぬと、その小さな家に住んでいるのだろう。一人身であることは簡素な家の中で察せられる。 蝉も鳴き声に「暑いねぇ」と早護はそう感じている様子もなく涼しげに喋る。 綜真など背中に伝う汗に苛々しているというのに、この違いは何であることか。 (鳥ってのはどうも涼しげだな) 身体の軽さのせいか、優雅に生きることを基本としている性格なのか、鳥はどうも暑さ寒さをあまり顔に出さない神格だ。 この時期はどこの家も簾がかけられており、部屋の中はやや薄暗い。けれど岳丹の家に比べて早護の家は簾の丈が短い。 縁側に着くことなく、簾はうっすらと下の部分に光を取り入れている。 暗さが苦手な鳥目らしい、光を慕う様が現れている。 水を出され、綜真は軽く会釈をした。 「その子はまだ子ども?」 腰を落ち着けるなり、早護はそう口にした。 見られている玻月はそれも気にせず、簾も向こう側へと顔を向けている。 鳥が数羽止まっているのだ。 「いや、こいつはかろうじて成獣だ。十七、八になる」 「見えないな!」 「幼い頃に親元から離されてな。今は戻ったが身体を育てなきゃいけない頃にろくな暮らしをしてなかったらしい」 だからまだ華奢な身体付きをしている。炯月がそれに心痛めているのだが、その点で安堵させる日はまだまだ遠いだろう。 (なんで骨が太くならねぇのかね) 食わせているはずなのに、とつい言いたくなる。 「ふぅん、名前は?」 「玻月」 名はさすがに答えるらしい。玻月は顔を正面に戻して、淡々と答える。 すると早護は双眸を細めた。 「へえ、いい名前だ。なんで一緒にいるの?たぶらかされたの?」 「どいつもこいつも、そんなに俺がたぶらかしたように見えるのか」 たぶらかした、誘拐だ、洗脳だ、よからぬ術の練習だ。そんなことを好き勝手に言ってくる。 己の素行のせいだが、いい加減嫌になってきた。 「普通はそう思うって。それで違うの?」 尋ねられた玻月はただ素直に頷いている。 「無口だねぇ」 まじまじと眺める早護に玻月の方は関心がない。その無表情さも無口さも綜真のせいだと想われることがある。心外だ。 「これでも狼でな、月の源を持っている」 「狼!?嘘でしょ!こんな雌みたいな顔してて狼だなんて!」 犬にしか見えないと言いたいのだろう。そして早護のように驚く者は多い。 慣れてしまった反応に、綜真もそろそろ信じようが信じまいがどうでも良くなっていた。 「事実だ。そうじゃなきゃ連れてねえよ。俺は月の源について知りたくてな」 「だから連れ回してんの?」 「こいつがついて来るって言ったんだよ」 拐かしから離れろ、と告げると早護は玻月に笑いかけた。 「こっちが惚れた側か」 「ああ」 「あ、そこは自ら喋るんだ」 己のことでも綜真に喋らせていた玻月が、そのことだけは綜真が何か言う前に肯定していた。 決して曲げない、他者の言葉も必要ないと言っているように思えた。 ずっしりとした思いだ。 「俺は喋った、次はおまえだ」 ある程度質問には答えただろう、と肌にある羽を話すように促すと早護は水を口にした。 「俺の番ねぇ」 「いつから羽が出るようになった。何故そうなった」 「矢継ぎ早だな」 前置きも何もかもを済ませてある。後は知りたいことを知るだけだ。 そんな態度を隠しもしない綜真に、早護は苦い顔をしている。 遠慮というものがないのかと、そう言われてしまいそうだが。そんなものは初めから持っていない。 「聞いても面白いことじゃねえんだが」 「いいから。俺にとっちゃ何でも愉快よ」 「それはそれでどうかと思う」 それがどのような理由であっても、本人にとって不幸でも地獄であったとしても、綜真にとってはそんなものがこの世に現れ出るということ自体愉快なのだ。 期待をする綜真に、早護は渋い顔を解いては口元に笑みを浮かべた。 「これはな、呪いだ」 容易く、また軽く早護はそう言った。 次 |