三千世界 四ノ参 「紅猿の行方を知らないか」 「知らん。分裂した賊だろ?ばらばらになってどこぞに散ってるはずだ」 岳丹はさして興味も無さそうに、投げやりに口にした。 知っているはずがない、とでも言いたげな顔だ。 「紅猿の中に術師がいたっていうのは?」 綜真が知りたいのは、紅猿の行方というよりその中にいた術師の存在だ。 それが分かればどうとでもなる。 最も、玻月が失った形代を再び作れ、だなど綜真は言わない。玻月に納得をさせるためだけの行動だ。 そう思うと何故これほどまでに他者のために動かねばならないのかという不合理さを感じる。今更だと理解はしているが。 「あー、おまえさんが気になるのはそっちか。なんだ面白いもんでも持ってるのか?」 「会ってみないとそれは分からねぇ」 術師が術師に関心を持つのは自然、まして貪欲な綜真であるならさもありなん、というところなのだろう。 途端に岳丹は腑に落ちたという表情をした。 「だが俺は知らねぇな。こっちには来てないのか、来てたとしてもでかいことは何もしてねぇんだろうよ」 もし大事であったのならば噂の一つでも流れているはずだ。 音沙汰は何一つない、そう岳丹は語る。 足が向いたので訪れただけ、ここにいるとは思っていないので落胆もしない。 「そうか。他に面白いことはないか?」 玻月の用事が終われば次は己の欲が出る。 そのことに岳丹は片方の眉を上げたようだった。 やはりそうなるのかと思ったことだろう。 「面白いことねぇ……ああそういえば夏だったな」 しっとりと汗を掻きながら、岳丹は唐突にそんなことを言う。思い出すでもなく夏だろうに。 「夏の頃にだけ、肌に羽の模様が浮かび上がる神格がいるってのは知ってるか?」 「なんだそれ」 聞いたことのない現象だった。 肌に羽。鳥の眷属であるならその手から羽を生み出すことは出来る。 彼らは風の源を宿している。その風が両腕に絡まり、鳥の羽のような役割を果たす。源を多く保持しているものは、実際に擬似的な翼を形にすることも可能だ。 源によって作られた目視出来る風の翼は透き通っており、ただの鳥のものより優雅だ。 そしてそれによって彼らは空を飛ぶ。 そのため鳥の神格の骨格はとても軽い。他の神格や人間と比べて体付きも華奢で、男女の差も小さい。 そんな彼らの羽が、肌に浮かび上がるというのか。 (源が妙な形で表れてんのか?) 翼の役目をするはずの源が異常を起こして肌にそれを書き込んでいるのか。 しかしそんな綜真の考えはすぐに覆される。 「鳥の羽じゃねえぞ。虫の羽だ」 「虫?」 羽が身体に出ると言われればつい鳥のことを思ったのだが。虫とは意外すぎた。 「蝉か何かじゃないかって話だが。細かい、葉の裏みたいな模様してんだろ、蝉の羽とかよ。それが刺青みたいに身体の一部に入ってるって話だ」 「夏の間だけなのか?夏が終わると消えるのか」 「らしい。綺麗さっぱり、跡形もなく消えて、本人に痛みも何もないらしいぜ」 そんな奇妙なものを持っている者の話など聞いたことがない。 好奇心が頭をもたげては綜真の脳裏を支配していく。 蝉の羽をじっくりと見たことはないけれど、薄絹のようなそれが肌に浮かぶというのは見た目からして、とても面白そうだ。 「なんでまた、そんなことになってる」 何故その者なのだ。どうしてそんなものが浮かんでくるのだ。何が原因であり、夏に限られているのはどういう繋がりか。 疑問ばかりが増殖していく。 「さあ呪いじゃねえかって話だが」 「呪い。そんなものをかけられる奴がいるってことか」 そんな妙な呪いをかけられる輩がこの世にいるというのか。そしてそれは何の意味があるのか。 (会ってみたい) どんな者なのか、見て見たい。 「それはどこにいる」 喉から己の欲が這い出てくるようだった。岳丹はそんな綜真を見るのは初めてではない。あくびをしながら、ぎらつく綜真を眺めている。 「こっから東に半日くらい歩いたところにある村さ」 「鳥が多いところか」 「そうだな。あの模様が出るのは夏の今頃、半月くらいだってから見たいなら早めに行ったほうが良いぜ」 言わずとも、今すぐ向かうだろうがな。と岳丹は笑う。 ちゃんと綜真を理解しているものだ。 忠告などされるまでもなく、綜真はすぐさまそこに向かうつもりだった。 あぐらを解いた時点で玻月は黙って立ち上がった。思い立てばすぐさま、待つことなく動き出す綜真を目にしてきているからだ。 「邪魔したな」 「本当にな」 退出する際の決まり文句を口にすると、肯定する言葉が返ってきて苦笑した。遠慮をしても無駄な相手だと思っていたのだが、お互い様のようで何よりだ。 粉っぽい空気を振り払うように外に出ると、足はもう東へと向いていた。 悪いとは思った。 さすがに人として、玻月の気持ちを知りながらここにいるのは非情なのだろうと理解はしている。 後ろめたさはひしひしと感じるのだが、手っ取り早く事を済ますにはこれが一番だったのだ。相手は夏の間の半月しか羽を見せないと言うのだから。もしかするとそろそろ半月が過ぎてしまうのではないか、時期を逃せば完全に無駄足になる、と考えるとどうしても気が急いたのだ。 玻月の心境を配慮してやるだけのよゆうがなかった。 けれど、それでも常日頃無表情で淡々としている玻月の目がやや座っているのを見ると、居心地は悪い。 玻月と向かい合っている部屋は豪華な装飾を施された部屋だ。赤が基調になっており、窓には格子がはめられている。 橙色のぼんぼりが灯されては、二人の顔を照らしている。 風もないのにじわりと揺れる灯火は、それこそ玻月の心のようにも思えた。 「人の噂も何やらも色々入ってくるところだからな」 まるで言い訳だ。 不貞をそしられる亭主のようできまりが悪い。まして綜真は玻月の亭主ではない。 つがいになりたいとは言われているけれど、それを許した覚えはない。むしろ己以外を選べと再三告げているのだ。 それでも気持ちを曲げない玻月に感心はしているが、己に操を立てろと強制されるいわれはない。 綜真自身は自由であり、女を作ろうが男と寝ようが悔いを抱かなければならないわけではない、はずなのだが。 玻月の前に敷かれている真っ赤な布団を見ると、どうにも気が重い。 羽を浮かび上がらせる者を見付けるために、岳丹が言っていた村の近くに来た。だが名前も顔も知らない相手を、一から探るのも面倒だ。 そして岳丹が言っていた村は幾つかの集落が集まっているような有様で結構な大きさなのだ。 人探しに時間を取られるのは勘弁して欲しかった。 だから近くの遊郭に足を運んだのだ。 煉絢の館よりずっと小さくはあるけれど、それはあの館が特別巨大なのだ。 屋敷一つ分くらいはあるだろう遊郭は、規模からすれば充分と言えた。 様々な人の流れを知り、多くの情報を集めているここならば、目的の者を探すのも容易いだろうと。そして遊郭に入って、ただ情報をくれと言ったところで口を開いてくれるはずもない。 女を取り、金をたんまり落とさなければ誰が話をするものか。 遊郭は女だけでなく情報も金で売っているのだから。 「犬っころにも雌をあてがったらどうだい?」 妙齢の雌が部屋の外からそんなことを言う。 紅色の衣は前がはだけている。胸元が露わになっており官能的な格好ではあるが、それに視線を持って行かれるようなことはない。 玻月が己から目を離すなとばかりに鋭い目を向けてくるからだ。 雌を振り返れば喉元に食い付かれそうだった。 (実際はそんなことしやしないだろうが) ただ憂いを帯びた瞳をするくらいだ。しかしそれは食い付かれるよりも心に痛い。 「止めろ。盛りでもないのに」 これが春先であったのならばともかく、夏の間に雌などあてがったところで嫌がるだけだ。そもそも発情期ですら雌を抱くことを怖がったというのに。 「なんだ、盛りは知ってんのかい。だったらうちで使ってる盛りの薬でも出してやろうか?」 それにはさすがに雌を見やる。 鳥が多い村であるだけに、雌もまた華奢な身体付きをしていた。 白い肌は滑らかそうで、手触りが良いだろうことは分かる。それでも愉快そうな青い瞳を前にしていると苛立ちの方が強い。 自然に来るはずの盛りを誘発する薬というものがある。遊郭では常備されているものだ。 春はもちろんのこと、四季を問わずに交わる彼女たちは発情だの何だのにこだわっていられない。けれど発情もしていないのに抱かれるのは不快感があるらしい。 なので発情期を誘発させる薬を飲んでいるのだ。 それがあれば玻月のような若造くらい、いくらでもたらし込めると思っているのだろう。 「笑えねぇ」 玻月に盛りが来たら、相手は綜真以外いないだろう。 人がせっかく先伸ばしている問題をいきなり突き付けられるなんて、冗談ではない。 「とにかくこいつのことは放っておいてくれ。二人分の金は払う。こいつには部屋だけ貸せ」 雌をあてがっても面倒になることは火を見るより明らかだ。 部屋の前で腕を組み、胸を強調しながらも雌は溜息をついた。 「ここは遊郭だってのに」 「雌が一人浮くんだからいいだろうが」 浮いた女は別の客を取らせれば良いだけの話だ。部屋くらい空いているはず。 店側に損はないはずだ。 けれど雌は不満顔を隠しもしない。 「じゃあアンタに付けるよ」 (余計なことを……) 一人相手にするのも厄介なのに、二人もやって来られては手間が増えるだけではないか。そして玻月の目はとうとう殺気を帯び始めた。 決して己が悪いわけではない、とつい口から零してしまいそうだ。 「……ねえ、本当に雌付けないの?」 雌は少しばかり部屋に入ってきては綜真に尋ねる。おねだりだと言わんばかりの雰囲気に逃げたくなった。 「なんだ、こいつが気に入ったのか」 「だって可愛いじゃない」 初心な感じがして好ましいのか。玻月は遊郭の女に好かれる。 本人にとっては大変迷惑なのだろうが、女の方が放っておかないようだった。 「見た目には分からんだろうが、そいつは賊にいた奴だ。手出して来る相手は誰だろうが殺せと言ってある。隠れてちょっかい出したら死ぬぞ」 旅をしていると好色な者に目を付けることもあった。玻月はその辺りが鈍いのか興味がないのか、全く感知しないようだった。 だが連れに手を出されて楽しいわけがない。玻月の家族から頼まれている面もある。 なので男女関わらず、危害を加えられる、また妙に馴れ馴れしく触ってくる、また服を脱がそうとする輩は総じて殺せと言ってあった。 賊の中で培われたのか、玻月の腕はなかなかのものだった。狼は元々強い生き物だが、戦うことに関して玻月は才能がある。 大抵の相手なら殺して見せるだろう。 「こんな可愛い顔してるのに、おっかないね」 雌はそれに驚いたようだった。だが半信半疑といったところだろう。 綜真としては忠告はしたので、実際に誰かが玻月に殺されても文句は受け付けない。自ら死に行く者を止める気持ちもない。 「本当におっかねぇよ」 主にその目つきがな、と心の中に付け加えながらも憂鬱さを噛み締めた。 次 |