三千世界   弐ノ六




 面倒だから殺しても良いのだ。風で膜を張ってその中で血飛沫が飛んだとしても汚れる物は少なくなる。だがこれだけのためにどれだけの源を使って風を呼ぶのか。
 それもまた手間だ。
 どうしたものかと思いつつ、煙管の吸い口を噛む。
「第一、成獣が一日いなくなったところで騒ぐなよ」
 これではまるで我が子がいなくなった狼の身内のようではないか。
 彼らなら血相を変えて探すことだろう。
 だが相手は猿。家族同然とは言っても互いに成獣だ。束縛するにもほどがある。
「兄貴は黙ってどっかに行ったりしねぇよ!慎重な方だからな!」
 喧嘩腰で叫ぶけれど、あの猿が慎重であったかと訊かれると綜真は首を傾げざる得なかった。慎重な者があれほど綜真や玻月を挑発するものだろうか。
「俺にはそうは見えなかったがな」
 どちらかというと浅慮な生き物に見えた。一匹で行動することを厭うには慎重というか臆病なだけではないか。
「てめぇが知らねぇだけだ!」
「そりゃそうだがな。ちょっと会っただけの猿のことなんざ知らねぇよ。だがガキじゃねぇんだからおまえらに言えねぇ事情やらがあるだろ」
 どれだけ信頼を置かれているのか、どんな絆で結ばれているのかは知らないが。人に言えないことくらい誰にだってあるだろう。
 まして賊なんてやっているのだから、これまでに歩んできた道は後ろ暗いことばかりであるはずだ。
 そんな奴が一日いなくなったところで騒ぎ出すこと自体馬鹿げていた。
「しかし一人で消えるなど!」
「まして片腕を失ってるのに!一人になるのが危険なことくらい分かってるはずだ!」
 後ろの二匹がようやく声を上げた。どうやら黙っていられなくなったらしい。
 腕を失ったと言いながら、猿たちは綜真を憎悪の目で見た。全てはおまえのせいだとでも言い出しかねない眼差しだ。
 別段痛くも痒くもないのだが灯成だけは一匹居心地が悪そうだ。
「おまえがあんなことしなければ兄貴がいなくなっても、まだ心配しなかったってのに!」
「てめぇがあんな!」
「うるせぇよ。関係ねぇって言ってんだろうが。昨日の時点で殺してねぇだけでも有りがたいと思えよ」
 命を残してやったのにこの態度だ。奪っておけば良かったとばかり後悔してしまう。
 忌々しいと呟きながら煙管の煙を吸っていると、灯成がおずおず手を上げた。
 幼子のような動作に罵りを上げていた猿たちもふと口を閉ざした。
「……その兄貴って、源を持ってたりする?」
 源があるかどうかの問いに、綜真は灯成が何を言いたいのか理解した。だが猿たちは怪訝そうだ。
「火を持っていたが」
 何を言い出すのかという顔で、それでも猿は答える。
「それって、結構強い?」
「炎を自在に操ってた。兄貴は賊の中でも源をよく持っている方だったぜ」
 自慢げではあるが、それに灯成の表情は曇る。
 またか、と言う言葉がそこには現れていた。
「もしかすると攫われたかも知れない。腕失って弱ってるんだろ?なら紅猿にいる猿でも、もしかすると人攫いに襲われるかも」
 常であるのならば狙われない存在であっても、弱っているのならば獲物になりかねない。灯成の言いたいことは綜真も道理が通っていると思った。実のところすでにその考えは頭にあったのだ。
 だからと言って己には関係のないことなので、わざわざそんな可能性を言ってやる気にならなかっただけで。
「人攫い……」
 猿たちは戸惑いを持って互いの顔を見合わせている。頭の中にその道はなかったらしい。新しい見方に困惑しているようだった。
「源持ってるなら、有り得ることだと思うけど」
 猿たちに直接灯成は語りかける。それに対する反応は、重苦しい沈黙だった。
 青ざめている猿の様子に、綜真はゆっくりとまた煙を吐いた。
 有り得るかどうかは知らないがさっさと出て行って欲しい。
「綜真、どうにかならないかな?」
「あぁん?なんで俺が」
 己を蚊帳の外に置いていたというのに、急に元に戻されて綜真は眉を寄せる。
「事実が明らかにならないとこの人たち納得しないんじゃない?んで紅猿たちに復讐決められたら厄介でしょ」
 灯成は嫌がる綜真に面倒なことを言ってくる。
 内輪もめをしている紅猿たちが、果たして下っ端一匹が殺されたからと言って綜真に牙を剥くだろうか。
 ないな、と鼻で笑っても良いのだが。賊というのは時折奇妙な情を見せることがある。義理人情なんて世迷い言を振りかざしてはおかしな揉め事を起こすのだ。
 どう転がるかは、分からなかった。
「まして人探しをしてるのに」
 紅猿に恨みを買って、あらゆるところで喧嘩をふっかけられるのは嫌だ。その上誰を捜しているのか知られ、その相手をどこかへ隠されるといつまで経っても術師には会えなくなる。
 それではここまで玻月を連れてきている意味がない。
 右も左も面倒だ。
 舌打ちをすると猿たちの怯えたような視線が纏わり付いてきた。
「鬱陶しい……」
 何もかもが、煩わしいものばかりだ。
 どうにか避けたいところだが、視線を外してもただ大人しく座っているだけの玻月が見えるだけだ。これほど何にも動じず、感情も露わにしない生き物は珍しい。
 それでも術師に関することだけは諦めずにいるのだから、多少の骨は折るべきか。
「正体には気が付いてるんだろ?」
「たぶんな」
 どうにかして綜真を動かそうとしているらしい灯成が、なだめるように喋っていた。
 しかし分かっているからこそ腰が重いとも、考えてはくれないのだろうか。
「危ういぞ」
「そんなの今更じゃないか。これだけの人数がいなくなってるんだから」
 灯成は呆れたように言うけれど、この男の想像とは違う危うさがあるのだ。命が奪われることよりも、もっと別の恐ろしさ。
(久しぶりに見るのか)
 深く溜息をついてから、綜真は雁首を煙草盆の端に叩き付ける。苛立ちのせいで随分きつく力がこもったのだが、それで壊れるような柔な作りではなかった。
「めんどくせぇ」
 低く押し殺すように言っては重い腰を上げる。
 それに灯成が期待の眼差しを向けてきたのだが、それすら鬱陶しいというようにそっぽを向いた。
「てめぇらの小屋に行く」
「は…」
 唖然とする猿たちに綜真はぎりっと奥歯を噛んだ。反応の鈍さにまた神経が逆撫でされたのだ。
「腕がまだあの辺に埋まってんだろ。昨日の今日じゃまだ溶けてねぇ」
 溶けるって……と灯成が一匹実に嫌そうな声を上げた。
 腐っていると正直に言った方がまだ良かっただろうか。
「持ち主を捜して動き回るようにしてやるよ」
 大体人探しなど本体の一部があれば楽なのだ。術師に関してだって何か持っていればこれほど苦労はしなかった。
 今回は本体の一部どころか肉体の一部であるので、術をかければ間違いなく正確な場所まで導いてくれる。
「……気持ち悪い……」
 腕が己の身体を求めて彷徨い出る。という光景が灯成の中に浮かんだのだろう。振り返るとすでに青い顔をしている犬がいた。
 やる前からそんな状態でどうするつもりなのか。
 どこで憤りが爆発してもおかしくなかった綜真は、その怖じ気づいている犬に少しばかり気が紛れた。



 付いて来なくてもいいと言ったのだが、灯成は真実を目にしたいというので綜真と共に来た。玻月は訊くまでもない。
 猿三匹と共に小屋に行くと、まだ生々しい血の跡が残っていた。しかしそんなことは気にせず、綜真は小屋に入ったところで足を止めては掌を下に土を呼び出す。
 襤褸小屋の入り口、綜真が呼べばこぽりと呼吸をするかのように土が僅かに盛り上がった。まるでもぐらが頭を出す前のような小さな山だ。
 こくりと背後で誰かが息を呑んだのが分かる。
「上がって来いよ」
 そう告げると土がまるで泉のごとく吹き上がる。
 天井近くまで湧いたが、そこまでの大きさなどいらず綜真は軽く手を振った。野良犬を退けるようなその手の動きで土の泉は収まり、綜真の腰辺りまでの高さで止まった。
 そして中から何かを生みだそうとする。さらさらと落ちていく細かな砂の隙間になにやら茶色のものが見えたような気がして綜真は舌打ちをした。
「んなもん直に見る趣味はねぇよ」
 灯成に対する嫌がらせにはなるだろうが気持ちの良いものではない。
 腐ろうとしていく生き物の肉など目にするものではない。
 土を抑えると隙間にあったそれはすぐに隠され、代わりに蛇の形を取った。
 これが一番しっくりするのだろう。
「……これの下に腕があるのか?」
 灯成は一歩も二歩も引いたところで尋ねてくる。
 決して近付きたくないのだろう。その距離に肩をすくめた。
「そうだな。俺の他に誰かがここで別の生き物を喰わせたなら別だが。まあねぇだろ。俺の気配しかしねぇしな」
 別の術師がここで源を流していたとすれば名残があるだろう。だが己の気配しかない。
 ならばこの下にある肉は一つだけだ。
 猿たちも複雑そうな目で土の蛇を見ている。
 あれに己の兄貴分の腕が喰われたこともちゃんと記憶しているようだ。犬より遠い位置でこちらを見ていた。
 ただ近くにいるのは玻月だけだが、この狼には肉が腐っていようが骨であろうが、目の前に朽ちた死体があろうが気にはしないだろう。
 望まれてやったことだというのに、こう遠ざけられてはやる気も失せてしまいそうだ。
 だがここまで来て止めたというわけにもいかないのだろう。懐くようにして蛇が綜真の足下に来るが、それもまた中身を思うと喜ばしいとは言えず腕を組んでは渋い顔をするしかなかった。