三千世界   弐ノ弐




 紅猿とは猿を主とした盗賊の一団だ。
 中には人もいるらしいが、大抵は猿を主としている神格たちで形成されている。
 頭を主格としていた頃はやることが非道で、略奪と殺戮ばかり繰り返すような集団でもそれなりに統制は取れていたのだ。
 群れというのは規律がなくては回らない。一つの形を作るためには律するべき掟と主人が必要になる。
 それを頭が全て負っていたのだろう。
 玻月はまだ頭がいた時に、一つの駒として動いていたらしい。やることは殺しが多かったと聞いている。
 それでも内部で食い殺し合うようなことはなかったようだ。
 外を食っても己の中に牙を剥くことは許さない。
 それが紅猿の昔だった。
 しかし頭が死んで、紅猿は内側で食い合うようになったのだ。
 次の頭に誰がなるのか。群れを牛耳るのは誰なのか。そればかりに執着するようになった。
 権力と力に目が眩んだ者たちは互いを殺し、貪り、同族で潰し合うようになっていた。
 我が身の我が身で食らい、死に逝くようなものであったとしても。熱に浮かれされた者たちは止まらない。
 それも小さな群れであったのならばすぐに片は付いただろう。けれど大きな群れになっていた紅猿は、食っても殺しても次々頭になりたいと願う輩が湧いてくる。
 欲望は膨らみ、伝染し、紅猿という名前は得体の知れない暴力を表す象徴のようになっていた。
「どこにいるんだ?」
 灯成は下っ端と言った。
 紅猿は内部分裂を起こしてから群れが随分多くに分れた。
 数十人固まっているものから、ごく少数で動いているもの、把握出来ないほどの数だ。
「里から少し外れたおんぼろ小屋だよ」
 小さく、饂飩をすする合間に灯成は答えてくれた。
 あまり人の耳に入れたいものでもないのだろう。
 賊がどこにいるのか、知っている必要はあるけれど軽々しく口にしてどこから恨みを買うか分からない。
 賊の耳とはどこに付いているものか、予想も付かないものだ。
「だからこんなにぴりぴりしてんのか」
 綜真は里に入った時から、どことなく里全体が緊張感に包まれているような感覚を覚えていた。
 通り過ぎる人たちもどこか肩に力が入っている。
 前に来た時は穏和な里で、人々の顔にも笑みが滲んでいたものだが。今では陰りの方が濃い。
 晴れ渡っている空がいつ落ちてくるのか、杞憂を抱いているみたいだ。
「いや、それもあるんだけど。もっと別の理由が」
 灯成は残り少なくなった饂飩を摘んで、困惑した顔を見せる。
「何だ」
 里がこれほどの憂いと緊張に包まれている理由が、綜真の関心を惹く。
 おかしなこと、不可解なことは綜真の好奇を掻き立てるのだ。己の気を惹くものは突き止めたくなる。
 知りたいという欲が人一倍強いのだ。
 野蛮なまでの感情を宿す綜真の瞳に、灯成は真剣な眼差しを向けてきた。
「人がいなくなってる」
「……神隠しか」
 また嫌な流れになったものだな、と綜真は他人事としてはそう口にする。
 だが胸の内には高ぶるものがあった。
 それは大抵奇妙な事象につきまとってくることだからだ。
 この世には人や神格を喰らうものがある。当然忌み嫌われ、化け物と呼ばれて排除されるのだが。中には神様と呼ばれる者もいるのだ。
 人や神格を喰っても尚崇め立てられまつるもの。それは喰ったとしてもそれ以上の恩恵を周囲に与えるからだろう。
 そしてそれは神隠しや人身供養と呼ばれていた。
 果たしてどちらであることか。
「そう。ここ一月くらいで何人もね」
(大喰らいだな)
 一月で何人も喰らうということはよほどの大食漢だ。
 そんなことを行わなければならないほどの事情があるのだろうか。
 神様でも化け物でも、一気にそれほど喰えるものだろうか。
「紅猿が絡んでるってことはないのか?」
 あの賊たちであるのならば人攫いくらい平然とするだろう。玻月もそれで親元から奪われた子なのだから。
「紅猿たちが来る前からだよ。それに紅猿たちは四、五人らしいから。あんまり人数さばけないだろ」
 売りさばくにしても、殺すにしても。四、五人で一月の間に何人も処分出来るとは考えづらい。他の群れも関わっているのではないか。
「攫われた連中に似たような点は?」
 理由が、何かしらの繋がりがあるのではないのか。
 しかしそう尋ねる綜真に灯成は曖昧な表情を浮かべる。
「男女子ども関係なし。ああ、でも老人はいないな」
(ならば老いた身体は無用ということか)
 よくあることだと思う。
 喰らうのには若い方が良いとされている。特に女子どもは好かれるようで、神様の捧げ物は女か子どもと相場が決まっている。
 しかし男も関係なく襲っているということは、喰い物の好みにはうるさくないということだ。
「あと、源が少ない奴は喰ってないんじゃないかって話」
 源という言葉にひくりと琴線が触れたのが自身で分かった。
「弱い者はいらねぇと?」
「そういうことじゃない?」
 おかしなことだ、と二人して怪訝な様子を見せてしまう。
 源というのは力であり、武器にもなる。
 攫う際には源などない無力な相手の方が楽だろう。源があればあるほど、対抗される危険がある。
 綜真など溢れるほどの源を所持しているせいで刀一つ持たずとも我が身を守れる。守れるどころか小さな賊なら単身で殲滅するだろう。
「変だな」
 何故牙を持つ者ばかり欲しがるのだ。生き物が喰いたいだけならば他にいるだろう。
 それとも源が欲しいのか。
 だが喰ったところで源が己の身に染みつくのはごく僅かな時間だけだ。
「でしょう?攫うのだって大変だろうに」
(源。それを幾つも喰う奴……)
 断片を掻き集め朧気に引っかかるものがあるような気がしたが。それが何であったのか思い出せない。
 唸る綜真の横で灯成がどんぶりの中身を空にする。
 まるでそれを見計らったように先ほど綜真たちを迎え入れた女が二つのどんぶりを持ってやってくる。
 綜真と玻月の前に一つずつ置いて、また店に入ってきた客の元へとぱたぱた忙しなく向かっていく。
 金色の汁に波打つのような饂飩。散らされている葱が色合いを添えている。まずはどんぶりを持ち上げて汁を啜ると体内に温かさが落ちていく。
 冷えた身体を慰めてくれるような熱だ。
 よく出汁が出ており、口の中でふわりと広がっては胃袋を刺激してくれた。
「美味いな」
「でしょー。俺もよくここで饂飩食べてんだ」
 まるで己が褒められているかのように灯成はにこにこと喋っている。だが綜真が饂飩をすすり暫くすると行儀悪く卓に肘を突いて真面目な目をした。
「綜真も気をつけた方がいいかもな」
 それ人攫いが源を欲しがっているから、ということだろうか。だが言われた方はそれを愉快な台詞だとしか思えなかった。
「俺が?」
 饂飩を持ち上げていた動作を止め、綜真は片方の眉を上げて問う。
 揶揄するような声に灯成は苦笑した。
「攫われないように」
 そう言いながらも、忠告が無駄に感じたのだろう。何とも心の籠もっていない音だった。
 現に綜真は口元に荒々しい笑みを浮かべていた。
「笑える話だ」
 一蹴しては再び饂飩をすする。腹がくちくなっていく感覚はいつも心地良いものだ。
「用心に超したことはないよ」
 何事も、と言いながらも灯成はそれ以上警戒しろと言うようなことは言わなかった。
 どんな危ういことであっても、己の興味を掻き立てるものがあれば悩むことなく突進していく。それが綜真であるといつの間にか灯成も知っているのだろう。
「それより紅猿の下っ端がいるのはどこだ?」
 玻月を連れている以上、紅猿の情報は無視出来ない。少なくとも我が身の安全を気にするよりかはずっと役に立つことだろう。
「それらしいところは知ってるけど」
 灯成は珍しく言いよどみ、そしてまたちらりと玻月を見た。
「ずっとその子連れてんの?」
 狼と犬とはあまり相性が良くない。犬と勘違いされることをこの上なく嫌がる狼によって犬は敵視されがちだから、というのが原因らしいが。
 犬だろうが何であろうが気にしないだろう玻月も、灯成にとっては遠慮したい相手らしい。狼全体が苦手になっているのだろう。
「連れるだけの意味と価値があるからな」
 頼まれたというだけが理由ではないのだ。
 これが月の子であるから、それだけでも連れている価値が一応ある。成獣になって月の源を宿し始めるともっと良いのだが。それもじきに訪れるだろう。



 里から外れて暫く歩いた場所にひっそりとそれはあった。
 緩やかな山道の片隅、木々の隙間に隠れるようにして置かれていた。
 落ちかけた屋根は雨をしのげるだけましだろう。突風が吹けば呆気なく外れて壊れていくのは目に見えていた。触れる前から軋みが聞こえてくるようだ。
 おおかた半日、一日で作り上げたものだろう。そこに腰を落ち着けるつもりがないのは明白だ。
 最もそこに根を張られても里の者が困るだけであり、仮のすみかであることはありがたいくらいだろう。
 板を貼り合わせただけの壁を見て、綜真は足を止める。
 大人しく後ろに付いていた玻月を振り返り、親指で小屋を指した。
「何人だ?」
 耳の良い玻月は遠くからでもその小屋にいる者の数が分かるだろう。
 ぴくりと頭の上にある金色の耳が動いたかと思うと、形の良い唇が食事以外で久しぶりに開かれた。
「四人」
 灯成が言っていたように、人数は少ない。これから増えるのかも知れないが。
「おまえが求めている相手はいるか?」
 術師がここにいるのならば、玻月の希望はここで叶う。
 しかし首は横に振られた。
 そう簡単に会える相手ではないと思っていたので落胆はしない。
 そもそも綜真の求める先ではないので気にもならないが、玻月がどう感じているのかは相変わらず分からなかった。
「そうか」
 人数と求める者かどうかだけ分かると綜真は無造作に小屋に近付いては立てかけてある板の一つを手に掛けた。
 そこが入り口になっているだろうことは、一つだけ打ち付けられていないところから察した。
 板を横にずらして声をかけることもなく中を覗き込んだ。
 ただの板きれを掻き集めただけの小屋は、見た目同様中も質素なものだ。むしろ見窄らしいとも言える。
 そこにいた四人共が刀や斧、槍を持って立ちふさがっている。
 殺気立っている猿たちの顔を見渡して綜真は溜息をついた。
(これじゃ面白くも何ともねぇな)
 強そうでない、特別そうでもない。平凡な賊だ。中央に立っている猿はやや源を多く持っているような気配がしたけれど、それでも突出したものなどなく。これでは訓練を積んだ人間の術師の方がずっと豊かな源だろう。
 玻月が知りたがっていることが何か得られれば良いのだが、そうでなかった場合苛立ちを覚えてしまいそうだった。