六代目就任前夜






 
 こたつに足を突っ込んでみかんを剥いている銀髪の男。背中を丸めて、剥き終わったみかんを一房口に運んでいる。白い筋を取るのが面倒だと言うくせに、イルカがみかんを剥いた時は筋を取ってくれという我が儘を言う人だ。
 たまに子どものような甘えを見せてくるこの人が、明日火影に就任する。
 木の葉の里だけでなく、世界そのものを揺るがした戦いが終わり。先代の火影は命を賭けて忍たちを救った引き替えに生死の境をさまよった。とてもではないが火影の仕事を出来る状態ではなく、以前五代目が倒れた際に六代目として打診を受けていたカカシがそのまま、引き継ぎもなしに六代目に任命された。
 そうは言っても緊急事態であり、六代目就任を公表する間はなかった。かといって仕事は待ってくれず、カカシは六代目の名前を背負う前から火影の仕事を背負う羽目になった。
 生存している火影の側近たちがカカシに仕事を教えてはいくのだが、里の復興、亡くなった人たちの供養、減少した忍たちへの仕事の割り振り、次世代の育成、里民たちの生活や里の未来を考えればやることは山積みだった。
 カカシは寝る間も惜しんで里の復興のための舵取りをした。慣れない事務作業に振り回されながら、それでも懸命に里のために働く人をイルカは近くで見守った。
 イルカも三代目の時代から近くで雑務をこなしていた役目を引き続き、自分が出来る限りカカシを手伝おうとした。勿論自分が出来ることなど些末なことであり、カカシの助けなどにはなっていないだろう。
 それでもイルカがいてくれて良かったと言ってくれるのが、とても嬉しかった。
 だがいつまでも六代目を就任したお披露目もなく、中途半端な状態でいるのは良くない。
 人々が屋根の下で眠ることが出来、食料も行き渡り、なんとか一息つくことが出来るようになった頃、里の上層部がそう言った。
 起き上がることが出来るようになった五代目も、ちゃんとカカシが六代目になったのだと木の葉の里にいる者全員が目にして、はっきり分かるようにした方がいいとカカシを促していた。自分たちの指揮を執るものが誰であるのか、目と耳で確認することは信頼に繋がる。これからもし再び里を大きく動かす緊急事態が起こった場合、その信頼があるかどうかはとても重大な意味を持つ。
 火影であった人の言葉はカカシにも重く響いたのだろう。
 式なんて堅苦しいことは遠慮したい。そんな派手なことをしている場合じゃない。もっと他にやらなきゃいけないことはいっぱいある。
 カカシは当初そう言っていたのだが、五代目に「里の人間にとっては自分たちの長をしっかり目にするのは重要なことだ」と説得されて、式をすることに納得らしい。
 その就任式を明日に控え、いつもならば火影執務室で寝泊まりしているほど忙殺されている人が、珍しく帰宅することが出来た。大事な日の前だから休養を取りたいと周りに言って帰って来たらしい。周りは日頃からちゃんと家に帰って休んでくれと言っていたので、カカシの希望を拒否するわけもなかった。
 そして帰ってくる先がイルカの家だ。
 それはカカシが上忍師になり教え子を持ち、子どもたちの元担任であったイルカと知り合ってから半年後には、もうこの状態だった。
 すでに何年にもなる関係と状況に今更違和感も何もあったものではない。むしろカカシが物置のようになっている自宅に帰った方が、イルカは驚くだろう。
「明日には俺が六代目になるなんて。昔じゃ絶対信じなかっただろーね」
 みかんを食べながら、カカシは人事のようにそう言った。向かいでお茶を飲んでいるイルカはそれに「そうですね」と軽く応じては、なんとなくぼんやりとしているカカシの様子が気になった。
 いざ正式に六代目になると言っても、やることは今日も明日も大差ない。火影の仕事ならばもう背負っているのだから、今更気負うことはないだろう。
 けれどカカシは何かに引っかかっているようだった。
「木の葉の里の長になるなんてね……。そんな力量ないのにね」
「何言ってるんですか。もう火影としての仕事はしているんじゃないですか。立派な六代目ですよ」
「仕事ならね、やれば出来るよ。俺も割と器用なほうだから。でもさ、火影って仕事だけじゃないわけじゃない?人を導いたり、育てたり、時には叱って、守ってさ。俺は正直そういうの全然向いてないんだよね。任務でも本音を言うと部隊長とか嫌で、単独任務の方が楽だった」
「そうなんですか?カカシさん部隊長やっている印象ばっかりですけど」
 付き合いが長い相手ではあるのだが、カカシは自分のことをあまり語りたがらない。秘密の多い人でもあるので、ある時ぽろりとこれまで知らなかった一面を吐き出してくれる。
 部隊長をやりたくなかったなんて、イルカが参加したことがある戦場などで必ずと言っていいほど指揮を執っていた人が言うとは。意外だった。
「階級とか、踏んだ場数とかで部隊長やらされてたの。でも人を使うとか、動かすとか、苦手なんだよね。自分がやったほうが早いし、確実だし」
「それが言えるのはカカシさんが優秀過ぎるからですよ……」
「ずぼらなんだよ俺。それなのにさ、火影なんて人を使ってばかりの役目になるなんて。ちゃんと出来る気がしないんだーよね」
 火影になることに不安がある、とは前から言っていたけれど。これほど明確に心配事を口にするのは珍しい。やはり六代目就任前夜ということで、色々思うことがあるのだろう。
「四代目は俺より若かったのに、しっかり火影になっててね。よく覚えてるな、四代目に就任する直前のこと。これからは任務に出ることも少なくなるから、カカシよろしくねって。自分の分まで頑張ってくれって言われて、先生の代わりなんて出来るわけがないって思ったよ」
 カカシは四代目が火影になる時を間近で見ていたのだろう。幼少期に亡くなった父親に代わり、四代目が彼の面倒を見ていたらしい。同居までしてあれこれ世話を焼いて、生意気な子どもだったのに先生はとても大事にしてくれたのだと、本人は喪った人に対していつも尊敬の念を込めて語ってくれる。
「四代目が火影の羽織を着た時、俺は可愛げのないガキだったからさ、つい聞いちゃったんだよね。重くないのかって。里の権威とみんなの思いと責任を背負うのは、いくら優秀でのほほんとした性格の先生でも苦しいと思うんじゃないかなって」
「四代目は何て仰ったんですか?」
「重いって言ってたよ。そりゃそーだよね。みんなの命背負ってるみたいなもんだもん。重くないって言ったらむしろおかしいよ」
 イルカは四代目とあまり言葉を交わしたこともない。三代目に可愛がられていたので、その続きで四代目に接することはあっても、若い火影が眩しくてどこか気後れしていたのだ。
 それでも四代目は堂々として、いつもにこやかな人だった。重さなんて気にもしていない、自信に溢れていて真っ直ぐ正しい道を突き進んでいるような人だった。
 そんな人でも心の中には重圧を感じていたのか。
 きっと里の人に対する思いやりや責任感がそうさせてしまうのだろう。
「でもね、火影の羽織を肩にかけると背筋が伸びるとも言ってた。これを着てるとみんなが背中を押してくれるみたいだって。応援して貰えてるって実感出来る。だから頑張れるって」
 ああ、だから四代目はあんなにも凜とした背中をしていたのか。
 イルカはカカシの台詞にしみじみそう実感すると共に、四代目の里に対する愛情が伝わってくるようだと思う。
 大切にしたい、里のために頑張りたい。
 そんな気持ちがそのまま、彼の羽織に込められているのだ。彼の気持ちが里に向いているからこそ、それを応援だと聞き取れる。気持ちが里に向いていなければそれはただの重しにしかならなかっただろう。
「俺はそんな気持ちにはなれないんじゃないかな。たぶん重いよ。誰かのため、里のためって、頑張りたいけど。俺は万能じゃないし、もう力もないしね」
「カカシさん」
「先生みたいな尊い志もない。三代目みたいに懐が広いわけでも、我慢強いわけでもない。俺はさ、色々と中途半端なんだよね」
 カカシがここまで弱音を吐くのは珍しい。
 よほど過酷な任務に就いた後ならばぽろりと零すこともあったけれど、ここしばらくは何も言わずに、ただ黙ってイルカに抱き付いてきては甘えることで自分を鎮めているようだった。
 けれど六代目という重圧は、カカシの口をつい動かしてしまうのだろう。
 弱ったような表情でみかんを食べる人に、イルカはこたつから足を引いてはそっと隣に座りに直す。
「六代目を羽織る前から何言ってるんですか」
「でもね」
「確かに重たいと思います。上層部から文句は言われるのに責任だけは取らされるようなものだと、三代目から聞いたこともあります」
「やっぱりね」
「でもそれだけじゃない。里を引っ張って行く大事な役目です。一人じゃ辛いと思うかも知れない。でもカカシさんの周りには一緒になって里を引っ張って行こうとする人がいっぱいいます。一人じゃ重いなら、みんなで引っ張ればいい」
 カカシの手を取って、イルカはぎゅっとそれを握る。武器を握り続け固くなった皮膚や、傷痕が盛り上がった感触が伝わってくる。カカシが歩んできた証がここにあるのだ。里のために、必死になって戦ってきた証が。
「六代目は貴方です。でも里を生かすのは貴方だけじゃない」
 大丈夫だと言うようにそう、はっきり告げる。今はもう色の揃った双眸がイルカを見ては少しばかり藍色を和らげる。
「そうね。貴方がいてくれる」
「俺じゃろくな力になれないかも知れませんが」
「なるよ。俺にとっては、貴方が一番の力」
 アカデミーの教師、たかが中忍。火影の元では雑務しかしたことのない、ろくな知識もない男だ。けれどカカシへの思いや、里への思慕ならば溢れるほどに持っている。
 それがカカシの力になることを祈るばかりだ。
「イルカ先生。一つ、お願いがあるの」



 火影就任式の直前、火影の羽織が仕立て屋から執務室に届けられた。三代目からずっと羽織を作り続けているという職人がわざわざ持って来てくれたのだ。
 あの大戦を乗り越えて生き続けたという老人は多少足下が覚束ないようだったが、羽織を詰めた行李を弟子に持たせて執務室を訪れた際には、実に誇らしげだった。
 長生きした甲斐があったと言われれば、カカシも否応なくその羽織の価値を感じてしまう。
 行李は一端執務室にある事務机に置かれ、蓋が開けられる。六代目と大きく、そして勢いのある文字で描かれた羽織が弟子の手で広げられては注文したものであると確認がされた。
「お受け取り下さい」
 職人が頭を下げてそう言うのに、動いたのはカカシではなかった。
 執務室には先代である五代目、その側近のシズネ、弟子であるサクラや、六代目の補佐をしてくれている事務方の忍たちがいたけれど、彼らでもなかった。
 サクラの隣に立っていたイルカがそっと歩み出ては、弟子から六代目の羽織を受け取る。それに職人と弟子は勿論、周囲も一瞬動揺したようだった。
 けれど先代が小さく笑ったことによって、一瞬で動揺が落ち着いてはどことなく面映ゆいような空気が流れる。
 カカシの願いが何であるのか、どんな気持ちであるのか。きっと周囲の人たちにはよく分かったことだろう。
 イルカは恭しく羽織を受け取ってはカカシに歩み寄ってくれる。ほんの少しの距離しかない、だがカカシにとっては重大な意味を持つその道。
 イルカに背を向けては肩に羽織りがかけられる時を待つ。
 たかが羽織を肩にかけるだけ。衣服が一枚増えるだけだというのに、カカシの身体にはらしくなく緊張が走っていた。生死を懸けた戦いの中にずっと身を置いてた自分が、こんなことに身体を強張らせるというのも奇妙な話だ。
 密かに苦笑しているとイルカがそっと肩から羽織をかけてくれる。
 たかが一枚の布が、それでもずっしりとカカシに覆い被さった。
「期待してますよ、六代目」
 きっと息を詰めて重さを感じたカカシを察したのだろう。イルカは生徒たちに向けるような明るく、そして慈愛の籠もった声でそう言ってはカカシの背中をぽんと軽く叩いてくれた。
 それに猫背がすっと伸びたような気がした。





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