飼い主とペット 2


 ガンガンとゲージを鳴らす音で目を覚ました。
(あー…もうそんな時間か…)
 テンは毎日六時になると目を覚まして暴れ始める。
 外に出せ!という催促だ。
 僕は本来なら七時まで寝ていてもいいから、正直この時間は迷惑以外の何者でもないんだけど、いつまで経っても静かにならないから最近は諦めてさっさと扉を開ける。
 昼間は仕事で全然遊んであげられないから、ゲージに閉じ込めている時間はなるべく短いほうがいいっていうのもある。
「おはよ…」
 のぼーっとベッドから出てはテンを出してやる。
 クック鳴きながらテンははしゃぎ始めた。
 フェレットは滅多に鳴かない。ご機嫌な時と、痛みを与えられたときくらいだ。
 もしくは寝ている時か。
(起きてる時より寝てる時のほうがよく鳴くって、変な生き物)
 僕はテンに付き合う体力もなく、眠気に誘われるままにベッドへと舞い戻った。
 うつらうつらしているとテンがベッドによじ登って、毛布の中に入ってきた。
 布を見ると潜り込まなければいけないと思っているんじゃないかって、テンを見ていたら思う。フェレット自体がそういうものらしいけど。
 二月の室内は寒く、テンは毛布の中に入ると僕にじゃれつきながらいつの間にか丸くなって寝てしまう。
 腹の上で寝られた時には、一キロほどの重みを感じながら懐いてくれているという事実に嬉しさを噛みしめるのだ。
 退けばいいんだけど、起こすとまたテンション高く走り回るから出来るだけそのままにしている。
「腹は止めてくれよ…」
 足下で何やらもぞもぞしているテンに一応言っておいた。
 聞いてくれるかどうかは気分次第だろう。
 僕はテンを潰さないように慎重に寝返りを打っては背中を丸めた。
 一度外気に触れて、身体が冷えたのだ。
「寒い…テンあっためて」
 冗談を言うとテンがひょこっと毛布の端から頭を出した。
 呼んだ?というように。
「テンがおっきかったからなぁ…抱き締めてあっためてもらうのに」
 短い前足に抱き締められる自分を想像して、笑いが込み上げた。でもあの長い胴を抱き枕のようにして眠るのは気持ちがいいだろうなぁ。
(ああ、でもゲージも新しいのにしないと…)
 そんなサイズあるのかなぁ。と薄目を開けてぼんやりとしている僕の視界で、テンがまた毛布の中へと入っていくのが見えた。
 きっと寝始めるのだろう。と思っていると突然重いものが上にのしかかってきた。
「ん…?」
 横を向いていた僕の枕元に手が置かれた。
 骨張っている、男の手。
「はぃ!?」
 上を向くと深い黒の瞳があった。
 それは目が合うとにこりと笑う。
 キャラメル色の髪が僕の頬にかかった。
 何処かで見たことのある顔だ。
 確かこういうのを端正な顔立ちっていうんだろう。一目見たら忘れそうもないんだけど…とぐるぐる考えている内にそれは僕の隣に横たわり後ろからぎゅっと僕を抱き締めた。
 というより抱きかかえたって感じだ。きっと僕より体格がいいんだろう。
「…ちょ…待って!なんだこれ!!」
(なんでこんなところに男がいるんだ!?そしてなんで僕を抱き締める!)
 玄関も窓もちゃんと施錠はしたし、物音だってさっきまでしなかった。
 あったのはテンが走り回る音だけで…。
「離して下さい!あんた誰ですか!!」
「誰って…」
 必死にもがいて男の腕から脱出して、起きあがる。
 見ると男は裸のようだった。ほどよく筋肉がついて腕を怠そうに上げては長めの前髪を掻き上げる。
 同性として腹が立つくらい様になっている。
「どっから入ったんですか!?」
 警察を呼ぶべきだろうけど、起きたら見知らぬ男に抱き締められましたなんて電話したら、どう思われるだろう。
 もしかするとそういう趣味なのに、寝ぼけて誤った通報したとか思われたら。
(最悪だ…)
 強盗でもない、暴行もされてない。せいぜい不法侵入、しかも全裸。
 混乱する中でふとテンのことを思い出した。
「テン!?」
 毛布の中にはもぞもぞと動く膨らみがない。
 どうしたんだろう、と頭から血の気が引く。
「ん?」
 男は起きあがって「何?」という顔をした。
「や、あんたじゃなくて僕は自分のフェレットを」
「俺が亮平のフェレットだって」
「…………は…?」
 何処をどう見てもフェレットには見えない。というか人間以外には見えない。
 かと言って僕をからかっているようでもなくて、男は胡座をかいては真面目な顔をした。
「俺がテン。いつもはフェレットの姿してるけど人にもなれるんだよ。大家が言っただろ?うちのペットは普通じゃないって」
 みんな人間になれるんだよ。
 その言葉は僕の頭の中でくるくると回った。
 そして突然ぐさりと脳に刺さった。
「有り得ないっ!!うっそだろ!?」


「どういうことですか!?」
 朝の六時過ぎにドアをどんどん叩いた僕はさぞかし迷惑な奴だろう。
 けど今は常識とかマナーとか考えられなかった。
 眠たそうな目をして、渋々というようにドアを開けてくれた大家さんは、大きなあくびをした。
「何が」
「ここのペット普通じゃないって言ってましたよね!?それって本当なんですか!?」
 警察を呼ばずに大家の家に駆け込んだのは、悔しいことにあの男がテンに似ていたからだ。
 眠そうな顔は、無理矢理起こすとぶすーっとした様子で僕を見るテンにそっくりだった。
 雰囲気も何処となくのんきそうで、テンと生活を共にしてきたからそれが同じ空気を持っていると気が付いた。
 こんなの現実に有り得ないと思うのに、それでも疑いきれずにいる。
 だからいっそこの大家さんに「何馬鹿なことを」って斬り捨てて欲しかった。
 僕の期待を知らない大家さんはぼーっとまたあくびをした。
「ああ、バレた?」
「バレたって…」
「おまえさんがそんなに驚いてるってことはあいつ人間になったんだろ?同居始めて一ヶ月か…まぁんなもんかな」
 大家さんはあっさりと、予測済みでしたって言うような態度だった。
「人間になったって……じゃ、本当に!?」
「言っただろ?普通じゃないって」
「普通じゃないにもほどがあるでしょう!?」
「そうだけどな。だがそれくらい異常なことがないと、こんないい物件が家賃三万なわけないだろ?」
 僕は言葉に詰まった。
 確かに安すぎておかしいおかしいと、入居したばかりの時は思っていた。
 でもいつの間にか気にしなくなったのだ。そんなことよりもテンの世話に気を回していたから。
「だからっていくらなんでもおかしいでしょう!?」
「まぁ…そうだな」
 ぽりぽりと大家さんは短い髪を掻いた。
 なんだろう、この「慣れてます」って感じは。
 本当にここにいる人みんな、人間になるペットと暮らしてるんだろうか。
 だから僕みたいに騒ぐ人の相手も慣れっこってことか?
「ど、どうにかして下さい!」
「どうにかって言われてもな。人間になるなって言えばいいんじゃないのか?あんたが」
「僕が?」
「あんた飼い主なんだから」
 確かに僕はテンの飼い主だ。
 でもそれはフェレットのテン、と飼い主であって人間のテンは僕のペットじゃない。
 …と思う。
「でも、テンは人間なんでしょう?」
「ああ」
「なら、そんなこと言っても…」
 人間になれるのに、なるというのは酷じゃないんだろうか。
 今までテンは一度も人間にはなっていないけど。
 それって平気だったのかな。
「それでも嫌なら出ていってもらってもいいんだが?」
「え?」
「うちはペットの部屋だからな。出ていくならあいつじゃなくて、あんただ」
 大家さんは眠気が少し薄れたのか、腕を組んで冷静な目で僕を見た。
 それもそうだろう。僕はテンに気に入られたからこそ格安の部屋に住んでいるのであって、テンに気に入られなかったらもっと家賃が高くて条件の悪いところに住んでいたと思う。
 だから、出ていくのなら僕だ。
 それは仕方ないと思う。
 でも問題はそんなところじゃなくて。
「出ていくなんて…」
「まぁ、こんないいところ他にはないからな。ここにいたければ我慢するんだな」
 我慢。と僕は呟いた。
 テンと暮らし始めて、色んなことを我慢した。
 睡眠、食事、掃除とか様々なことを邪魔されるのも、腹を立てることなく我慢した。叱ったりはしたけど、でもそれは躾だ。
 本当は我慢していることよりももっと素敵なことをテンがくれるから、結局我慢にならなかった。
 自分の時間を削られても、テンと遊ぶ時間のほうがずっと大切だから。
 その時間がなくなるかと思うと、僕は口を閉ざしてしまった。
 テンが人になるなんて知らなかったし、人と暮らすことになるって言ったら僕はもっと構えていただろう。
 下手すると、誰かと同居するくらいなら高くても別の部屋を借りるって言ったかも知れない。
 でも今は、この生活がすごく心地良いし、それに。
「…テンと離れるのは…」
「嫌なのか?」
「…嫌ですよ。だってテンは大切ですから」
「人間になるけどな」
 大家さんの言葉に僕はがくっと項垂れた。
「それが問題ですよ…」
 僕は格好いいと断言しても誰からも文句が来ないだろう男を思いだした。
 あれが、人の布団に入ってきては腹を出して長々と寝ているフェレットだなんて…。
「問題はそれだけか」
「まぁ……だって今までは何も不満もなく生活してきましたし。今更、テンと離れるなんて…」
「だってよ」
 大家さんは僕の横をすり抜けて廊下に向かって声をかけた。
 横を見るとそこにはダークブラウンのセーターをざっくりと着込んだ男がいた。
 テンだ。
(フェレットのくせになんだよその足の長さ!)
 あの短い、ちょろっとしかない足が一体どうやったらそんなに伸びるんだ。
 本当にでたらめすぎる。
 その後ろにはテンと同じくらい背の高い、だがテンと違ってがっしりした体格の男がいる。純朴そうな顔立ちは二十前に見える。
「ということは早すぎたってことじゃないってことだよな」
 テンは大家さんに笑いかけた。自慢するみたいに。
「さあな。それはおまえらにしか分からないことだろうよ」
 大家さんはぼさぼさの髪を手櫛で直しながら、めんどくさそうに言った。
「まぁ、バレたところで紹介するよ。亮平、これがお隣の豆吉君」
 テンは後ろを歩いてきた男を親指でさした。
 男は照れたように小さく笑いながら会釈をしてくる。
「豆吉って……」
「柴の豆吉です」
 声は低いがおっとりした感じがする。それはまさしく隣の部屋に住んでいる、なんとお隣さんはあの鹿野さんだった、のペット柴犬の豆吉の雰囲気そっくりだ。
 鹿野さんにぱたぱたと尻尾を振っては後を追いかける、ひなたぼっこが大好きだというあの犬に。
 口を開いて凝視する僕に、大家さんは「んじゃ、うちのも」と言って肩を叩いた。
「あれがうちのゴールデン」
 部屋の奥から目を擦りながら、ほややんと出てくる女の人。僕が初めてテンに会った時に説明をしてくれた人だ。
 ふわふわの色が薄い髪が乱れている。それを大家さんが撫でている。その手つきはまさに愛犬に対するもので。
「それでもう一つのお隣さんは鳥なんだけど、どっちだと思う?」
 テンは僕のすぐ横に立って人差し指を立てた。おもしろがっている様は悪戯っ子みたいだ。二十五くらいだって思ったけど、幼さが感じられた。もしかすると僕より年下かも知れない。
「……明実さん…?」
 鹿野さんとは違う側のお隣さんは女の人が二人で、明実さんは金髪に近い茶色の癖っ毛でいつもぱりっと化粧をしている。美人の上にそれだから目立つ。もう一人は長い黒髪で、すごく大人しくてお嬢様っぽい。
 鳥、と聞いてすぐに色とりどりのインコやオウムを想像した僕はそう言ったんだけどテンは「ぶー、外れ」と楽しそうに言った。
「正解はチエちゃん。正体は文鳥」
「あ、なるほど…」
 慎ましい感じは文鳥にぴったりだ。
 なんて僕も納得している内に、この状況に馴染んでしまっていた。
「ここはみんなそういうペットと一緒に住んでんだ」
 くるりと僕を囲んでいる人を順番に見ると、みんなにこにことしている。仏頂面だと思っていた大家さんでさえ、愛犬、今は女の人だけど、といると口元がほころんでる。
 そう、僕だってこの人たちと同じだった。テンが人間だと知る前は。
「…みんな、始めは知らなかったんですか?」
「知りませんでしたよ。僕なんか、バレたときは殴られましたし…。三日くらい口もきいてもらえませんでした」
 豆吉君は関西の響きが混じった、語尾がちょっと上がり気味の喋り方だった。それがまた穏和な見た目によく合っている。
「鹿野さんって…意外ときついんだ…」
 隣から時々豆吉君を叱る声がして、仕事中の鹿野さんからはちょっと想像付かないくらい厳しいものだったから予感はしていたけど。
「はぁ…まぁ。なかなかに気紛れでして」
 というわりに豆吉君は幸せそうだ。
「俺の時も知らなかったな。ひょんなことで知ったが。戸惑いはするものの別れる理由にはならないしな」
 大家さんは普段あまりやる気が感じられない人だけど、こうして話を聞いてみると情熱的な人らしい。
 意外だ。
「で、おまえさんはどうするよ」
 大家さんに投げかけられ、僕はちらりとテンを見た。
 そこには不安の色を滲ませながらも、微笑んでいるテンがいた。
 いつものハイテンションは、元気有り余っているはしゃぎようはどこに行ったんだよ。って言いたくなるくらい静かな態度に僕は言葉に迷った。
 不意に、あのワインレッドの瞳がすがるような視線を僕に向けていたことを思い出した。
 それは、いつからだっただろうか。
 


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