飼い主とペット 1 前のめりになって、訴えた。 僕はきっと必死の形相な上に涙目だっただろう。 それくらいかつかつだった。 「今すぐにでも入れるところをお願いしたいんです!!」 「そう言われましても…今すぐというのは」 不動産の方は手元に何枚かのチラシや資料を広げて言葉を濁した。 「今日は無理でも、なるべく早くお願いしたいんです!あの部屋では寝起き出来ないんで!」 「それは、そうでしょうね」 鹿野という名札を付け、スーツを着たその人は曖昧な笑顔で頷いた。 有り得ない状況になっている僕には、その笑顔を向けられるのも辛い。 「隣が殺人現場ではねぇ」 ぐぅ、と僕は唸った。 人の良さそうな顔をしているのに、鹿野という人は聞きたくないことをずばっと言ってくれる。 そうだ、僕の住んでいるマンションで殺人が起こった。しかも隣だ。 (前々からあの夫婦は喧嘩が激しいとは思ってたけど、何も刺さなくていいじゃないか) 時折壁を通して聞こえる罵声と悲鳴、物の壊れる音がしてあまり良い気分じゃなかったけど。 まさか奥さんが旦那さんを刺すなんて。 「お願いします…」 もう頼み疲れて椅子に深く沈んでしまう。 ここに来てすでに二時間になる。 僕の薄給で支払える家賃、通勤の弁、そして入居時期などを考えるとかなりの難問だ。 それは分かっているけど、友達の家を泊まり歩くのも迷惑がかかるし、何より荷物を毎日移動させるのが辛い。 「そうですねぇ」 鹿野さんはぺらぺらと薄い紙をめくっていく。 祈るような気持ちでそれを眺めていると、自動ドアの開く音がした。 ちらりと横目で入り口を見ると、背の高い男が入ってくる。 襟足の長い髪は色が薄く、キャラメルみたいな色だった。 顔立ちは俳優か何かみたいに整っていて、僕は思わずテレビで見たことあったっけ?と記憶を探ったくらいだ。 その人は僕を見るとにこりと笑った。 甘い顔立ちがさらに優しくなって、僕は硬直してしまう。女でもあるまいし見惚れるなんておかしいかも知れないけど。 でもその時はまさに目が釘付けってやつだった。 「部屋探し?」 その人は鹿野さんに向かって尋ねた。 「うん。緊急なんだって」 知り合いみたいだったけど、どうもその人は不動産って感じはしなかった。 服装だってスーツじゃなくジャケットとジーンズのカジュアルなものだったし。 でもその人は「んじゃうち紹介してよ」と言った。 「いいの?」 「いいよ。俺んトコ」 俺のトコってことは、この人マンションでも持ってるんだろうか。 僕は思わず上目でその人のことを探ってしまった。 見たところまだ二十五で、僕と同じくらいにしか見えないんだけど。でも世の中広いから、同い年で億万長者もいるかも知れない。 「それじゃ、案内するけど」 鹿野さんはもう一度「いいの?」と聞いた。 確認するとその人はにこにこと機嫌良さそうに頷く。 陽気な人なんだろうか。 「それじゃ、一ついい物件があるんですが」 鹿野さんがファイルから一枚の紙を出している間に、その人は自動ドアから外に出てしまった。 一体何をしに来たんだろう。この店に用があったんじゃないのだろうか。 それとも今さっきのことを言いに来たんだろうか。 遠ざかって行くキャラメル色の髪を見ていると、鹿野さんに「あの」と声をかけられて我に返った。 「はいっ」 「気になります?」 鹿野さんは何故か片方の唇の端を上げた。今まではほやほやとしてつかみ所がない感じがあったのに、それは意地が悪く気紛れな猫のようだった。 「え?いえ…別に」 気になると言えば気になるが、人に尋ねる気にはならない。 「そうですか。それはいいとして、動物はお好きですか?」 「え?はぁ…」 どうも鹿野さんは突然妙な問い掛けをする人のようだった。 ここに来る前に何件が回ってきたが、ここはどうも勝手が分からない。 「実家に猫が三匹、犬が一匹いますし。生まれてからずっと犬猫に囲まれて育ってるんで、動物は好きです」 なんて普通に語ったけど、実はものすごく動物には弱かったりする。 一人暮らしを始め三年、日頃から思っていることは「ペットが欲しい!癒されたい!」ということだ。 世話をするのが面倒だ、とかそういうことは全然思わない。むしろいちいち手間をかけさせて欲しいくらいだ。 ちゃんと「生き物と一緒に生活してる」っていう実感が欲しい。 生まれた時から猫と添い寝して、朝は犬に起こされるって生活をしているからそういうのがないと寂しい。 そんなことを友達に言うと「変な奴だな」って言われるけど、そう言うやつは大概ペットを飼ったことがない。 「動物好きなら良かった。実は2LDKでエアコン、バス、トイレ完備。日当たり良好、駅から徒歩十分で家賃が三万ってのがあります」 「三万!?敷金、礼金は…?」 条件が良すぎて、僕は恐る恐る値段を聞いたけど、鹿野さんは満面の笑みを浮かべた。 「敷金礼金無し」 「嘘でしょう!?そこで何があったんですか!?自殺!?他殺!?もしかして幽霊出るとか!」 「自宅がそうだからって、ここまでそんな目に遭わせないで下さい」 「だっておかしいですよ!安すぎる!」 「まぁ、疑うのも無理ないですね」 ぱたんと鹿野さんはファイルと閉じた。そして真面目な顔をして指を一本立てる。 「実は」 「飯塚さんのお部屋はこちらになります」 すらりとした体型の女性が部屋のドアを開けた。 肩までの髪はベージュ色でふわふわと柔らかく波打っている。大きな瞳は少し垂れ目で可愛らしい。 その隣には大家である三十後半の男性が黙って立っている。 がたいがよくて、細身の僕と並ぶとその違いに落ち込みたくなる。 柔道でもやっていた感じだ。 (でも大家って、あの人じゃないんだ) 不動産で会った背の高い男の人が大家なのだと思ったいたけど、違ったみたいだ。 (うちの部屋とか言ってたから、そうなのかと思ってたけど) それともここに住んでいる人なんだろうか。 いつかばったり会うかも知れない。 (別に、だからって何もないんだけど…) 三人で部屋の中へと足を踏み入れた。 カーテンとベッド、足の短いテーブルが置かれただけのがらんとした空間にあるものがあった。 七十pほどの正方形で出来たゲージ。膝より少しばかり低い高さのそれを見下ろし僕は吊されている布の膨らみが微かに動くのを確かめた。 生き物がいる。 「同居人、人ではないのでこういう言い方はおかしいかも知れませんが。こちらがそうです」 女の人は綺麗に整えられた爪を持った手で、ゲージを撫でる。 すると上からぶら下がっていた膨らんだ布、ハンモックという名前なのだけど、それがもぞもぞと大きくうごめいてはひょこっと何かが出てきた。 ねずみのようだ、と思ったが白いそれは大きなあくびをすると鋭い牙が見えた。 この生き物はねずみを食べる側らしい。 「おはよう、飼い主さんですよ」 女の人が言うことが分かるのか、つぶらな瞳で僕を見上げるとのそのそとハンモックから出てきた。 「胴長いなぁ…」 短い手足とは反対に、胴は驚くほど長い。尻尾の長さを含めると六十pほどあるそうだ。 全身が白いのかと思ったけど、背中はミルクティみたいな柔らかい色をしていた。 ドテっと少し鈍そうに床に下りるとゲージの扉の前で立ち上がった。 前足をかけては背を反らしてのびをする。 「…足短い…」 ちょこんとした足に、びよーんと伸びた胴。 不格好にも見えるその生き物を僕は初めて見たのだけど。 すでに撫で回したい衝動を抑えきれずにいた。 久しぶりに見たペットだし、その上寝起きのそれはのそのそと動いては僕をじっと見てくる。白くてふわふわした体毛、瞳はよく見ると深い赤だ。ワインレッドっていうやつだろう。 「これがフェレット…ですか」 僕はしゃがみ込み、ゲージの扉に手を掛けた。 「そうです。最近はようやく知られるようになったペットですよ」 「あの…触ってもいいですか?」 女の人は目元を緩めた。 「もちろん、だって貴方のものですから」 そう、このフェレットは僕のもの、というか今日からここで一緒に生活するんだ。 それがこの部屋を借りる条件だった。 『このマンションには各部屋ごとにペットが一匹ずついます。そのペットと相性が良くなければ入居出来ません。つまり入居者はそのペットに選別されるわけですね。それで気に入られれば格安でいい部屋を取れる。でもそのペットたちは好みが激しくてなかなか気に入った人が見つからないんで、こちらでもその物件は滅多に取り扱わないんですよ』 鹿野さんはそう説明してくれた。 そんな物件をどうして僕に教えてくれるのかって言うと「さっきの人がいいって言ったからですよ」と言った。 だから余計にあの人が大家なんだと思っていたんだけど。 (でも不思議なマンションだなぁ、ペットのためにあるみたいだ) 一つの部屋ごとにペットを一匹住まわせている、でもペットだけで生活するのは心配だから人間を居候させているような。 ペットがとても大切にされているらしいけど、ここまでするものなんだろうか。 僕はゲージの扉を開け、白いフェレットが出てくるのを待った。 ふんふんと鼻を僅かに動かし、ゆったりとした動作でその子は出てきた。 手を差し出すとにおいを嗅ぎ、そしてかぱっと口を開いた。 「え」 案の定僕の中指は噛まれた。歯は立てられず、どちらかというとくわえられたって感じだけど。 全然痛くないのでそのままにしていると、あむあむと三度ほど甘く噛んでから指を離し足下へと擦り寄ってきた。 気に入られたのかなと首を傾げていると、背後から低い笑い声がした。 「あんた、気に入られたな」 振り返ると、ぶすっとした顔しかしてなかった大家さんの表情がほころんでいた。 「そいつ好みが激しくてずっと決まらなかったんだが。ようやくだな」 今まで誰も気に入らなかったと言われたフェレットは、僕の足にじゃれつくようにして見上げてくる。 犬や猫より小さなそれの両脇に手を入れ、僕は抱き上げる。 あったかくて柔らかい。 「よろしくな」 顔に近付けて挨拶をすると、ふんふんと僕のにおいを嗅いでは丸い瞳でじっと見つめてくれた。 「こらっ!テン!」 白いイタチは僕が畳んで丸めておいた小さなビニールをくわえて、部屋の中を走り回っていた。 だだだだっ、と床を叩く足音が絶え間なく聞こえてくる。 「ビニールは駄目だって言っただろ!?おまえ誤飲するんだから!」 僕は慌ててテンの後を追っかけた。 でも小さい上にすばしっこいので捕まえるのもなかなかの苦労だ。 フェレットはゴム製品やビニールの類が大好きで、噛んで細かくしては飲んでしまうらしいのだ。そして身体の中に詰まらせて、結局開腹手術で取り出さなきゃいけない。 テンにはそんな思いをして欲しくないから、僕はそのつど怒るんだけど反省の色は全くなし。 犬とかだったら叱るとしゅんとするんだけど、フェレットは駄目だ。確かに一瞬は大人しくなるんだけどすぐにまたハイテンションでかけずり回る。 脳天気で底抜けに明るい。子犬のような性格って言っていた人もいるけど、まさにそうだ。 「没収!」 テンが走っている間に落としたビニールを回収する。テンはそれに気が付かないのかまだ僕から逃げていくようだった。 まぁ、いいか。と仕事が終わって疲れている僕は放っておく。 すると今度は追いかけられないのが気に入らないのか、寂しいのか、再びだだだだっと走り出したかと思うと僕の足に飛びかかった。 背伸びをして、足にしがみついて僕を見上げるんだ。 「あー、はいはい。遊んでやるからちょっと待て。まだ御飯食べ終わってないんだって」 カップラーメンを片手に僕はテンを蹴らないようにテーブルへと移動した。 ちょこまかとじゃれつく姿はとても可愛い。 同居を始めてからまだ二週間しか経ってないけど、すでにテンなしでどうやって生活していたのか実感がわかなくなってきた。 「ちょっとはじっとしてろよ」 テンはテレビの後ろやら、カーテンの裏、こたつの中などに入っては一人遊びをしている。忙しないことこの上ない。 「フェレットってみんなこんなのかな」 ずるずると麺をすすりながら、そんなテンを眺めていた。 どうもこのマンションにいるペットたちは普通のものとは違うらしい。だからこそとても貴重で大切にしてくれる方とだけ同居してもらうのだ、と大家さんと一緒にいた女の人が言っていた。 「人の言うことがある程度分かるって言うけど、本当なんだか…」 確かにテンは「駄目!」ときつく言えばすぐさま言われたことを止める。けどしばらくすると同じようなことをするのだ。 躾らしい躾もいらず、口で言うだけで聞いてくれるとはいえ、繰り返してしまえば意味がないような気がする。 「においがないってのも不思議だけど」 フェレットは麝香のにおいがある生き物だ。 臭線をとった後も少しは残ってしまうらしいけど、テンは無臭に近い。 大家さんは「去勢もしてない。普通じゃないからなあいつは」と言っていた。 「本当にフェレットなのか?おまえ」 こたつ布団にしがみついて、テーブルに顎を乗せているテンは話しかけられているのが分かるのか、きょろっと僕を見た。 クッキーサイズの顔に、僕は口元が緩むのを止められなかった。 「まぁ何でもいいや。一緒に暮らしていけるならどんな生き物だっていいよ」 テンだったらいい。と僕はすでに親馬鹿になってしまっていた。 next |