春の巡り 四



 絶頂の余韻に浸りながら、自分を見下ろす家守と視線を合わせていると、喉仏が上下に動いては悠里が出したものを嚥下したのが分かる。
「……何故飲むんだ」
 家守に口淫をされると、必ず家守は悠里が出したものを飲む。初めて飲まれた時は驚愕して家守に吐き出せと言ったものだが。何度注意しても止めない。
 どんな味がするのか悠里は分からないけれど、まずいはずだという確信があった。なのにどうして頑なに飲むのか、理解が出来ない。
「私はおまえの中に精を出すからな。おまえのは飲んでやらねば可哀相だ」
「可哀相なんて思わなくていい」
 そんなところで悠里の性器に対する憐れみを見せなくても良い。
「出したものを捨てるのは勿体ないだろう」
「この世で最もいらないエコロジー精神だ」
 勿体ないという単語がとんでもないところから出てきたことに、頭が痛くなる。斜め上と言わざるを得ない会話をしている間も、家守の指は悠里の中に入れられたままだ。それどころかもう一本増やされては、体内を柔く拡げていく。
 窮屈だった体内も家守の雄を覚え始めたのか異物感を薄めている。それどころか指を締め付けては質量が足りないと訴えている節すらあった。
「家守……」
「ああ」
 答えながら家守は悠里の額や耳に唇を落とす。指を締め付けている後孔に気が付いているだろうに、焦らしているのだ。家守の双眸も剣呑な色をしているというのに、悠里が快楽に悶えるのが面白いのか、まだ入れようとはしてくれない。
「……意地が悪くないか?」
 むっとしてそう恨み言を告げると家守は「何のことやら」としらを切る。
 悠里にしては揶揄されることは腹立たしいのだが、端正な顔立ちが愉しいそうな表情を浮かべていると文句もなかなか出てこない。
 むしろ煽られていることに勃ったばかりの茎がまた熱を帯びていくようだった。
「わかってるくせに……!」
 もどかしさに睨み付けると家守は破顔した。
「酒が入ると素直で愛らしさが増す」
「だから酔わせるのか」
 あの酒はそういういやらしさから来ているものなのか。何か儀式めいているものではないのかと想像していただけに、欲望の詰まった台詞には呆れる。
「頑なで貞淑な様も好きだ。けれど春になるとあられもなく私を求めて欲しいと思うものだ」
「繁殖期か」
「ぬくくなるとそういう気持ちになる。家守も所詮はこの世の理には逆らえぬ」
「俺はおまえの子は産まないぞ」
 どれほど雌だの何だと言われたところで、悠里の身体は孕むようにはなっていない。子を宿すことも育むこともないのだ。
 けれど悠里の台詞に家守は他愛もないことを耳にしたと言うように目元をほころばせた。
「家守の卵は年月と共に私とおまえの中に作られる。そして死ぬ前に産み落とされるのだ」
「俺が死ぬ時?」
「私とおまえが共に死ぬ時だ」
 家守は躊躇いもなくそうはっきりと告げた。
(守り神のくせに、おまえは俺と死ぬのか)
 人間でも爬虫類でもないくせに、家守はつがいと共に朽ち果てて死ぬ。
 そう祖母から聞かされていた。家守は情が深すぎる守り神だから、つがいが死んだ後もずっとこの世に留まることが出来ない。だからつがいと共に消えてしまうのだと。
 その為に次の守り神を創り出しては、自分の代わりとしてこの世に残すらしい。
 まるで人間の営みのように、守り神という存在を繋いでいく。そうして家守はこの家の中で巡っていく。
(この家守は俺だけのもの)
 つがいと決められたのならば、悠里と共に死んで逝くのだろう。神様として神秘と力と永遠を持っているはずなのに。それを捨てて悠里に寄り添って終わるのか。
 そう思うと目の奥からじわりとぬくもりが滲んで来た。それがどうしてなのかは分からないけれど、無性に家守の身体に手を伸ばしてはぎゅっと背中に抱き付いた。密着する身体はもうあたたかい。
「早く、早く入って。俺の中に来て」
 繋がって欲しい。一番近くに、生まれた時からそうだったかのように溶け合いたい。
 素面であったのならば到底言えはしないだろう。そんな淫らな言葉が、今ではすんなりと出てくる。
 焦げ付くような身体を持て余す悠里に、家守は宥めるようにして額に唇を落としてから帯を解いた。するりと落ちていく着物の隙間から家守の体躯が見える。均整の取れた筋肉がしっかりと付いた雄々しい身体は同性であるはずなのに、ぞっとするほど扇情的だった。
 ほぅと高揚する吐息を零すと、家守は悠里の足をつかんでは間に割り込んでくる。そそり勃った雄を後孔に押し付けられ、犯される期待に背筋が粟立った。
「私の唯一のつがい。悠里、ちゃんと私を咥え込んでしっかり孕んでおくれ」
 掠れた声でそう囁く家守にこくんと一つ頷いた。
「んー……っ、あ、あっ」
 灼熱が悠里の身体を割るようにして入って来る。後孔がひきつるような微かな痛みに眉を寄せるけれど、すぐさま体内を擦られる快楽に誤魔化されてしまう。
 身体を繋げ始めたばかりの頃は体内に雄を入れられる圧迫感と異物感に悩まされた。やはり苦しさを強く感じていたのだが、いつしかその圧迫感すらも内側の気持ち悦いところを雄が突いてくれるという快楽に変わっていった。
 今では体内で雄を咥え込んで気持ち悦さを貪る術も学んでしまっている。家守の雄が中に入っている時だけは、悠里のそこは受け入れるべき器官へと変化してしまっていた。
 男なのに、と自分で言っていたはずなのに。抱かれている時だけは違う生き物に成っているのだと自分でも分かってしまう。
「は、あっ、うんっ、あ……っ」
 家守は息を詰めて悠里の奥まで入り込んでくる。猛った雄は一度に突き上げられるには大きすぎる。なので体内が大きさに馴染むように、ゆっくりと侵食してきた。
「私の雌。たった一人のおまえ」
 家守は時間をかけて奥まで入ると、悠里の頬を撫でながら甘く名を呼ぶ。愛おしいという気持ちが眼差しや声音に恥ずかしいくらいに詰まっていた。
 家守の手を握り、体内に家守を感じていると、頭の奥に知らない誰かの声や、映像が流れ込んでくる。
 見知ったこの家の天井の、けれど家守ではない誰かが見える。なのに縦に細長い瞳孔も、悠久を閉じ込めたような琥珀色の瞳も家守の特徴だ。とろけるような微笑みも、弧を描く唇も家守のものに違いない。けれど唇が紡ぐ名前は悠里ではなかった。
 だがそれに衝撃はない。自分の名前ではないけれど、家守が語り付けているのは自分に対してだ。それだけは分かる。ただ名前という記号が異なるだけ。
 そしてまた別の記憶が過ぎる。今度は女のようだった。けれどやはり悠里の上に乗っている。包み込まれている感覚は今のものとは違うけれど、大輪の花を思い起こさせる容姿は性別の違いこそあれ、家守の特徴を全て受け継いでいる。勿論その身体や声、双眸から溢れ出している情も家守と全く同じだ。
 求められている。愛されている。
 そんなことはもう確認するまでもない。訊くことすら馬鹿馬鹿しいほどの事実だ。
 これが愛されているということでないのならば、愛情なんてものはこの世には元から無い。
 今ではない時間、知らないはずの記憶なのに胸を掻き毟りたくなるほど懐かしい気持ちが込み上げる。
 だがそんな気持ちすらも家守と繋がっている体感に溶けていく。
 混ざり合って溶け合って一つに成る。
 そうしてずっと繰り返してきたのだ。
(家守はこうして、子を成すんだ)
 脈々とつがいを求める守り神を生み出してきた。
 家守は悠里が導き出した答えを肯定するように口付けてくれる。悠里を激しく苛んでは快楽を与える代わりに何もかも根こそぎ奪おうとする情交とは反対に、慈しむばかりの口付けだ。
 酒で緩んだ頭は何の抵抗もなく家守を受け入れる。きっとそれは家守たちの記憶に対してもそうなのだろう。
 素面では我が強い。理性があった場合、家守から与えられるものは非現実的だと思って撥ね付けようとしただろう。人間として生きてきた概念が家守の邪魔をしたはずだ。
 けれど今は何であっても構わないと思えた。心地良さと、気持ち悦さと、家守に抱き締められている感覚が全てであれば良い。
「家守、家守……動いて、奥、突いて」
 悠里の奥に雄を差し込んだまま、動きを止めていた家守をねだるようにして腰を揺らした。淡く走る刺激に喉をしならせると家守が息を呑んだ気配がした。
 次に視線が合った先にいたものは、常に穏やかさを欠いていた。
 捕食者の眼光に悠里は恍惚とした心地に突き落とされる。
「あ、あっん、あ、あっ、ひぅ、ん、ああ、っん!」
 突き上げられる度に嬌声が響き渡る。静かだった春の夜に広がる睦み合う声。微かにでも自制心が残っていたのならば、自らの唇なり指なりを噛んで殺そうとするだろう。けれど今だけは悦びを歌うようにして啼き続けた。
「い、や、いく、ああっ……!」
 茎からではない、腹の奥から込み上げてくる絶頂に身を投げる。家守は悠里の揺さぶりながら改めて腰を掴み直し、奥まで貫いてくる。差し込まれた深くで、後孔は雄を逃すまいときつく締め付けた。
「ん……」
 吐息を噛み締めた家守の微かな声に、ふわりと悠里の意識が浮き上がる。後孔から来る絶頂は深く重くて、唇は開いているのに嬌声がろくに出てこない。酸素を求める魚のように悶えながら口を開けているだけだ。
 震えながら茎は白濁を漏らし、悠里は自らの腹を汚してしまう。
「あ……んっ…」
 絶頂の波はなかなか退かない。快楽にざわめく身体で家守を引き寄せる。きつく抱擁して欲しい。もっと溶け合って欲しい。そう願う悠里の声が聞こえるのか、家守は荒々しく呼吸を繰り返す悠里をきつく抱き返してくれた。



 翌朝、目覚めると家守はいなかった。夜行性の家守は夜の間に悠里を欲しがるままに抱いても、朝が来ればするりとどこかに行ってしまう。
 ここにいてくれと言えば残ってくれることは知っている。一度そうねだって、抱き締められたまま朝を迎えたことはあるのだが。楚々とした朝日の中に、裸体で自分を抱え込んでいる家守を見ると異様に居たままれなくて、それ以来ねだったことはない。
 気怠さに溜息をついては二度寝をしようかと思った。春休みの間はいつまで寝ていようが問題はない。
 ごろりと寝返りを打って目を閉じようかと思った悠里の目線に、淡い色がちらついた。
「…………後朝の別れか」
 桜の花が三つ枕もとに残されている。桜の枝を折るなどという愚行を家守がおかすわけもなく、その花も地に落ちたものだろう。けれど瑞々しく美しい花びらは汚れ一つ無い完璧な麗しさを保っていた。
「文でも置かれていたら笑ったところだ」
 平安時代か、と独りごちては桜の花を一つ摘む。
 この記憶も、後の誰かに引き継がれていくのだろうか。もしそうであるならば、悠里の記憶に触れたその誰かは、この甘くくすぐったい思いをどう受け止めるのだろう。
 





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