繋がり方 6



 朝目覚めた時に思ったことは、今日が休みで良かったってことだ。
 出勤しろって言われても、無理だっただろう。
 きっと電話に手を伸ばして泣き言を並べたに違いない。
 昨夜は頭がおかしくなるかと思うくらい声を上げた。
 あんな感覚は初めてだ。
 痛いくらいの刺激に逃げようとして、そのたびにテンに捕まって、揺さぶられていた。
 無理矢理された時は一度で終わった行為。
 昨夜は二度三度と繰り返された。
 もう限界だと必死に訴えて、ようやくテンは僕を解放した。
 それでもどろどろになった身体を風呂場で軽く清めている時も、ベッドに戻って来た時も、眠るその瞬間も、テンは僕から離れようとしなかった。
 フェレットになった時、一時も離れたがらなかったように。
 べったりとくっついてはにこにことずっと微笑んでいた。
 そんなに幸せそうな顔、久しぶりに見た。
 全身で喜びを伝えてこられると、どうも無茶をされたことも強く怒れない。
 男同士だとか、ペットと飼い主だったんじゃないのかとか、こんな関係はおかしいとか、そんな思いをぽーんと投げてしまうほどあったかい気持ちになった。
 あれだけ躊躇っていた。受け入れるのが怖かった関係なのに。
 いざテンと寄り添って眠ると心地よかった。
 結局、僕はテンが好きなんだ。
 初めは愛玩動物に対する気持ちだったのに、それを変えてしまうくらい深みにはまってしまった。
「…腰痛っ」
 僕は穏やかな昼下がりの光を浴びながらそう呟いた。
 歩くたびに身体は怠く、そして腰に違和感を覚える。それは痛みにごく近いものだ。
 おもわず腰をさすりそうになるが、さすっても良くならないことは今朝から実践済みだ。
 体調は最悪と言っても過言じゃなかった。
 でも僕はテンと買い物に出ていた。
 休みの日は大抵テンと一緒に買い出しに出ているから、行かないと落ち着かない。
 家の食料も少なくなって、また溜め込まないと明日から困るだろうと思った。
 そして何より、家にいると僕が昨夜のことを思い出してしまいそうだったからだ。
 テンはご機嫌だし、何かと抱き付いてくる。それは前からあったことだから動揺なんてしなきゃいいのに、僕はどうしてもびくりと反応してしまう。
 それにテンは更に上機嫌になった。
 このままベッドに連れて行かれるんじゃないかってくらい。
 昨日の今日でそれは無理だろって僕は思うんだけど、テンだったら「大丈夫だって」と軽く笑って強行しそうだ。
 それを恐れて、出かけたって理由もある。
 隣から聞こえてくる鼻歌は、まさにこの世の春を満喫中って感じだ。
 そんなに抱きたかったんだなって思うと、もっと早く受け入れれば良かったって気持ちと、でも今だから受け入れられたっていう気持ちがある。
「あ」
 テンは前方を見て声を上げた。
 その視線の先を見ると、向こうから見知った人が歩いてくる。
 背は少し丸くなった、でもしっかりとした足取りで歩いてくるおじいちゃん。そのおじいちゃんの足下で尻尾を振りながら嬉しそうに歩いている茶色の犬。
 ころころした姿はまだ大人の犬になりきっていない証拠だ。
「大きくなったなぁ、茶々」
 おじいちゃん、小川さんという近所に住んでいる人が連れている犬は、元々は捨て犬だった。
 雨の日、道ばたに捨てられているのをテンが見つけたのだ。
 あんなに小さくて、濡れてすがるような目で僕たちを見上げてきた子は、今は元気はつらつとした様子で散歩している。
 その首にある紐の先は、優しい飼い主に繋がっていた。
 大切にされている子は飼い主と繋がっているのが嬉しそうに歩いている。
 この人がご主人様、と誇るような目をしている。
「こんにちは」
 声をかけると小川さんも頭を下げてくれた。
 太郎君を亡くした時はすごくしょんぼりしていたらしいけど、今は幸せそうだ。
「あ、茶々」
 わふわふと鳴いて、茶々は僕に飛びかかってきた。
 もちろん襲うためじゃない。
 遊んで欲しくてじゃれついてるだけだ。
 大型犬なら逃げるところだけど、茶々はたぶん中型犬だし、子犬だから飛びかかられても僕は倒れたりしない。
「ホント、おっきくなったな!」
 しゃがんで茶々を撫でてやると、顔に鼻を突き付けてくる。
 そして舌でぺろぺろ僕の頬を舐めた。
「こーら、落ち着け」
 尻尾をぶんぶん振っては僕の顔中舐めてくる茶々を手で制する。テンション上がり過ぎだ。
 会うのが久しぶりだからかも知れない。
「好かれとるね」
 小川さんはそんな光景を見て笑っていた。
 茶々が喜んでいるのが嬉しいんだろう。
「子犬が育つのは早いですね」
 この前までもっと小さかったように思っていたのに、僕に乗りかかろうとしている茶々はずっしりとした重みがある。
 人間の子どもはちょっと見ない間にぐっと大人になっているって言うけど、犬もそうだ。
 いつの間にか精悍な顔立ちになっていたりする。
 うちのテンは幼児化する一方のような気がするけど。
「あ」
 茶々を背中から頭にかけて、掻くようにして撫でているとテンの手がひょいと茶々を持ち上げた。
「おー、重くなってんな」
 テンは軽々と茶々を抱き上げては高い高いをした。
 赤ちゃんをあやしているかのようだ。
 茶々はそんなテンにも尻尾を振っている。
 人間が好きなのかも知れない。
 捨てられていたことを思うと、人間に対して無邪気に好意を向ける様が可愛くて仕方ない。
「すぐにでかくなんだな。で、いつ緑になんの?」
 テンは茶々を見るたびにそう言っている。
 お茶なんだから緑色にならないと、というテンだけが持っている価値観からくるものらしい。
 お茶でも緑だったり茶色だったり、金に近いような色だってあるのに、テンの中では緑って決まっているようだ。
「なるか」
 小川さんは毎回のことなのにしっかりツッコミを入れてくれた。
 親切なおじいちゃんだ。
 僕なんてそろそろ飽きてきたのに。
「いい加減そのネタ止めたらどうだよ」
 僕は立ち上がり、茶々をだっこしているテンに呆れた目を向けた。
「だって茶々はお茶じゃん。だから将来緑になるべきだって」
 べきだって、とか言い始めた。
「緑の犬なんて怖いだろ。まりもみたいじゃないか」
 大きなまりもが歩いている姿を想像して、僕は少しげんなりした。
 可愛くないかも。
 それに茶々が緑になったら、健康的に見えない。
 人間の話を理解したのか、それとも抱かれているのに飽きたのか、テンの腕の中で茶々が身じろぎを始めた。
 離して欲しいのだ。
 人に抱かれてじっとしているより、駆け回っていたい年でもある。
(茶々でもこれくらいはじっとしてくれるのにな)
 テンだったら、抱き上げて数秒しか大人しくしてくれない。
 落ち着きのなさは子犬以上だ。
 ずっと大人にならない生物のトップだと思っている。
「ほら、茶々も怒ってるだろ」
「なんだよ、嫌なのかよ」
 緑なんて嫌に決まっている。
 テンは渋々茶々を下ろした。
 すると自由になれたことが嬉しいのか、また尻尾をぶんぶん振る。そしてテンの足下にしがみついた。
「お散歩の途中ですか?」
 茶々がじゃれついてきたから、出会って始めに言う台詞を今更口にした。
 小川さんは一つ頷いてくれた。
「これから川の方に行こうかと思ってる」
「そうですか」
 近くにある川は土手が広く、散歩コースにはもってこいだ。
 休日になったら人々が集まってキャッチボールや釣り、子どもたちがよくはしゃいでいる。
 そこにはよく犬たちも遊んでいる。
「水遊びは来年のことだが」
 小川さんは茶々を見てそう言った。
 水遊びをするには寒すぎる季節だ。
 けれどその目にはもう来年の夏が見えているかのようだった。
 きっと茶々も嬉々として川ではしゃぐことだろう。
「その時が楽しみですね」
 育っていく茶々を近くで見守りながら、未来のことについて思いをはせる。
 ペットという存在がいることで、明日、一ヶ月後、来年のことまで思いを飛ばして楽しみを見いだす。
 それは共に生きていく幸せの一つだろう。
「ああ」
 小川さんは太郎君と一緒にいた時と同じ笑顔で、そう応えてくれた。
「お二人は買い物かい」
「そうです」
 買い出し途中で小川さんに会うこともあるから、すぐに察しがついたみたいだ。
「毎回二人なのも珍しい」
 男同士が同居していても、きっと毎回買い出しを二人でやっているなんて妙だろう。
 でもテンは一人で買い出しに行きたくないって言うし、僕が行くと付いてくる。僕も一人で買うより二人で買ったほうが荷物を持つ人数が増えるからいいんだけど。
 テンが一緒だと買い物の時間が伸びるのが難点だ。
 あれも欲しいこれも欲しい、と言ってテンが目移りしているからだ。
「あそこのマンションの人はみんな仲がいいな」
 小川さんは何でもないように言った。
 でも僕は内心ぎくりとする。
 確かに、あそこのマンションに住んでいる人は同居人同士でとても仲がいい。
 でもその理由は、元々はペットと飼い主って関係でみんなペット溺愛タイプの人間と、飼い主大好きペットだからだなんて。
 説明出来ない。
 信じてもらえるとも思えないし。
「ま、いいじゃん。仲良しなのは」
 どう答えるべきかと思った僕とは反対に、テンなんてすらりと流した。
 小川さんもそれ以上気にするようなことでもないと思ったのか、そうだなと言って茶々を呼んだ。
 散歩の続きだろう。
「飯塚さんに叱られないようにな」
「叱られても愛想尽かされないからいいんだって」
「慢心しているとぽいと捨てられるぞ。飯塚さんもこいつが悪さしたらこっぴどく怒ってやりなさい」
 小川さんは、テンの本当のおじいちゃんみたいなことを言った。
 それだけ二人も仲が良いんだ。
「じゃあ、また」
 軽く会釈をすると、小川さんが僕たちの横を通り過ぎていった。
 茶々の尻尾もリズミカルに揺れていた。
「亮平」
 茶々と小川さんが離れていくと、テンがむっとしたような顔をした。
 どうしていきなり機嫌を斜めにしているんだろう。さっきまで楽しそうだったのに。
「他の犬可愛がるの禁止」
「へ?」
「犬も猫もフェレットも駄目っ」
 テンはだだをこねる子どものように言った。
 いや、言っていること自体はだだなんだけど、真面目な表情だからどうも笑い飛ばせない。
「なんで?」
「だって俺の飼い主じゃん!それに恋人だし」
「こ…」
 テンがはっきり言った言葉に、僕は絶句した。
 まさかそんなことが出てくるなんて。
「違う?」
 テンはくいと顔を寄せてきた。問いつめようとしているかのように。
「亮平は身体だけの関係でもいーの?平気?あんだけヤったのに、他に彼女とか作れるタイプ?」
 あんだけヤったって。
 むしろ僕はヤられた側なんだけど。
 でもこの状況で他に彼女が作れるかって訊かれてたら、それは無理だ。
 だって、他の人にまで頭が回らない。
「それは…」
「どう?ね、いいんじゃない?いい加減認めてくれても。だって他に言いようないじゃん」
 なぁ、とねだるようなテンから顔をぷいっと背けてやった。
「保留!」
「ええぇぇ!!なんだよそれ!保留って、俺もう散々待ったのに!いつまで待ってろって言うんだよ!亮平が認めてくれるの待ってたらじーさんになるぜ!?小川のじーちゃんくらいになんじゃないのか!?」
 やだ!と道ばたで騒ぐテンを放置するように歩き始める。
 本当は、もう心の中ではそうだって思ってる。
 でも素直に認めるのは、少し癪な気がした。
 昨夜好き勝手をしたテンへの、小さな仕返しだ。
「亮平!」
 ぷっと吹き出す笑いに口元を緩めると、隣にいたテンが拗ねた目でこっちを見ていた。




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