「本当に悪かった。あそこまで酷いとは思わなかった」
 叔父が頭を下げるのを見て、灯はどうしたものかと苦笑するしかなった。
 今回の依頼人は叔父の友人らしい。どうしてもと無理矢理に近い形で入れられた依頼であり、叔父も随分渋ったようだ。
 それでもなんとか娘に少しでも幸せを、と願った気持ちに心揺らぎ灯が呼ばれたのだが。結局無力に終わった。
 言祝ぎなど所詮気休め程度でしかないのだと、受ける側も理解していなければ意味を成さないようなものなのだが。その辺りの説明も向こうにはいまいち伝わっていないようであり、そもそも幸せになろうとしている二人には見えなかった。
(どうしたって本人たちのやる気頑張り次第なんだって)
 幸せなどというものは、他人が干渉出来るレベルなど知れている。
 完全に灯に人生を丸投げするようだった依頼人に対しては前金を全部返して依頼自体無かったことにして貰った。
 大抵依頼に関しては前金を頂き、言祝ぎが終わった後に満足して貰えていたのならば残りを払って貰い、こちらから土産のような品を渡すという形にしているのだが。
 あの二人にはもうとにかくこんなことは無かったことにして欲しいとだけ願っていた。
 振り返るとただの徒労だが、これからもこんな依頼人は出てくることだろう。
 見ると久幸の顔には気疲れが出ていた。そして無駄だったという気怠さもあった。
 こんなことに付き合わせて申し訳がない。
「悪かったな」
「いや、俺が好きで来たことだし。結構すごかったなあのカップル」
 やはり久幸もあの二人には衝撃を受けていたのだろう。
 特に女性が一方的に自分のことばかり喋っている時間の空気の重さは酷かった。
「俺も久しぶりに見たわあんなカップル。あれは絶対に別れるな。保証してもいい」
 言祝ぎ屋がそれを保証するのはどうかと思ったけれど事実である。
 長続きする仲睦まじい夫婦になるものが分かるのならば、その逆も鮮明に感じ取れるものだ。
「それは父親も分かっているそうだが。少しでも長引かせたいらしい」
 叔父は溜息と共にそう言うけれど、長引かせても双方のためになるとは思えないのだが。
「無理無理。両方心入れ替えないと絶対無理!そしてその可能性は低い!孫引き取った方が早い!でもそんな子どもに育て上げたのは親の責任もあるから孫も二の舞かもな!」
 徒労に終わってしまった苛立ちと疲れのせいか、灯は厳しいことを言い放った。
 子育てとは難しいものなのだろうが、あそこまでなってしまったのは良くない。
 まだ子どもながら灯は偉そうにそう思っていた。
「あー腹減った。焼き肉行こうぜ!」
 きっちりと着込んだ着物を脱いで綺麗に畳む。さすがに着物を乱雑に放り出すような不躾な真似は出来ない。隣で久幸も正座で着物を整えていた。
 朝から白飯と漬け物と塩しか食べていない。味覚がバラエティを求めていた。
 このやるせなさを払拭してくれるのは焼き肉が相応しいだろう。
「灯、今日の分」
 着替えが終わると叔父がふとのし袋を差し出して来た。
 それが意味するところはすぐに分かり、灯は首を振る。
「いらないよ。失敗したから」
 それは灯に対する報酬だ。しかし依頼人には前金すら返している。
 金はいらないから帰ってくれと言ったのは灯だ。それなのに金を貰うわけにはいかない。
「いや、だがわざわざ来て貰ったしな」
「駄目駄目。言祝ぎ屋だったらどんなカップルでも幸せにしなきゃいけない。でも俺はそれが出来なかった。だから仕事は失敗。金なんて貰えないよ」
 そもそもその金は叔父の懐から出てきたものだろう。
 灯がやっているのは己の言祝ぎの仕事であり、叔父のお手伝いではない。
 駄賃のように金を貰っていては仕事として成り立っていないようなものだ。叔父からしてみれば灯など子どもで、仕事など出来るような人間ではないと思っているかも知れないが、これはけじめだった。
「しかし、俺が無理に頼んだことだからな」
 灯がきっぱりと断っても叔父は渋る。
 まずいと思いながらも、灯に依頼を持って来たという後ろめたさがあるのだろう。
「でも駄目だって。こういうの受け取ったら気まずいから。ただでさえ縁故の仕事なのに、なぁなぁな中身になるだろ。けじめ持たないと駄目になるよ俺は」
 普段は雑な性格でなぁなぁな生き方をしているけれど、言祝ぎに関しては分別を付けようと思っていた。それは灯だけが生業にしていることではない。母の血が続けてきたことだ。
 灯が台無しにしてしまうわけにはいかない。
 だから大人びた、背伸びをした意見でも叔父に突き付けた。
「そうか……」
 叔父は残念そうにのし袋を懐にしまった。だが何故か今度は財布を取り出してきた。
 灯が「ん?」と疑問を覚えていると今度は五千円札がそのまま出現した。
「じゃあせめて焼き肉代として。これは叔父として甥っ子にあげる金だからな」
(どんだけ気にしてるんだよ!)
 叔父とは良好な関係を築いてきたとは思っていたけれど、これは気にしすぎである。
 そんなに可哀想だと思われるレベルのことではないのだが。久幸が一緒なので今日は特に気になるのかも知れない。
「今日は俺が奢る約束してたんです」
 困る灯に助け船を出したのは久幸だった。
 同じく着替え終わっていた久幸は迷っている灯の表情を読み取ったのだろう。してもいない約束を言っては叔父の金を下がらせようとしてくれた。
「そういうわけだから、焼き肉代もいいよ。じゃ!」
 久幸の台詞に良いタイミングだと灯は叔父に片手をあげた。もうこれ以上は会話はしませんという意志表示だ。
 叔父もここまで来ると意地を張ることもないようで、苦笑しながら五千円を財布に戻していた。
「お疲れ様!」
 引き留められることを恐れ、灯はてきぱきと社務所から出て行く。久幸も「お疲れ様でした」と叔父や周りの人に頭を下げては後に続いてきた。
 石畳を歩き二人で神社を後にしながら、そっと息をついた。
(本当によく気が付く奥さんだ)
 こういう時にどうすればいいのか。久幸は灯の隣で突破口を考えてくれたのだろう。
 そして自分が何をするべきか、最も良いきっかけと言葉で切り開いてくれた。
 もし灯が逆の立場だったからあんな風に言い出せるかどうか分からない。久幸は頼もしい相手だ。
「お疲れの灯にマジで焼き肉奢ってやるよ」
「マジか!」
 焼き肉が食いたいとは思ったけれど、仕送りの中からひねり出しているお小遣いでは難しい。
 今回の言祝ぎで臨時収入があるからと、密かに計画していたが。それがなくなり焼き肉など夢だと内心諦めていたため、その提案は天の恵みのようであった。
「ああ。だから明日の晩飯ハンバーグな」
「くっ……ただで奢ってくれるんじゃないのか」
 交換条件があるとは思わず、返ってきた攻撃に灯はつい呻き声を零した。
 しかもハンバーグ。すでに形成が終わっている冷凍食品では駄目なのだろうか。
(つかやっぱりお子様味覚なのか?)
 オムライスだのハンバーグだの。言動は落ち着いているのに久幸は味覚だけお子様になっているのか。
「世の中はそんなに甘くない。出来合のハンバーグは却下な」
「やっぱりか!たねから作るとかめんどくさそう!やったことない!」
「やれば出来るって。おまえは頑張ればある程度出来る子だ」
「勉強はそれでも駄目だったって知ってるくせに!」
「だから勉強以外はって限定付けるから」
 付けるからというけれど何の慰めにもなっていないどころか、むしろ追い詰められているような気がする。
「どうせお子様メニューならカレーにしようぜ」
 カレーだってお子様は大好きではないだろうか。久幸が甘口なのか辛口なのか知らないのでとりあえず中辛で作ればいいだろう。
 適当に材料を切って全部突っ込んで煮込み、ルーを投入すれば美味しく出来るカレーならば小学生の頃にすでに作ったことがあった。
「カレーなんてすぐに出来るだろ」
「おまえ何さらっと鬼みたいなこと言ってんの?俺に苦労しろってこと?これ以上?」
 焼き肉でときめいた心がちょっと黒くなるくらいに酷いのではないだろうか。
 労ってくれるのではないか。対価を求めすぎだ。
 じとっと目を据わらせると久幸が肩をすくめた。
「愛溢れるハンバーグが食いたいんだよ」
 なんだその言い方は。出来合のハンバーグにだって作った人の愛と義務感と労働に対するやるせなさが込められているだろう。もっとも作っているのはたぶん機械の場合が大半だが。
 それでも愛が欲しいと言う男にわざとらしいまでに大きな溜息をついた。
「ケチャップで文字書けるかな」
「どんだけデカイの作る気だ」
 どうせなら爆弾ハンバーグと言われるくらい大きな物を作り、嫌がらせで今度は「愛」とでもケチャップで書いてやろう。
 そして後日灯はそれを実行したあげく、中心まで熱が通っていない半生のハンバーグを制作し、久幸に無残にも半分に割られレンジにかけられた。






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