偶像の棺 13 アルディの骨は、母国に帰すことになった。 螢が自らの足で向かい、その手で埋めたいと希望していたのだが、まだ多々残されている悪魔の始末や、アルディがいた土地ではまだ螢の顔を覚えている人もいるだろうということで行くことは出来なかった。 再びあの土地で姿を確認されても、良いことなど何もない。 事態を更に混乱させる可能性もあるので、大人しく日本に留まることになった。 代わりに充が骨を運んでくれた。 充ならかつて螢がどこにいたのかも分かっている。 あの周囲で、と告げると理解してくれたようだった。 あの国でも充と繋がりがある人がいるそうで、良いように手配してくれたようだった。 『どんな墓にしようかとは悩んだんだけど、螢ちゃんと出会うきっかけになった神様だから』 充は国際電話でそう言っていた。 あの子は神は信じていなかった。 信仰も信じてはいなかった。 そう充には言ったけれど、螢とアルディが出会えたのはあの神がいたからだ。 信仰が広まっていたからだ。 だからあの子の墓にはあのシンボルが飾られているらしい。 静かな場所だ。今は綺麗な花が咲いているよ。そう言っていた充の言葉に、螢はありがとうという言葉くらいしか返せなかった。 きっとあの子の墓に行くことは、当分ないだろう。 人の一生が終わるほどの期間はきっと訪れることは出来ない。 けれどその先になれば、きっと、その場に立ちたい。 見せられるものも差し出すべきものもないが、ただ愚かで儚い自分の姿を見せたい。 人とは異なる生き物である。それでも。 それでも貴方が愛おしかったと、そう告げたい。 日本では毎日のように悪魔を喰っていた。 あの子に憑いていたほどの強さを持つ者はおらず、仕事はさして困難ではなかった。 けれど螢の身体は悪魔を喰うことを拒絶していた。 あの子を喰ったあの感覚に苛まれるのだ。 なので悪魔を喰った後は、必ずと言っていいほど嘔吐していた。 だが身体に吸収された悪魔の味など体外に排出出来るはずもなく、螢はただ胃の中にある物質を口から吐くことになった。 けれど人間のような食事もろくに出来なくなっていたので、いつも胃液を吐くだけしか出来なかった。 不動はそんな螢を見て、仕事を休むように言った。 螢が喰わなくても、不動一人でも出来る仕事だからだろう。 けれど螢はそれを拒んだ。 あの子が広めた悪魔は、一匹残らずに食らい尽くすと決めたのだ。 それが螢のけじめだった。 その決意を感じてくれたのか、不動は螢を無理に止めなかった。 けれど仕事以外のことになると世話焼きになり、まるで子どものような扱いをされて複雑だった。 それだけでなく、不動は常に螢の側にいた。 それまでも一緒に行動していたけれど、あの件が終わってからは始終と言っても過言ではなかった。 どうやら螢を一人にするのを恐れているようだった。 一度、夜中にベランダに出ていたことがある。 それはどうしても寝付けずに、夜風に当たろうとしたのだ。 同時に静かな夜は物思いに更ける。 様々な記憶と思いが込み上げて、螢は居たたまれなくなって唇を噛んでいた。 その時にふっと背後に不動が立った。 螢が動いていた気配を感じ取ったのか、そのまま無言で螢を後ろから抱き込んでは部屋に連行してベッドに転がした。 何事かと思ったのだが、情事を迫るわけでも何かをするわけでもなく。 部屋にクーラーを入れて、不動は螢を抱き締めて寝た。 どうしたのかと尋ねても、明白な返事は貰えなかった。 たぶん、恐れたのだろう。 螢がベランダから飛び降りて、自殺することを。 そんなつもりでベランダに出ていたわけじゃない。ただ夜風に当たっていただけだと言っても、不動は螢を放さなかった。 それ以来、二人は一緒に眠っている。 あれから変わったといえば、それくらいしかなかった。 何かもかも、周囲は変化しない。 あの子がいなくなったことなんて誰も知らないかのようだ。 「不動…」 クーラーが動いている微かな音を聞きながら、螢は背後から身体を抱きこんでくる男に声をかける。 暗がりの部屋には静けさが広がっている。 返事はないが、不動に関しては別段珍しいことではない。必要なことしか話さないような男だ。 「そんなに警戒しなくても。黙ってどっか行ったりしないよ」 不動を怖がらせるほどに、今の螢は危うく見えるのだろう。 無理もない、あんな光景を見せたのだ。死にたいと口にしたこともちゃんと覚えている。 だが衝動にかられて、不動に黙って死ぬことは決してない。 不動が悲しむからだ。 散々世話になって、大切にして貰って、依存し合うことまで出来たのに。 ある日突然消えてしまうなんて、非道な真似はしない。それくらいの情はちゃんと持っている。 「おまえはあれについていきたいと言っていた」 「あれは……その時はそう思った」 「一瞬でも迷ったのなら、それはおまえの心にあったことだろう」 そう言われると否定は出来ない。 腕の中で身体を動かして、不動と目を合わせる。 強い意志を持っている、凛とした双眸だ。 「その思いや迷いがある内は、離してはやれない」 そう言った後、いや、と不動は珍しく自分の言葉を続けようとした。 「そうでなくとも、離してはやれない」 束縛する意図の言葉を告げられても、螢はそれが怖いとは思わなかった。 アルディに告げられた時は恐ろしいことだと感じたのに。不動の口から聞こえると、どうしてこんなにも柔らかなあったかさを感じるのだろう。 切なくなるほどに。 「うん……離さなくていい。不動は離さなくてもいい」 ありのままの螢を見て、柔軟に受け入れてくれるこの人がずっとこうして抱き締めてくれたら、それはどれほど幸福なことだろう。 何一つ偽ることもなく、取り繕うこともなく。ただ、優しくあれたら。 ただ恋しくあれたら。 このあったかい思いだけでいられたのならどれほど素晴らしいことだろう。 「あの記憶が風化するまでは、一人では眠れないと思え」 そう言いながら、不動は口付けを落としてきた。 あったかい口付けを受けながら、螢はどの記憶かと思った。 舌が入り込んでくると、素直に応じる。 澄んだ甘さが螢の中に忍び込んでは全身に広がろうとした。 とっさにあの子の記憶が刺激され、嘔吐感が込み上げる。 えづきそうになって螢は不動を押しのけようとした。けれどがっちりと抱き締められて動けない。 流し込まれるその清しいまでの香りは、ただの悪魔とは違ってとても螢に馴染んでくる。 優しい甘さだ。 吐き気は波のようで、一度強くなった嘔吐感は限界を通り抜けるとすぅと消えていった。 螢が食事出来るようにと思って、こんな荒療治をしたのだろうか。 唇を離して、困惑気味に不動を見上げると目尻にキスをされた。 慰めているかのようだ。 優しい仕草に深く呼吸をする。 不動の元にいると感情が落ち着いて、静まっていく。 いつか、この人の傍らで。 あの国に行きたいと言える日が来るだろうか。 会いに行きたいと、話せる日が。 その時不動は頷いてくれるだろうか。 もし頷いてくれたなら、その時は。 「螢」 不動の声に、目を閉じて口付けを欲した。 まぶたの裏ではいくつもの綺麗な緑色の光がふわりふわりと、舞っていた。 しかしそれはすぐに掻き消えて。 触れてくる唇だけが、螢が生きていることを教えてくれた。 |