春の終わりを待って 白い朝 9 今夜は口数が少なかった。 軽口のない触れ合いは、その分肌が接触して得られる感覚全てを敏感に受け取っていた。呼吸、鼓動、体温、皮膚の下の筋肉の収縮も、全てが詳細に実感出来る。 唇を塞ぐと吐息が溶け合う。 葵の部屋には植物がない。だから二人分の呼吸音しか聞こえない。だがその二人分が大きく響いて、溺れてしまいそうだった。 「……もっと、奥に」 ぎりぎり入れられるようになった三本の指を、浅い部分でゆるゆると動かしていた。それが躊躇であると葵は察知してしまっている。 「痛いって言うくせに」 三本入れられるようになっても、そこから先に入れようとすると葵の身体は固くなる。抵抗があると、訊くまでもなかった。 最初は二本、しかも中程までしか入らなかった。そこから比べると進歩している。 だからゆっくりやればいつか出来るようになると言ったノアの台詞は正しかったのだが。葵は性急にその先を求めてくる。 強引に拓いた体内はぎちぎちに指を締めて、これ以上は厳しいと訴えた。 なのに口だけは、強がるのだ。 「今日は、もっと欲しい」 「……切れるぞ」 欲しいと言われて嫌な気はしない。むしろ下腹部がずくりと疼くけれど、言葉に従順になるには、後孔の狭さが不安だった。 流血沙汰は避けたい。 「最初はそうかも。だけどもういい。いいんだ」 「どうして」 「俺たちが、一つなのが当たり前なら、入れないわけがない」 「無茶苦茶な理論だ」 「正しい感覚だよ」 今日はやけにこだわる。 一つだったならと言われて、桜の幹に手を置いて桜を通して葵とも繋がった感覚が蘇る。あんな風に桜を介さなくても、もっと近くにもっと気持ち良くなれるはずだと思ったのかも知れない。 隔たりはいらない。二人がいればちゃんと一つになれる。その実感が欲しい。 (俺たちだけで、繋がれる) それがシンプルな真実だと信じたい。 「ノア」 葵の腕が背中を回る。引き寄せられてキスをされるのだろうと思った。だがぴたりと止まっては、間近で視線が睦み合う。 「瞳の色、なんとなく紅い」 そう呟く葵の瞳も、深い焦げ茶が色を薄めては紅色を溶かし込んでいた。絵の具が滲むように変わるその瞳の色に見入ってしまう。 「ノア、入れてみよう」 「……分かった」 「駄目だったら、ちゃんと蹴り飛ばすから」 「おまえな、覚えてろよ」 宣言したということは、駄目だと思った瞬間には本気で蹴りを入れてくるだろう。 しかし下手に我慢されるより、その方がいっそ腹もくくれる。 「へー、そういう感じなんだ」 恥を忍んで他市で購入したコンドームが、ようやく役に立つ時が来た。封を切って中身を出すと葵が興味津々で覗き込んでくる。 十分に勃っている性器に被せて一応密着しているのを確認する。 「サイズ合ってる?」 「中で取れなきゃ、合ってるんだろ」 「雑!」 体感としてはややきついくらいだが、緩みがある方が問題なのでこれで良いはずだ。駄目なら駄目で何かしらの支障が出てから考える。 葵の太腿を掴んで大きく足を広げる。これまで散々後孔をならして来たので、羞恥心はすでに捨てたのだろう。後孔を晒しても葵は抗わず、それどころかノアの肩を掴んでは「大丈夫」と力強く言い切った。 (たぶん大丈夫じゃない) 不安が葵から伝わってくる。だがそれと同じくらいに、好奇心と期待があった。 その期待に背中を押されて、ノアは性器の先端を後孔に押し付けた。 「入れるぞ」 宣言と共に性器を差し込んで、その熱さと締め付けに息を呑んだ。 窮屈な体内に縛られるような痛みがあるのに、腰を進めるのを止められない。脳髄がゼラチンのように柔らかくなり、葵の熱に溶け出していく。 (気持ち悦い、ものすごく、気持ち悦い、なんだこれ) こんな感覚は知らない。 葵とのペッティングもかなりの快感だったけれど、その何倍も強い悦楽だった。 「あ……ぁ……」 唇を閉じることが出来ず、声が無意識に零れる。目の前にある葵も、深く息を吐いては頬を上気させて、ノアを見詰めてくれる。 「い、たい、痛い、きつい、でも、でも。気持ちいい」 「ああ、うん。そうだな」 全くその通りだった。 繋がれる場所ではない。性交出来る相手ではない。 そのはずなのにこれ以上ないほど満たされて、気持ち悦かった。 恋しくて、抱き締めたくて。覆い被さっているとはいえ、まだ肌が密着していない部分があるのが惜しくて、更に性器を深くへと埋めた。 「っ……い、ったいか」 強張る身体に、葵の呼吸が一端止まった。不安が伝わってきては、気持ち悦さを追いかけようとした欲が止まる。 性器を食いちぎりそうなほど狭い体内は、それ以上の侵入を拒んでいるからだろう。 「痛い……痛いけど、でも、もっと来て欲しい。ノアが欲しい。ノア、俺の、俺のもの」 ノアを引き寄せて、抱き付いて、葵は熱に浮かされたように言葉を紡ぐ。それに心臓が先に答えては、どくりどくりと大きく高鳴っている。 「おまえのものだ。おまえが、俺のものであるように」 互いは互いのものだ。 それは自身が望んだことであり、葵が目覚める前に聞いていたのならば舞い上がったかも知れない。それほど喜ばしいものであるはずだった。 けれど今は胸が締め付けられて、息が出来なくなりそうだった。 腕の中にいる確かな存在を感じながら、溢れてくる涙を止められなかった。 「こうしたかった」 「うん」 「ずっと、ずっと……待っていた」 涙と共に自然と零れてきた言葉を葵はちゃんと拾い上げてくれる。相槌の声は蜜のように甘美で、張り続けていた虚勢を崩すには十分過ぎた。 「おまえだけを……おまえを、ようやく」 恋い焦がれてようやくこうして繋がれた。 葵の中に埋め込んだ部位から自分が融解して、どろどろになっては、身体の輪郭を失ってしまえば良いと思う。そのまま葵と同化したい。 自分自身がなくなってしまっても良い。葵の中にいるならば、葵の中で生きているならばそれがノアにとっての最高の命の在り方だ。 これまで生きてきた価値は全てここにある。 だが肉体が邪魔をする。 繋がるだけでは肉の器は溶けない。同化することも出来ない。どれほど近くても、お互いには薄い膜が張られていて、それが邪魔をして一つにはなれない。 (寂しい) 一つになれない。 こんなに求めているのに、双方が心から望んでいるのに、一つになればそれが最も幸せなのに。身体があるせいでそれが出来ない。 だが分かっている。 身体があるからこそ、これほどの気持ち良さと、どろどろに溶けていくような多幸感を得られる。抱き締められる。声が聞ける。 互いの肉体がなければ、隔たりがなければ、寂しくなければきっとこの愛おしさは得られなかった。 (悔しい。あまりにも不毛だ) 一つになっていた方が満たされるのに、何の苦痛も、欠けたる部位もなく思うまま生きていけるのに。違う身体だからこそこうして繋がれるという事実に、恐ろしくなるほどの幸福を味わっている。 愛おしい、恋しい、寂しい。 ぐちゃぐちゃになっていくノアを、葵は抱き締めて、背中を撫でて、引き寄せてくれる。 「ノア、ノア」 繰り返される、後付けの名前を甘やかに呼んでは軽く腰を動かされた。体内の性器を愛撫するような動きに、ぞわぞわと快楽が走る。 「動いて」 初めて自分の中に雄を咥え込んでいるというのに、葵は大胆に刺激を求めてくる。あられもない要求は感傷的になっていたノアの肉の欲に火を付けるには十二分に足りていた。 「は、あ……」 「っん、ぅ」 腰を揺らすと葵の体内がうねった。先ほどのような頑なさは薄まり、言葉通りに快感を追い求めているような貪欲さだ。 「気持ち、いい?」 「うん、たぶん、そこそこ。だから、もっと、もっとして」 苦しいと気持ち悦いが斑に混ざり合って、曖昧な感覚になっているのだろう。快楽と苦しさを共有しながら、極力気持ち悦くなるように、腰の動きを調整する。 だが身体は体内で性器を擦り上げて絞るように吸い付いてくる葵の中に、射精したいと訴えてくる。 肉の器は身勝手だ。精神的な充足よりも、分かり易い快楽ばがり追いかける。 まして葵がそれを嫌がらないどころか急かす。だから尚更、律動は早くなっていく一方だった。 (丁寧に、気持ち悦くなるように、苦しくないようにしたいのに) 腰を止められない。 葵の身体は受け入れてくれるけれど、快楽はいまいちなのだろう。腰を振る度に揺れる葵の性器は、さほど膨らんでいない。 ノアの視線に気が付いたかのように、葵は自身の性器に手を伸ばしては、それをしごき始める。体内を弄られるだけでは気持ち悦さが足りないのだ。 (それにしたって) 後ろでノアを咥え込みながら、自慰をしているようなものではないか。 「すごい、有様だな」 「だって、仕方ない……ノアだって、興奮してるくせに、中のおっきくなった」 指摘してくる葵は意地悪そうに笑った。それが扇情的で、奥歯を噛み締めた。油断をすると、出してしまいそうだった。 葵は意図的に締めたのだろう。大きく収縮したそれに抗うように、雄はびくびくと脈打つ。膨れ上がった欲情が出口を探して藻掻いている。 「……出したい」 率直に浅ましさを口に出したノアに、葵は笑んでくれた。 「いいよ」 その許可に、一番興奮した。 葵の腰をきつく抱き直しては、腰を振る。奥まで入れると苦しい上に切れるかも知れない。その程度の理性は残っていたけれど、律動を緩めるという配慮は出来なかった。 「は、あっ、んっ、ノア、のあ」 「ぅ……っ」 がつがつと野蛮に貪る半身を、葵は赦してくれる。それどころか足を絡めて、引き寄せようとしてくれた。内側のひだに雄を擦り付けては、夢中で蹂躙する。 「っ、あ、でる」 譫言のようにそう零すと、葵は後孔をひくつかせた。それは意識的なものではなく、反射のようだった。葵の肉の器もちゃんと求めてくれる、その証に脊髄が震えては射精していた。 「は、あ…………ぁ」 猛烈な快楽と共に精液が溢れ出ていく。恍惚とした体感に浸りながら、緩く腰を動かしては最後まで出し切った。 「っん……あ……」 後孔から雄を引き抜く。葵は足を開いたまま、咥え込んでた部位をノアに見せてくれた。ひくひくと雄が出ていったのを名残惜しそうに僅かに収縮するそれに、目が釘付けになる。 唾を飲むような嬌態を晒しながら、葵は自らの性器に再び手をやった。それは勃っているけれど、まだ達していない。とろりと零れた透明な雫を竿に塗りつけるような指に、ノアはたまらない気持ちで四つん這いになった。 「ひゃ、あ、あっ、きもち、いい」 躊躇いなく葵の性器を口に含んでは、喉で締め上げる。自分の性器を葵が体内で愛撫してくれたのを思い出しては、あの時のような快楽を与えたかった。 「は、あ、ノア、のあ、でる、でるっ」 ちゃんと出ると言ってくれる葵に、気分が良くてしっかりと喉元まで招き入れては吸い付きながら先端まで扱き上げる。 「あ、あっ!は、あぁ!」 高い声を上げて啼きなから、葵は腰を震わせた。口の中に広がる奇妙な味の生温かいそれを、ノアは逃すますと吸ってやる。 「……ん、く……」 出されたものを、そのまま飲み込んだ。喉に張り付くような感触は不快だったけれど、葵が気持ち悦くて出したものだと思うと、食感も我慢出来る。 「……なるほど。こうして、飲めば……まあ、多少は混ざれる」 一つになりたいけれど、身体がある以上溶け合えない。 けれど出した体液を体内に取り込めば、多少は納得出来る。 これまで互いが出した白濁は、飲み込むものではないだろうと吐き出してきたけれど。こうして飲んでみると意外と精神的満足感がある。 新しい発見をしたノアに、葵は絶頂から抜け出せずに熱に犯されてぼんやりとした表情のまま呟く。 「……生で……中に出されるのは、ちょっと無理かなぁ……?」 葵は口内に出されるのではなく、体内に出される方を想像したらしい。 無理だと言いながらも高揚するらしく、期待の眼差しを向けられる。今すぐにでもコンドームを外して、このまま挿入したい気持ちになるけれど、そこまで短慮にはなれなかった。 「後始末がな」 「うん。中に出したら、お風呂入りたいだろうし」 濡れタオルで処理出来る限界を超えている。だからといってセックスが終わった後にシャワーを浴びていると、物音で親が起きてくるかも知れない。 その場合、理解を得られる言い訳は思い付かなかった。 「……終わった後に、お風呂入れる時が来たら、やってみたい」 「分かった。俺もしてみたい」 何の境界もなく、葵の中に入って自分の精を全て注ぎ込んだならば、どんな心地になるのか。それはきっと肉体的な快楽というより、精神的な快楽が強いだろう。 もっと深く蕩け合う予感がする。 欲望はきりがない。 抑えられない衝動を抱えたまま、葵の肌に擦り寄る。吐息のような嬌声に、薄っぺらい理性を破り捨てた。 next |