春の終わりを待って  白い朝 4




 地元のドラッグストアより倍ほど大きいだろう店内の中で、これまで一度も探したことがない物を探索する。
(あれってどこにあるものなんだろう)
 それぞれに関連した場所に置かれているものだろうが、コンドームは一体何と関連付けられるものなのか。
 ノアと二人でやや足早に店の中をうろうろする。
 場所が分からないが、店員に尋ねる度胸もなかった。どんな顔をすれば良いのか分からない。
 店員にしてみれば客に商品の場所を聞かれただけ、日常の有り触れた一コマだろうが。葵にとっては崖から飛び降りるくらいの勇気が必要だった。
 そしてその勇気を振り絞るくらいならば、足が棒になるまで店内を歩いた方がましだ。
 散々徘徊した結果、それは衛生品の近くで発見出来た。
 しかし更なる問題が立ち塞がった。
「……これ、どんな違いがあるんだろう?」
 小さな四角い箱が幾つもずらりと並んでいる。シンプルなものからインパクトのある派手なパッケージまで様々だ。
「薄さじゃないか?」
「あ、その数字って薄さなんだ。味付きとか、香り付きもあるみたいだ。え、粒々って何?」
 0.01などの数字はどうやらコンドームの薄さであるらしい。どれほどの薄さなのか、数字からは想像は出来ないけれど、相当に薄いのだろう。
 数字に注目すると、別の特徴も目に入ってくる。コンドームに香りを付ける必要があるのか、もっと言うならば粒を付ける意味は何なのか。
 したことがない行為に使う物は次から次へと疑問を抱かせる。
「ノアはどんなのがいい?」
「……ノーマルな物でいいだろ。何故初めから変わった物を使おうとするんだ」
「そうだよな」
 言われみれば、初体験から斜め上の物を使う必要はない。まずは普通から始めるのが無難だろう。
 香り付きも粒々も元の場所に戻し、シンプルなパッケージの物に手を伸ばす。
「薄いのがいいのかな?」
「そうじゃないか?知らないけど」
 薄いとぴったりして気持ちが悦い。というのをどこかで読んだのような気がする。
 ノアと顔を見合わせるが、どこにも答えなどない。
「光るやつだと、分かり易いかな?ほら、暗いところでやるだろ?」
「真っ暗な中でやるわけじゃないから、蓄光にする必要もない。最初からろくに何も見えない状態で出来るわけがない」
「そっか……でもあんまり明るいのも嫌だな」
「明るいのが嫌だって言ってるやつが蓄光なんて手に取るなよ」
 どこを光らせるつもりだよ、と呆れられては目をそらした。
 確かに暗闇でそこだけ光るというのも、異様な光景だろう。
 しかも入る先は自分の尻の中だ。想像するとあまりにシュールだった。
「蓄光が強いと尻の中でも多少は光るのかな。やだなぁ蛍じゃあるまいし」
「蛍は尻の先であって、中じゃない。嫌がられて蛍も心外だろうよ」
「ところで」と言いながらノアは手前にある一つを手に取った。
「二人で使うって暴露しているような会話をよく続けられるな。さっきからちらちら見られてるぞ」
「先に言えよ!」
 周囲を見渡すとさっと顔を逸らした人が何人がいた。いつの間に周囲に来ていたのだろうか。
 ノアの顔面に引き寄せられてきたのかも知れない、せめてこんな売り場の前にいるならば気遣って離れていて欲しかった。
 格好良いと思って寄ってきたら、友達らしき平々凡々な男と使うかのような話をしていて興味を引かれたのか。
 逆におかしな趣味趣向だとドン引きして、思わず立ち尽くしてしまったのか。
 知りません、聞いてません、という態度で立ち去っていく人々の背中に、猛烈な羞恥に襲われる。
「精算してこい」
「分かった!」
 ノアにコンドームを二つ渡される。
 さっさと購入して店を出よう。地元ではなくて本当に良かった。
(これが地元だったら、見ていたのが知り合いかどうか確かめるまで生きた心地がしなかった!)
 だがここならばきっと知り合いなど一人もいない。目撃される機会をここで終わらせるために、レジに行こうとするとノアに肩を掴まれた。
「これも」
 握らされたのは潤滑ゼリーだった。これも種類が色々ありそうだが、吟味しているだけの心の余裕がない。
「俺は飲み物を買ってくる」
「あ、俺も」
「それを持ってうろうろするな。おまえの分は買ってやる」
 言われてみればこれはさっさと鞄の中に入れたい。
 素直に従い、レジで俯きながらそれを差し出して黙って会計をした。人生で一番緊張した買い物であることは確実だろう。
 先に店の外に出てから、ふと気が付いた。
「……え、俺が買う必要なくない?別にノアに買って貰っても良かったのになんで俺だけに押し付けたんだよ!」
 ましてノアは他人事のように涼しい顔で出てくるのだから、ずるい!と叫んでしまったのは当然だった。



 必要な物が揃っていれば上手くいく。
 そんな都合の良い予想をしていた。
「ぅ……っん」
 後孔から体内に指が差し込まれているのも、中でそれが動いているのにも嫌悪はない。体内を掻き混ぜられていても、次第に慣れてくる。ましてノアは葵に配慮して、決して急がずゆるゆると撫でるように拡げている。
 普段の態度からすると非常に配慮のあるやり方だ。それだけ負担を掛けまいとしているのだろう。
 そう理解しながらも、体内は柔らかく拡がらなかった。
(なんで、なんでそんなに狭くて苦しいんだ)
 身体の柔軟性にはさして自信はなかったけれど、それにしてもこんなに進展しないものだと思わなかった。
(三回目なのに!)
 こうして苦しんでいるのは今日が初めてではない。これまで三度挑戦しているのだが、一度も事が進んだ実感はない。後孔が切れそうになる恐ろしさと戦ってばかりだ。
 流血はしたくない。その一心だったのだが、そろそろやむを得ないかも知れないと思い始めていた。
「うぅ……」
 くにくにと指が中で動く感覚に、泣き言が零れる。
 指をみちみちに締め付けてしまっている。潤滑ゼリーが活躍して、ぬめりがあるので指はスムーズに動かせるはずなのに、体内が頑なであるせいでぎこちない動作になっているのが感じられる。
「もう少しなんとかしろ」
「だって……」
「止めるか?」
「やだ、止めないっ」
 止めると言えばノアは二度と後孔に入れようとはしないのでは、という不安があった。それほどにノアは葵の身体を気遣ってくれている。
「なら、あとちょっとだけな」
 柔い声と共に触れるだけのキスを落とされる。
(こんな時だけ優しい)
 宥めるような口付けを受けてノアを引き寄せる。
 ノアは体内を性器を入れずとも、触れ合えるだけでいいと言っていた。身体にかなりの負荷を掛ける行為だ、苦しみながらやるようなことじゃないというのがノアの考えらしい。
 けれど葵にとってみればお互いが欲しいと思ったものを手に入れるだけだ。
 それだけの簡単なことであるはずなのに、どうして自分の身体がそれを受け入れないのか甚だ納得が出来なかった。
「……気持ち、悦くない。なんで?」
 指が深くまで入って来てはぐちゅりと中を混ぜた。けれど内臓が押し上げられる違和感と、後孔が拡げられて微かに引きつるような恐ろしさが走る。
 これ以上は入って来ないで欲しい。拡げないで欲しい。そう身体が拒んでいるような反応が、葵の気持ちを苛んでいく。
 そんなつもりではないのに、どうして歓迎出来ないのか。
「本来なら何も入れるべきところじゃないからだろう」
「だけどノアが相手なのに?キスは気持ち悦い、身体を撫でられるのも、抜き合うのも自分でするよりずっとずっと気持ち悦いのに。指を入れられるのだって、嫌じゃない。他の人なら気持ち悪くて絶対無理だけど、ノアなら大丈夫」
 こんなことは他の誰とも出来ない。
 自分の体内に触れられるのはノアだけだ。半身だからこそ、どこに触れられても気分は良く。嫌悪などは一切湧いてこない。
(なのに入らない!)
 後孔は拡がらず、体内は窮屈なままノアの指を二本入れるのが限界のようだった。
「なんで、どうして俺の身体は、こんなに狭いの?」
 これほどまでに求めているのに、身体が意志に反していることなど初めてだった。
 心と乖離しているような有様に後孔よりも胸が切り裂かれてしまいそうだった。
 性器では一度達しており感情が高ぶっているせいか、苛立ちやもどかしさが膨らんでは癇癪を起こしたくなる。
「男同士のセックス、しかも挿入なんてすぐに出来るようなことじゃない。でも時間をかければ出来るはずだ」
 ノアの説得はまともで、その分冷静だからこそ寂しかった。焦がれているの自分だけのようで、抱き締めているのに一歩分ほどの距離を錯覚していた。
「だけど、俺は、早く入れてみたい。せっかくなのに、こうしてちゃんと、やろうとしてるのに」
 じわじわと涙が溢れてくる。目の奥は熱いのに、身体の芯はどんどん熱を失っていく。冷めていく身体が惜しい。
「俺が男だから?だから入らない?女だったら良かった?」
 女の身体ならば最初に体内にノアの性器を入れようとした時に入ったかも知れない。少なくともこれほど身体は狭苦しく、まして抗うように指を押し返したりしなかっただろう。
 葵の身体は濡れもしない、拡がりもしない、愛されるための術など一つも持っていない。
 ノアの身体には、噛み合うように出来ていない。
 その現実に打ちのめされては、とうとう涙が零れ落ちては目尻からこめかみを濡らしていく。
「おまえは女にはなれなかっただろう」
「どうして?ノアの片割れだから?だけど見た目も性格も体質も、こんなに違うのに?」
 半身である記憶も実感もある。
 けれど肉体面を取り上げると、二人は異なる部分が多い。多すぎるほどだ。
 ならば性別すらも別々であれば良かっただろうに。
「がっつくようなことじゃないだろ。春だからって焦ってセックスする必要はない」
「春が来て浮かれてるんだよ!セックスしたくなるくらい!分かるだろっ!なんでおまえは冷静なんだよ!」
 ほぼ八つ当たりだ。
 自分と同じくらい欲しがって欲しいのに、大人ぶって宥めてくるノアが癪に障る。まして別室で寝ている両親に聞こえないように小声で怒鳴らなければいけない、というのも葵の神経を逆撫でする。
「おまえが何も思い出さずにいた頃はずっと冷静じゃなかった。この世の全てを憎みたくなるほど、気が触れそうだった。でも今はおまえが多少なりとも思い出した。記憶はほとんど欠けているけど、俺たちは揃った。だから、焦ることはない」
「でもっ」
「おまえはこの前まで思い出さなかった。だから早く知ろうと焦るんだ。早く早くって焦って、すぐに全部が得られるわけがないだろ。俺だってまだ何も掴めていないのに」
「何も?」
 こんなにも何もかも分かってます、見えていますと言わんばかりの様子なのに。ノアも何も分からないのか。
 問いかけにノアは「分かるか」とさも当たり前のように言い返してきた。
「だがおまえが自分の本性に気が付いているなら、どうとでもなる」
 後孔から指が抜かれた。
 ノアの肌は落ち着き始めており、鼓動も静かだ。
 興奮はすっかり冷めてしまったらしい。
「無茶をして怪我をさせるなんてごめんだ。俺まで気分が悪くなる」
 以前ならばその台詞は、葵が痛がる様が不愉快だからと解釈しただろう。傲慢な言い方はそう捉えるしかなかった。
 けれど今は葵の怪我を目にすると感覚が繋がり、有るはずのない怪我を錯覚して同等の痛みを感じてしまうからだと分かる。
(俺が気持ち悦くなってないのも分かるから。だから萎えたんだ)
 悔しい。涙が止まらずしゃくり上げるとノアがまたキスをしてくれる。
 子どもを慰める親のようだ。平静ならば揶揄うなと突っぱねるが今は逆にすがってしまう。
(キスは気持ち悦い)
 痛みも苦しみも不安もない。ひたすらに気持ち悦いものだ。
 舌を差し出すとノアはすぐに舌を絡め返してくれる。そして積極的に葵の口内を舌で愛撫してくれる。隅々までくすぐり、舐めてくる舌にノアの気持ち悦さも感じ取れる。
「キスは、簡単におまえの中に入れる」
 欲情を取り戻したノアが、言葉でキスの返事をくれる。
(ノアも繋がりたいと思ってくれているんだ)
 この中に入りたいと思ってくれている。気持ち悦さをこの身体で分け合いたいと思ってくれている。
 ちゃんとそういう欲があるのだと言葉と身体で示され、葵は目の奥ではなく胸の奥に熱を宿した。
 



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