春の終わりを待って  白い朝 1




  何もかもが気持ち悦い。
 ノアが触れてくれるところは、ぞくぞくと痺れるような刺激が走っては甘やかな快楽へと変換される。自慰をするのとは異なり、精神まで蕩けてはぬくもりに満たされる。
 単純な悦楽だけではない。ぬくもりや柔らかな感情を分け合うような行為だった。
 どれほど綺麗な顔をしていても、口を開けば毒づいてばかりのノアからは想像も出来ないほど。その行為は穏やかで、優しく、なのに途方もなく興奮するものだった。
「っ……ぁ」
 葵の腰骨をくすぐるようなノアの声に、口の中にあった熱く固いものを吸い上げた。
 どくどくと脈打っていた性器は葵が吸いながら手で擦ると、先端から白濁を吐き出した。
「んっ」
 どぷりと出されたそれを、葵は零さないように口の中に留めながら、軽く唇を締める。最後まで刺激してやると、ノアに頭を軽く引っ張られた。
 それはもう口から出せということだろうが、ノアから感じられる絶頂はまだ足りない。
 指で性器を絞ると「っおまえ、な!」と叱る声と共に脳みそが揺れるほど興奮を覚えた。口の中にある性器は悶えるようにびくびくと震え、そして白濁が出なくなる。
(全部、出た?)
 ちらりと見上げると、荒い呼吸で弛緩しているノアと視線が絡まる。
 達したばかりでどこもかしこも濡れているような嬌態に、ノアより先に一度情欲を出している己の身体が再びを火を灯していく。
 熱い。
「ノア、気持ち悦かった?」
 口の中に出されたものをティッシュに吐き出し、ノアに問いかける。するとノアは汗で額に張り付いた髪を掻き上げた。その動作は普段の澄ました顔をしている王子様のイメージを多少崩し、その分ギラついた欲を持つ生身の男らしさが増していた。
 葵の欲情を誘うようだ。
「言わなくても分かるだろうが」
 もっともな一言に、思わず顔が緩んだのが自分でも分かる。
 目に見える表情や、身体の温度などよりもっと明確に、そしてもっと卑猥に、口の中で感じ取っている。
 膨らんでは欲望を滴らせた性器の感触を、口内に蘇らせては自分の性器にずくりとした疼きが生まれる。
(きりがない)
 気持ち悦さそうな互いの姿を見ていると、興奮して収まりが付かなくなる。
 はじめは「一度だけ」と好奇心とノアの勢いに飲まれて了承してしまった。同性であっても、他人の身体を愛撫する。そしてされるというのはどのようなものなのか、自分でするのとどう違うのか、興味が湧いた。
 それが良くなかった。
 最初の一度は葵に鮮烈な快楽を植え付けた。自慰などとは比べものにならないほどの気持ち悦さと、高揚だった。
 そしてそれは毒のように身の内側に刻まれては、もっともっとノアに近付きたいと願うようになった。
 隣にいるだけでは物足りない。肌を重ねて、口を塞いで、お互いを混ぜ合わせたくなった。
 どちらかの家に泊まると、必ずその身体に手を伸ばした。
 息を殺して、物音を出来るだけ立てないように、眠っているはずの両親に決して聞かれないよう秘めやかに求め合う。
 つい三ヶ月前まではただ睡眠を取るためだけだったベッドは、淫らに絡み合うための場になっていた。
「んっ……ぅん……」
 唇を重ねればすぐに舌が口内に入ってくる。それを迎え入れては応じるように、ノアの舌に自分の舌を擦り付けた。唾液が混ざり合っては唇の端から溢れていく。
 ぐちゅぐちゅと水音が聞こえては、ノアの身体に手を伸ばしては抱き締めた。
 何も纏っていない皮膚が密着しては、熱い身体に頭がぼーっとしていく。このまま重なって、離れなくなればいいのに。
「……もう一回」
 性器に血が集まって、膨らんできたのが分かる。静まらない性欲に、ノアをねだってしまう。
「元気だな」
 頭をもたげ始めたそれを見下ろして、ノアは笑いを含んだ声で囁いた。
「だって、ノアはどこもかしこも気持ち悦い」
「そう」
 まんざらでもないような声が聞こえては、背中に回された手が優しく撫で下ろしてくれる。神経を直接撫でられたようでぞわぞわした。
「あ……」
 ノアはそのまま腰まで手を下ろした。そして戯れのように尻を掴む。
 柔らかさも丸みもない男の尻だ。
 けれど葵は尻を掴まれて、ふと昨日仕入れた知識が頭を過った。
「中に入れたら、どうなるかな……?」
 もしここからノアの性器を体内に入れたならば、どんな体感を得られるだろう。触れ合うだけでも、蕩けるような気持ち悦さがあるのに。身体の内側でノアを感じられるのだ。
 想像しようとするけれど、上手く出来ない。これ以上の近さで感じる熱は、内臓にまで快楽を浸透させるのではないか。
「……俺たちは男同士だが?」
 ノアは葵の提案に難色を示した。
 本来繋がる性別ではない。
 そして葵が暗に示したそこは何かを入れるような器官ではない。しかしそんなことは百も承知だ。
「だけど出来るって調べた」
 不可能なことではない。同性愛の人の中にはそれを行う場合もあるらしい、とインターネットの広大な海には記されていた。
 調べれば様々な知識を得られる現代は便利だ。
「入れるとなると、おまえの中だけど?」
「いいよ。中に入ってきて」
 ノアは葵を揶揄おうとしていた。そんなことを言ってもいざ自分が入れられると分かれば怖じ気づくだろう踏んだのだろう。
 けれど葵が当然のように受け入れ、ましてお腹に手を当てた様に面食らっていた。
 抱かれる側ではないはずの性別だ。けれど相手がノアであると思うならば、それは抵抗を覚えるようなものではなかった。
 むしろやってみたいという好奇心が大きく勝っている。
「口の中に入れるのも、入れられるのも気持ち悦いなら。お腹の中ならもっといいんじゃない?」
「無茶苦茶な発想だな」
「でもやってる人はいるから出来ないことはないし。ノアはやってみたくない?」
 嫌なのかと問いかけるとノアは押し黙った。そして眉間にしわを寄せる。
「準備とか、色々いるだろう。生でいきなり入れられない」
「なんだ。ノアも調べてるんじゃん」
 どんな行為なのか。ノアも気になってくれていたらしい。
 自分一人の欲ではなかったのだ。
「うるさい。コンドームとローションは絶対に必要だろう」
「買えばいいじゃん」
「どこで?この辺りで買えると思ってるのか?」
 近所のドラッグストアは顔見知りがバイトをしている。ましてコンドームだの、セックス用のローションだのを買った日には何を言われることか。
 そもそもバイトをしているのが知らない人もでも、店内で誰に見付かるか分かったものではない。
 ノアはかなり目立つ見た目だ。近所では知られている上に、知られていないとしても、誰からどんな流れで噂が広まるのか分かったものではない。
 特にこの辺りの人々は他人の話をぺらぺら喋る、口の軽い人間が何人も住んでいる。
「じゃあ、遠くまで買いに行こう。そうだ、あそこは?宮殿公園!桜のつぼみも出てきてるだろうし」
「あそこか……電車で四十分くらいかかるなら、さすがに誰に見られても大丈夫か」
 宮殿公園とはフランスの宮殿前にある広場のような、巨大噴水が並べられた西洋庭園を持つ公園だ。八十ヘクタールという広大に敷地に豪華な西洋庭園を配置しているだけではなく、熱帯植物を育てる温室、芳しい香りを漂わせる何百もの薔薇が咲く園がある。
 西洋を感じさせる植物だけでなく、椿や菖蒲、牡丹の園もある上に、離れのような和室、四阿も作られた和洋折衷な部分も兼ね備えた公園だ。
 優雅に植物を観賞するのがメインではあるけれど。大きな滑り台や、ごく一般的な公園にありそうな遊具、レクリエーションに使われるのだろう屋根やベンチのある広場などもあり。子どもたちが目一杯遊べる公園の姿も持っていた。
 春になると敷地内にある桜の道に人々が集まった。白から紅、濃淡様々な桜たちは目を楽しませてくれる。一度にあれだけの種類の桜が見られるのは珍しいようで、満開の時期は賑わっていた。
 しかし二人のお気に入りはその桜の道ではない。
 公園は裏の山と繋がっており、その山に続く道の途中に桜が二本ひっそりと植わっている。
 山へと続く坂道と足下がやや不安定な石畳の階段を上った先にある、さして大きくもない平凡な桜二本をわざわざ観に行く人はほぼいない。
 二人もあの桜を見付けたのはたまたまであり、自分たち以外を見たことがない。
 人が来ないためとても静かで、人の手もあまり加えられていない自然な桜を眺めていると心が凪いだ。
 呼吸をするのが非常に楽に感じる。普段生活している間は息苦しいなんて感じたことはないのに、静寂の中で桜を見詰めていると身体がふわりと浮かんでは呼吸器官が滑らかに酸素を吸い込む。
 それは心地良かった。
「あそこの桜は、つぼみがまだ固いだろう」
「そうだね……まだ、咲かない」
 あの山道の途中にある桜に思いを馳せて、咲いている様を脳裏に描く。
 去年、一昨年の記憶が一気に蘇ってはあの桜を思い描く。日付まで思い出しては、まだ季節ではないとはっきり判断が出来る。
 自身はそれほど記憶力がずば抜けて良いわけではない。せいぜい人並みだ。
 けれど今は、桜に関わることならば、微細に思い起こせる。
 体内の細胞が忙しなく動き回っては、じっとしているのが惜しいとすら感じる。
 春が来れば心は躍った。寒さが緩み暖かくなっていく空気に、歓喜が血液と共に体内を巡った。
 人間はみんなそうなのだと子どもの頃は思っていた。春になると陽気になる人々の姿を目にしていたからだ。
 だが自分は陽気になる度合いが、人より強いということは成長すると共に薄々感じていた。他の人々は花が咲く様子に鼓動が高鳴り、自然と笑い声が込み上げては太陽の光を全身で受け止めようとはしないらしい。
 自身の表面が一つ剥がれ落ちて、生まれ変わるような錯覚は毎年面白かったものだが。それが本性だとは気が付けなかった。
「……ノアは、春が来る度にずっとこんな感じだったの?」
「感じるままに生きてきただけだ」
 この感覚は自分だけのものか。それとも共有出来るのか。
 問いかけても本来ならば解明出来るはずもない問題だ。人がどう感じているかなど、他人には分からない。体感はどれほど言語化しても、完璧に伝えられるようなものではない。
 けれどノアと目を合わせると言葉にしなくても、同じだと信じられた。
「やっぱり、もう一回シたい」
 もう一度ノアの背中へと腕を回すと、沈黙のまま唇が重なった。
 



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