春の終わりを待って  覚醒 7




部活の時間が終わると山吹は一緒に帰ると言い出した。学校を中心にして、山吹と家の方向が真逆だ。なので校門から出て一緒に歩いた経験はない。
「神社に行くんでしょう?」
「なんで知ってるの?」
 神社に行く、とわざわざ毎日予定しているわけではない。だが帰り道の途中にあるので気が向いた時に立ち寄る程度だ。
 行くとも行かないとも決まっていないけれど、今日は立ち寄って気分を落ち着けるだろうなとは思っていた。
 部活の出来事は衝撃が強すぎたのだ。頭を冷やしたかった。
 まさかそんな思考を読まれていたのだろうか。
「よく神社の辺りでノア君と一緒にいるって聞いたから。今日もなんとなく行くのかなって。でもノア君はいないでしょう?だから、私が一緒に行けたらいいなと思って」
「ノアは、いないけど」
 だが神社に行ったところで面白いものはなく、特別何かするつもりもない。
 山吹が付いてきたところで、つまらないだけだと思う。それでも良いのだろうかと迷うと、山吹は先に歩き出してしまう。
「本当は、もう少し一緒にいたいだけ」
 小さく告げられた内容に「あ、はい」と返事をしながら顔が熱くなる。
 好きだから少しでも一緒にいたい。
 そんな気持ちをこうして言葉にされて、照れないほど葵は朴念仁ではいられなかった。
「俺たちって、さ」
「彼氏彼女だよ。駄目?」
「……俺、そういうのよく分からないけど」
 隣に並ぶと山吹は葵をひたむきに見上げてくる。上目遣いの子に、身長差を感じる。
 それまでも山吹は自分より小柄な女の子だと認識はしていたけれど、これほど強く実感するのは特別な存在になりつつあるからだろうか。
「私だってよく分からないよ。だって誰とも付き合ったことなんてなかったから。でも分からなくてもいいんじゃないかな」
 分からなくても良い。
 そう言われて葵は気持ちがふわりと浮き上がるのを感じた。
 どうして分からない、どうして知らない。
 ノアはそう言って葵を刺すような視線で見る。そうして責められる日々に慣れてしまっていたからかも知れない。
(分からなくていい)
 噛み締めて、ほっとする。誰かにそう言って欲しかったのかも知れない。
「あれ、今日は別の子と一緒なんだ。もしかして彼女?」
 神社に行くまでの道で、秦野が向こう側からやってきた。
 神社について調べているらしいので、この辺りにいるのはおかしくはない。
 けれど山吹と歩いているところを目撃されて、ついびくっと身体が跳ねるほど驚いた。
 彼女、なんて単語が良くない。
「葵君の知り合い?」
「あの神社と地元の昔話を調べている大学院生さん」
 人見知りをするのか、山吹が固くなる。それとは反対に秦野はにこにこと妙に嬉しそうだ。
「民俗学のフィールドワークに来てるの」
「フィールドワーク?」
「現地調査ってやつ」
「あの神社を調べて、研究するんですか?論文を書いたり?」
「そうよ。蛇神様の神社に興味があるの」
「蛇!気持ち悪くないですか?」
 山吹は珍しくはっきりと嫌がった。同級生の中でも落ち着いた雰囲気の女子なのに、そうして嫌悪を露わに葵の後ろに回ろうとするほど怯えるなんて思わなかった。
(相当蛇が嫌いなんだな)
「神秘的よ。脱皮も冬眠も、人間にはない行動でしょう。それに昔話の中には蛇神様と結婚した人の話だってたくさんあるのよ」
「私には無理。爬虫類は駄目なんです」
 蛇なんて生理的に無理、と山吹は突っぱねている。
「そう、残念だね」
 秦野は何故か葵に哀れみを向けてくる。だが蛇が好きでも何でもない葵は首を傾げるしかなかった。
「葵君は蛇が好きなの?」
「好きでも嫌いでもないかな。興味自体持ってなかった」
「そうなんだ。そうなんだね」
 秦野は何故か噛み締めるようにそう言う。神社を気に入っているならば蛇も好きだろう、なんて思い込んでいたのかも知れない。
「この辺りで行方不明になった人が何人もいたらしいけど、貴方は知ってる?」
「数年前はあったらしいですけど、今はそんなことありません。もしかして神社が関わってるんじゃないかって噂がありますけど。それを調べてるんですか?」
「ああ、やっぱりこの辺りでは有名なんだ」
「母が、そんなことを近所の人と話してました。でも今はそんなこと全然ないし」
「誘拐未遂はあったけど。ね、葵君」
 触れられたくないそれに無遠慮なほど直接的に口にした秦野に、山吹がちらりとこちらを見てくる。
「言ってない。でも誰かから聞いたんでしょう?俺のことも、他の誰かのことも、自分のことみたいに喋る人がこの辺りにはいっぱいいるから」
 きっと神社の掃除をしてくれているおばさんが言ったのだろうと思うけれど。あの人でなくとも、誘拐未遂のことを喋りそうな人は何人もいる。
 同じ土地で育った山吹は「そっか」と憂鬱そうに呟いた。きっと山吹にだって、似たような経験があるのだろう。
「君とあの友達なんだってね。大変な目に遭ったでしょう。怖かったね」
 気遣っているつもりなのだろうか。もし哀れだと思うならば話題になどした欲しくなかった。
 山吹からまで同情の眼差しを与えられて首を振る。
 もうそんなものはたくさんだ。
「この神社が守ってくれるっていうなら、そういう変な人も減ればいいのにね」
「そういう、御利益みたいなものも研究しているんですか?」
「勿論。御利益も実際にあるかどうかも大事だからね」
「現実に、有り得ると思ってるんですか?」
 山吹は目に見えない神様の力などを信じられないタイプの人であるらしい。秦野が真面目に語っている内容に、次第に表情を曇らせていく。
 話を合わせているだけのつもりだったのに、相手が本気だと気が付いて困惑しているようだった。
「現実にそういうものはあると思っている。貴方は思っていない?じゃあ君は?」
 山吹が否定を示すと葵へと視線を移す。
「分かりません……」
 神様の力が、御利益というものがあるかどうかなんて尋ねられても困る。
 目に見えない力、常識からかけ離れた力があると葵は知っている。体感している。けれどそれが神社の御利益などに関わりがあるかどうかは不明だ。
「そっか。人それぞれだもんね。それは仕方ないと思う。ところで去年この辺りを取材していたお兄さんがいたんだけど、知らない?」
「取材、ですか?」
「動画の配信者だよ。私と同じくらいの年齢だったみたい」
 光が届かない夏の黄昏が脳裏に蘇る。葵のスマートフォンを奪った男の激高した姿、動画、配信、視聴者、利益などの聞き慣れない単語まで思い出しては気分が悪くなる。
 あれも、得体の知れない何か特別な力が働いて男を退けていた。
(結局何が起こったのか、分からないままだった)
 男はどうして呼吸が苦しくなったように藻掻いていたのか。そして何故そのまま歩いていたのか。
 ノアは未だに、何も明かしていない。
「私たちはそんな人は知りません」
 山吹が代わりに答えてくれる。
 嘘をつかずに済んで、心の中で手を合わせていた。
「そっか。投稿していた動画がぶつ切りになって終わってるんだ。どうやら交通事故に遭ったって噂なんだけど。それが丁度この辺りらしいの」
 神社の近くのね、と秦野はわざわざ付け足す。
 それは明らかに繋がりを匂わせるものだ。
「それじゃあ御利益があるどころか、祟りじゃないですか」
「そうなんだろうね」
 気味が悪いと言わんばかりの山吹に、秦野は鷹揚と笑んでいる。
「良くないことをすれば祟られるし、奉れば御利益がある。それが自然だよ」



 山吹とゆっくり歩いて、結局家の前まで来てしまった。葵が「ここが家」と言うと彼女はぴたりと足を止めてまじまじと見上げる。
「普通の家だと思うけど」
「何回か前を通ったことがあるから実は知ってるんだ。どこに住んでるとか、これまで葵君がなんとなく喋ってたのを聞いてたから」
「そうなんだ」
 山吹との会話で、自分の家の話も数え切れないほどしてきた。その中に住所を特定出来るような情報もあっただろう。
 小学校からの付き合いなのだ。お互い知っていることも多々ある。だが葵は山吹の家がどの辺りなのかは知っているが、正確な住所を覚えていないし、その周辺に行ったところでどこだと意識したこともない。
 だが山吹はもしかするとあったのかも知れない。だから葵が自宅を紹介する前に、歩調を緩めたのだろう。
「……あのさ、俺が送られる側っておかしくない?普通逆だよね?」
 彼女の家まで彼氏が送り届けるのならば分かるが、どうして逆になってしまったのか。
 気遣いが出来ていない、鈍感で間抜けな男のように思われないだろうか。
 そう心配になるが山吹は「いいの」と笑うように告げた。
「私はこの先のコンビニに用があるから。新作のスイーツが食べたかったんだよ」
 家のすぐ近くにコンビニはある。よく買い物にも行く、今朝も立ち寄ったのだがそこにどんな新作スイーツが並べられているのか、なんて覚えてはいない。
(一緒に、行くべきなんだろうか)
 ここまで来てくれたのだから、コンビニの買い物くらい付き合ってあげるべきか。
 だがその後はどうすれば良いのだろう。自宅に招くのか、いやこの時間ならば下手をすると晩ご飯の時間までめり込む。両親に紹介するのか。なんと言って?
 つらつらと一人で悩んでいると、この世で最も耳に馴染んでいる声が飛んできた。
「あれ、どうしたの」
「母さん。早いよ!」
 仕事終わりの母がエコバッグ片手に帰ってくる。いつもならばあと一時間半は帰ってこないはずなのに、今日は早上がりだったのだろうか。
 母は息子の隣にいる山吹に気が付いては、目を真ん丸にして早足で近付いてくる。
「もしかして彼女?」
「ちょっと」
「そうです、今日からお付き合いしてます。宜しくお願いします」
 山吹は母に頭を下げる。礼儀正しい態度や落ち着いた印象の山吹に、母は頬を紅潮させた。喜色が満面に浮かんでいる。
「やったじゃない!可愛い子ね!」
 母は一目で気に入ったのか、葵の腕をバンバン叩いては声を弾ませている。
 彼女はいないのか、欲しくないのか。なんて訊かれたことはなく、母も息子の恋愛についてはさっぱり関心がないような素振りだったのだが。この様子では内心興味はあったらしい。
 照れくさくて「いや、うん、まあ」なんてよく分からない返事ばかりしてしまう。
「ずっとノア君とばっかり一緒にいたから、彼女なんて作らないんじゃないかと思ってたけど。あんたにも彼女がねぇ」
「ノアにも彼女がいるから」
「そうなんだ!そりゃそうか!あんなに格好良くて女の子にも優しい子なんだから彼女くらいいるか!」
 母は納得しているが、山吹と顔を見合わせて苦笑してしまう。
「じゃあ、また明日」
「あ、うん」
 山吹は母に頭を下げ、そして葵には手を振ってからコンビニへと歩き出す。その後ろ姿と母と共に見送って、角を曲がり姿が見えなくなると肘で脇腹を突かれた。
「どんな子なの、あの子は」
「山吹さんだよ。部活がずっと同じだった子」
「ああ、あの!」
 学校であったことを母に話す際に、中学の園芸部から同じで今は囲碁部に所属している山吹の名前は幾度も出していた。
「もしかして、葵が好きだからずっと同じ部活に入ってたの?」
「まさか、そんなことないよ」
「だけど園芸部の後に囲碁部でしょう?全然共通点がないじゃない」
 これまでそんな指摘を受けても、花も囲碁も好きだからだ、とあっさり答えていた。けれど告白をされた今、その質問の重みが変わってしまっている。
(本当に……?)
 葵を追いかけるように、部活を決めていたのだろうか。もしそうだとすれば山吹はいつから自分を好きでいてくれたのだろう。
 同じ時間を過ごしたいと、どれほど願っていたのだろう。
 何も知らず、ただのクラスメイト、部活のメンバーとして向き合っていた時間を思い出しては小さな後ろめたさが生まれてきた。



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