春の終わりを待って  覚醒 3




 下校して一端家に帰ってからノアの家に行こうとした。
 昨日新しく発売した漫画を読ませるために自宅にあるタブレットが必要だった。漫画を読むなら大きめのタブレットが便利だ。
 制服から着替えて、慣れきった道を歩く。神社の前を通り過ぎようとすると、鳥居の前で神社を掃除しているおばさんを見かけた。この神社を管理している神主の親戚で、この神社を半ば管理しているといっても過言ではない人だ。
 彼女は若い女性に話しかけていた。優しげな顔立ちの女性はうんうんと笑顔で相づちをうっている。
 大ぶりのピアスがショートカットの髪の隙間から見える。頷く度に大きく揺れていた。
「ああ、この子よ」
 おばさんがこちらに気が付いて、女性に葵を紹介している。
 反射的に頭を下げるとおばさんに手招きをされた。抗う理由もないので二人に近寄っていくと女性は笑みを深めて会釈をしてくれた。
「よく神社に来てくれる高校生の葵君。子どもの頃からこの神社がお気に入りなのよね」
「はい」
「彼女は大学院で民俗学を勉強している秦野さん。この神社のことを調べているんですって」
「……どこかで、お会いしましたか?」
 秦野と正面から向き合って、何故か覚えがあった。
 いつどこで、と思い出せはしないのだが、かつてこの人、この気配を感じたような気がする。
 しかし秦野は思いも寄らぬ事を言われたとばかりに瞠目した。その反応にしっかり彼女を見据えるが、顔の造形には確かに記憶がない。
「すみません……なんとなく知っているような気がしたんですが。気のせいかも知れません」
 突然奇妙なことを言った葵に女性は気分を害したようでもなく、微笑みを浮かべたままだ。
「父の実家がこの近くなのですが、ここに来たのは十数年ぶりです。なので貴方と会っていたとしても、すごく小さい頃だろうし。何より私はここで子どもに会った記憶なんてないので、たぶん勘違いだと思いますよ」
「秦野さんがあんまりにも美人だからナンパしてるの?」
「そんなつもりは!」
 おばさんに揶揄われて、無性に恥ずかしくなる。
 以前どこかでお会いしましたか、なんて女性に言うとそんな勘違いをされるらしい。
 言ったことも聞いたこともなかったので知らなかった。
 おばさんが大笑いをしながら「いいじゃない」と面白がっているから、余計に恥ずかしい。
「葵君はアイドルみたいな顔をしているから、こんなことを言われたらドキッとしちゃいますね」
 ドキッとするなんて言いながらも秦野は穏やかに笑っている。
 しかしその目はじっと葵を見詰めていた。自分をナンパするなんて、この子は一体何を考えているのだと探られているのかも知れない。
「あの、どうしてこの神社を調べているんですか?」
 居心地が悪くなって、視線を逸らしながら尋ねる。
 焼けたばかりの真新しい、小さな神社だ。神主もいないようなここに調べたくなるような何かがあるとは思えない。
「父からこの神社の昔話を聞いて、興味が湧いたんです」
「昔話?火事に遭ったとか、その後のこととか?」
「違う違う。もーっと昔の話よ」
「もっと昔?」
「この神社が昔、白蛇を奉っていたという話を調べに来たの」
 秦野が社を振り返る。
(白蛇)
 この神社と白蛇が上手く結び付かない。
「そんな話があったんですか?」
 小さな頃からこの神社に通っているけれど、白蛇が奉られているなんて話は誰からも聞いていない。
 そもそもここの御神体が何であるのか、おばさんもよく知らないようだったのだ。
「あったらしいのよ。あたしも思い出せないくらい昔なんだけどね、親戚に聞いたらそんな話もあったって」
「そんな曖昧な」
 小さいので重要視されていない神社なのだろうとは思っていたのだが、奉っていた存在も定かではないほどなのか。
「日本全国に蛇信仰はあります。歴史は古く、縄文時代から蛇は信仰の対象でした。蛇はその形から男性器の象徴にも例えられて」
「えっ」
「ああ、セクハラになってしまいますね」
 真面目な口調でとんでもない単語が出てきて面食らっていると、こほんと秦野はわざとらしく咳をする。
 民俗学という勉強をしていると、そんな単語も当たり前に口にするものらしい。高校生と大学院生という立場の違いを思い知る。
「えっと、他にはとぐろを巻いている姿を山に見立てることもあります。蛇は生態も神秘的で、脱皮をする様は生まれ変わりを想像させ。寒くなると冬眠をしては、春に目覚める性質から死んで蘇るという人知を超えた力を感じさせる存在でした」
「そう言われると、昔の人にとっては神秘的かも知れませんね」
 現代ではどのような生き物であるのか、容易く知ることが出来る。蛇本体に合うよりも先に、そういう生き物だという知識を得る可能性も高いだろう。
 けれど昔の人には本などの情報がない。目に見えている現象だけで蛇という生き物を捉えるならば、神秘に満ちていると感じられるかも知れない。
「その蛇の信仰がこの神社にもありました。酷い日照りが続いた年、神がかりの巫女の枕元に白蛇が現れて、奉れば雨を降らせるというお告げをしたそうです。それに従い神社は蛇を奉りました。するとたちまち雨が降り、枯れ果てた畑に恵みをもたらしては飢饉を乗り越えたと伝えられています」
「こんな小さな神社にそんな伝説があったんですね」
「昔はもっと大きかったんだけど、戦争で焼け落ちて小さくなったのよ。それでも大事なものとしてこれまで守ってきたの」
 おばさんはどこか誇らしげにそう語る。
 神社がもっと広かったと言われても、葵にはどの程度のものか予想も付かない。知っているのは、分かっているのはこの広さのものであり、その外は異物のように感じていた。
「だけどちゃんと神聖なものだってことは、火事になった後にみんなが嫌というほど思い知ったはずよ。この辺りで事故は多発するし、行方不明者は出るし、自然災害もあったしね」
「そう聞いてます。大変でしたね」
「そうなのよ。だから慌てて神社を建て直して、丁寧に奉って、それからしばらくしてよ、この辺りが落ち着いたのは」
 ようやくね〜なんておばさんはほっとしたように語る。
 この辺りの事故も行方不明も全て神社が焼けたせいだ、ないがしろにしたせいだ。と神社が理由になっている。
 秦野は興味深そうに頷いているのだが、そんな祟りみたいなことを起こす神社を調べるなんて、抵抗感はないのだろうか。
(それとも逆に面白いと思うんだろうか)
 何の伝説も迷信も、危険な噂もないような安全な神社よりも。こうして少し異質な神社の方が大学院生などの、勉強をしている人にとっては魅力的に映るのか。
「俺が生まれる前の話だよね」
「そうね。葵君が生まれる頃には神社も出来て、少しずつおかしなこともなくなって。それどころか葵君が誘拐されそうになった時なんて、神様が助けてくれたんじゃないかって噂になったものね」
「誘拐ですか?」
 秦野が目を丸くした。
 誘拐なんて物騒な単語が出てきて驚いたのだろう。
 おばさんは驚いた秦野に「そうなのよ!」と何故か嬉しそうな声で喋るトーンを上げた。
 その反応に憂いが込み上げて、葵は溜息を飲み込んだ。
「この神社でね、葵君が誘拐されそうになったことがあったの!一時期この辺りで変質者が出て、みんな警戒してたんだけど、まさか誘拐をするとまでは思ってなくて!葵君たちがいなくなった時は大騒ぎになったものよ」
「葵君、たち?」
「そう、もう一人友達の男の子がね、誘拐されそうになって」
「おばさん」
 喋りすぎだろう。誘拐されそうになっただなんて、気分の良くない話題をどうしてそんなにもぺらぺら喋り続けられるのだろう。
 きっとこの人は誰にでもこの話題を振っては、自分が満足するまで話し続けているのだろう。葵のプライベートも、誘拐されそうになった恐ろしさも構わずに。
 神社の世話をしているからおばさんと仲良くしていたい。嫌な子だと思われるのは避けたい。
 けれどこうして葵のことも、ノアのことも、自分が知っている他人の情報をところ構わずばらまく性格は好きになれなかった。
「へえ、そんなことをあったんですか」 
「そうなのよ、不思議でしょう〜」
「俺は、人を待たせてるので」
 これ以上ここにいたくなくて、頭を軽く下げてその場を立ち去ろうとした。
「あ、ノア君?」
 ノアの名前を出されて、とっさに頷けなかった。
 もう一人誘拐されそうになった友達、という話を出されたからだろう。
 けれど曖昧に笑ってきびすを返した葵の耳に、おばさんの声でノアの名前と誘拐という単語が結び付いた話が入って来ては耳を塞ぎたくなった。



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