春の終わりを待って 覚醒 2 囲碁部なんて部活があると、この高校に入って始めて知った。 正直、囲碁には全く興味はなかった。だがこの高校には園芸部がなかったのだ。 部活に入っていればそれでいい、という生徒たちの気持ちを汲み取ったかのような地味な活動内容に目を付け。ノアと共に「これでいいか」という妥協で入部した。 部員は十数人いるけれど、部室にいる人数は大抵片手で足りた。それどころか誰もいないタイミングもあった。 顧問は部室に来ることはほぼなく。幽霊部員で構成された部活であることは、入部して一週間もすれば察せられた。 受験に頭を悩ませている三年、部活に所属している席だけが欲しい二年は、滅多に姿を現さない。 おかげで一年生だけで部室を占領出来た。一応部活の体裁を整えるために碁盤を出して碁石を打っているけれど。勝負をしているのはもっぱら同じクラスの山吹と野山だった。 この二人は元々囲碁、将棋などのテーブルゲームが好きであるらしい。 「いつもくっついてるのはどうしたんだ」 野山が眼鏡を押し上げながら尋ねてくる。ぱちりと碁石を動かしたけれど、それがどんな手であるのか葵には分からない。 「女子に捕まってるんだって。さっき連絡が来た」 スマートフォンの画面にはノアから送られてきたメッセージが表示されている。告白でもされているのか、もしくは厄介ごとでも頼まれて逃げ回っているのか。 (猫を被っているからそうなるんだ) いい人ぶっているから男女ともに引き寄せては、雁字搦めになりかけている。 いざとなれば冷たく振り払うらしいのだが、そこに至るまではのらりくらりと逃げ回っているから、今のように時間を取られる。 (後で苛々するくらいなら、少しは素を出せばいいのに) 他人がいなくなった途端に、舌打ちと共に苛立ちを露わにする。時には葵に八つ当たりまでするのだから、自分で自分を追い詰めるようにして、優等生ぶらなくても良いだろうに。 両親から叩き込まれている、紳士としての立ち振る舞いは抜けないのか。 それとも優等生ぶることが、身に染み付いて離れないのか。 高校生になってクラスは別々になったので、ノアがクラスでどのように過ごしているのかは目にしていない。 だがこれまでの経験と、そして男らしくなったノアの外見から想像するに。以前より女子の心を奪う率は高くなっているはずだ。 掃除機みたいに、吸い込んでいるのではないだろうか。 「モテる男は大変だな。本人にその気がないって丸分かりでも」 「そうだな」 「あいつが来てから囲碁部も部員が倍に増えたしな。男ばかりだったのに、女子が次々入部してきて、活動日じゃない日にまで部室に顔を出すなんてな。誰が目当てなのか分かり易い」 中学と同じ現象が高校でも起こっている。どこにいってもノアを中心として、人が回っているらしい。 「なんで囲碁部なんて地味で薄暗い部活に入ったんだろうな。あの見た目なら運動部とか、そうじゃなくても吹奏楽とかせめて映研とか色々あっただろ」 「あんまり活動がないところが良かったんだよ。本当なら園芸部があったら良かったんだけど」 「園芸部!そんな部活がある高校の方が珍しいだろ」 「そうなんだよな。でも中学にはあったんだ。ノアは土いじりが好きなんだよ。畑仕事とか、花の世話とか」 「意外だな!あの見た目で畑か!大根抜いたりしたか?」 「じゃがいもは収穫した。山吹さんも同じ部活だったから、土まみれで上機嫌のノアは見て知ってるよね」 山吹はそれまで黙って碁盤を眺めていた。次の手をどうしようか悩んでいたのだろう。 ふと話題を振られて、目線だけ上げる。 肩までだった髪は伸びて、背中の中程までの長さになった。涼しげな表情は大人びて見える。 「そうだね。汚れるのは構わないみたいだった」 「二人は小学校頃からずっと一緒なんだって?」 「そう。山吹さんとは同じクラスになることも多いね」 新しい顔ぶれの中に、見知った姿があるとほっとした。それは山吹も同じなのか、少し笑ってくれた。 「昔からおモテになったんだろうな、あの王子様は」 ノアのことを野山は王子様と表現する。それに違和感がないのが、ノアのすごいところだろう。 「おモテになったよ。おかげで俺はノアに取り次いでくれって女子たちの希望を聞いては、ノアに嫌がられたよ。小間使いみたいな扱いをされたな」 女子からはノアとなんとか関わりを作ってくれとせっつかれ、ノアからは余計なことはするな鬱陶しいと邪険にされた。 間に挟まれて気まずい思いをした経験は数え切れない。 「小間使いにされるくらいなら、離れればいいのに。おまえだってモテるだろ」 「モテないよ。みんなノアを見てる。それに、ノアの隣って結構楽だよ」 こんな話の流れでは決してそうは思えないだろう。 野山が疑いの目を向けてくるけれど、それでもノアの隣にいるのは葵にとって落ち着くものだった。 ノアは言葉遣いがきつく、辛辣なことを言う場合もあるのだが。その分葵も遠慮無く思ったことをぶつけていた。 お互い様だ、という精神が葵にとっては居心地が良かった。 「本当に?ノア君の隣って楽とは思えない」 「山吹さんって、そこはいつも納得しないよね」 ノアの話題になると山吹は厳しい。きっとノアのことをあまり好きではないのだろう。 山吹は真面目な子で、少し潔癖そうな部分があるので。女子にモテるのに誰とも付き合わず、口先だけで調子の良いことを言っているノアが気に食わないのかも知れない。 「だってノア君っていつも葵君に冷たいことを言ってるでしょう。葵君は毒舌だなんて言ってるけど、普通は友達にあんな言い方しないよ」 「葵だけには少し違うもんな。キラキラ王子様がヤンキーみたいな口調になる時がちょっとだけある。あれが素なんだろ」 野山と山吹だけは、ノアに対する評価が他の人たちとは大きく違う。 葵と二人きりの時と同じ態度を、野山と山吹の前では少しだけ見せることがあるからだ。 普段ならば葵といても、他人がいれば優等生ぶるのに、この二人に対してはそれが時々異なるのが、不思議ではあった。 「園芸部がいいなら同好会でも作れば良かったのに。女子が群がってきて、すぐに部に昇格出来るだろ。この囲碁部だって王子様が来てから女子ばっかわらわら増えたんだし」 「同好会か……山吹さんは入るでしょう?」 「そうだね」 「野山も来るだろう。だからスタートは四人で」 「なんでだよ入らねえよ」 「え、園芸部より囲碁部が好きなのか?」 「好きだよ!だから囲碁部に入ってんだよ!部活に入ってばいいだろ、みたいなおまえらと一緒にすんなよ!」 「知らなかった……囲碁が好きだったのか。山吹さんにいつも負けてるのに」 「うるさいな!いいんだよ!勝てるから好きってわけじゃねえんだよ!」 「山吹さんは花が好きなんだよね」 「そうだね」 園芸部だった中学生の頃、花の水やりをしながらそう教えてくれた。世話をしていた花が咲くと特別綺麗に見える上に達成感があるそうだ。 葵も同じ気持ちだったので、分かるなぁと返事をしたものだ。 「花だけか?」 「山吹さんは野菜を作るのも好きだったよね。畑仕事も嫌がらずにしてくれたし。ノアを目当てに入ってくる女の子って畑仕事はしてくれないんだよな。だから俺とノアと山吹さんばっかり土いじりをしてて。好きだから良かったけどさ」 「うん……」 そうだね、と言った山吹さんが碁を打つと、野山が「ふぅん」と含みのある呟きを零した。 話に集中して、あまり良くない手でも打ったのだろうか。 「ノア君って、葵君がいるからこの高校に来たって本当?葵君が進学先を決めるまで、ずっと進路を聞かれても曖昧に誤魔化してたのに。葵君が決めた途端に同じ学校に行くって宣言したらしいね」 「そうだったかな?確かにノアも進路をなかなか決めないなと思ってたけど。でも別に合わせてたわけじゃないと思うよ。住んでいる家と学力を考えたら、ここに来るのはおかしくないし」 進学先をノアに言った時、俺も同じところに行くつもりだとあっさり言っていた。周囲にも何人か進学先が被っていたので、ノアもその一人だと思って何の疑問も抱かなかった。 いわば有り触れた選択だったのだ。事実山吹もこの高校に来ている。 「やばいな」 野山は碁盤を見たまま呟いた。 「何が?ああ、来たからか」 廊下から女子の笑い声がしたかと思うとノアの名前が聞こえてくる。 そしてそう間を置くこと無く、教室のドアをノアが開けた。 (やっぱりブレザーの方が似合ってるな) 中学生の頃は学ランが似合わないと思い続けていたが、高校はブレザーの制服に替わった。 すらりとした体格と、はっきりとした顔立ち、そして明るい色彩のノアはブレザーがよく似合っていた。足の長さもしっかり強調されている。 淡い微笑みは綺麗に作られているが、双眸は何とも冷え冷えとしていた。面倒くさいという感情が色濃く宿っており、それを隠そうともしていない。 隣にべったり張り付いている女子はノアの顔を見上げているけれど、瞳にある感情は読み取れないらしい。 ノアは部室に入ってくると当たり前の態度で葵の隣に椅子を持ってきては勝手に座る。ここまで一緒に来たはずの女子はすでに視界には入れず、顔も姿勢も葵に向けていた。 廊下では楽しく、たとえそれが薄っぺらいその場限りのものであったとしても、会話していたのではないのか。 そんなにいきなり無視するかのような態度は良くないと思うのだが。 (これが初めてじゃないんだよなぁ) この女子に関しては以前からずっとこの態度なのだが、女子は全く意に介さない。今もノアの背後でにこにことノアだけを見ている。 (逞しいというか、メンタルが鋼鉄で出来ているというか。 この状態に平然としていてるノアも大概鉄板だけど) 元々いた三人は生憎鋼の精神ではないので、やや気まずさを覚えて視線を交わすけれど。解決策などあるわけもない。 「なんの話をしていたのかな」 ノアはにっこりと、綺麗に作られた笑顔と共にそう告げる。 さあ会話を再開させると良い。もちろん中心に俺を置いてね。という主張がたっぷり含まれているのは幻聴ではないだろう。 「園芸部があればいいのにって話をしてた」 「園芸部?何それ。お花とか植えるやつ?」 ノアの後ろにいる女子が園芸部という響きに小馬鹿にしたように葵を見下ろしてくる。 「そう。中学の頃園芸部だったから、ここにもあれば良かったのにって喋ってたんだ」 「囲碁部より地味じゃん。何が面白いの。お花の世話なんて女子みたいだね」 園芸部が女子みたい、だというイメージは葵にはしっくりこなかった。けれど女子にとって花は女だけが好むものだという思い込みがあるらしい。 「面白かったよ。花は世話をすれば綺麗に咲くから」 「え、もしかしてノアも園芸部だったの?」 「そうだよ」 「意外!そうなんだ!でもお花の世話をしているノアって似合うね!」 手のひらをくるくると回転させてノアを持ち上げる女子に、山吹が眉を寄せた。あからさまにこびを売っている姿は、見ていてあまり愉快ではないのだろう。 「園芸部か、この高校でも出来たらいいなとは思ったけど。一から始めるのは面倒だから止めたんだ。園芸部としてちゃんとした形が出来る頃には、俺たちは卒業してそうだし」 植物は今日明日始めてすぐに結果が出るようなものではない。 数ヶ月かかるのは当然、畑なんて作ろうものなら年単位で土から作らなければいけないだろう。 この高校の敷地で、部活という限られた時間内でどこまで土壌を作れるか。どんな花をどうやって育てていくか。 中学の頃は近所の公園などの園芸にも関わらせて貰った。そういう面も含めると、自分たちで一から開始するだけの熱量はなかった。 「部活はどこでも良かったけど、囲碁部に入ってみると意外と面白かったから。これで良かったんじゃないか」 「そうだね。園芸部だった人は、似たような考えになるのか山吹さんともまた同じ部活になったし」 「そうだね」 話の矛先を振られて驚いたらしく、山吹は目を見開いてから俯いた。 囲碁に集中したかったのかも知れない。邪魔をしてしまった。 「え、山吹さんも園芸部だったの?もしかして二人と同じ中学?なのにまた部活が一緒?しかも囲碁部なんて、園芸部に全然関係ないじゃん、なんで?」 女子の声が尖る。 中学の頃からノアに近い場所にいた、まして今は同じ部活ということで女子は山吹をノアを巡るライバルかも知れないと警戒したのだろう。 「人が少なくて静かな部活だと思ったから。園芸部だってそう」 「囲碁部はそうだったけど、園芸部はそうだったかな。山吹さんが入部した頃には結構人がいたような気がするけど」 ノアは足を組んではちらりと山吹を見た。だが山吹は碁盤から視線を上げない。 「まだ静かだったよ。それに園芸は好きだから」 「まさかノアを追いかけてきたってわけじゃないよね〜?」 茶化すように女子は言っているけれど、目が笑っていない。 探るような視線を浴びているが、山吹は迷いのない手付きで碁石を打った。動揺はもう見えない。 「違うよ」 絶対に、と続けられた声音には小さな憤りのようなものが感じられた。 誰もかれもノアを目当てに動く女子だと思わないで欲しい。そんなプライドが滲み出ている。 (山吹さんは本当に園芸と、囲碁が好きなんだ) 「そっか」 そう微かに呟くと野山とノアから一気に目を向けられた。かと思えば何も言わない二人に居心地の悪さを覚える。 何かと尋ねる前に女子がノアにしなだれかかって、甘えるように喋り始めたので曖昧に濁された。 next |