春の終わりを待って  覚醒 16




 冷たい風が首筋に入り込まないように、マフラーに顎を埋める。寒さは苦手だ。眠たくなってくる。
 まして今日のような雨が降り出しそうな曇り空は気持ちが沈む。
 物心付いた頃から、晴れの日が大好きで曇りだと少しがっかりしていた。けれど雨の日は嫌いではない。
 陽気な子どもだからだと両親は思い込んでくれていたけれど。今振り返れば単純明快な生き物だった。
 ただ二本の足で動き、喋る口を持っている身体だっただけだ。
「蛇は冬になると冬眠に入るから力が弱まっているだろうと、あの女は一方的に話しかけてきた」
 今日も神社の前を通りながら家を帰っている途中だった。
 ノアは秦野と共に歩いていた時を思い出したらしい。コンビニの前で見かけた二人の姿は強烈な違和感と共に葵も覚えている。
 何の話をしているのか。秦野が上機嫌だったのが印象的だったけれど。まさかノアに蛇がどうだのという、あの世迷い言を聞かせていたとは。
(ノアはよくキレなかったな)
 道ばたでしかもコンビニの近く、下校時間で人通りもあるという状況のせいで外面を保つしかなかったのか。
 それともあまりに滑稽で相手にしてなかったのか。
「神隠しをするだけの力はないはずだ。弱っている今が、捕まえるならチャンスだと、得意げに語っていた」
「蛇だっていう前提がまず間違ってることに気が付いて欲しかったよ」
 そうすれば今回のような事件は起こらなかっただろうか。
 秦野は初対面の時から完全に葵をそうだと決め付けていた。何を言っても頭に入らないだろう頑なさがあったので、説得しようとしても無駄になったかも知れない。
(一人で暴走するだけ暴走していたな、あの人)
 自分の考えに固執して、目の前の現実をしっかり吟味しなかった結果だ。
 違うと分かった瞬間、どれほど衝撃的だったか。
 生憎葵はそんな場面を見ていないので気の毒だとも、またざまあみろという気持ちにもならない。
「俺たちが寒がりで、冬が苦手だって色んなところで言ってたせいもあるかもね」
「冬が苦手なものが全部蛇であってたまるか」
「だけど俺たちだって冬が苦手なのは同じだ。俺たちが何者か分かってても、やっぱり冬に挑んできたんじゃない?」
 もし蛇ではないと知っていたところで、捕まえたい、本性を暴きたいとなれば。やはり冬に襲撃してくるのではないか。
 襲撃してくるような者が他にいるかどうかは置いておいて。そんなことを推測する葵に、ノアは呆れたように半眼で見てくる。
「冬は眠りの季節ではあるが、どこかの山桜はこうしている今も咲いている。それに養分が欲しいのはいつだって同じだ」
「そうか。俺たちの親戚、仲間?はこうしている今も咲いてるんだ」
 どこかで花びらを開いては命の声を上げている花を思う。どこにいるのかも分からない、どんな桜であるのかも分からない。
 けれど遠くの地を透かし見るように意識すれば確かにいるのだと感じられる。
 真冬の風に乗って、薄い青の空に溶け出していく淡い糸が繋がる。
(分からなかった、知らなかった)
 見なくても、聞こえなくても繋がれる。
 そういう生き物であったこと。
 考えたこともなかった。
「……俺は神隠しとか、そういうものをして生きてきたのかな」
 ただの人間だと思っていたが、そうではなかった。
 人ではない意識が目覚めて、花としての感覚を持てば、人間としての栄養では足りないことも理解出来る。
 今、難なくどこかの山桜の気配を辿れたのも、秦野を喰ったからだ。全身にこれまでになかった力が満ちているのを自覚している。
 今までの人生の中で妙に調子が良いと感じた経験が無いと言えば嘘になる。まして身体の具合が悪かったのに、翌日から真逆のように良くなった場合もあった。
(あれはきっと、喰ったんだろう)
 何の記憶もないけれど、眠っている間にでも何かしたのだろう。秦野の時と同じように。
「あの神社に残っている桜がやった可能性もあるけどな。俺たちはあそこと始終繋がったままだ。だからあそこにある桜の名残が、おまえを助けたかも知れない」
「あそこにはもう桜はないだろ。だから俺たちがいるんだ」
 桜が死に際に呪われて、生み出されたのがノアと葵だ。
 ノアがそう思い出させてくれたのに、何故そんな妙なことを言うのか。怪訝に思っていると、ノアは葵を鼻で笑う。
「何も分かってない」と言葉より先に伝える、いつもの仕草だ。
「根っこは死にかけながらも残ってる。だからあそこは忌み地なんだ」
「忌み地?」
「桜は養分をたっぷり吸い上げる木だ。だから群生は出来ない。一本桜を植えるとその周囲に桜を植えても上手く育たない」
「だからこの神社は桜がないのか。周りの木々も細いし。未だに養分を吸ってるんだな。すごくしぶとい大食らいなんだ」
 へえ、と感心していると横から物言いだけな目を向けられた。
 そのくせ言葉を続けることはなく、あっという間に我が家に着いたかと思うと、鍵を開けた途端にノアがさっさと中に入る。
「どうした?漫画の続きでも読む?」
 何かうちに用事でもあっただろうか。そういえば喧嘩をする前にノアが好きそうな漫画を貸していた。その続きが気になったのだろうか。
 安直なことを考えていると、ノアは鞄を玄関に投げ捨てては表情を真剣なものに変えて振り返る。
「それより、なんで山吹とキスしたんだ」
「遅いよ!それとっくに喧嘩した話だろ!むしろ喧嘩する原因だったやつじゃん!なんで掘り返した!?」
「喧嘩したのは山吹と付き合ったことに関するものだ。キスはまた別件で怒るつもりだった。だからさらっとしか触れなかっただろうが」
「さらっとしか触れないとかどうとか分かんないよ!もう終わってる話なんだけど!色んな意味で!」
 喧嘩も終わっていれば、山吹との関係も終わっており、キスだの何だと言えるような状況でもなくなっている。なのにこのタイミングで怒るノアの神経が心底信じられない。
「事実上終わっていても、俺の心情が終わっていない」
 それは我が儘というやつだ。
 けれどそれを批判するために開けられた唇を、ノアは塞いでくる。それだけではない、ぬるりとした舌が入り込んでくる。
(またか!)
 泊まりに来た時、寝る前に仕掛けてくる悪戯を昼下がりの明るい玄関でされる。
 両親とも仕事で不在なのが幸いだ。いや、それを理解しているからこそ、こんなことをしてくるのだろうが。
「んっ……!」
 ノアの舌が口の中を動き回るのは毎度のことだが、舌からまったりとした熱が伝わってくる。それは双方の唾液が混ざるように葵の口内に広がっていく。蜂蜜のように甘くとろとろした刺激が腰骨を伝って脳髄まで這い上がる。
 ぞわぞわと背中に静電気のようなものが走っては、ノアの身体を押し退けた。
「なに、これ」
(今までのキスも変な感じがしたけど、ここまでじゃない)
 神経を直接くすぐるような体感に戸惑っていると、ノアがじっと見下ろしてくる。
「山吹と、ここまでした?」
「してない、一瞬重ねただけ!こんなこと、してくるのおまえだけだろ!」
「そうならいいけど」
 いきなり舌を入れたキスを仕掛けてくるなんて、強引なことをするのはノアくらいだ。
 しかしノアは納得しかねるとばかりに小首を傾げている。
「もう、止めろ!おまえこそ彼女はどうしたんだよ!キスとかしてたんだろ!」
 再びとばかりに綺麗に整ったその美貌を近付けてくるノアを押し退ける。一方的に自分ばかり責められるのは理不尽だ。ノアだって自分以外の女の子とキスをしていたはずだ。
「強引に奪われただけで彼女はいない。そう言っただろ。信じてないのか」
「信じてないわけじゃないけど……あの人はどうしたんだよ。登校してないんだろう?」
 ノアの彼女だと主張していた女子は部活どころか学校に来てないままだ。クラスも別々なので詳しい情報は耳にはいってこない。
「大病を患って入院したらしい。病名までは知らない。生きているのに精一杯らしいな、連絡も来ない。俺に構っているどころじゃないんだろう」
「そっか……」
 病気で大変な状態ならば、確かにノアを追いかけている場合ではないのだろう。
 行方不明だなんて噂を聞いた時はぎょっとしたけれど、病気で入院しているとはっきりしたならば、可哀想だけれど安堵もする。
(行方不明だったなら、またノアが何かしたのかと思っていた)
 誘拐犯の時のように、邪魔になったから何かしていたらどうしようと、心のどこかに不安はあった。
 何を思ったのか、胸を撫で下ろす葵の腰をノアは引き寄せては下腹部を撫でた。
「ノア?」
 制服のズボン越しに、ノアは明らかに愛撫するように性器を撫でた。明確な意図を桃って動いた手に、さすがに硬直した。
 これまでキスはされても、布越しであってもそこに触れられたことはない。そういう悪戯は仕掛けてこなかったのに、ノアは目線を下げては真面目な顔つきでそれを柔く握ろうとする。
「おまえ、何やってるんだ!止めろ馬鹿!」
「うん」
「うんじゃなくて!こっちは思春期だぞ!健康な男子高校生なんだから!分かるだろ!」
 舌を入れられたキスをされて、身体が熱くなりかけていたのだ。それに追い打ちを掛けるように、性器に淡い刺激を与えられて、どうしてもそこは反応をしてしまう。
 固くなって、ズボンの生地を持ち上げてしまうようなことになれば、居たたまれない。なのでノアの手をそこから剥がす。思ったよりあっさり外れた手は、急に反撃を思い付いたかのようにフロント部分に指をかけた。
「は、ちょっと、脱がすな馬鹿!下ろしてるんじゃない!早業過ぎるだろう!なんでそんな簡単に人のズボンを脱がすんだよ!」
 今日はベルトを忘れてしまったのが運の尽きだ。元々ベルトをしなくても支障が無いので、よく忘れているのだが、そのせいでボタンとファスナーを下ろされると一気に膝まで下ろされてしまう。
 しかも下着までもつれて落ちたので、下半身を露出する羽目になる。羞恥心が一気に駆け抜けては、ズボンを引き上げようとしたのだが、ノアの手は唖然として一歩動きが遅かった葵を上回る。
「ひゃ!」
「ああ、なるほど」
「なるほど!?なに、何に納得して!や、それやだ!」
 嫌だというのに、ノアの手は性器を掴んでは緩く扱き始める。他人の性器だというのにノアには躊躇いがない。それどころか双眸は細められ、楽しげに愛撫をしている。
 玩具を見付けた子どものような嗜虐的な手付きならば、憤りで理性を取り戻せた。けれどノアの手付きは優しい。気持ち悦さと慈しみを混ぜ合わせたようや触れ方に、恥ずかしさばかりが煽られる。
「ノア、やめ、んぐぅ」
 止めろと言いかけた唇を塞いで、ノアは愛撫を続ける。当たり前かのように舌が絡み付いてくる。ぬるぬるとした感触が性器にも伝わっては、そこが濡れてしまうのが分かる。
(ヤバイ!ヤバイって!)
 快楽が大波のように押し寄せてきては理性を押し流そうとする。抗いたいけれど、地に根を這っているわけでもない、頼りない二本足では踏ん張ったところでたかが知れていた。
「や、あ、あっ!」
 駄目という台詞すらも言えずに、ぶるりと下腹部が震える。白濁を吐き出ししてしまう予感に身体が強張った。撥ね除けようとノアの肩を掴んだのに、逆に寄りかかるようにして体重をかけてしまう。
「は、あっ……あぁ」
 無情にも波に呑まれて絶頂に達してしまう。ノアの手に白濁を出しながら、初めて人の手に愛撫された気持ち悦さに浸ってしまう。
(しん、じられない……!こんなことするなんて!しかも、すげえイイなんて!ほんっとに!)
 一人でするより遙かに気持ち悦いなんて知りたくなかった。少なくともノアの手では知りたくなかったのに。残酷にも初めてはノアの手によって教えられてしまう。
 いつの間にか目を閉じてしまっていたらしい。瞼を開くと、ノアがこちらを覗き込んでいた。
 明るい色の瞳は何故か潤んでおり、視線が絡まるととろりと蜂蜜のように蕩けた。
「これは、欲情するな」
 熱の籠もった声、愉悦を浴びた双眸に、欲情はもう吐き出したはずなのにずくりと腹部が疼いた。それは性欲が込み上げた際に、処理に使うための媒体、動画や漫画などを目にした時よりもずっと強烈な欲情だった。
 本人には否定されていたけれど、友達、親友だと思っていた。同性で、同い年で、外見も性格も大きく異なるけれど自分たちはどこか似ているから。だから大切な、仲間のような存在だと思っていた。
 なのに今、この瞬間、ノアは自分にとって欲情を煽る対象になった。性的なものを香らせるノアにくらりと目の前が揺れるような錯覚に陥る。
 酒を呑んだことはないけれど、きっと酔っ払ったならばこんな感覚なのだろう。
「俺も」
「え、おれも?」
 ノアは葵の頬に軽く吸い付いた。じゃれるようなキスなんて、これまでされたことがない。
 びっくりしていると、ノアは手が汚れていることも気にせずに自分の制服のズボンに手を掛けた。
「触って」
 掠れた声にごくりと喉が鳴った。
 再び唇を重ねたけれど、どちらがそれをねだったのかはもう分からなかった。






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