春の終わりを待って  覚醒 13




 命を賭けて、我が身を捧げて、一心に祈り続けてきた先が、何もない伽藍堂だったと気が付いた者が何をしたのか。
「知っているだろう?」
 優しく問いかける。そのことが更に恐怖を煽ると理解しながら、秦野に顔を寄せた。
 瞳孔がぶれている。そろそろ限界も近いのだろうか。
「おまえたちの誰かが社に火を放った。社だけではない、この神社全部を燃やした。ガソリンをまき散らし、必ず全てを灰にする、灰燼に帰すと決めたようなやり方だった」
 ぱちりぱちりと弾ける火花が夜を彩った。金色の炎が舞い踊り、数多の断末魔を彩っては、逃げることも、抗うことも出来ずに全ては焼き尽くされた。
 この地は煉獄に成り果てた。
「そしておまえたちの誰かは、燃えさかる社や木々を眺めながら、呪詛のごとき怨嗟をどこにぶつけたと思う? 奴は呪いながら死んでいったんだ。どこで?ああ、知っているな、おまえ」
 秦野は問いかけに瞳孔を開いた。それはかろうじて残っている薄い意識が答えを、そして何故こうなったのかという理由を導き出したからだ。
「そう、奴は桜の枝に縄を掛けて、首を吊った。呪いながら、恨みながら、それでも心のどこかで希望を捨てきれずに。凝縮された願いと力は、持ち主の死と共に滴り落ちた。桜の根元に落ちたそれは土に染み込み、桜に吸い上げられ、そして桜は燃やされた」
 死体と共に桜は焼け死んだ。
「渇望と呪詛、有りもしないものへの希望、思い込みによる呪縛。そんなものを詰め込まれて、俺たちはここで産まれた」
 この土の下で、死と願いと秦野の血族たちの力を吸い上げて誕生した。
「行き場のない祟りにでも変化して、ここを祟り場にでも作り上げれば良かっただろうに。おまえたちが居もしない蛇へ再生と黄泉がえりの願いをぶち込んでくれたおかけで、結局律儀に生まれ変わるしかなかった。だがな、誰も肉の器など欲してはいなかった」
 何も成せずに死んでいった、虚無ばかりの人間の形など模したくはなかった。
「だがおまえたちはどいつもこいつも人間のことばかり願っていた。祈った。思い描いた。おかげで呪詛は人間の形を作り出した。馬鹿馬鹿しいほど徹底的に、俺たちの本質を歪めた。女の胎に寄りついて、赤子としてこの世に産まれる準備を整えてしまうほどに」
 手近にいた女の胎を使う。
 都合の良いものがいれば良い、いなければ作れば良い。
 人の道理など関係がない。
「それでも一人の人間として完成して産まれれば良かった。なら何の問題もない。片手間におまえたちを探して、殺して回れば溜飲を下げられる。一つのままならば、いつ土に還っても、何ら支障は無い。気まぐれに生き、気まぐれに土に還る。そうすればじきまた芽吹き、育ち、花を咲かせられる。一人で満たされていたのならば、人も花も大差無い。また生きていても死んだとしても、己が己だと分かれば何ら畏れることも、悲しむこともない」
 そう、一つであったのならば。
「だが俺たちは別たれた!おまえたちのせいで俺たちは二つになった!一つでいれば満たされていた!何の苦しみも恐れもなく充足していた!この世に一つの陰りもなく!全ては満たされていた!俺たちは花として咲き、花として焼けて灰になれば良かった!それで俺たちは幸せだった!己の生を、命を全うできた!なのにおまえたちが俺たちに渇望と苦痛と怨嗟を押し付けた!押し付けて二つに別けた!」
 それは絶望だった。
 一つだった我が身が二つに裂けて、それぞれが呪われていく。奪い尽くされる半身を絶叫しながら呼び寄せても、それは我が身には戻らなかった。
「何もかも半分になった。ましてあいつは自分を忘れてしまった。自身が何者であるのか、何だったのか。何一つ覚えていない。俺にばかり花としての記憶を残していった」
 かつて何であったのか。
 ノアだけが識っている。
「だが花としての本能はあいつの方が強かった。だから養分を欲した。自分が自分でいられるように、人を喰った。ただの人間であったならば必要なかったはずの部分が渇望した」
 皮肉ではないか。
 人間が自分たちのために伽藍堂に投げ続けた呪いのような欲望が、植物に吸い上げられて人間を喰らい始めるなど。
「桜などで首を吊ったからだ。他の木ではなくこの国の桜で死ぬから、こうなる」
 そう秦野に教えたところで、とうに手遅れだ。
「あいつだけじゃない。俺だってそうだ。記憶があり、自分が何であるのか知っていたとしても、理性が生きていたとしても。喰うことに変わりはない。それこそおまえが言うように、神隠しとして養分を取った」
 人間のような形をしている。人間に紛れて、人間のように生きている。
 だが本質は結局、人間にはなりきれない。
(だからこそ哀れだった)
 葵を見ていると、哀れで仕方がなかった。
 人の中で、人のように生きて、自分を人と思い込んでいる。
 だが決して人ではない。
(それに気が付いた時、あいつは必ず傷付く)
 忘れているのは、ずっと忘れたまま思い出さないのは、きっと自分を人と思い込んだままでいたいからだ。
 だが本性から逃げ続けることは出来ない。それは必ず思い出す。
 本性は、本能は、生きている限り切り捨てられない。
 夢を見たまま生きてはいけない。
「それでも人として生きていこうとしていた。哀れな半身。だから、出来ることならそのまま終わらせやりたいと思ったさ。何も思い出さず、夢を見たまま死ねたのならば、それはそれで幸せだっただろう」
 目覚める前に、自分の本性に気が付く前に、その命を終わらせてしまえば良い。人の器を捨ててしまえば、自分が何であってもすでに過去の話だ。
 人として愛され、生きていた記憶を守って夢の中で終わりに出来る。
「だが思い出して欲しかったよ。だって寂しいだろう。全部忘れて一人で生きていくなんて裏切りだ。俺はずっとあいつを探し求めていた。半分に切り裂かれた痛みを、喪失を、渇望に焼かれながらここまで来たんだ。あいつに逢うまで俺は地獄を這いずり回っていた」
 半分になった自分では花にもなれない。何も満たされない。
 幸せも喜びも遙か遠いところにあった。常に心身共に欠けていて、渇望だけがノアを突き動かしていた。
 どこを歩いても、駆け回っても、忙しなく瞳で周囲を探っても、気配は遙か遠くだった。ぴたりとも動かない、希望の糸も見えない。
 ただ欲しいという気持ちだけで生きているようなものだった。
(あれほど国が離れているとも思わなかったんだ)
 子どもの力ではどうにも出来ないほど、海を隔てた島国同士だとは、産まれて間もない頃は気付けなかった。
「ようやく逢えたと思ったら、あいつは全てを忘れていた。俺が何であるのかも分からない。何も知らない。その恐ろしさが理解出来るか?俺は見ただけで分かった。こいつだと、こいつが俺の探し求めていた半身だと。あいつは俺だった、俺があいつであるように。俺たちはお互いのものだった」
 他の誰のものでもない。互いは互いのために生まれ、生きていた。
「触れる度にあいつは俺のものだと実感する。二人で一つだと感じる。戻れるはずだった。なのに自分たちは一つに戻れない。おまえたちに引き裂かれたままだ。なのに俺はあいつの気持ちが分かる。あいつの感じていることが感じ取れる。自分たちが何であるのか識っているから」
 元々は一つの生き物だった。
 それを識っているからこそ、ノアは葵の感情を読み取れた。強く体感しているものは、その感触も自分のものであるかのように受け止められた。
 共感、共鳴しているのだろう。
 魂を二つに別けたせいだ。
 けれど葵はノアに共感はしてくれない。自分が何者であるのか識らないからだ。
「あいつは俺を感じられない。自分を識らない、思い出せないから。俺だけがあいつを感じ取り、理解してしまう。不公平だろう。あいつはずっと俺を裏切り続ける。俺だけを、傷付け続ける」
(どうして思い出さないのか。何故人のままでいたいのか。俺に言葉ではなく、体感をさせる。そして殺させまいとする)
 お互い死んだ方がさっさと一つに戻れる。
 満たされたいのならば、命を絶てば良いだけの話だった。再会した頃はよくそうして、あっさり死ぬこともよく考えていた。
 なのに葵はずっと、無意識に伝えてくるのだ。
(生きているのが楽しい。家族を愛してる。幸せだ。この人たちを幸せにしたい。出逢った頃からずっと、あいつはそう思っていた)
 実の子どもではない自分を慈しみながら育ててくれている両親に対する愛おしさ、生きていることの歓びがあるから、本性を思い出さない。
 彼らが大切だからただの人間でいなければいけないのだと、ノアは嫌というほど伝えられてきた。
 そしてそれはノアもまた覚えがあるものだった。
 己の両親もまた、愛おしいと思うに相応しい存在だった。
 大切だと感じる気持ちを、完全に他人事だと切り捨てられなかった。
(家族を切り離したくなかった)
 幸せそうに笑う彼らを、バラバラにして絶望に突き落とすのがどうしても忍びなかった。振り返れば自分にも同じものがあるような気がして、動けなかった。
(あいつの大切なものが一つ残らず綺麗に、あいつが苦しまないように消えてしまえばいいのに)
 そうすれば未練無く、人間としての人生を閉ざしてくれるはずだ。
 ノアのことも思い出して、一つに還ろうとしてくれるかも知れない。
 自身と、その周囲の人々の安らかで幸せな終わりを心から望んでいた。
(それが無茶だとも分かっている)
 そんなものはきっと無いのだ。
 どれほど足掻いたところで、死という別離は苦痛を伴う。喪失は絶望を引き寄せる。
 だからこそ二人はこんな有様になっているのだから。
「はじまりがなければ、終わりを望みもしなかった」
 静かにただそこにあり、時の流れや季節の移り変わりと共に生きていられた。
 そう憎悪を口にしても、女の瞳は枯れ果てていた。涙を流すこともなく瞳孔は開いたまま、表面はひび割れてしまいそうなほど乾いている。
 養分を吸い取られて干からびた老婆となった女の眼球が迫り上がる。眼球は零れ出るのではなく、内側から突き破られて枝が現れる。
 生えてきた枝は空を目指すように伸びていく。
 何百倍もの早送りをしている動画のように樹が成長していく様を見上げる。その枝の先を見詰めるけれど期待したものは気配すら感じさせなかった。
「やはりつぼみをつけるだけの力はないか」
 大したものでもないな。
 そんな呟きは、頭蓋骨を砕かれ顔の形を保てなくなった女のなれの果てには届きもしなかった。



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