春の終わりを待って  覚醒 1




 十二月に入ると気温も下がり、日によっては雪が降っては凍えてしまいそうなほど寒くなる。
 冬が本格的に始まったと感じると、寒がりのノアは頻繁にくっついてくる。
 それは懐いているという可愛らしいものではなく、単純に人の体温で暖を取っているのだ。
 人のことを都合の良い、動く湯たんぽだとでも思っているのだろう。向こうから近寄ってくるならば、百歩譲って受け入れるけれど。たまにおまえが来いと呼ばれるのだ。横暴すぎる。
 それでもどちらかの家に泊まっている日は渋々言うことを聞いていた。
 二人でいるのに、ノアの機嫌を損ねて文句をだらだら述べられるのも、不機嫌さをまき散らされるのも勘弁して欲しいからだ。
 それにノアとくっついているのは嫌ではなかった。
 こんなことは誰にも言えないけれど、ノアと触れ合っているところからぬくもりが流れ込んできて、ほっとするのだ。
(俺も寒がりだからかも知れない)
 ひなたで団子のように集まって丸くなっている猫たちを思い出す。きっと彼らもこんな心地良さを味わっているのだろう。
「今年はどうする?行くだろう?旅行」
 冬休みを前にして、ノアと家族旅行の予定を立てる。
 毎年ノアの家族とは長期の休みに旅行をするのが通例だ。
 けれど去年は高校受験のために冬の旅行は控えて、お互いの家に泊まるだけにした。受験勉強も二人でやればはかどるだろうという両親の配慮でもある。
 今年は無事に目標の高校に合格をし、何の憂いもなく遊べる。
「どこか……」
 ノアは旅行雑誌をぺらぺらとめくるが、目を半分閉じては大きなあくびをした。それにつられて葵も、ふあと眠気と共に息を吐いた。
「……寝る」
 葵のあくびを見て、ノアはそう宣言した。
 無理に起きていたところで二人揃って眠いだけだと察したらしい。雑誌を閉じては歯磨きをしに洗面所へ向かう。
「もう寝るよ」
「相変わらず冬は寝るのが早いわね。熊みたい。冬眠しないようにね」
「おやすみ」
 リビングにいる両親に声をかけると笑われた。
 まだ二十三時になったばかりの時刻は、就寝するには少し早い。まして友達が泊まりに来ていると思えば、いくら常連のノアであっても、もっと起きていてあれこれしたいと思うものだろう。
 冬でなければ、葵も深夜まで起きているのだが。寒くなるとどうしても眠気が強くなった。
 冬眠する熊と言われたけれど、二人揃ってそれに近いものがある。ノアは眠気を堪えているのだろう、ぼーっとした様子で歯磨きをしている。
 高校生になって、ノアは急に背が伸びた。顔つきも精悍になりつつある。
 もう中性的な雰囲気は消えてしまった。
(どこからどう見ても男になったな)
 葵より背が伸びて、目線がずれるようになった。
 葵も決して背が低い方ではないのに、ノアがあっという間に追い抜いていったのが悔しい。
 置いて行かないで欲しい。
 そう思うけれど、どれだけ毎日ご飯をたくさん食べても、カルシウムを取ろうと努力しても、ノアはあっさり葵を上回っていく。
 ハーフだから骨格自体も異なる、これからもっと違いが出るだろうと聞いた時には不公平だと文句を言ったほどだ。
(同じだったのに)
 出逢った頃はノアの方が華奢で天使のようだったのに。
 恨めしい気持ちで眺めているなんて、ノアは一切感じ取っていないのだろう。歯磨きを終えると勝手知ったるとばかりに葵の部屋に戻っていく。
 そして葵が部屋に行くと、簡易ベッドを広げては寝具を整えて寝る準備を完了させていた。
 葵の部屋にはノアのための簡易ベッドが置かれている。使わない時は二つ折りにして部屋の隅に置いている。
 ノアの部屋にも同様に葵のためのベッドが置かれている。それだけ泊まりの頻度が高いということだ。
「おまえ、デカいベッド買えよ。いちいち準備するの面倒だ」
「やだよ。部屋が狭くなるだろ」
「このベッド狭い上に固いんだよ」
「我慢しろよ、そりゃあノアのベッドより薄っぺらいだろうけど、うちはそこまで裕福じゃないんだよ。一般家庭。富豪とは違うんだって」
 洋館に住んでいるような家庭とは財政状態が異なるのだ。そもそもうちが一般的であり、ノアの家が特別なだけなのだが。
「クリスマスプレゼントでベッド買ってやるって言ったのに、断っただろうが」
「クリスマスプレゼントとして、息子の友達にダブルサイズのベッド贈るってかなり意味分かんないから。つか、もう、ベッド出したくせに結局こっち来るのかよ!」
「寒い。おまえで暖まったら、出ていく」
「冬場は出ていったことないだろ!」
 簡易ベッドを引っ張り出して、散々文句を言いながらノアは葵のベッドに入ってくる。
 寒がりのノアは冷え性でもあるらしく、冬場は布団の中に入ってもなかなか身体がぬくもらず、寝付きが悪いそうだ。
 なのでこうして人の体温であたたまろうとする。
 しかしあたたまると眠くなり、結局簡易ベッドに戻るのを面倒くさがってそのまま狭いシンブルベッドで窮屈さを我慢しながら眠る羽目になった。
「狭い狭い!今日こそ眠くなったらそっちに戻れよ?」
「はいはい、戻る戻る。誰がおまえにくっついて寝たがるかよ。クソ狭いのに。いいからおまえは大人しく湯たんぽになってろ。俺に体温を寄越せ」
「体温を全部奪い取られそうな台詞……なんでそんなに横暴なんだよ。王様かよ」
「俺が王様なら、おまえは、それはもう、すごいことになっていただろうな」
「待って、なんだすごいことって。なんだ」
 すごい、だなんて稚拙な表現が返って怖い。
 怯える葵を抱き締めて、ノアはくすくす笑っている。
 こうして一つのベッドで横になっているとノアは機嫌が良い。あたたかいからだろう。
「ノアってさ」
「うん」
「うちの親のこと、嫌いじゃないよな」
「当たり前だろ。我が子でもないおまえをこんな風に、警戒心が薄くてへらへら誰にでも笑いかけるようなやつに育てたんだ。愛情深い親なんだろう」
「うん。大事にして貰った」
 引き取ったというより、押し付けられたような子どもだ。なのに葵の両親は葵を若子のように育ててくれた。
 愛情が乏しいなんて感じたことは一度もない。
 いつだって愛されているという自信があった。
「嫌いになるわけがない」
 そう言いながらノアは葵の胸に顔を埋めてくる。吐息がかかってくすぐったい。
(嫌いじゃないなら、なんであんな顔をするんだ)
 普段は葵の両親に、優等生とは少し違うリラックスした表情を見せる。敬意を持って接しており、親しい間柄という雰囲気だ。
 それが友達の両親に対する態度として、きっと最も相応しいだろう。
 けれど時々、両親と決して目が合わない状態でノアが二人を見る瞳には感情が欠落していた。
 怒りでも悲しみでも、まして怒りなどでもない。だからといって親しみも好意も滲んでいない。
 一見何も宿していないように見える、けれどその瞳の奥には何かあるはずだ。深く深く、秘めすぎて表に出すことも出来なくなったような何かがある。
 それが自分の両親に向けられているのが不可解だった。
「寒い。もっと体温上げろ」
「無茶なこと言うなよ。苦しい苦しい、ぎゅうぎゅう締めてくるなよ」
 抱き付いている腕の力を強めるノアの背中を叩いて抗議する。肋骨が軋む!と悲鳴を上げると、ノアはようやく弛緩しては悪戯っぽい目で見上げてきた。
 明るい色の瞳にはたっぶりの好奇心が満ちている。
「あ、っん」
 ノアはぐいっと葵のパジャマの胸ぐらを掴んでは手前に引き寄せる。そして唇を塞いできた。
 柔らかな唇は、微かに甘い香りがする。
 隣にいても、抱き締められていてもそんな香りはしなかったのに。キスをした途端に、甘い香りが淡く漂ってくる。
 とろりと心が蕩けてしまいそうな気持ちの良い香りだ。
 けれどそれに従うには、唇の隙間から入って来た舌の、ぬるりとした生々しい感触が許さない。
「んー!んぐっ!」
 口の中をノアの舌が動き回る。独立した生き物のように上顎をなぞり、歯列を辿り、そして葵の舌を絡め取る。
 刺激を与えられる度に、ぞわぞわとした痺れが背筋を這い上がってくる。腰の周りがのったりと熱くなる感覚に、これが何であるのか見当は付いた。
「やめっ、この、馬鹿!」
 それ以上されると引き返せなくなってしまう。
 本能でそう察すると、葵はノアを強引に引き剥がした。
 その際、唇に唾液がつうと糸を引いたのが見えて、羞恥心が一気に込み上げてくる。
「こんなことするなって、何度も言っただろ!」
「言われたけど、俺は一度も納得していない」
「しろよ!首を縦に振れよ!ヘドバンするくらい激しく頷いてくれよ!」
 お願いだから!と泣き言を口にしても、ノアは涼しい顔だ。
 葵なんて欲情してしまいそうな身体を持て余し、恥ずかしさで全身から変な汗が出ているというのに。
(男子高校生のくせに!思春期のくせに!なんで反応しないんだよ!)
「困るから、こういうことするの、マジで止めろ」
 眠れなくなってしまう。
「困れば?」
「は?」
「たまにはおまえも困ればいい」
「おまえのせいでいつも困ってます!」
 どうしていつもは困っていないかのような体で言っているのか。
 猫被りで毒舌友達に、常に振り回されて頭を悩ましている。平穏な日常とはあまり言えない日々を過ごしているのに、何故ノアはそれを丸ごと無視して、葵の生活が平穏そのものであるかのように語るのか。
「俺はもう寝るから。静かにしろよ」
「横暴だな!そして結局ここで寝るのかよ!簡易ベッドを引っ張り出した意味は?」
 何一つ答えず、ノアは葵に抱き付いたまま目を閉じた。
 呼吸を整えればすぐにすとんと落ちるように眠りにつく。幼児のようにすぐさま寝てしまう様は、いっそ見事だった。
(くっそー……俺をこんな状態にして!)
 中途半端な刺激を受けた身体は、ほんのりと熱い。しかし発散させなければいけないほどでない。
 なのでしばらく大人しく、穏やかな気持ちでいれば自然と落ち着いてくるだろう。だが眠りたいと思っていたのに、心身が静まるまで一人でろくに寝返りもうてずに耐えなければいけないというのは理不尽だ。
 ノアの頬を軽く引っ張るが、昔のような柔軟性は失われてやや固い男の頬になってしまっていた。
 子どもではなくなっていく。
 大人に近付くノアの成長に、何故抱き付かれているのかという疑問が湧いてきては溜息をつく。
 だが憂鬱も次第にお互いのぬくもりが混ざり合って馴染んでいく気持ち良さに上書きされた。
 



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