春の終わりを待って  兆し 6




 ノアは口が悪い。他の人には猫を被って優しく親切な人のように振る舞っているけれど、葵に対しては素っ気ない上に、少し意地悪なところもある。
 だがそれは遠慮の無さであり、葵はとても仲の良い関係だからなのだと思っていた。
 言葉の棘、態度の冷たさにこれまでも怒ったり落ち込んだりすることはあった。そうした時、両親に相談するとノアは甘えているのだと言っていた。
 日本に来て初めて出来た友達、仲良しの葵にノアはちょっぴり甘えているのだ。だからそんな風にツンツンして、意地悪なことも言ってしまう。
 だけど葵のことが好きだから。いつも一緒にいようとするのだ。
 そう教えてくれた。
 確かにノアは葵の隣にいたがった。
 嫌いな人間のそばには近寄りたくないだろうから、少なくともノアに嫌われてはいない。素直じゃないだけで、きっと好かれているだろうと思っていた。
 だから馬鹿だと言われても、身に覚えのない何かのせいで、酷いだの、裏切りだのと責められても最後は聞き流してきた。
(ノアにとってはそうなんだろう、よく分からないけどって。そう思ってきた)
 最初は随分振り回されたけれど、小学校を卒業する頃には理不尽な言いがかりにも寛容になれていた。
 大体ノアだっていつもいつも本気で責めてくるわけではない。
 頬を膨らませて拗ねたように言う場合もある。そんな時は構って欲しいだけだ。
 だからはいはい、と返事をしながらノアにじゃれついてやれば良かった。
 そうすればノアは文句を言いながらも機嫌を直した。
(でもあんな言い方はない)
 思い出しただけで息が詰まる。
 言われたその直後は憤りが先に立ったけれど。時間が経ってくると、怒りよりも戸惑いと寂しさが膨らんでいった。
(友達だと思ってたのは俺だけなんだ)
 一番仲の良い友達、親友とも言える関係だと思っていたのに。ノアはそんなことは微塵も思ってはいなかった。
(じゃあ何なんだよ!)
 一緒に登校して、同じ部活に入り、下校も大抵二人だ。
 休みに遊びに行くのも当たり前で、泊まることもしょっちゅうある。長期の休みには二家族で旅行もしている。
 今年の春も桜を見るためにわざわざ県を幾つも超えて観に行った。
 ノアは桜が好きで、春になると少し陽気になる。
 春に嬉しくなる心地は葵にもある。だから今年の旅行は特別楽しくて、大切な思い出にもなった。
 その旅行だって二人で計画して親にお願いしたものだ。普段のお泊まりであれこれスケジュールを練って、ああでもないこうでもないとたくさんアイディアを出し合った。
 ノアだってはしゃいでくれた。
(旅行中だって)
 二家族だけならば、ノアは気儘に機嫌良く過ごしている。
 他の人たちの前では綺麗な言葉遣いで愛想も良くしているけれど、他人に深入りしない、させないようにしていた。
 上辺だけ、その場だけの関わりで終わらせようとする。
 ぐいぐい距離を詰めてくる人には、苦手意識をちらつかせては離れていった。
 カラオケで葵に絡んで来た女子なんて典型的だった。ノアに強引に近寄っていくから、ノアはどんどん離れていってしまいには我慢の限界だとばかりに三年生になってからはやや冷たくあしらうようになっていった。
(他人が苦手なんだ)
 そんなノアはきっと法事で母親の親戚に嫌なことを言われて苛々が溜まっていたのだろう。だから今日は最低な気分だったはずだ。
「でもだからって、あんな言い方はない」
 今日も放課後にノアの家に寄るつもりだった。けれど逢いたい気分には到底なれず、その分の時間がぽっかりと空いてしまう。
 時間を潰すようにゲームばかりしていたけれど、ノアの哀しげな瞳が思い出されては全く集中出来ない。あり得ないミスばかり連発してはゲーム機を投げ出した。
 両親が帰ってくるにはまだ早い。物足りなさを覚えてコンビニにアイスを買いに行こうと家を出た。
 今日は薄曇りで、雲が夕陽を遮ってどんよりとした赤黒い夕暮れを作り出していた。視界は非常に悪く、街灯もぼんやりとしか周りを照らしていない。
 どこか不気味な、現実と異世界の隙間のような時間だった。
 見慣れた道も一枚生温い薄闇が張り付いているようで、家を出たことを少しだけ後悔していた。
(止めれば良かったかな。だけど暑いし、この前食べたアイスがもう一回食べたい)
 美味しかったので今日の学校帰りに、今度はノアと一緒に食べようと言っていたものだ。
 結局アイスどころではなくなって、悔しさもある。
「あれ……?」
 神社の前を通り過ぎようとした。
 けれどその中に人影を見かけて、つい足を止めてしまった。
 その人影が社へと近付いて行くだけでなく、賽銭箱の向こう側に進もうとしていたからだ。
 そこから先は神社を掛け持ちしている神主か、神社を世話している神主の親戚しか許されない領域だろう。
 だが背丈がどう見ても彼らとは異なっている。
(誰が、何をしようとしてるんだ?)
 異様な雰囲気を感じて、つい人影を観察してしまう。
 するとその人影は社の扉を開けようとしたらしい。けれどきっちり施錠をされているので、ガチャガチャと金属の音が立てられるだけだった。
(扉を開けようとするなんて、失礼なやつ!)
 しかし開かないと分かれば帰るだろう。
 人影が神社から出て行くまで、息を殺して確認しようとした。
 鳥居の影にでも隠れようかと安直なことを考えている葵の前で、その人影は信じられない暴挙に出た。
(嘘、鍵を壊そうとしている!?)
 人影が懐から何か器具のようなものを取り出してはガシャガシャと激しい金属音を立て始める。
「そんなものを出して何してるんですか!」
 慌てて社へと駆け寄ると、人影はこの間神社の前をうろついていた若い男だった。
 その手にはニッパーが握られている。おそらく扉にかかった鍵か鎖をそれで切るつもりだったのだろう。
「ああ、君か!丁度良かった!君はこの辺りをよくうろうろしているみたいだね!」
 男は暴挙が見付かったというのに、何故か笑顔で振り返った。
 そしてニッパーをその場に置いてはスマートフォンを取り出す。
「やっぱりこの神社が気になる?ねえ、聞いたんだ。君が四年前に誘拐されかかった子どもなんだってね!どうだった?ここで何かあったんだろう?」
(どうして俺が、あの子どもだって知ってるんだ)
 不意を突かれて絶句してしまう。
 青ざめる葵など気にせず、男は社へつづく階段を下りて詰め寄ってくる。
「誘拐犯はどんなやつだった?連れて行かれそうになったんだろう?なのにどうして誘拐犯はいなくなったんだ?誰か何かした?ねえ、本当は何か見たんだろう?」
 四年前の光景が、まさにこの場で起こったことが思い出されては葵の呼吸を浅くしていく。
 あの歪な光景は、夢であって欲しかったその現実は二度と触れたくない記憶だ。
「な、なんで、お社に」
「あの社にはなんだか特別なご本尊があるって聞いたからだ!神隠しが起こっている理由に繋がるはずだろう。だから中が見たいんだけど、さすがに鍵がかかってる。君はこの中に何があるか知ってる?」
「し、知らない」
 社の奥に何があるのか。
 この神社を掃除している神職の親戚に聞いたことがあった。
 あそこには大切な神様が奉られている。それが何かしらの形をしているらしいが、それが何なのかは教えて貰えなかった。
 その時葵は本当に小さな子どもだったので、怖がらせたくないからと秘密にされたのだ。
「じゃあここであの時、何を見た?どうなった?ちょっとでいいから教えてよ。この神社を中心に神隠しが発生しているのは確かなんだからさ」
 男は以前と同じようにスマートフォンを向けてくる。そしてテレビ番組の出演者のように、ここがどこであるのかとを語り始める。
「君も喋って。ほら君も有名になれるかも知れないチャンスだよ!俺の動画が注目されて視聴者が爆発的に増えたら、君だって俺みたいに活動して動画で稼げるようになるかも知れないんだから。チャンスだ!」
「何言ってるんですか」
「俺こういうホラーな話題で動画を作って、ネットに上げて収入得てんの。だからさ、少しでも視聴者が食い付くネタが欲しいんだ。君も俺の動画に出てよ。君はアイドルみたいな顔してるから、女の子が食い付く。はい、ほら、誘拐犯と何があったのか、最初から説明して!」
 矢継ぎ早に葵に迫ってくる。スマートフォンのカメラがまるで銃口のように感じられて、葵は男の手を振り払った。
「止めてください!勝手に撮らないでください!」
 そう前にも言ったでしょう!と怒鳴ろうとした。けれどそれより先に男の手を払い落とした際、男が持っていたスマートフォンが落ちた。
 運悪く、落ちた先には小石が幾つかあり、スマートフォンは画面を下にして、そこに落下した。
 硝子が割れるような音がして、時が止まる。
「嘘だろ!」
 我に返った男が慌ててスマートフォンを取ると、画面には大きなひびが幾つも走っていた。
「割れてる!機種変したばっかりなのに!どうしてくれるんだよ!」
「そんなこと言われても……」
「弁償しろよ!こんな画面で動画なんて撮れるわけないだろ!俺の生活がかかってるのに!」
「そっちが悪いんでしょう……」
 男はスマートフォンの画面を突き付けては怒声と共に距離を詰めてくる。
 確かに男の手からスマートフォンを叩き落としたのは自分だ。だがそれは男が勝手に撮影をするからではないか。
 制止しても聞かなかったから、実力行使に出るしかなかった。
 不満を零すが、壊してしまった手前弱腰になる。
「弁償!今すぐ!最低でも三十万だな」
「えっ」
「最新機種だったんだよ!それに動画が撮れない時間が少しでもあるだろ!俺は動画収益で生活してんだから!慰謝料だ!」
「滅茶苦茶だ」
 どんな生活をしているのか。
 中学生の葵でも、男に疑惑を向けてしまう。
 だがそんな目が男にとってはかんに障ったらしい。
「何が滅茶苦茶なんだよ!それはこっちの台詞だ!おまえのせいでスケジュールが滅茶苦茶になった!早くどうにかしろよ!三十万なんてどうせ持ってないだろうから親に連絡して早く持って来いよ!」
 画面の割れたスマートフォンを眼前に突き付けられて、反論が出来なくなる。
(絶対三十万なんてかからない)
 そもそも画面の修復だけならば、大した金額ではないだろう。
 けれどそれであっても自分一人のお小遣いでどうにか出来る限度は超えているはずだ。なので渋々自分のスマートフォンをポケットから取り出す。
(怒られるかな)
 母の反応を想像しながらスマートフォンを開くと、突然男の手が横から伸びてきた。
「うわっ、こいつマジか。履歴にノアって名前がある。こいつはおまえと一緒に誘拐されそうになった子どもだろ」
 奪われたスマートフォンに唖然としていると、男が着信履歴に残るノアの名前に目を付けた。
 しかも誘拐された子どもだと知っている。
「やった、ラッキーだ」
 そう呟いた男に視界が更に黒く染まった。
 夜が深まっただけではないだろうその昏さに、嫌な汗が一気に噴き出した。
 



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