魂の宿し方。そんな方法は存在しない。
 ただ朝日奈の嫡子が丹誠込めて作れば、持ち主の愛情と時の流れとともに魂が宿るのだ。
 ある人はそれを神の業と言った。
 どれほど類似した人形を作っても、他の者では魂を宿す人形を作ることが出来なかったからだ。
 朝日奈だけが持つ、不思議な能力。
 だが、朝日奈は人形の作り方が漏れるのを嫌がった。
 それはどの職業であっても思うところだろう。自分たちだけが持ち得る、特殊な手段などは秘めていたいものだ。
 魂が宿らないただの人形としても、朝日奈の作るものは比類がないほど美しく作られ、人目を惹く。顔だけでなく、身体、その関節の動きすらもだ。
 今現在、朝日奈には弟子がいない。祖父の弟子が祖父から教わった方法で人形を作る教室を開いているが、それは朝日奈の嫡子が作る人形の作り方ではなかった。
 朝日奈の嫡子が作る類いなき人形の作り方は、嫡子しか知り得ないものなのだ。
「うちの人形は、身体を開けてはいない作りになっているんですよ」
「開けてはいけない作り?」
「朝日奈の嫡子だけが知っている作り方で作られた人形たちは、同じく朝日奈の嫡子たちだけが知っている開け方で開けなければいけないんです。一つでも手順が違えば、加減が違えば、身体を開けた瞬間に身体が崩壊する。部位が粉々になるように作っているんです」
 マグマのような怒りはゆっくりと熱を高め続け、ふつふつと灼熱の固まりになっていく。
 声も落ち着いたような響きになったが、それは冷静さが戻ってきたせいではない。怒りの度合いに、激情が暴力的になるレベルを超えてしまったのだ。
 泉の中で緊張が張り詰めていった。僅かなきっかけで暴走を起こす細い糸だ。
「当然魂も失います。うちの人形は長い年月を経て、魂を得ることの出来る子たちです。同時に魂を得るということは、失うことがあるということです」
 殺されたというべきですね。紅は。
 泉はそう言った自分の声音に、ぞくりとした。あまりにも凍り付いた声をしている。
 抑えられないものを感じ、鼓動が早く脈打つ。
 殺された。彼女が。
 生まれた時からこの家にいて、穏やかな物腰をしたあの紅が、殺された。
 現実を突きつける写真を前にして、泉はようやく言葉を失った。
「この人形は、その紅を解体して内部を模造したものだと?」
 荻野目の問いに、泉は力無く頷いた。座卓に肘を突き、片手で目を覆う。
「そうです。開けた瞬間に身体は崩壊しますから、完璧に模造することは不可能でしょう。確認する前に壊れてしまいますから。ですが壊れた後の身体を見ても、ある程度作りは察しがつく。そして、曖昧ながらも真似たやり方で、この人形を作ったということです。間違いはない」
 朝日奈の作り方です。
 泉は絶望を噛みながら、説明した。
 未だかつて、こんな屈辱を味わったことはない。
 今までも、人形を無理矢理解体した人間はいた。そして内部をなんとか探って、模造品を作りだしていた。
 だがどれも朝日奈のものとは比べものにならない拙い人形だった。類似すらしていない。
 そんなものを見ても、解体された人形が哀れで涙するだけだ。屈辱など味わうことはなかった。
 だがこの写真に写っている人形は、朝日奈の人形に似ているのだ。一目で紅を連想するほどに。
 そしてその内部もまた、似ていてた。
 相当人形の知識がある者がやったのだろう。おそらく同じ人形師の手によるものだ。
 他人の人形を模造して、あまつさえ人殺しをさせているなんて。
「バラして、構造を調べ、模造品を生み出して…それで殺人ですか」
 口元には歪んだ笑みが浮かんだ。もう自嘲しか出てこない。
 これが、もっと質の悪い人形であったなら。
 人など殺さなければ。
 紅に似ていなければ。
 憎悪のような感情は抱かなかった。
(なんなんだよ、これ。悪夢?)
 人生で最低の出来事に直面している。そう断言出来た。
 気分が悪い。
「屈辱ですね。僕にとっても、彼女にとっても」
 苦渋を味わう呟きに、荻野目は声をかけなかった。
 しばらく黙り、ただじっと泉が落ち着くのを待っているようだった。
 だが、落ち着く時など来るはずもなく、泉は脱色した髪を掻き乱し舌打ちをした。
「で、この文字なんですか」
 再び顔を上げた泉の目は、ぎらぎらと異様な光を宿していた。
 殺気に近い。
「現在調査中です。霊体を定着させるものではないことだけは、はっきりしています」
 荻野目は泉が多少の冷静さを取り戻したと思ったのか、写真を片付けながら話を進めた。
「こういった動く物品、霊的なものでも鬼でもないものを壊す者はそう多くありません。まして痛覚もなく手足を斬ったくらいでは動きに変化もないというものは、こちらにしてみればたいへん不利です。何か弱点などはありませんか?」
 どうやら、荻野目はこれを聞くために朝日奈の家に来たらしい。
 確かにこんな異常なものを相手にすれば、何か弱点でも探らなければやりづらくて仕方ないだろう。
 その気持ちは分からないでもなかったが、泉はついていた肘を止め姿勢を正して溜息をついた。
「彼女は、殺人を行う者としては完璧です」
 だが、紅は一度だってそれを望みはしなかった。
 泉が生まれる前もそうだろう。彼女はそんなことを好む性質ではなかった。
「江戸時代。娘を人質に取られた朝日奈の人形師、当時の当主が人形の制作方法全てを教えろ、という要求に応えて作った人形です。この時代は家のごく限られた者はしか人形の作り方自体知りませんでした。制作方法など、一切外に漏れることがなかったそうです」
 人形を作るものならば、朝日奈の家に入り、親戚の類などとは縁を切っていた。屋敷に籠もり続けるような生活だ。
 それでも朝日奈の人間になることを望む人間は絶たなかった。
 横暴なまでの魅力が、朝日奈の人形にはあるのだ。
「作り方を教えたんですか?」
 それでは話の筋が合わない。と怪訝そうな表情をちらりと見せながら、荻野目は尋ねた。
「人形の作り方を教えると言って紅を連れていき、その場にいた者全てを始末したんですよ。残ったのは持ち主と、その娘だけ。人間の手には負えない、からくり人形なんですよ」
 それだけ高性能な動きをする人形を作りだした当時の人形師の技術、そしてそれだけのことをやってのける魂。両方ともが天才と言えた。
 今の泉が人形師の立場であっても、果たして紅を作れたかどうか。当時の材料ではかなり無理がある。そして、作って何十年も経っていないというのに、人を斬るだけの動きをやってのけた紅という魂。どちらも驚嘆に値した。
 だが、人形師はすでに死んでいるので分からないが、紅に関しては人を殺すなどという所行とは無縁の人形に思えた。
「それほどのことが出来る人形が、何故奪われたのでしょうか。抵抗すれば、逃げるのは容易いでしょう」
「彼女は、人を殺したがらない。しかも今回は、僕の予想ですが……人質がいたんじゃないかと」
 彼女は温厚だった。人間などよりよほど穏やかな気性の持ち主で、殺人を得手としているのに命を奪うことを厭っていた。
 何人もの朝日奈の当主が亡くなっていくのを見ていると、命が尊くて仕方ない。そんなことをふと零したのを聞いたことがある。
 人間より慈愛の深い人形だった。
 だがそれでもさらわれるのを黙って従っているとは思えない。
 おそらく、何かしら身動きがとれなくなる理由があったのだろう。
 そして最も簡単に方法が、近くにいる者を人質にすることではないか。
(そうだとすれば、紅を知る人間かぁ…)
 だが一部で伝説じみた噂になっている紅だ。ずば抜けた殺傷能力を持つ優しい人形。聞く者は嘘だと思うだろうが、真に受ける人間がいてもおかしくない。
(まして、こんな異様な模造人形を作成する人間なら、紅のこと知っててもおかしくないよなぁ…)
 そして、内部が知りたい、模造したいと思うことも。
「人質…職人ですか?」
「たぶん。そうでなけば、彼女は手を出さない。彼女は、あの人を気に入ってましたから」
 人形が人を気に入る。本来は逆だろう。荻野目は小さく苦笑したように見えた。
「人間みたいですね」
「まぁ…近い部分は持っているかも知れないですね。でも、それに似せたからと言って人間のような部分まで持つことは出来ない」
 そんな明白なことを、理解できない人間が紅を奪った。
「ですが、何かしらの類似はあるのでは。現に自ら動いています」
 作り方を模造した人形。というものは見たことがあるのだが、紅ほどしっかりと作り込まれた人形を模造したものというのは、発見していない。
 もしかすると、という一抹の不安が泉によぎる。
 だがかろうじて怒りに飲まれていない冷静な部分が、それを否定した。
「紅を模造したとして、制作してからせいぜい四ヶ月ほどしか経っていないはずです。通常の人形なら、それだけの短さで魂が宿ることはありません。紅がこれだけ動けたのは、命令した持ち主が作り手だったからです。作り手と繋がった人形はわりとすぐに魂を宿します」
 そう。紅は様々な意味で特殊だったのだ。
 江戸時代の頃から。
「作り手と繋がるとは?」
「それは言えませんよ」
 泉は笑みを無理矢理作って誤魔化した。
 口外出来ないことなのだろう、と荻野目は察して「それにしても」と話を逸らす。
 調査員というものは人の隠したがる事実を暴くこともするが、同時に何としてでも口を割らない人がいるというのも察知出来るのだろう。
 出来る人だなぁと、泉は荻野目の評価を少し上げた。
「江戸時代に、それほどのことを成した恐ろしい人形を今まで保管していたのですか?」
「うちの用心棒ですよ。ここには売れば金になる人形が多々あります。一応そういう部屋に繋がる場所には最新のセキュリティを入れてますが、どうなることか分かりません。万が一のために、紅がいるんです」
 だが彼女自身が奪われることになるということは、完全に予想外だった。
(紅だけはって油断してたんだろうなぁ…まさかって)
 人形に対して人質を取る、しかも紅が隙を衝けないほどの周到さと人数で行うなどということは常軌を逸している。
(変態なんじゃないの?)
 泉は思わず舌打ちをした。
「用がなければ庭の手入れをするような人形でした。花や木の世話をするのでよく肌に細かな傷が付いてしまうので、補修に出してましたが」
 今は小桃が手入れしている庭が、部屋からも見える。開け放った障子の向こうは一見あの頃と変わりがない。
 だが所々に違和感を覚えてしまう。
 それがいっそう、紅の不在を強く意識させた。
 着物の袖をたすきで上げながら、楽しそうにしていた彼女を。
「花の手入れですか」
「盆栽が最も得意でしたよ」
 そう言うと荻野目は小さく口元を緩めた。
「あれは意外と難しいそうですね」
「僕にはさっぱり分からないんですけどねぇ。楽しそうでしたよ」
 紅のことを自慢したい。だが、そうすればそれはそのまま新しい傷になる。
 泉はもどかしさと無力さに唇を噛む。
「とても、殺人を行う人形のお話とは思えません」
「僕だって、そう思います」
 彼女が人を殺すところなど見たことがない泉は、殺人が目的として作られたからくり人形 と知っていても想像すら付かなかった。
「ですが、殺人が得手の人形なら、それを模造した人形は厄介ですね。ついこの前、また殺人が起きたのですが」
 ぎり、と泉が奥歯を噛み締めた。
 紅を侮辱し続けるものがいるというのか。
「何か対処の仕方はないでしょうか。下手に出ればこちらにも人死にが出ます」
「…人には無理ですよ」
 泉は忌々しげなに呟いた。
 そして座卓の上に置かれたままの写真を睨み付けた。
 見れば見るほど似ているそれを、焼き尽くしたいというように。






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