『免許取得』
雪がちらつく朝だった。 吐く息は白い。 指先がかじかんで、外気の冷たさを訴えてくる。 免許を取るため、最期の試験を受ける。そのため電車で一時間かけて試験所まで行った。 これに合格すれば、免許を手にすることが出来る。 電車の中では何もしなかった。MDで音楽を聴いて、ぼんやり窓の外を見ていた。 海沿いの道を電車が走るので、海面から反射した光が時々眩しかった。 眠気が薄れる頃、ようやく試験所に着き教室で勉強をする。 自主学習として教室が解放されるのだ。 試験開始までの二時間、これが俺にとっての最も大切な時間だ。 試験は直前に詰め込むのが効果的だと学生時代に学んでいる。 その場合、十分二十分の短時間では駄目なのだ。最低一時間はかけて、丁寧且つスピーディに整理して詰め込む。 付け焼き刃もある程度手間を掛けなきゃいけない。 この作業をやり終わり、一休みに昼飯を食う。 コンビニおにぎりを口にしながら、早瀬のことを少し考えた。 あの人もこんな感じで試験を受けて、免許を取って、それから教官になったのかなと。 変なことを考えるんだなと自分でも思ったけど、どうしても免許関係のことになると早瀬を思いだした。 ずっとお世話になっていたからだろう。 結局、卒業式では早瀬に会えなかった。 お世話になりました。の一言でも言いたかったのだが。 そこが未だに引っかかっている。 もう卒業して五日も立っているというのに。 教習所に行かない日々に、元通りの日常に身体は戻っているのに。 気にしすぎ。 もう忘れてもいいはずのことだ。 最期の一口を食べ終わると、また教室に戻った。 こんなことばっか考えてると不合格になりそうだ。 また一時間かけて試験を受けに来るのは、勘弁したかった。 それで、試験はどうだったかと言うと。簡単だったような、難しかったような、何とも感想の言い辛いものだった。 最初のほうは呆れるほど簡単で、後ろになればなるほど難しい。 これは珍しくない、むしろオーソドックスなやり方なんだろうけど。最後のほうの質問になってくると、何度読んでもなかなか内容が把握出来ない問題もあった。 それまではすらすら解けたのに。 知識ではなく、文章自体をひっかけにしているのだ。 免許の試験はこういうところが億劫だ。 国語の勉強をしているみたいに思えてくる。 そして、出来はどうだったかというとそれもまた「合格すると思うけど…思うんだけど…自信のほうはさっぱりない」というわけの分からないものだ。 合否が出るまで四十分くらいあり、その間友達や家族からメールが届いた。 「合格した?」という、内容はみんな一緒のものだ。 気にしてくれているんだな、というのは嬉しいのだが、いかんせん返事は「まだ分からない」としか言いようのないタイミングなのが笑える。 早瀬も気にしているだろうか。 俺のことを、やっぱりどこかで気にしてくれているだろうか。 それならどうなのだ。と聞かれると言葉は詰まってしまう。 だが、合否くらいは教えてもいいかなと思う。 喜んでくれるのか。祝ってくれると、素直に嬉しい。 免許が取れたら早瀬のおかげだと言ってもいいから。 「元気かな…」 俺が卒業する時は、少し寂しそうだったけど。 元気で、あのあんまりやる気の感じられないスタイルで教習をやっているだろうか。 もう一度くらい、教習がしたかった。 楽しかったあの時間をもう一度くらい。感じたい。 会いたい。 こんなの、おかしいのかもしれないけど。 「……なんだかな…」 早瀬の思うとおりになっているような気がする。 面白くない。でも会いたいような気がするのは、本当だった。 「うーん…」 合否が発表される電光掲示板がよく見える場所に立ちながら、俺は唸った。 携帯の時間を見ると、そろそろ合否が出てくるはずだ。 人だかりの中で、卒業した教習所の教官のことで悩んでいるやつなんて俺だけだろう。 他の人は合否が気になって仕方ないはずなのに。 俺は早瀬のほうが気になっているようだ。 おかしい。 「あ!出た!」 隣にいた女の子の声で、ふっと顔を上げた。 俺の番号は、すぐに見付かった。 合格したようだ。 それに対しては嬉しいんだけど、それより大きかったのが、これで早瀬に連絡が出来る。ということだった。 なんでそんなことに喜ぶのか。 まるで。 一つの形を想像して、俺は肩を落とした。こんなことになるなんて思ってなかったのに。こんなことになりたいために教習所に行ったんじゃないのに。 でも、気分は悪くない。 そう、毎回早瀬に気持ちを掻き混ぜられても、結局は悪い気分じゃないのだ。 メールを打つ。早瀬のアドレスはすでに登録していた。 手帳にはさんであったメモをちゃんと携帯に記録させたのだ。そこからして、いつか連絡を取ろうと思っていたのだろう。 『試験合格しました。免許、無事取得です』 それだけの素っ気ないメール。だが妙に時間がかかった。 どんな文面がいいのか、悩みながら打ったのだ。なんだか、気恥ずかしい。 するとすぐさま携帯が震えた。 メールかと思って画面を開くが、そこには「着信」とあった。 電話だ。 月曜日は教習所が定休なので、早瀬も休みなのだろう。だからこんなにも早く反応があった。 ざわつく中、戸惑う指で通話ボタンを押した。 「もしもし…」 『おめでとう』 聞こえてくるのは、笑いを含んだ声。車の中でよく聞いていたその響きは、携帯だと少し低く聞こえた。 会わなくなって一週間程度しか経ってないのに、懐かしい。 心臓がどくりどくりと早くなった。 会っていた時は、そんなことあまりなかったのに。顔が見えない携帯でこんなに動揺するなんて。不思議だ。 「ありがとうございます。早瀬さんのおかげです」 『試験は君の実力でしょう』 何言ってるの。と早瀬は笑う。 嬉しそうな顔が思い浮かんで、こっちまで口元が緩んだ。 「でも技能は早瀬さんのおかげですから」 『そう?感謝してる?』 「してますよ。かなり」 『かなり頑張って教えたからなぁ』 「そうですか?やる気感じられませんでしたけど」 『それは香坂君の気のせい。俺はいつでも精一杯やってました』 いきなり生真面目な口調で答えるから、吹き出しそうになった。 どこが精一杯なんだか。 笑っていると、放送で合格者を案内する内容が流れた。 移動しなければいけないらしい。 きっと何かの説明だろう。 そうなれば、携帯を切らなきゃいけない。 せっかくかかってきたのに…。 『なんか放送かかってるね。もしかしてまだ免許手にしてない?』 「今からです。さっき合否が出たばっかで」 『そっか。説明あるけど、あれかったるいよ?あんま内容ないしね。寝ない程度に聞いてればいいから』 「適当だなぁ」 『本当だって。俺どんな説明だったとか覚えてないしね』 「…早瀬さん、あの…」 『ん?』 合格者がぞろぞろ移動している中、俺は立ち尽くしながら携帯を握りしめた。 心臓の音が口から出てこないか心配で。でも唇を閉じることは出来ない。 「今度、早瀬さんの車運転させて下さい」 会いたい。 「いつでもいいですから…早瀬さんの気が向いた時に…」 駄目だろうか。 すぐに返ってこない返事に、俺は不安になった。 嫌かな。車好きそうな人だったし。自分の車教習生だったやつに貸せないか。もしかすると、もう会いたくないとか。そんなのかな。 どうしよう。そんな弱気な気持ちが生まれた時。笑う気配が聞こえた。 『いいよ。運転させてあげる。隣に俺が乗ってたら安心だろ?』 楽しそうな声に、俺の心が躍った。 「はい!」 『ずっと隣に乗ってて下さいって言われたしね』 それは、前に俺が言った台詞だった。 そんなの、まだ覚えてたんだ。 ちょっと感動かも。 『試験所まで、車で迎えに行くよ。終わる頃には着いてるから』 「え!?」 『帰り運転させてあげる。免許取れたて新鮮初心者に』 「新鮮初心者って」 なんだそりゃ。 『俺が隣にいるから、安心しなさい。運命共同体なんだから』 「それ高速の時の話でしょうが」 『ううん。これからの話』 さらりとそう言った早瀬に、俺は反論出来なかった。 これから。 それはどうなるか分からない。 本当にそうなるのか、ならないのか。 運命なんてももの自体、俺は信じてないし。 でも共同体はいいかもな。なんて少しだけ思って。結局 「今日の帰りの話ですよ」 と、少しだけ先のことにしてみた。 携帯越しの笑い声はくすぐったくて、どうせなら直接会って一緒に笑いたい。 そんなことを思った。 |