更新



 免許の更新を告げるはがきが自宅に届いた。
 それを見ると、免許を取ってから年が流れたんだなと思った。
 同時に早瀬と出会ってからも結構な時間が経ったということになる。
 裏側に記載されている、更新センターの住所見て、ここからセンターに行くまでの道筋を考える。
 電車になることは分かっていたが、どうも自分が滅多に使わない路線のようだ。
(この近くの駅って、どこだっけ?)
 この路線を持った駅、自宅から一番近いところは何駅でどこにあるのか。俺の頭の中には浮かんでこなかった。



「汐登君の家からだったら、多分」
 早瀬は俺が免許の更新に行くと言ったら、近くの駅を教えてくれた。
 聞き覚えのある駅名だ。地元なのだから当然だけど。
「…どこの辺でしたっけ?」
 地元民としてはちょっとまずい発言をするのだが、地理に詳しくないことを知っている早瀬は怪訝そうな顔はしなかった。
「ほら、あそこの道をずーっと北に上がって」
「あそこってどこですか…?」
 早瀬はその次に道の名前を言ってくれたが、それでも俺はぴんと来なかった。
 ついには早瀬はノートパソコンを起動させて、ヤ○ーのトップから地図に飛んで、この周辺を表示してくれる。
「汐登君の家がここで。駅まではこっからこう行く」
 早瀬は指で地図を示して丁寧に教えてくれる。
「ああ。分かります。ここをこうですね」
 地図は真っ直ぐ北に上がっていく。分かり易いと言えば分かり易いのだが。
「そう。で、この辺り駐輪場だから。チャリで行くんでしょう?」
「チャリです」
「なら自宅から出て、チャリでここを通って、その後はひたすら北に行く。んでぶち当たった辺りに駅があるから。駐輪場はここから右手な。左じゃないから。近くにバス停ある方」
 早瀬は駐輪場までの行き方を細かく説明してくれる。
 俺はアホの子かと言いたくなるほどの丁寧さだ。駅までの道をさして説明しないのは本当に真っ直ぐだからだろう。
 ここで迷ったら本当にアホだ。
「てか、そんなに右右言わなくても」
「だって汐登君。よく迷うだろ?数年前は駅から徒歩十分の本屋に行くのに次の駅まで歩いたらしいし」
「あれは大都会が悪い!」
 ありとあらゆる路線が集中している駅なのだ。地下街が日本屈指の迷路と言われている、あの駅なのだから俺が迷うのも無理はない。
「とりあえず真っ直ぐですね!それで、電車に乗ったら後は乗り換えとかあるんですか?俺あの路線さっぱりで」
「乗り換え一回なんだけど」
 そこまで早瀬は言って、ふと不安そうな顔を見せた。
「俺が送ってあげようか…?」
「一人で行けます。そんな可哀想な子を見る目をしないで下さい!」
 更新センターに行くのに、やたらと調べ物が多いことに心配になったらしい。
 しかしわざわざ早瀬に送ってもらうほどのことでもない。というかこれくらい一人で出来る年だ。
 大丈夫だと言っても早瀬は「本当に行けるんだろうか」という目をしていた。
 そういえばこの目は家族にもされるな、と少し自分が悲しくなった。



 朝の受付を目指し、早めに起きて家を出た。
 自転車をこいで駅まで突っ走る。
 通学中と思われる学生、通勤と思われるスーツ姿の方々と擦れ違う。
 今日も結構寒い。曇りなので視界が眩しくないというのがありがたかった。
 駅に付くと、思わず立ち止まって左右を確認した。右な、右と内心呟きながら自転車を移動させると自転車の群があってほっとする。ここで駐輪場を探して彷徨うなんて、さすがに迷うのが早すぎるだろう。
 切符の金額はあらかじめ調べておいたのでスムーズに買い求めて電車に乗る。さすがに人が多いなと思いつつ無心を心掛けて乗り換え駅で一端地上に降りたのだが。
 次の電車を待つために路線を変えてホームを移動すると。がらんとしている。
「……通勤しないのかよ」
 更新センターに向ける電車に乗る会社人の数は激減していた。さすが山の中にある更新センター。過疎っていく。
 少し待って入ってきた電車に乗り込む。
 走り出した電車の窓から見える木々。デカイ森○の建物。畑やら畑やら畑。
 ああ、実に人が少なそうだ。と感心してしまうほどだった。
 そして実際更新センターのある駅に降り立つと、山に囲まれているような印象を受けた。
 きっと冬になったらこの辺りは雪が降ることだろう。地元とは明らかに気温が違う。
 で、駅に降り立ったのは良いのだが。
「どっち?」
 人の流れは二つに別れており、どっちに付いていけばいいのか分からない。てかここに来るまでで頭いっぱいで、付いてからの道まで調べてない。
 徒歩二分ってあるから、たぶん迷わないと思ったんだが。
「どっかに看板あるだろ」
 人が多いかなという方向に釣られて歩いていくのだが、どうも看板もそれらしい建物もない。間違えた?間違えたか。そうか間違いか。と五分歩いて気が付くクオリティ。
 元の駅まで戻って、今度は反対の方向に歩いたら「免許更新センター」と掲げた建物があり。ようやくほっとした。ここまで来るのにどれだけの労力なのか。
 そして一歩建物に入ると、すでに人々の列が出来ていて、身体が固まった。
(平日だろ!?おまえらどっから沸いてきた!)
 自分を棚上げしている自覚はあるのだが。
 日本国民は意外とみんな免許持ってるよな。
 列の最後尾に並んで色々と書類を書いたり金を払ったりするのだが。今回視力検査がとても気になっていた。
 視力出てないんじゃないかと。
 眼精疲労でひえーとなっている俺はびびりながら視力検査の機械に顔を寄せたのだが。
「はい。見える方向言って」
 まずは左目からで、これは綺麗に見えた。
「左」
「次は逆」
「下」
「はい。次は両目ね」
 と言われて二つの視界であの微妙にどっかが空いている丸を出されたのだが。
 正直に言うと、いまいち見えてなかった。
 タイム!目薬さしたら見えます!と言いたいところをぐっと我慢して「……上」と答えたのだが。
 おっさんは黙り込んだ。
 うわっ、間違ったなこれ。もう一回やらないかなと思ったら「これ持って五番行って」と更新の書類を渡された。
「……はい」
(つか間違ってたよね俺。あれたぶん上じゃなかったよね)
 そうは思ったのだが、言ったところで意味はなく。コンタクトの度数上げろってことなのだろうと思って次の手続きに進んだ。
 そして免許の中にICチップを埋め込むらしく、そのための暗証番号を作ってみたり、写真撮ったりをして、ようやく講義まで辿り着いた。
 講義内容は二時間。
 大学の講義を思い出すような形式と室内だったのだが。とにかくケツが痛い。
 椅子が硬すぎてケツ痛いケツ痛い、つか地味に辛いなこの展開。隣の奴すげぇ寝てるし。ケツ痛ぇ。
 という感想しかない講義だった。我ながら全く講義に集中してない。
 暇すぎて持参した本を読もうかと思ったのだが、いくらなんでも態度が悪すぎるかと思って控えた。
 次回があるなら座布団を持参したい。
 唯一学習したことがあるとするなら、普通免許と大型免許の間に中型免許が出来たということだろうか。内容は名前の通り、普通と大型の中間のようなものだった。今までの普通免許は積載量などが現在の中型とかぶっている部分がある。新しい普通免許は俺が持っているものより、積載量なとが制限されているらしい。
 だから去年までに普通免許を取得した人は、「8トン限定中型免許」という名所になるらしい。
  (てか名前がださい)
 誰だこんないけてない名前にしたの。
 ケツ痛い二時間が終わるとようやく免許を手渡されて釈放だ。
 もうここで完全に気が抜けていた。
 やるべきことはやった。後は年末を迎えて、正月はくたばる勢いで寝ようと思いつつ、行きと同じ電車に乗ったのだが。
 電車中に人が少なかったので、本を読んでいると自分がどこにいるのか分からなくて混乱したのはここだけの話だ。
「ぅぇ…、今どこ…?」
 一人でリアルに呟いた時は、自分は心底アホなのだと思った。
 幸い乗り過ごしもなく、ちゃんと帰れたのだが。
 電車の中でハートカバー広げて夢中になっている奴の姿は、ちょっと不気味だっただろうと思われる。
 しかもずっと立ったままだった。
 椅子に座って本を読む人は割と見るのだが、立ったままはそんなにいないような気がする。
 何はともあれ、ミッションは完遂した。



「いらっしゃい」
 この夜、早瀬に呼ばれていたので自宅まで乗り込んだ。
 免許をちゃんと取れたかどうかも心配されていたので、報告しようと思ったのだが。
 出てきた男は口にたこの足をくわえていた。しかも結構デカイやつが一本、にょろりと生えている。
「何故にたこ…」
「え?ああ酢蛸」
 いや、誰もたこの種類を聞いているわけじゃないんだが。
(煙草をくわえているならともかく、たこか)
 変な奴だとは思っているが、たこで出迎えられたのは初めてだ。
「それで、どうだった?」
「8トン限定免許って名前がださい。講義中ケツ痛い」
 端的過ぎる感想を言うと早瀬は楽しげに笑った。
 リビングに通されると俺はコートを脱いだ。部屋の真ん中に位置するこたつは俺が組み立てた物だ。冬はこれがないと落ち着かない。
「確かにださいけど。ケツ痛いってどういうこと?」
 こたつの上にはビールがあり、どうやらこれを飲みつつたこを食っていたらしい。
「講義室の椅子が硬すぎる。話眠いし」
 コートを脱ぐと俺は自由にキッチンに行って冷蔵庫を開けた。家主からはずっと前に許可を貰っている。いちいち確認を取られる方が面倒だから勘弁してと言われたので、好きにしている。
「あの話なぁ。俺ずっと寝てるけどね」
 早瀬は気怠そうに言った。無理もない。早瀬は言うなら講義する側の人間なのだ。
 そんなもの聞くつもりもないだろう。
「迷わずに行けた?」
「駅までは。そっから更新センターに行く道は迷ったけど」
 冷蔵庫からマンゴーヨーグルトを取り出してスプーンを手に取りつつ振り返る。
 すると早瀬はビール片手、信じられないというような目をしていた。
 信じられなくて悪かったな。
「汐登君。遠出する時は必ず誰かと一緒に行くんだよ?てか俺と一緒に行こうか」
「目的地には辿り付けなくても、帰宅することは出来るので問題ないです」
 迷子になって家に帰れないとなったら困るけれど、俺は帰巣本能だけは発達しており、どれだけ迷っても家には確実に辿り着く自信があるからそれでいいと思っている。
 しかしそれでも早瀬は気の毒そうな視線を俺に向けてきた。
 



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